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2023.12.29
Interview

感性で都市の価値観は共有できるか

2023年連載企画を振り返って

黒瀬武史(九州大学大学院人間環境学研究院教授)×吉村有司(東京大学先端科学技術研究センター特任准教授)

2023年、新建築.ONLINEでは吉村有司さんに、対談連載「都市とウェルビーイング」「都市とエンターテインメント」、黒瀬武史さんに「価値の転換」をそれぞれご担当いただきました。連載を振り返り、現在の都市が抱える課題と見据えるべき方向性について、改めて語っていただきました。(編)

余白とつくり込みの閾値を可視化する

吉村 僕は都市をつくる目的について、人びとのウェルビーイングを高めるためという認識のもと、まずはバズワード化していたウェルビーイングの定義を紐解くことから始めましたが、そこから「感性」や「都市のイメージ」といったキーワードを見つけ、建築・都市分野では語られにくかったところにまで切り込めたと思います。対談いただく方がたも、あえて建築・都市分野とは馴染みのない人に声をかけたのですが、そういう人たちの考えをこちらの分野に引きつけられたのもよかったと思います。そうしないとなかなか領域は広がらないですし、若い人にも、こういう考えがあってもいいんだと思ってもらえたのではないでしょうか。

黒瀬 吉村さんの連載では、「都市とウェルビーイング」第2回の内田由紀子さんのお話しが印象的でした。セオリーに則った大規模再開発ではどこか味気なくなるという感覚はみんな持っているけれど、それを突き詰めていくと、楽しさや発見といった感性的な指標が見過ごせないというのは、本当にそうだなと。人びとの感性は絶えず変わっていくもので、そのスパンは都市や建物よりも早いです。今はその変化と都市のつくられ方にずれが起きているのだと理解しました。
僕の連載「価値の転換」での第8回牛島吉勝さん、第7回三島由樹さんの話で共通していたのは、園芸や店舗づくりなど、個人がマスマーケティングではない感覚を持ってやっていることこそが、人びとの感性に刺さるということです。今は全体に対して最適化した場よりも、個別の考えでやっていることが集積する場の方が求められているという、僕が何となく思っていたことが、牛島さん、三島さん、内田さんのお話から紐解けました。第3回第4回では都市における工業をテーマに扱いましたが、ニューヨークでもメーカームーブメントの先に製造の場が都市回帰していることや、日本で町工場を開くオープンファクトリーが広がり始めていることも、突き詰めれば個人のミクロな感性を共有することに繋がるのだと思います。

吉村 黒瀬さんの連載は、僕と同じ問題意識を持ちながらも、しっかりと建築・都市的な視座に立脚しており、毎回新たな発見がありました。そこの軸をぶらさずにいてくれたからこそ、僕の方では好き放題やれたという側面もあり、アニメや音楽などの異分野から積極的に発見を見出すことを目指しました。また、最近ではウェルビーイングに代表されるように「感性的なものが大事」とはいうものの、それはとても曖昧なものなので、そこをどうデータとして定量化し、いかにデザインに落とし込むかがキーになります。対談を通して、その前段の整理ができたような気がしています。

黒瀬 感性に着目することは、ヒト中心のまちづくりへの転換を意味すると思うのですが、一方で建築や都市という、短いスパンで変えられないものを、より短いスパンで変遷する感性で制御しようとし過ぎることの危うさも感じています。つまり、感性を刺激するイメージを、都市や建築のデザインによってつくってしまおうとすると、かえって画一的なイメージをつくることに繋がるのではないかという疑問です。吉村さんはどういう場所や要素が感性を刺激すると考えていますか。

吉村 「都市とエンターテインメント」の第5回、推し活をテーマとした対談では、久保(川合)南海子さんに都市のイメージの生成メカニズムへのヒントを伺えました。久保さんは心理学者ですが、やはり隅々までつくり込まれた街は味気ないという問題意識を持たれています。なぜなら、人間の想像力や楽しみ、愛着のようなものは、自らが物事の余白を見出すことで広がっていくからです。つくり手のストーリーを押し付け過ぎてしまうと、そうした余白はなくなってしまいます。日本人は真面目だからどうしてもつくり込み過ぎてしまうけれど、もう少しラフに都市というものを考えてみてもいいのかもしれません。僕としては、そのつくり込みの度合いに閾値を見出し、可視化することで今後のデザインの参考にしたいと考えています。

