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2023.05.16
Interview

都市回帰する製造業──ニューヨークのIR運動からみる製造業の現在

価値の転換 #4

諸隈紅花(日建設計総合研究所) 聞き手:黒瀬武史

技術の発展や社会構造の変化と共に、転換する価値を見つめる連載。第3回は都市における製造業に着目します。脱工業化に伴い、製造業は都市から隔離されていきましたが、現在「Industrial Retention(IR)」と称される運動と共に、ニューヨークをはじめとする都市部でその動きが見直されつつあります。IR運動にはどのような背景があり、何を目的とするのか。その過程の中で、都市計画はどのような役割を果たしたのか。ニューヨークでのIR運動の研究に取り組む諸隈紅花さんに伺いました。(編)

大規模から小規模への転換

──近代都市計画の基盤には、工業と居住の場を分離するという考えがあり、現在も日本の都市部では工場が減り、ショッピングセンターやマンションが盛んに建てられているという状況があります。こうして都市からものづくりの場が失われていく中、諸隈さんはニューヨークでの「Industrial Retention(IR)」運動を中心に研究されてきました。IRは直訳すると、「産業の維持」となりますが、なぜそうした運動が生まれたのか、そもそもIRとは何を意味するのか、教えていただけますか。(黒瀬)

諸隈 ニューヨークの文脈におけるindustryはmanufacturing(製造業)を意味するので、IRは「製造業の維持」を指します。私は、歴史的工業建築を保存する手法のひとつとしてIR運動に着目し始めたので、都市と製造業についてあまり知らないまま研究を始めました。研究の過程で明らかになったのは、IRは、都市で製造業が生存するための支援活動を指すもので、シカゴなど、ニューヨーク以外の都市で先に生まれたといわれています。
ニューヨークでのIR運動の端緒としては、グリーンポイント地区の元ロープ工場を市から無償で取得し、製造業のためのテナント施設として改修したグリーンポイント・マニュファクチュアリング・アンド・デザインセンター(GMDC)などが挙げられます
fig.1。開発した施設と同名の非営利団体のGMDCは、歴史的建造物を改修・活用し、低廉な賃料で製造業者に貸し出す事業モデルをニューヨークで初めてつくりました。脱工業化に伴い、大規模製造業が衰退する一方で、小規模製造業の活動の場への需要は依然として多く存在したのです。小規模製造業は巨大なスペースを必要としませんが、臭いや音の問題から住宅の一室で代用できるものでもないので、こうした手頃な価格で十分な広さをもつスペースを必要としていました。また、市の投資が受けられず、長い間遊休化していた、200年以上の歴史をもつ海軍造船所を改修して、小規模製造業用のテナント施設としているブルックリン・ネイビー・ヤード(BNY)などの事例も生まれていますfig.2fig.3。これはもともと大規模製造業をターゲットとした工業団地でしたが、大規模な建物を細かく区割りすることで、小規模製造業務向けのテナント施設に変貌しました。

──そうした小規模・都市型の製造業には、たとえばどのような業種があるのでしょうか。

諸隈 業種的には多種多様ですが、代表的なものとして、食品製造業があります。おしゃれなパン屋やチョコレート屋、またウイスキーやクラフトビール製造業などです。また、ニューヨークは建設業やアートが盛んなので、美術館のインスタレーションやショーウィンドウのディスプレイ制作、家具製造や内装業なども盛んですfig.4fig.5。需要の多い都市部に近いので、テストマーケティングの場としても適しており、また、サンプルやプロトタイプに不具合があってもすぐに直せるなどの利点があります。少量多品種ということが都市型製造業の特徴です。

──大都市は消費者が多いということに加え、つくる側の人も都市の文化に触れられ、感度高く働けるということも魅力なのでしょう。メイカームーブメントCADや3Dプリントの普及が進んだことなどから、これまで大手メーカーなどが中心となって担ってきたものづくりが、個人、小規模のレベルで展開するパーソナルファブリケーションが活発化する潮流を指す。が盛んな今、そうした活動のためのスペースへの需要は大きくなっているように思います。

