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2021.10.20
Essay

線に潜む特別な日常─ありのままの、わたしの2020

新建築論考コンペティション2021|佳作

宮内さくら(千葉工業大学大学院)

はじめに

中川家という兄弟コンビをご存じだろうか。わたしがいちばん好きな芸人である。中川家の漫才では身近にいそうな人が取り上げられており、わたしも大体「いるいる!」と思ってしまう。どうやら、中川家の漫才は街で見かけた面白い人を兄の剛が頭の中で整理し、弟の礼二はその伝達を元にキャラクターのイメージを膨らませネタを演じているようである。わたしは、中川家は特別に面白いと思っている。普通ではない。ただ、確かに俯瞰してみると日常に埋まっていそうなネタしか扱っていない。もちろん表現力や台本作りの問題もあると思うがそれ以前に日常に向き合う姿勢が違うのではないかと思う。

よく自己啓発本やそういった類のサイトには、まず小さな幸せを見つけることが大切だと書かれている。要は、なんでも塵が積もればなんとやらである。建築家という仕事はクリエイティブな仕事である。視野を広げることが大切であり、日常に埋もれたそれを発掘する眼が不可欠であろう。
中川家のネタ作りには、インスピレーションを得る方法がある。「街で見かけた面白い人」というところ。中川家の漫才を見て面白いとは思うが、街を歩いていて面白いと思う人は滅多にいない。むしろ、中川家で扱われる人たちは、わたしが実際に出会っても背景と化して気づくことがないくらい、目立って特別な人はいないだろう。中川家は「面白く昇華できる人」を見出す眼を持っていることが分かる。ここで、学校の設計課題でのTA(ティーチング・アシスタント)を通しての経験談を挟みたい。わたしの担当していた班では、「ミライの渋谷」がテーマとなり、第1週は渋谷という敷地についての調査の発表であった。初回で先生は渋谷についてとても幅広く紹介されていた一方で、参考書籍の紹介も含めていたためかなり似通った敷地分析になってしまうのではないかと少し不安だった。しかしよい意味で大幅に予想は裏切られることとなる。グラフィックアートの壁の収集、ゴミの多さから汚い面の渋谷、広告の多様性について、渋谷から繋がる道の端まで辿るなど、生徒たちはまさに十人十色、全員がまったく異なる渋谷を語っていた。まるで全員が違う敷地を選んだかのように思えるほどであった。中川家剛の日常に埋没した事実を見つけ出す眼がある一方で、そのひとつひとつの事実に対してそれを観察する人数通りのレンズが存在するということである。
わたしはごく平凡な大学院2年生だ。大学院に上がると「視野が広がる」と聞いていたため、院試を受ける前に親を説得する時もなんとなくただ漠然とその言葉を使っていた。これまで「視野」というのは引き出しの多さだけだと思っていたが、最近は知識の引き出し、いかに事実を見出す眼があるか×視点の多さ、いわばレンズの多さが視野の広さだと思っている。

ここまでは数の話であったが、どうしたら質を高められるか、これも中川家から得られる。剛は一度事実を「頭の中で整理」している。わたしも普段からふと思いついたことなどは頭の中に留めておく傾向がある。口に出したりノートに書いたりしてしまうと、どこかその考えは完成されたような気がしてそれ以上のことを考えられなくなってしまうからだ。たとえば、普段嫌なことがあったらその場で発散したらすぐ忘れられるし、本を読んでいて分からない言葉が出てきて調べたいのにスマホの充電が切れてしまっている時はその言葉を考えながら家に帰ると、1回調べただけでずっと覚えている。このような経験が誰しもあるだろう。小さな気づきは一度自分の中で反芻することでアイデアに広がりが出る。

さて、ここまでで言いたいことは、小さな発見はそれなりに自身の頭の中でしっかり咀嚼し、レンズを形成、造成していくべきであるということ。さらに他者と共有していくことで、自分で得たレンズをさらに磨くことができるかもしれないし、なにより手持ちの数は格段に増えるかもしれない、ということである。

前置きが長くなったが、ここからはわたしが自分の頭の中だけで反芻し続けた事柄をひたすらに綴っていきたい。20代の、女の、学生の、わたしの立場から見た世界とその時考えていたことをそのまま記していく。

