われわれの平和と私たちの戦争
コロナ禍。まるで戦中のように大騒ぎの日本において、私たちは社会のどこかに対して居心地の悪さを感じていたと思う。「平和な日本で、これほどの非常事態が起きようとは予想もしなかった」という人もいただろう。けれども、私たちが感じていた居心地の悪さは〈非常事態〉という出来事のみに起因するものではないという直感も同時にあった。そしてよくよく考えてみると、どうやら私たちの居心地の悪さはその〈平和〉という言葉で表されるようなものにあるのではないだろうか、という発想に至った。
たとえば〈戦争〉という熟語の対義語は〈平和〉ではなく〈講和〉であるという考え方があるそうだ。講和ということを思えば、コロナ禍の前から、東日本大震災の前から、アメリカ同時多発テロ事件の前から、いや、オウム真理教事件や阪神淡路大震災の前から、私たちにとって日本は常に戦争状態であった。ベトナム戦争、湾岸戦争、あるいは今も継続する経済戦争、情報戦争にしても、その最前線への意識が欠如しているというだけで、私たちは常に戦争をしていたのではないだろうか。そのように考えた時、講和のできないウイルスとの戦争やそれに対する社会の混乱を目の当たりにする中で私たちが感じていた居心地の悪さ、つまり〈平和〉という言葉で表されるような何かを、今ようやく別の言葉にすることができそうだ。
直近では東日本大震災での原発事故で、われわれは〈想定外〉の事態が起こるということを痛いほど実感し、それを教訓にしたと思っていた。けれども実態はそうではなかったのかもしれない。われわれは〈想定外〉の事態が起こることを知った、あるいは思い出すことができたけれども、それに対する覚悟はできていなかったのではないだろうか。
たとえば、想定外の事態が起こるということを教訓にしようと思って、想定外の事態について事前に何か対策を講じたとする。しかし対策ができるという時点で、その事態は想定内の事態ということになってしまう。想定外の事態を教訓にして対策をするということは論理的に矛盾を抱えてしまうのである。もし、想定外の事態について何か教訓を得たのだとしたら、それは想定外の事態に対して、何かしらの覚悟を持つということなのではないだろうか。もちろんコロナは恐ろしいウイルスで、またその影響は計り知れないし、最前線で戦う人びとの功績と労苦は察するに余りあるというということに変わりはない。けれども覚悟を持って「なるほど、こういうことになってしまったか」という姿勢で冷静に事態に臨めることは、「想定外の事態が起きてしまった!」とパニックになるよりはるかに健康的だろうと思う。
幸福な機械と快楽的な身体
想定外の事態が起こることを知っていたにも関わらず、さも「そんなこと知らされていなかった!」というようにパニック然と振る舞ういまのわれわれの社会には、どうしようもなく倒錯があるように思えてしかたがない。
想定外の事態が起こることを知っていたにも関わらず覚悟のできていなかったわれわれは、今に至るまでの現代日本がつくり上げてきた幸福な〈機械〉である。ひたすら想定を繰り返すことで想定外の事態というものを排除し、思考や想像力を閉じることで簡便で安定した幸福を生産してきた。澁澤龍彦(1928〜87年)によって『快楽主義の哲学』(a)が書かれたのは1965年のことだが、この時にはすでに(当時は「レジャー」という言葉でもって)われわれの幸福は規格化され生産/供給されていた。以来、幸福なわれわれは個々人の身体的快楽を顧みずとも、なんの思考もなしに手に入る幸福を享受してきたのである。
一方、想定外の事態が起こることを知っていて覚悟していた人は、その〈身体〉を捨てずに生活していた人である。規格化された幸福とは距離を置いて、自身個別の快楽と真摯に向き合うその身体は、マス消費社会では規格化できない非効率な異物かもしれない。けれどもそれは原始の肉体と接続する生々しい〈生〉のかたちである。今ここで、「時代」や「私たち」を俯瞰しようというのであれば、まずはこの〈身体〉を取り戻さなければならない。さもなければ、なにか想定外のものを見過ごしてしまうだろう。
電気羊と野生の身体
ここで、規格化された幸福を効率よく摂取する典型的なわれわれに〈電気羊〉という贈り名を与えてみてはどうだろうか。
「電気羊」とは、フィリップ・K・ディック(Phillip Kindred Dick、1928〜82年)によるSF小説、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(b)に登場する奇妙な造語である。その物語の内容も現代への示唆に富んでいてとても面白いのだけれど、今はその妙に蠱惑的な「電気羊」という造語に着目して想像してみたい。現代のわれわれに〈電気羊〉という贈り名をした時、その〈電気羊〉とは何を意味するだろうか。また〈アンドロイドが見る電気羊の夢〉とはいったいどういうものになるだろうか。