黒瀬 昨今はジェントリフィケーションの問題も挙げられますが、一方で、何の開発も行われなければずっと寂れたエリアのままで、余白どころかそもそも興味も持たれないままになってしまうということもあります。そのバランスに定量的な閾値が見出せれば、計画論としても成熟していくのではないでしょうか。

差し迫った現実に目を向けると見えるもの

吉村 ファッションについても同じことが言えますよね。ラグジュアリーブランドの服はそのブランドの世界観を打ち出すもので、そこに余白はあまり想定されていないように思いますが、一方で古着やファストファッションは、個々人の着こなしを許容する余白がある。だからこそポピュラーなわけです。われわれ専門家は、そうしたエスタブリッシュされていない物事からも学びを得るべきだと、僕は常々思っています。連載が始まる前の黒瀬さんとの対談でも話しましたが、現在を生きる人びとの生活スタイルや都市への感じ方・捉え方・使い方と、都市のつくられ方にギャップが生まれ始めている今、われわれは建築・都市分野がこれまで軽視してきたものにも目を向ける必要があると思っています。たとえば郊外のショッピングモールがその一例です。今では地域住民の日々の生活を支える重要な社会インフラとなっているのに、その空間構成は建築の専門分野では大きな注目を集めていません。

黒瀬 地方の現実を見据えるべき今、ショッピングモールと街の関係は変わりつつあります。これだけ生活に密接したものを無視して都市を計画することはできませんし、もっと掘り下げていくべきテーマです。
先日岩手県の「釜石市民ホール TETTO」(『新建築』1803)fig.1に行ったのですが、ショッピングモール・イオンタウン釜石への動線上に建てられていて、青森県むつ市では、ショッピングセンターを丸ごと買い取ってコンバージョンし、市役所にしていましたfig.2。平屋で広大な駐車場があり、すでにバリアフリーもできているということで、財源の限られる地方都市にとっては合理的な戦略のように思います。地方の現場では、すでにエスタブリッシュされた考え方だけに頼らず、何とかして生き残らなければならないという感覚が根付いているように思います。

吉村 イノベーションは今、都市部よりも地方の現場で起こっているというのが僕の仮説です。もっと言うと、今後イノベーションのようなものは地方でしか起こらないのではとすら思ってしまいます。地方ならではの差し迫った現実が、むつ市役所のような新しい事例を生んでいるのではないかと。そもそもわれわれは血縁や地縁から逃れたいがために都市をつくり出しました。人やモノが大量に集積する都市部では最新のテクノロジーが生まれ、それに伴ってイノベーションが起こり、だからこそ人びとはさらに都市に集まってくるという好循環が生まれてきたという歴史があります。しかし今われわれが直面している状況は、これまで語られてきた都市の集積の優位性などではまったく説明がつかない現象だというのが僕の理解です。だからこそ、われわれはなぜ今の時代に都市の集まって住むのか、もしくは集まらないで住むのか、ということの意味をもう一度捉え直す良い機会だと思っています。

黒瀬 突き詰めればこの地方と都市の問題は、所得や住む場所に紐付けられた分断にまで繋がってしまうものです。「価値の転換」の第1回では空飛ぶクルマの社会実装について議論したのですが、新しいモビリティの実装に伴って、所得によるモビリティ格差が起こることが懸念されていました。現にアメリカではすでに富裕層は電車やバスを使わない状況になっています。ただ、日本では皆まだまだ電車を使っていますし、多くの再開発は鉄道駅を中心に行われています。多様な人びとが集まる広場が少ない今、駅や電車の中はさまざまなバックグラウンドの人が密集する最後の公共空間といえるのかもしれません。もしかしたら、東京では駅の徒歩圏内に住めるかどうかが、今後の分水嶺になるのかもしれないと考えさせられています。

吉村 鉄道駅が今後も都市の核になるというのはその通りだと思います。鉄道会社は路線ごとにブランドイメージをつくってきましたが、その方向性は今後もまだまだ続いていくことでしょう。これは余談ですが、先日海外出張に行った際、航空機でビジネスクラスの席がとても増えていたことが印象的でした。コロナ禍によって経営が圧迫される中で、採算性の高いシートを増やしているのだと思いますが、先行きの不透明な現代社会を思えば、今後電車がすべてグリーン席になるという未来もあり得ないことだとは言い切れないと思いました。

黒瀬 移動によって半強制的にさまざまな階層の人びとが混在する体験は、社会基盤として機能していて、そういう意味では、鉄道駅中心のまちづくりは民主的なものだともいえます。その基盤が失われてしまえば、どこが開発され、変化しようと、自分が属するコミュニティ以外は関心がもたれなくなる、まさにアニメの世界のようになってしまいかねないと危惧しています。

