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2021.06.01
Essay

第3回:補助線のアップデート 「自由のための補助線」

コンピュテーションが生む創造的思考

浜田晶則/AHA 浜田晶則建築設計事務所、teamLab Architectsパートナー

今回はビデオゲームの話から始めようと思う。ハードウェアとソフトウェアの関係、ツールと空間認識の関係を考えるには好例であろう。研究者の松永伸司は著書『ビデオゲームの美学』でビデオゲーム作品を以下のように定義している。

ビデオゲーム作品とは、(1)視覚的デジタル媒体を通して実現される人工物であり、かつ、(2)娯楽的に、あるいは、芸術的に受容されることを意図された(あるいは慣習的にそのようなものとしてなされている)ものであり、かつ、(3)その受容のあり方が以下のいずれかのように意図された(あるいは慣習的にそのようなものとして見なされている)ものである。(3a)ゲームのプレイ、(3b)インタラクティブなフィクションの受容、(3c)シミュレーションの受容。

ここでは(1)に着目して、ビデオゲームと建築におけるコンピュテーションとの関係について考えていきたい。視覚的デジタル媒体を用いることによって、その描画方法はある程度規定される。また、描画技術が発達途上のときにこそ、その媒体を通して生まれる固有性は顕著に表れるのではないかと考えられる。そのためにまずは、われわれが親しんできた日本のビデオゲームを思い起こそう。fig.1

1983年、任天堂から「ファミリーコンピュータ」という家庭用ゲーム機が発売された。ちょうど筆者が生まれた日の1年前であった。コントローラは十字ボタンとA/Bボタンという構成で、その後いくつもの拡張可能な周辺機器が発売された。その1つに「ファミリーベーシック」(1984)というBASICのプログラム言語によってビデオゲームを自作することができる周辺機器があった。小学生になった筆者は本体と周辺機器一式を従兄弟にもらい受け、マニュアル本を片手にタイピングをして簡単なアニメーションをつくり、テープレコーダーに記録していた。2次元的な動きしか命令できないが、言語によってアニメーションを描画することを理解するには十分な機器だった。

それ以前にビデオゲームとして触れたのは「スーパーマリオブラザーズ」(1985)だった。横スクロールで世界が移動していくという平面的な構成であるが、世界が蒔絵のように続いていき、それが時間軸の流れも表していた。ゲーム機のスペック上、表示画素数は256×240のピクセルで、平面的なドット絵で描画された。それはアニメーションをより速く効率的に計算し、制御するための補助線としてのグリッドなのである。

ドット絵のように、ある制約の下に何かを自由に描画するためのシステムとしてのグリッドという考え方は、建築にも応用可能であると考えている。かつてstudio_01で筆者が設計した「dolphin house」(2012)fig.2というプロダクトハウスは、そのような思想で設計した。壁の全面が吊り戸のみで構成され、部屋の部材をプレファブリケーションによって低コスト化し、各部屋の組合わせ方をユーザーがカスタマイズすることができる。造作家具や床の素材などは各グリッドの部屋毎に選択でき、まったく異なる部屋が吊り戸越しに並列される。壁が動くことで、住宅が固定的なものから流動的なものとなり、プライベートな使い方からパブリックな使い方まで幅広い使用法の可能性が生まれた。

ここで用いている補助線は、単に線を描くためのグリッドではなく、事物の存在や活動を自由にするためのシステムとしてのグリッドである。SDレビュー2012の展示では、ブラウザアプリを開発し、タブレットで来館者がカスタマイズし、最終的にアクソノメトリック図の画像が出力されてメールで届くという展示を行った。同様に固有の部屋やマテリアルを組み合わせることができるインタラクティブな模型を展示した。それはビデオゲーム的でもあり、インターネット的な時代精神をもった建築のあり方なのではないかと考えたのである。fig.3 fig.4

しかし、多くの決定がユーザー側に委ねられ、選択の自由度が高いものはかえって不自由に感じられることもある。あるシステムのなかでユーザー自らが積極的に関与している感覚を得るために、何を選択し何を決定できるように開放すればよいのか。自由を感じるための適切な制約とはどのようなものであろうか。計算や動きを速くするためのアルゴリズムによってインターフェースの快適性を高めることができる。そのための補助線がユーザーに自由をつくるのである。

建築/設計者/ユーザーの関係は現代の技術や文化によって日々アップデートされている。ここでそれらの関係性にビデオゲーム的な特性を見出せるという仮説を立てた際に、どのようにユーザーが参加すれば、そのシステムをうまく受容することができるのだろうかという問いが生まれる。次回は再度ビデオゲームを軸にして、インタラクティブなフィクションやシミュレーションが、建築においていかにして関係づけられるのかを、ビデオゲームにおける統語論と意味論から考えたい。fig.5fig.6

浜田晶則

1984年富山県生まれ/2012年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了/2014年AHA 浜田晶則建築設計事務所設立/同年〜teamLab Architectsパートナー/日本女子大学非常勤講師、明治大学兼任講師

浜田晶則
コンピュテーションが生む創造的思考
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「The Rise Of Nintendo」/CNBCより転載

「dolphin house」
Design: studio_01 (Aki Hamada, Alex Knezo)
Coding: Arata Uesugi

撮影:studio_01

撮影:堀内広治

「dolphin house」
Design: studio_01 (Aki Hamada, Alex Knezo)
Coding: Arata Uesugi

「dolphin house」
Design: studio_01 (Aki Hamada, Alex Knezo)
Coding: Arata Uesugi

fig. 6

fig. 1

fig. 2