古来、〈羊〉は人に家畜として飼いならされてきた動物である。家畜化の過程でその生存におけるさまざまな可能性を閉じる代わりに、簡便で安定した幸福を享受してきた存在である。野生のヤギのように自由に牧場の外を駆け回ったり、自身の本能に従って生息域を探したりすることはできないが、牧場主にとって利用価値のある限りその生命と食住の保証がなされている。そして〈電気〉は、高度に情報化の進む現代においては、電気信号=コード化された情報を直喩する。この〈羊〉という単語に、この〈電気〉という単語が接続された時、〈電気羊〉という造語は羊がコード化された状態を表す。つまり、〈アンドロイドが見る電気羊の夢〉とは、目を閉じ可能性を閉じることによってもたらされるコード化された効率的な幸福であり、〈電気羊〉は、その目を閉じ可能性を閉じた幸福な機械としてのわれわれを象徴する名となるのである。
またここで〈電気羊〉に対して、野生のヤギのように原始の肉体と接続する身体を〈野生の身体〉と呼ぶことにしよう。われわれは自身を電気羊化することによって、つまり幸福をコード化し、思考や想像力を限定することによって効率的な経済成長を可能にしてきた。電気羊化とは、限定した状況の想定とそれによって安定供給される幸福を生産するシステムであり、経済成長の最盛期に生まれた「一億総中流社会」という言葉に象徴されるように、社会に広く深く浸透したシステムである。しかしヤギのように生きる野生の身体は、それら電気羊化のシステムに参画しようとはしないだろう。野生はその生命を保証されていないゆえに、それらの想定や安定というものを相手にしていても意味がないのである。また、電気羊はその幸福が資本によってコード化されているので資本が不可欠であるが、野生の身体にとって資本と快楽は無関係である。野生の身体は、自身が資本の上で寝たいわけでも資本を食べたいわけでもないことを知っている。コードによらず、目的と手段を生々しく峻別してしまうのが野生の身体である。
野生の身体を持った生き物、たとえば言語を持たない生き物は、目の前の水平面についてそれがテーブルなのかイスなのかというコードを区別することはできないが、そこにある現実や事象を感受して主体的に利用することができる。同じように野生の身体を持った人間は、自身が感受する世界において遠く離れた国の戦争を自身とは無関係と思い込むことはできないし、類似した特徴をもって何かを盲進的に断罪することもできないが、自身と地続きの世界としてその戦争を見ることができるし、個別のものとしてそれぞれの事物を認識することができる。そう、何かコード化されたものによらずにその身体で、あるがままの世界を見てしまうのが野生の身体である。
不可逆な身体
さて、建築などの文化と感染症を考える上でペストを避けることはできないだろう。ヨーロッパ人口の1/3が命を落としたとも言われる中世ヨーロッパにおけるペストの流行は、当時の経済・社会制度のみならず、文化や思想にも大きな影響を与えたといわれている。後にルネサンスが花開き、思想・哲学方面でもルネ・デカルト(René Descartes、1596〜1650年)に代表される大陸合理論などの近代哲学が芽生えるきっかけとしてペストがあったのは間違いないだろう。
その中世ペストの時代では「メメント・モリ〔memento mori〕」という言葉が流行したそうだ。「死を想え」あるいは「死を忘れるなかれ」という意味のこのラテン語は、もともと古代ローマ軍人が戦勝にあたって、「明日は自分が死ぬ側かもしれない。だからこそ今を楽しもう」という意味で使われていた言葉だという。この「死を想え」という言葉に、まだ野生の身体を持っていた当時の私たちの感覚を感じずにはいられない。古代ローマ軍人が戦争という差し迫った状況で自戒を込めて使ったこの言葉・精神からわれわれは、実質的には常に戦時であるにも関わらず〈平和〉という言葉とともに目を逸らしつづけてきたのではないだろうか。平和であろうとなかろうと、将来の想定も約束もされ得ない世界・時代というのは現代日本でも古代ローマでも同じであるはずなのに。
万物流転・諸行無常のあるがままの現実世界について、かつては深い造詣を持って文化を建て築いていたはずの私たち日本人が、電気羊化を経て、いまや〈不変の社会〉という夢に目を奪われているように思えてならない。「コロナ禍からいつ元の生活に戻れるのだろうか」という時の「戻る」という表現に、この夢の特徴を見ることができる。