諸隈 BNYの中にクラフトウイスキーをつくる会社があり、その創業者はコロンビア大学の建築学科を卒業し、ベルナール・チュミの事務所に勤め、建築家として働くうちに趣味だったウイスキー製造がうまくいき、本格的に転身したという経歴をもっています。その人はBNYの中でも、100年以上経っている歴史的建造物を借りていて、借りる前は痛んでいた天井が綺麗に補修されていたのに、歴史的な空間が見えないと面白くないといって剥がしてしまったのです。BNYなどの歴史的建造物を活用した工業用不動産の入居者の中には、建築がもつ歴史そのものを魅力と捉える歴史的環境保全のリテラシーの高い人もいます。

──モノの背景やストーリー、消費者に対してどう見えるか、というところまでこだわる人たちがつくるモノを、同じようにこだわりをもった人たちが求めるという市場があるのは、大都市ならではの魅力という気がします。

諸隈 リーマン・ショックで証券会社を解雇された人が、一念発起してウイスキーをつくる機械を買って、IRを目的とした工業用不動産の一部を借りて醸造所を始めたという事例もあります。そういう場所が新たな生き方を肯定するという側面もあると思います。

市場原理の中で居場所を獲得するための戦い

──都市にものづくりの場を残さなければいけないという認識が広がる中で、ニューヨークの都市計画はどのような役割を果たしてきたのでしょうか。

諸隈 IR運動の中で、実は市の都市計画課はそれほど積極的な働きをしていません。IRを支援しているのは主に、住宅・経済開発担当副市長のもとでインフラ整備・市有地活用などを担うニューヨーク市経済開発公社(EDC)などの機関です。
戦後ニューヨークで100万人ほどあった製造業雇用は、2014年には約8万人にまで減少しており、市内ではMゾーン(工業用途地区)からRゾーン(住宅用途地区)への転換が進められました。ゾーニング(用途地域)の変更により、ウオーターフロントにある元来の工業用地に住宅の建設が進み、かつ高級住宅地化したことで、マンハッタンで軽工業を営んでいた人たちは市外へ移転せざるを得なくなり、どんどんと居場所を失っていきました。
現在は都市における製造業の価値が認められてきつつある一方で、ブルームバーグ政権下では、ニューヨークを富裕層が集まるラグジュアリーな街にしていこうとする機運があり、2005年にはグリーンポイント・ウィリアムズバーグ地区の大規模なリゾーニング(用途変更)を行い、地元コミュニティや製造業者からの反発を招きました。それを受けて、反対住民や製造業コミュニティへの一定の配慮も必要となり、Mゾーンの一部にインダストリアル・ビジネス・ゾーン(IBZ)という地区をつくりました。地区内の製造業者には優先的に支援を与える制度で、かつ、その中ではRゾーンへの用途変更を行わないというものですfig.6。それはEDCによって設定されるもので、都市計画の用途地域で担保されているものではありません。さらに、市長の政策に依拠したものなので市長が変わればいつなくなるか分からないという怖さがコミュニティや製造業者にとっては残っています。都市計画は基本的に、市長のアジェンダを推進することが中心だったため、住宅開発による不動産価値の向上、税収の増加という大きな方向性に加担し、IR運動を積極的に後押しするというところまではいきませんでした。

──都市計画は、都市の中から製造業を積極的に追い出すことはしないまでも、市場原理に任せてその実情を見逃してきたということですね。EDCをはじめとした機関の中で、ものづくりの場を失わせてはいけないという機運が高まったきっかけは何だったのでしょうか?