自然を感じた4月

大学を卒業した自覚も大学院に入学した実感もなく、授業も始まらなかった4月。卒業設計の時期と卒業呑みシーズンを経て、わたしは突然健康に目覚めた。今までの人生で自分から運動したことがなかったが、毎日家の近くの森の中5km走ることにした。最初のうちはきつくて周りを見る余裕はなかったが、だんだん、少しずつ、周りを見られるようになっていった。決まって20時くらいに走っていて、夜風と街灯と葉の表情をぼーっと追っていたら気づくと走り終わっている程度まで慣れたころ、ほかの時間帯の風景が気になった。そこで、夜中2時、朝7時、昼12時、夕方17時、徐々に時間をずらして全時間帯味わうことにした。少し薄暗い感じでも、朝日の昇る前と日が落ちた後では光の柔らかさも体感的な風の冷たさも、葉の揺らぎ方も時間によって色もまったく異なっているように感じた。夜はひとりの同年代や団体の高齢者が多く、朝は少数の高齢者と2〜3人の中高生、昼は子ども連れが多かった。同じ森を走っているつもりだったが、全時間帯で森はさまざまな表情を見せてくれた。丁度全時間帯をまんべんなく味わった頃、生活リズムの不規則が祟り体調不良になった。

イヤホンが壊れた。3万円程する高価なイヤホンが1年も経たずに壊れた。現実を受け入れたくなくて、なかなか次のイヤホンを買う気にはなれなかった。わたしは普段、移動中や待ち時間などほとんどの時間に音楽を聴きながら過ごしていた。7年くらい世の音を遮断して生きていたわたしにとって、雑音は新鮮な音楽に感じた。わたしは音楽を聴く時、大体どの楽器がどのラインを弾いている、なんとなくでしかないが頭に楽譜が浮かんでくる。それを追いたくて必死で聞き分けようとするため、頭の中もその音楽でいっぱいになる。しかし外の音は聞き取りきることもできなければ聞き分けることも、それぞれの音を追うことは不可能だった。置いてけぼりにされているかのような感覚が逆に心地よく感じる。一方で、ほとんど誰もいない街を歩くことも好きだ。自分の足音でリズムをつくる、環境の音にリズムを付け、まるでわたしがすべての音を支配しているような感じがする。わたしはさまざまな靴を履く。硬くて細いヒールや、太いヒール、柔らかいヒール、運動靴、革靴などさまざまなタイプの靴で同じ道を歩いていても違う音色が響かせることができ、道が変わることはないが飽きることもない。
そこで、道によってがらりと音の変わる風景があったら面白いのではないかと、異なる音を奏でる五差路を考えてみた。fig.2

ランニングに飽きた頃、家から少し離れた山を登ることを日課にしてみた。道ではない道を選んでみたり、川を跨いでみたり、少し木を登ってみたりもした。まるで、童心に帰ったようだった。以前わたしがランニングをしていた森は比較的道が整備されており、アスファルトを走っていたが、山は整備されていない。雨が降るとすごく歩きづらいが木々はしとしととして心地よく、晴れは歩きやすいが人も多く疲れやすい。山は天候をそのまま表してくれた。喜怒哀楽激しいが感情に素直といったところだろうか、親しみやすく感じた。
ある日、山まで歩いていく道中宅地開発されている光景を目にした。ふと、あの掘り起こされている土はどうなるんだろうと気になりその場で調べてみた。各地で残土は問題になっていて、あの土は廃棄物として扱われるらしい。そのあといつもどおり山で土を踏みしめながら、少し悲しくなった。
そこで、土のための装置があったら面白いのではないかと思った。今までは人のために住みやすくなるよう、いらないものとして排除されていた土だが、土が生き返るために少し人にとっては住みづらい、そんな住まいのサイクルを考えてみた。fig.3fig.4

タバコが吸えなくなった5月

少しずつ授業も始まり、外に出たい気持ちが芽生えてきた。そこで世界が変わってしまっていたことにはじめて気が付く。4月の時点ですでに、世間の飲食店から喫煙席が消えていたのだ。さらに、ショッピングモール等にある喫煙所はコロナの影響で密を避けるため閉鎖されていた。ここまで一気に喫煙所が減ってしまったこと、わたしだけが求めているかのような錯覚、まるで自分だけ違う世界戦に置いてけぼりにされたのかと思ってしまう程ショックだった。