データで価値観を共有する

吉村 アニメの話でいうと、今放送されている「呪術廻戦 第2期(「懐玉・玉折/渋谷事変」)は、渋谷駅を中心とした立体的な都市構造をうまく活用してキャラクターの配置やストーリーを構成しています。僕の連載の企画段階では、同じく都市を上手く使っているアニメ「チェンソーマン」の関係者や、任天堂のゲーム「スプラトゥーン」(都市に色を塗っていくゲーム)の開発者にお話を伺うという候補も上がっていました。こうしたエンタメの関係者に都市の使い方への意識を伺ってみても面白かったかもしれません。

黒瀬 都市のイメージは街並みだけでなく、文化的な制作物などの外部的要因からつくられることが多く、そこを抜きにして都市を語ることはできないように思います。やはり渋谷には、そこにストーリーを展開したいと思わせる「何か」があるのでしょうね。

吉村 そうかもしれません。ただ、渋谷は再開発の過程でレコード店などの小さな店舗が次々と失われてしまっていて、そういう意味では渋谷は自身が長い時間を掛けて醸成してきた独特な空気感を失いつつあると見ることもできます。それを象徴していたのが、今年のハロウィーンで渋谷区が若者に「渋谷には来ないでください」と大々的にキャンペーンを打ったことだったと思っています。その反対路線をとっていたのが池袋で、豊島区は区をあげて若者のハロウィーンを後押ししていましたfig.3。池袋といえば以前はアングラなイメージが先行しているような気配もありましたが、今はアニメイト池袋本店の周りに関連店舗が集積していたりと、アニメオタクの聖地と化しています。しかも、秋葉原に男性オタクが多く集まる傾向にあるのに対して、池袋は圧倒的に女性が多いという、大変面白い現象が起こりつつあります。また池袋は乗降客数でいえば世界3位のターミナル駅なのですが、新宿、渋谷とは毛色の違う都市の変遷を経ていて、今でもいい意味で洗練されておらず、それこそ余白に富んだ街だと思います。

黒瀬 面白いですね。近い話でいうと、今とある学生が古着屋が多く立ち並ぶ下北沢と高円寺の比較をしているのですが、下北沢ではチェーン店の割合が増えていて、一方で高円寺ではまだ個人店が多いようです。下北沢では過去5年ぐらいで大箱の古着屋が増えていますが、小箱が多く立ち並ぶ高円寺では、大手のチェーン店が借りるような不動産が少なく、下北沢ほどチェーン店が増加していないのです。でも、かえってそれが魅力に繋がっている部分もあります。実は大きな資本と戦略のもとで街並みを整えなくとも、魅力をつくる方法はいくらでもあるんですよね。

吉村 そのバランスをうまく調停することこそがわれわれ専門家の役割だと思います。

黒瀬 それは決して二項対立をつくるということではなく、吉村さんのいう閾値を可視化することで共通の価値観をもち、皆で街をつくり上げていくという方向性なのだと思います。
fig.4

(2023年12月22日、オンラインにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

黒瀬武史

1981年生まれ/2004年東京大学工学部都市工学科卒業/2006年同大学大学院工学研究科都市工学専攻修了/日建設計・都市デザイン室を経て2010年東京大学大学院助教/2016年九州大学人間環境学研究院准教授/2021年同教授/主な著書に『米国のブラウンフィールド再生 工場跡地から都市を再生する』(九州大学出版会、2018年)など

吉村有司

愛知県生まれ/2001年〜渡西/ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部博士課程修了/バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年〜東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザー

黒瀬武史
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「釜石市民ホール TETTO」(『新建築』1803)。大屋根で覆われた広場を伝い、南側の商業施設から商店街へ人を引き込む計画。/撮影:新建築社写真部

ショッピングモールをコンバージョンした「むつ市役所」の内観。/提供:黒瀬武史

筆者(吉村)がハロウィーン当日の池袋の様子を何気なく撮影した動画をX(旧Twitter)に投稿したところ、約700万回再生され、4.5万のいいねが付き、社会的な関心の高さを伺わせた。また、コメントの多くは、今回の豊島区の若者を応援する姿勢に対するポジティブなものだったのは印象的だった。/提供:吉村有司

左は黒瀬武史氏、右は吉村有司氏。

fig. 4

fig. 1 (拡大)

fig. 2