「テセウスのパラドックス」というある種の思考実験ともいえるギリシャ神話がある。英雄であるテセウスがクレタ島から帰ってきた船を、アテネの人びとが後世に残すために部材を交換・修復して、最終的に元の部材がすべて失われた船となった。果たしてこれはテセウスの船といえるのだろうか、という同一性の哲学的な問題である。同じ樹種の木材であれば同じといえるのか、またはFRPなどまったく異なるマテリアルで修復をしても同じものといえるのだろうか。形と素材、どちらがどの程度保持されるかが同一性の問題では要点となるだろう。それならば、まったく同じ素材で異なる形に変形した場合、まったく異なる素材で同じ形に成形した場合どちらも同一性が保持されるといえるのであろうか。
われわれ人間を含め、生物の細胞は新陳代謝を繰り返し、大半の細胞が日々交換を繰り返して生命機能を維持している。しかしながら大脳皮質の神経細胞(ニューロン)は成人以降増えず、DNAなどは突然変異が生じない限りは変わることはないとされている。
つまり心、感情、思考を司るコンピューターとしての神経細胞、生命の設計図ともいえるDNAなどは変化し続けることなく一生を終えるということである。ここに同一性の手がかりがあるのではないだろうか。「テセウスのパラドックス」の哲学的な問いに一つの答えはないかもしれないが、同一性の問題に対する答えの鍵は「記憶」にあるのではないかと筆者は考えている。fig.1
このギャラリーは洋画家の絹谷幸二氏の個人ギャラリーでもあり、作品をアーカイブするための研究所でもある。絹谷氏の特徴であるフレスコ画や、生命感あふれる力強く自由な線が特徴である作家性と、奈良の土塀という氏の原風景とルーツを設計におけるコンテクストとすることで、空間それ自体が固有性をもちながらも作品がより生き生きとするギャラリーになることをめざした。fig.2fig.3
設計手法として、奈良のさまざまな土塀をデジタルデータとしてサンプリングし、その凹凸のパターンの寄せ集めによってつくられる壁を構築した。データはグレースケールの画像として扱い、その画像に対して絵画のように白色を塗る画像編集をコンピューター上で行い、ギャラリーに必要な機能なども考慮して平滑な面の領域を設計した。その画像データの陰影から凹凸をつくるために点群データに変換し、三次元のサーフェスモデルをプログラムで生成した。それによって従来のように線を引くという1mm単位の設計手法では不可能な、0.01mm単位の微細で複雑な表面を制御することを可能にした。fig.4
壁は奈良の土塀をサンプリングして編集し、素材も土ではなくMDFというチップボードをCNCルーターを用いて3次元加工したものである。奈良に行って土塀を見たことがない人が見ても、凹凸のある壁としか思わないだろう。しかし背景にある物語と記憶がこの場に転移されることによって、仮想の奈良の土塀を召喚したといえる。近代ギャラリーの特徴ともいえる抽象的で平滑な「White Cube」ではなく、さまざまな外的影響を受け入れ、かつ作家特有の物語から生成された凹凸や質感をもつ「White Cave」が、次の時代のギャラリーの在り方にならないだろうかと考えたのである。fig.5
プリンストン大学の研究施設「Embodied Computation Lab」は、自然がもつ形をサンプリングし、それを拡張することでサステイナビリティに寄与することに挑戦したDavid Benjamin率いるLivingというチームの作品である。この研究施設は、ニューヨークの建設現場から再生された足場板で覆われている。通常足場板は1年間使用された後に捨てられてしまうが、それをリユースし、熱環境的にアップデートすることに挑戦した。木材の潜在的な熱的効果を得ようとし、木目の微細な凹凸を拡張することによって、表面に空気を閉じ込められないかという仮説を立てた研究である。通常の熱伝達の方程式は、表面の粗さも変数となっており、粗ければ粗いほど表面積が大きくなり、熱伝達率が大きくなるが、その方程式を疑ってみるところがこの研究の面白いところである。
木目は節の近くに最も密集しているため、約380枚の再生板を分析し、コンピュータが節を識別できるかどうかを機械学習アルゴリズムを用いて検討された。そして木目の微細な輪郭を強調する方法として、CNC技術とサンドブラスト加工を複合した装置を開発した。これにより、日本の木工技術である浮造と同様の効果が得られる。サンドブラスト加工された板を南側のファサード面に設置し、サンドブラスト加工された節の背面に温度センサーを設置して、表面積が大きくなった木目が熱性能を発揮する可能性があるという仮説を縦断的に検証しているという。
形を生成するのではなく、形をサンプリングしてそれを編集する手法。それは環境音をサンプリングし、それを編集することによって音を構成していく「環境音楽」や「ノイズミュージック」と近い手法になるだろう。今その瞬間にしかありえなかった記憶をサンプリングという手法によってデータとして留めておくことができる。雨の音、虫の音、風の音、その時その場所でしか聞くことができない、そこにしかない環境をサンプリングすることができる。そして、それはある時間を切り取った記憶となる。
坂本龍一のCODAという映画に、東日本大震災で津波の被害に遭った宮城県農業高校のピアノが登場する。その調律はもはやとれていないが、それを奏でて響く音色は、そのときの衝撃やさまざまな記憶を内包しているといえる。坂本はそれを「自然に戻った音」と形容して自らの楽曲「ZURE」に採用した。生命も物もすべてのものは変化する。常に同じ完璧な状態を維持しようとするのではなく、その変化そのものを自然と捉える態度に筆者は非常に共感した。調律がとれていなくても、記憶を内包した壊れたピアノは、宮城県農業高校のピアノであることに変わりはないのである。fig.6
前述の奈良の土塀はデータとしてサンプリングされて形状が再現され、ニューヨークの足場板はその素材が転用されて加工が施された。それでも土塀と足場板は見えない記憶を内包し、静かに同一性を保持し続けて生きるのである。