諸隈 どちらかといえば、IR運動は地元コミュニティからの働きかけが中心です。昔ながらの工業地帯にはそこで働く人のための住宅地があり、そこに移民が多く住んでいました。彼らにとっては徒歩圏内に働く場があることは重要で、地域の雇用の場を守るための運動がIRに繋がったという側面もあります。そういう意味では、IRはコミュニティ・ディベロップメントの一環でもあります。

──都市計画でも、都市の中に製造業が必要だと理解され、ゾーニングなどが設定されてきたのだと思っていました。そうではなく、コミュニティなどが都市計画と対立しながら居場所を獲得してきた歴史があるのですね。日本においても身近な問題として受け止められます。

製造業の避難場所をつくるためのIR

──IR運動を進める団体の中には、どのような人がいるのでしょうか。

諸隈 IR運動の中心となっているのは、都市計画家のロナルド・シフマン氏によって創設されたニューヨーク市製造業維持ネットワーク(NYIRN)というシンクタンクです。市の土地利用転換の政策に反対し、GMDCなどと共にニューヨークの製造業の実態を調査し、ニューヨークの製造業者が直面する不動産問題(手頃な値段で借りられる場所がない)を明らかにするなどの啓発活動をしてきました。彼は市の都市計画委員も務めていて、製造業とそこに住む人の生活がどれだけ密接に繋がっているかを肌で感じると共に、開発事業者によって工業用地が住宅や商業用地に代わっていく実態にも疑問を感じていました。製造業の切実な実態を、フィールド知として蓄積してきたのです。

──不動産は基本的に市場原理で動く中で、ニューヨークは土地の価値も開発圧力も高いのに、なぜBNYやGMDCなどの工業用不動産が実現できたのでしょうか。

諸隈 サンプル数は未だ少ないため一概にはいえませんが、事業者が安く不動産を手に入れられたことがひとつの要因ではないかと思います。GMDCは市から無償で大規模な建物を取得したことで事業を実現しました。そこには、市との絶え間ない交渉がありました。市の建物をコミュニティ開発を主としたディベロッパーが無償で取得するロジックを、地元コミュニティや製造業者と共に考えました。GMDCの創設者のデイビッド・スウィーニー氏は後にPDSという民間企業を立ち上げ、同様の事業を補助金などに頼らないかたちで継続しています。彼には製造業の知人がたくさんいたので、工業不動産市場の情報を早期に得て、価格が高騰しないうちに購入することができたのだと思います。

──簡単に一般化することはできませんが、歴史ある工業不動産が遊休化した時、それを後世に引き継ぐためのアイデアを培ってきた人がいたということですね。

諸隈 NYIRNやGMDCの中には、ほとんどノンプロフィットで地域と一体となり、コミュニティ開発を行っている人も数多く関与しています。関わっている人たちは皆それに人生をかけているようなところがあって、スウィーニー氏はGMDCでの最初の一年間は無給で働いたといいます。その途中で失明してしまったのですが、点字の勉強を急遽行い、その3カ月後には業務に復帰したというほどです。事業者の中には、歴史的建造物の税控除の制度などの資金調達のテクニックやコミュニティ開発における補助金の獲得のスキルなどが集積知としてあり、その基盤には、知識と経験と熱意をもった人の存在が大きいと思います。

──コミュニティの当事者や現場を知っているディベロッパー、プランナーが声をあげたことでニューヨークのIR運動の今があるのですね。

諸隈 ニューヨーク市の都市計画家の中にはプログレッシブ・プランナーといわれる人たちがおり、彼らは街を大規模に開発する商業ディベロッパーよりは、弱者を助けるという意識が根付いたリベラルな考えを有する、革新的なプランナーです。彼らのコミュニティ開発への関心が、昔は住宅供給に注力されていたのが、近年IR運動や小規模製造業者の救済にも向いているのだと思います。

