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2023.08.21
Interview

都市の文化を醸成する園藝

価値の転換 #7

三島由樹(フォルク) 聞き手:黒瀬武史(九州大学大学院人間環境学研究院教授)

技術の発展や社会構造の変化と共に、転換する価値を見つめる連載。第7回は都市の緑に着目。緑は都市においてどのような価値をもつのか、そのあり方は今どのように変化しているのか。緑を通じた地域の共同体や文化の形成など、ランドスケープのみに留まらない仕事を行っているフォルクの三島由樹さんに伺いました。(編)

natureからcultureへ

──建築・都市の視点からこれからの都市のあり方を考える時、その手段としてはどうしても建築を中心とした人工物により構成される物的環境を中心に考察しがちです。ですが、現代都市が含む市場原理によるさまざまなしがらみからの解放を目指すためにも、建築と同様に場所をかたちづくる要素のひとつである緑について考えることは、今後ますます重要になると考えています。三島さんは「シモキタ園藝部」の活動fig.1や「ajirochaya」fig.2などをはじめ、植栽デザインを通したコミュニティ・ディベロップメントにまで取り組まれていますが、以前、「園藝」をキーワードにもう一度都市をとらえ直そうとおっしゃっていたことがとても印象に残っています。(黒瀬)

三島 まず、私が園芸ではなく園藝と旧字体を用いて表現しているのには理由があります。藝は、人が木を植えるさまに由来した象形文字ですfig.3。人が生きていくうえでの芸事、つまり基本的な技術は、人が植物をどう扱うかということにたどり着く。それを踏まえ、私は場をつくるうえで、そこで人がどう植物に対して向き合えるか、植物を通じてどういうアクティビティが地域に生まれるかということが大事だと感じています。

──ランドスケープデザインというと、街の全体を考慮してデザインに結びつけるという比較的大きなスケールのイメージをもっていたのですが、園藝というと対照的に、各個人がそれぞれ植物を愛でるような、人に近いスケールのイメージを抱きます。園藝というキーワードに出会ったきっかけは何だったのでしょうか。

三島 ランドスケープデザインに対する考え方を変えるきっかけとなったのは、ハーバード大学大学院での留学時に行ったニューヨークのセントラル・パークfig.4のリサーチでした。1859年に開園したセントラル・パークは、急速な人口増加の中で緑地による感染症対策を目指したのと同時に、人種差別が根深かった当時において、誰もが平等に利用できる都市施設にしようとしたというデザイン思想があったことを知り、感銘を受けました。それまで私はランドスケープデザインというと、空間や環境などの物理的な事象のデザインを行うものというイメージが強かったのですが、セントラル・パークで行われたことは「社会のデザイン」なのだと感じました。私が留学した当時のアメリカのランドスケープデザインの考え方は、ランドスケープ・アーバニズムの台頭を背景として、それまでのビジュアル重視のアートのようなランドスケープデザインから、インフラや都市のシステムとしてのランドスケープデザインに移行していた時期でもあり、社会や都市とランドスケープの関係を強く意識するようになりました。
実際に園藝に興味をもち始めたのは、留学時にピーター・デル・トレディチという植物学者の先生との出会いがきっかけでした。「日本の園藝文化はとてもファンキーだぞ」といわれたことが印象に残っていて、日本に戻った後に江戸の園藝文化を調べ始めました。人口が密集する江戸では、庶民が少しでも身の回りに緑を置こうと、園藝文化が発達していました。その文化はかなり独特で、植木屋の番付表がつくられたり、大規模な植木屋が町人たちにとってのテーマパーク的な存在になっていたり、園藝のテクニックが書籍として広まり始めるなど、社会における一大エンターテイメントとして受け入れられていました。