わたしは冬に吸うタバコが好きだ。わたしがはじめて吸い始めたのも冬だった。冬はタバコを吸わなくても息が白い。いつも通りタバコを吸い、息を吐いてみるとずっと白くゆらゆらと出続ける。タバコの煙か自分の息なのか境目も分からないままずっと息を吐き続けていると、少し酸欠になってくる。そうしてまた口にタバコを運ぶ。これを続けていると、まるで自分自身も自然にとなって溶けていくような、透明になっていくような感覚に陥る。この瞬間が好きだ。

わたしは街を歩く時、無意識に喫煙所を探している。正確に言うと、吸いたくなる場所を探している。余談だが、建築見学に行く時も吸いたくなる場所の検討をつけて近づいてみる。そこに喫煙所が設けてある場合、設計者も喫煙者の場合が多い。最近気が付いたのだが吸いたくなる条件として、四方がなんとなく囲われていて、自然に溶けやすい場所を求めている。fig.5

たとえば都内なんかを歩くと、ガラスで囲われた喫煙所が道路沿いに点在する。すぐ隣で車が排気ガスを出し、窮屈なガラスに囲われた中で吸うタバコはあまり美味しくない。fig.6

たとえば、明け方の海辺、山頂・河原や高架下などはもっとも美味しい。fig.7

都心にそこまでの自然を求めてはいないが、なんとなく吸いたいと思う場所には決まって吸い殻が落ちている。そこで親近感を覚えることが多い。最近の喫煙所は、吸いたいと思える場所にはあまりない。喫煙所自体の数が大幅に減っているせいでもあると思うが、今まで吸いたくなる場所に吸い殻を見ることは多かったが、最近ではついこの前まで喫煙所であった場所やただ排水溝があるという場所に吸い殻を多く見るようになった。もちろんタバコ自体環境を汚していることは百も承知だが、吸いたくなる場所と吸いやすい場所はまったく違う。吸いやすく汚されやすい場所に、ちょっとした工夫をすることで街の汚れをなくし、もっと環境とのかかわり方、自然との対話を大事にするようになるのではないかと考えた。
そこで、吸いやすい場所に吸いたくなくなるような、癒しの象徴である猫のイラストを添えてみるのはどうだろう。fig.8

家をハックし続けた6月

少しずつオンライン授業にも慣れ始めた頃、気づいたらいつもの机の上で課題ができなくなっていた。今まで座ると集中モードに入れたのに、課題以外オンライン授業やオンライン呑み会までしてしまったせいだろうか。机が課題に取り組むだけの神聖な場所ではなくなり、日常と化してしまった。まずは場所を変えてみた。リビングのちゃぶ台、ダイニングのテーブル、おじいちゃんの勉強机、どれもしっくりこなかった。そこで「机と椅子」から離れてみることにした。最初に目をつけたのは、お風呂である。お風呂に浸かってYouTubeを見始めると1〜2時間あっという間に超える。お風呂という空間がいいのではないだろうか。お湯を張らずに蓋を机替わりにしてみた。すこし照明が気になったのでろうそくだけにしてみた。あまりしっくりこなかった。次に目をつけたのは押入れである。押入れの2階部分に載っていたものをすべてどかしてそこを机替わりにしてみた。ちょうどいい高さの椅子がなかったのでバランスボールに乗ってみた。すると、驚くほどに集中できた。余談だが、わたしは長風呂をする。風呂にスマホや雑誌を持ち込むが、トイレに何かを持ち込むことはない。この話は女友達とだとすごく共感されるし、トイレに何かを持ち込むという概念はあり得ないとすら聞く。対して、男友達にこの話をすると真逆なのである。トイレでYouTubeを見るが、風呂ではあり得ない、と。わたしはお父さんと暮らしたことがないので分からなかったが、よく思い出したら昔に友達の家に行った時、トイレにお父さん用の灰皿や漫画が置いてあったことをふと思い出した。さまざまなアニメでもトイレに新聞を持ち込むのは決まってお父さんである。これはわたしの周りがたまたまそうであったとも捉えられるが、コロナ期を経なければ生活の詳しい部分まで友達と話すことはなかったのでわたしにとってはとても新鮮な発見だった。fig.9
永遠に家に閉じ込められることがなければ、きっとここまで居場所をハックしようとは思わなかっただろう。これまでは最初に決められていた住まいの機能に忠実に、模様替えやDIYなどを繰り返してアップグレードを試みていた。夜帰って寝て、休日しか在宅時間のない生活ではここまで自分の身体スケールと向き合うことはなかったと思う。
ここでふと、そもそも暮らしやすい動線を考えて設計しないことが、自分の身体に向き合うことと繋がるのではないかという考えが浮かんだ。たとえば、人間のライフスタイルで設計されないすまいなどあったらどうだろう、と。そこで一度、猫にフォーカスして一日の流れを考え繋ぎ合わせ、人間の生活を組み込んでみた。fig.10