身体は常に変化している。一時として同一な身体などというものは存在しない。身体は常に酸化し、老いていく。昨日風邪をひいた身体が今日回復していたとしても、それは以前の身体ではなく昨日風邪を経験した身体であるし、鬱病から脱した精神は元の精神に戻ったのではなく、鬱病とのうまい付き合い方を覚えた新しい精神である。そう、身体は歴史や時代と同様に不可逆なのである。そして、そこに「戻る」という表現を用いることの無意味さを、野生の身体は当然知っているだろう。自身では想定できない世界、前提の変更も不可能な世界、そのようなあるがままで、どうしてもそこにあってしまう現実世界に向き合った時に、野生の身体は「死を想え」と呟いたのではないだろうか。
野生の身体を捨てて、電気羊化することで思考・想像力を限定してきたわれわれ、その報酬に幸福を安定供給されてきたわれわれが、コロナのような想定外の事態に恐慌をきたすのは至極当然だったのかもしれない。電源を落とされて夢を見られなくなった電気羊が、あるいは柵が壊れ幸福の安定供給に支障をきたした牧場主が、自身が生きる延びるために野生の身体を取り戻し、改めてその地勢や風土を見ることができるだろうか。
自己批判しないではいられない
電気羊化、つまり簡便で安定した幸福の生産システムは、あらゆる文化に適用されてきた。もちろんわれわれの建築文化も例外ではない。卵が先か鶏が先か、経済成長期にはいわゆる持ち家政策によって持ち家が増加するとともに住宅のコード化が進んだ。具体的には、「nLDK」などの間取りシステムや「南面至上主義」に象徴されるように、住環境を削足適履にコード化することで、効率的な住宅の資本化と消費を後押しした。また同時に私たちの生き方の面でも、家族という概念や会社・学校などへの帰属意識の更新とコード化を進めた結果、手頃な安心つまりは幸福を生産することに成功した。そしてそれは「庭付き一戸建て」という言葉の浸透に象徴されるように、建物のあり方にも反映されることになった。このように、住環境や生き方のコード化が行われることで、建築の多くが〈電気羊の夢〉へと変貌していったように思われる。建築の電気羊化は、想定され得る〈不変の社会〉の中で幸福を安定供給することを可能にしたけれども、同時にある問題をはらんでしまったのではないだろうか。それは、嘘も方便とばかりに建築を換骨奪胎し、コード化したことによってどうしようもなく生まれる倒錯である。
たとえば、建築雑誌において「繋がる」「開く」という言葉が流行しだしたのはいつ頃からだろうか。もともと内─外などのない世界に、内─外などの概念を築き建てるのが建築の大意だとすれば、設計者が「繋がる」「開く」という言葉に頼り出した時に、電気羊化した現代建築の倒錯があらわになったように思われてしかたない。そもそも建築という行為は、第一義に〈分断〉を図るものではなかっただろうか。日差しが強く多雨なアジア圏において屋根は天と地を隔てるものであるし、寒さの厳しい北国において壁は人間の生存可能な領域を切り取る所作である。柱についても、延々と広がる地球表面に、ある領域を限定する所作であることは、アジア各地に残る鳥居の類型がよく表している。
さて、野生の身体をもって見る時、建築の第一義を無視して建築を語ったりつくったりすることの自己欺瞞に、どうして気づかないふりをしていられるだろうか。いつの時代も未熟で浅慮なわれわれには、いつも自己批判の機会が与えられている。そして野生の身体は自己批判を無意識にも避けることはできない。自己批判しないではいられないのである。
肯定すべきそこにあってしまうもの
では、「コロナ時代の私たちと建築」を考えた時にあり得べき建築とはどのようなものだろうか。私たちは今〈想定内〉という牧場の中で生きているにしても、その柵が綻んだ部分から〈想定外〉で自由に振る舞う野生の身体を垣間見ている。電気羊の夢の心地よさを知りつつ、野生の身体の快楽を思い出そうとしている。いまやコード化された幸福を否定する必要もない。野生の身体を取り戻した時、電気羊としてのわれわれと野生の身体としての私たち、それぞれの世界があるがまま見えてくるだろう。たとえばある建物を見たり語ったりつくったりする時に、それがコード化された幸福に基づくものなのか、野生の身体の快楽に基づくものなのかが峻別できるだろうし、私たちが何を幸福として消費するのか、何を快楽として楽しむのかを自覚することができるだろう。前者は電気羊としてコードに則った消費者としての視点であり、後者は野生の身体によって世界を感受する生産者としての視点である。そして、生産者として野生の身体をもって建築する時、その建築は〈広さ〉や〈明るさ〉や〈繋がり〉ではなく、〈狭さ〉や〈暗さ〉や〈分断〉というかたちで現れるのではないだろうか。