──なるほど。コミュニティ・ディベロップメント・コーポレーション(CDC)によるアフォーダブル・ハウジングの流れの延長にあるのですね。IRへの機運が突然高まったというわけではなく、コミュニティ支援に取り組む中で、実は小規模製造業の人たちが困っているということに気がついたということであれば、腑に落ちました。
ニューヨークでもEDCなどが、雇用の創出に期待して郊外に大規模工業団地の整備を進めてきましたが、1980年代に行き詰まりました。日本でも各地の土地開発公社は、同じ時期に同様の課題を抱えていたように思います。ニューヨークではEDCをはじめとする公的機関が今、都市部での製造業者の居場所づくりへとシフトしているというのは面白いですね。

諸隈 BNYの運営者であるブルックリン・ネイビーヤード・ディベロップメント・コーポレーション(BNYDC)が小規模製造業者の潜在的な場所の需要に気がつき、物件の貸し出しのターゲットを大規模製造業者から小規模事業者にシフトすることによって、BNYの稼働率を上げたという実績が生まれました。市はそれまでBNYに投資をしなかったのですが、ポテンシャルが見えたことで市も不動産整備を支援するようになりました。はじめから市が両手をあげて支援してきたというわけではなく、遊休不動産の活用を模索する中で、当事者たちが勝ち取った成果です。

──昔はブルックリン、特にBNYの周辺エリアは観光客が足を踏み入れるような場所ではありませんでしたが、今は普通の市街地になり、観光客目線で見れば、都心のすぐ近くにものづくりの場が集積していてすごいな、という印象を受けます。逆にいえば、都心部から追いやられたものづくりの場が、たどり着いた先でもまたジェントリフィケーションの対象になりつつある気もします。

諸隈 当初は移民をはじめとしたコミュニティの課題解決として始まったIRですが、今BNYなどに入居している人は、高学歴の人も多いです。IR運動が、雇用創出などを通してどれだけ移民や地域コミュニティの当事者に貢献したかというのは、これから検証する必要があります。ただ、製造業の維持のために宅地開発や誰かの経済活動を妨げることは自由都市においてはなかなかできることではありません。ニューヨークの小規模製造業者は基本的には賃貸で運営する事業者が多いので、今はBNYのような、都市で製造業者が廉価で借りることで生存するための「避難場所」をつくっておくことが重要なのです。
fig.7

(2023年4月24日、オンラインにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

諸隈紅花

東京都生まれ/2000年慶應義塾大学文学部史学科民族学・考古学専攻卒業/2007年コロンビア大学建築・都市計画・歴史的環境保全大学院 (GSAPP)歴史的環境保全専攻修士課程卒業/2007年~2008年Municipal Art Society Tucker Ashworth Fellow/2020年東京大学大学院工学系研究科都市計画専攻後期博士課程修了/2016年〜日建設計総合研究所/2020年同主任研究員

    黒瀬武史

    1981年生まれ/2004年東京大学工学部都市工学科卒業/2006年同大学大学院工学研究科都市工学専攻修了/日建設計・都市デザイン室を経て2010年東京大学大学院助教/2016年九州大学人間環境学研究院准教授/2021年同教授/主な著書に『米国のブラウンフィールド再生 工場跡地から都市を再生する』(九州大学出版会、2018年)など

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    元ロープ工場を市から無償で取得し、製造業者向けのテナント施設として改修したグリーンポイント・マニュファクチュアリング・アンド・デザインセンター(GMDC)。/提供:諸隈紅花

    歴史的な工業建築が残るブルックリン・ネイビー・ヤード。/提供:諸隈紅花

    歴史的な工業建築が残るブルックリン・ネイビー・ヤード。/提供:諸隈紅花

    IRを目的とした工業用不動産のテナントの家具製造業者。/提供:諸隈紅花

    GMDCのテナントのディスプレイ制作業者。/提供:諸隈紅花

    グリーンポイント・ウィリアムズバーグ地区のIBZに指定されたエリアでは標識が掲げられているが、製造業との用途競合が問題視されるホテル開発等を抑止することはできていない。/提供:諸隈紅花

    左は諸隈紅花氏。右は黒瀬武史氏。

    fig. 7

    fig. 1 (拡大)

    fig. 2