居場所をハックしはじめた頃、スイッチングが重要かもしれないとも思っていた。学校やカフェで集中できるのは、空間がガラッと変わるということもあるがもっとミクロにルーティーンを思い出してみる。外に出るとなると、まず起きて顔を洗い歯を磨いて、テレビを見ながら化粧をしながら朝ご飯を食べる。そして着替えて歯を磨きながら髪をセットして、靴を履いてバッグを背負ってドアを開ける。わたしは朝がとても弱いので、いつも秒単位で追われている。そのせいでさまざまなことを同時に行わなくてはならない。こうやって改めて並べてみると、授業を受けている時よりも人と話している時よりも、起きた直後がいちばん頭を働かせていたようにも思える。わたしにとってのスイッチングは、頭をフル活動させることだと初めて気づいた。集中するためのわたしのルーティーンである。
ここでスイッチングを装置化した住まいを考えてみたくなった。日本では一般的に、職住一体であった士農工商時代から草履を履くことや仕事を行うために身なりを整えることがスイッチングの行為として取り上げられやすいが、きっともっとあると思う。丁度この頃のニュースで、海外のベランダで誰かが歌っていて、誰かが違うベランダから楽器で参加してという連鎖によりマンション全体でベランダセッションが行われている光景を見た。外に向けたベランダだけでなく、もっと内外に開けたこのベランダのような窓を取り入れられないかと考えた。fig.11fig.12

ヒトが恋しくなった7月

他人を欲する時期は、少し遅かったと思う。ひとりっこであることも関係しているかもしれないが、わたしは異常にひとりでいることが好きだ。言い換えると、他人を遮断していたい時間が長いと思う。コロナに入ってひとり籠ってよくなり、人との関わりを断絶してひとりでよく過ごすことに3カ月くらい心血を注いできた。大学院に上がったのに遊ぶ余裕のある自分が怖くて焦っていたこともあると思う。課題やコンペで忙しいと、さまざまな誘いを断って7月に入った。それでもときどきオンライン呑み会は流行に乗って参加していたが、これは少し居心地が悪かった。呑み会中はひとりが発言してほかの全員で聞くことはまずない。会話は何カ所で同時進行しているし、別々の会話が突然結びつくことだってある。なんとなく隣の人が息を吸っていることが分かればそのタイミングで自分が発言することは避けるし、自分が話していても違う面白そうな話があれば音量をどんどんフェードアウトさせていくことだってある。その発言権をすべて機械に握られた呑み会というのはまるでプレゼン大会のようでありリラックスできたものではなかった。五感を通じて他者と関わりたいと思った。

ある日、ニュースでソーシャルディスタンスを保つために1mほどの棒を生やした帽子を被って登校させる中国の小学校を見た。距離を保つためのさまざまな工夫が生み出されていた時期である。当初飲食店などでは今まで使っていたものにテープや貼り紙を施し、禁止とさせるようなものばかりであった。現代までに詰まりすぎてしまった距離感を無理に引きはがすため、距離をとるというより遮るという方法が多かったと思う。そもそも、本来心理的にベストとされる距離感がある(a)。現代では、合理化や効率化が優先され、心の距離と無関係に物理的距離が詰められていることは多い。これは住宅においても同じことが言える。fig.13fig.14