また野生の身体を取り戻した時、建築における〈オリジナリティ〉の現れ方も異なってくるだろう。電気羊化した社会におけるオリジナリティとは、おおよそコード内における差別化の手法を指し示す傾向があるように思う。電気羊化した社会では、他のものとは違うという差異そのものが価値となり生産すべき幸福となり得るからだ。けれどもここでふと立ち止まって、そもそもオリジナルとはどういうことだろうと考えはじめると、言語も歴史もそれに基づく文化もすべてが先人からの連歌である私たちにとって完全にオリジナルな創作というのは可能なのだろうか、と途方に暮れたりはしないだろうか。そしてその時〈身体〉のみがオリジナルであることに気づきはしないだろうか。たとえばある人が見て感じるリンゴの赤さと、ある人が見て感じるリンゴの赤さはきっと異なるだろう。またある人が経験してきた世界と、ある人が経験してきた世界はきっと異なるだろう。身体とそれに基づく感受性はとても多様なオリジナリティに溢れているのである。そして同時に、身体とはどうしようもなくそこにあってしまう現実であることにも気づくだろう。先に挙げたデカルトが、未だペスト流行の中にあった17世紀のヨーロッパで唱えた命題、「我思う故に我あり〔Cogito ergo sum〕」を短絡するなら、その身体を肯定することはその世界を肯定することである。どうしようもなくそこにあってしまう世界を肯定し、すでにそこにあってしまう世界をどうやって面白く住みこなすか。世界のありようを肯定する野生の身体で建築がなされる時、そのオリジナリティは生産すべき差異としてではなく、どうしてもそこにあってしまうものとして現れるのではないだろうか。
〈建築家〉はもういない
最後に建築という行為について、あるコード化された概念の集積を〈電気的建築〉、身体によって要請される概念の創出を〈野生の建築〉と呼び分けてみよう。
電気羊向けの安心で快適な〈電気的建築〉は資本社会が最適化して提供してくれるだろう。いかに太陽光を取り入れるか、いかに限られた面積に効率よく部屋を配置するか、最短の動線はどのようなかたちになるのか、といった最適化のプログラムは資本の蓄積と物量によって高度になりつつある。特に、BIMやパラメトリックデザインなどの技術発展が典型的である。電気羊としてのわれわれを満足させる建築行為は、エンジニアリングとして旧来の建築家以外の技術者が、その物量・情報量・技術的蓄積・最適化のプログラムによって旧来の建築家以上にうまくやってのけることになるだろう。つまり〈電気的建築〉を設計する者の正体は、電気羊の夢を供給する〈技術者〉である。
しかし、電気羊の夢の中にいる限りそのプログラムの前提にある各々の定義や評価軸、用いる変数や定数の設定、それら自体を疑うという作業は難しい。なぜならそれらの作業は野生の身体を持ってなされるものだからである。先に述べたように、効率的に幸福を供給する牧場主としての設計者が建築家である必然性は現代にはないが、もし建築家がオリジナリティをもって〈野生の建築〉を行おうとするのであれば、野生の身体を取り戻すよりない。しかし電気羊化した社会のコードやあるいは定義や公理のようなものを、野生の身体をもって疑い、また世界のあり様を考察する行為は芸術行為そのものではないだろうか。この時〈建築家〉という言葉は自己批判・自己限定されて〈芸術家〉と同義となる。つまり、現代で〈野生の建築〉をする者はもはや〈芸術家〉でしかあり得ないのである。そう、〈建築家〉はもういない。
野生の身体を思い出しつつある〈芸術家〉としての私たちにとって、「コロナ時代の私たちと建築」という関係のみを切迫した問題として見ることはできない。事態はいつの時代も常に切迫しているし、私たちをとりまく世界はいつも、想定外で、不可逆で、どうしようもなくそこにあってしまう現実である。私たちがいつの時代も常に自覚しなければならないのは、われわれが自身に向ける電気羊化の手癖であり、私たちがいつの時代も常に探求しなければならないのは、私たちの野生の身体である。
参考文献
a. 澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(光文社、1965年)
b. フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(早川書房、1969年)
下田直彦(しもだ・なおひこ)
1989年長崎県生まれ/2012年熊本大学工学部建築学科卒業/2014年武蔵野美術大学大学院修士課程修了/2014年大石雅之建築設計事務所/2015~17年東 環境・建築研究所/2017年カナバカリズ設立