今までで最も密であったシチュエーションを想起してみる。ロックフェスや、絵画などの展示会などだろうか。一方で距離感を保っていた場面は、トランポリンやブランコなどの遊具、あとは「チームラボ」のような展示などであろう。ここの明確な違いは、鑑賞物と鑑賞者つまり見る見られるの関係が明確に分かれている場合密を生み出しやすい。一方で、たとえば美術館で言うと、それぞれが観者として作品と自身に向き合っている時、自然と距離感がとれているのではないかと思った。
ここで、それぞれが鑑賞対象であり観者となり得るような装置を考えてみた。個体距離と社会距離のちょうど境目の1,200というスケールで、ブロックを並べてみる。高さは歩くだけでも自然とソーシャルディスタンスを保つことができるよう、真ん中に立ったと仮定してそれぞれが2,000mm以上の距離が保てるように前後左右ブロックを配置した。そのため高さは決して一般蹴上の範囲では収まらず自身の身体と向き合うこととなり、自然と距離が保たれるようになるのではないだろうか。fig.15fig.16

親戚からブルーベリージャムが送られてきた。ブルーベリー狩りに行ったらあまりにもとりすぎてしまったらしい。最近あまりおすそわけという文化を聞かないなと思ったのと同時に、コロナによりそういった手製のモノのおすそわけのような文化が消滅していくのではと、少し怖くもなった。余裕があって余ってしまう分をおすそわけ、その人のために用意されたモノがプレゼントという定義分けをしてみる。そうすると、意外と現代にもおすそわけというシステムは蔓延しているようにも感じた。わたしはパズドラというゲームをしているのだが、たとえばモンスター育成のための進化素材がほしいとする。そこでフレンドに募集をかけてみると誰かが分けてくれる。そのフレンドというのもたまたま表示されたから追加しただけであって、見ず知らずの人である。別のパターンを探してみよう。たとえばカフェで勉強するという行為だ。カウンター席に座ると集中している人も多く、なぜかその雰囲気に吞まれわたしもとても集中することができる。また期限のある食べ物類はおすそわけの定番であるが、モノで考えたらどうだろう。研究室の模型材BOXにはさまざまな使いかけの材料が眠っている。いつも模型づくりをはじめる時にはその箱を一旦漁るのだが、これは卒業していった先輩方のおすそわけであると考える。このように日常をおすそわけという視点で思い返してみると、3パターンに分けることができた。fig.17

わたしにとっての2020

8月以降は学校もバイトも遊びも徐々に元の生活を取り戻しつつあったから、正直あまり覚えていない。わたしの2020は4〜7月に詰まっている。

こうしてもう一度振り返ってみると、後になって思い返すことは身の回りの些細なことばかりだ。今までを振り返ろうとしても、大きなイベントくらいしか覚えていないが2020は大きなイベント開催がなかったせいか、身の回りの些細なはずのことが、大きなイベントかのような衝撃として残っている。2020の日常はほとんどが特別なものであった。

今まで道中ほとんどイヤホンをしながら歩きスマホをして、家と学校とバイト先の決まった点のみを行き来していた。どうしたら中川家のように日常から得られる眼を身につけられるだろうか、と点の中から探そうとしていた。2020、日常は線に多く潜むことに気づけたのはいちばん大きかった。

現代ではSNSなどさまざまな方法で人の日記を覗き見ることができる。しかしいつからかそこは自分を誇張表現する場となり、だまし合いの世界となっているのではないか。バズることを気にせずに誰もが些細な日常をつぶやく時代はもう数年前の話である。2020、誰しもがよくも悪くも大きな節目となる1年だっただろう。もちろんもっと人生を左右された人もたくさんいるだろうし、わたしの生活などごく平凡であるかもしれない。一方でわたしよりもっと変化のなかった人もいるかもしれない。その振れ幅は正直どうでもいいのだ。現代において、ワクチン普及等により明るい未来を見通せるようになった今、「2020」をありのまま綴るということにきっと意味がある。目的地以外に潜む特別な日常を、逃さずに生きてみたいと思えるきっかけとなったわたしの2020。



参考文献
a. エドワード・ホール『かくれた次元』(みすず書房、1970年)



宮内さくら(みやうち・さくら)
1998年東京都江戸川区生まれ/ 2020年千葉工業大学創造工学部建築学科卒業/ 2021年千葉工業大学大学院創造工学研究科建築学専攻遠藤政樹研究室

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fig. 17

fig. 1 (拡大)

fig. 2