──アメリカの研究者が日本の園藝文化に注目していて、それを教えてくれたというのは面白いですね。

三島 そういう園藝文化の広がりを調べるうちに、デザイナーが街の緑をすべてデザインするのではなく、ひとりひとりが街の緑に関わる契機をつくることで住みやすい街を生み出していくことへの可能性を感じ始めました。やはり、緑は都市にただたくさんあればいいのではなく、そこに文化が伴っていなければ意味がないと思うのです。文化はデザイナーがつくるものではなく、コミュニティで醸成していくものであり、今後の都市における緑のあり方を考えるうえではそこがキーになると思います。ちなみに、英語のnatureの対義語はcultureだそうです。近代以降の日本における都市の緑を考える視点はいかに緑を増やすかという、つまりnatureに偏っていて、それがどう使われるか、どう暮らしと接続するかという、cultureとしての視点からはあまり考えられてこなかったように思います。

──文化はデザイナーだけでつくるものではないというお話に大変共感します。一方で、ランドスケープ・アーキテクトとして、視覚を中心としたかたちのデザインではなく、コミュニティを醸成する手段として緑をとらえるというのは、これまでのランドスケープ・デザインのあり方と少し異なるアプローチのようにも思えます。それは園藝文化のリサーチに取り組むうち、自然に感じたことなのでしょうか。

三島 そうですね。留学時、ハーバード大学の日本文学の図書館で出会った宮本常一の著書にも大きな影響を受けました。日本中でフィールドワークを行い、失われつつあった各地の民衆の文化を記録したものですが、その記述や写真の風景が本当に素晴らしく、このような生活の文化や風景にランドスケープデザイナーとしてどのように関わることができるのか考えてみたいと思うようになりました。ランドスケープアーキテクトにはもちろんリサーチをしたり図面を描いたりなどの専門的なスキルが必要ですが、そのスキルだけでは地域の暮らしや文化に貢献することはできません。デザインと同時に、というよりデザインという行為に先立つかたちで、地域の共同体や暮らしのあり方について、その地域で暮らす人たちと一緒に考え、行動していくことが大切だと考えています。

植物の背後に潜む人や街の愛着

──日本に戻られてからの活動についても教えていただけますか。

三島 帰国後はまず谷根千に住んだのですが、街を散歩していると、路上園藝が盛んに行われているのに気がつきました。路上園藝はツーリストが写真を撮ったりする、喜ばれている緑ではあるのですが、路上園藝を通じてもっと面白い交流や地域づくりができるのではないかと思っていました。そこで、2014年に園藝に関する展示やリサーチを行う自主企画「TOKYO STREET GARDEN」を友人と立ち上げました。その一環として、2016年には、普段は動かない路上園藝を街の中で攪拌するというコンセプトで、地元のお寺からお借りしたリアカーを引いて地域住民が育てている植木鉢を借りてまわり、「HAGISO」のギャラリースペースで展示会を開きましたfig.5。この展示がすごく好評で、その後、同様の企画を日本橋三越本店でも開催しました。展示した植木鉢のひとつひとつは高価なものではないですが、愛されて育てられた植木鉢をきちんと並べて展示してみると、人と植物の関係性の美しさは多くの人に伝わるものなのだと実感しました。
また、この展示の中で、路上園藝がある街とない街の比較画像をつくってみましたfig.6。そうすると、街に緑がなくなったという感覚以上に、街から人の気配まで失われてしまう感覚をもつことに気がつきました。私たちは路上園藝から、視覚的な美しさだけでなく、その背後にあるコミュニティの存在や、そこで暮らす人びとの街への愛着までを豊かに感じとっているのです。

──特に若い世代は場所への愛着や手入れされている感覚にすごく敏感な気がします。ぴかぴかのものよりも、少し擦り減った手づくりの場所が興味を引くように、いかに人の手がかけられ、愛されているかということの価値が認められるようになっています。若い世代は、ものの背後にある人や街の文化を直感的に読み取るようになってきているということです。ただ、この感覚もある意味ではデザインの方法論として広がり、大資本が生み出す消費のための空間にも展開されつつある気もしますが。

三島 私たちがローカルな人びとに手がかけられた活動や地域の文化に共感するのは、それらがお客さんや誰かのためにしている余剰のものではなく、ただ自分たちがやりたいからやっている、暮らしのためにやっているという自主性と必要性が発露したものだからではないでしょうか。これからは、従来のサービスする側/される側の構図を乗り越えて、私たちが今何を必要としているのかを自分たちで考え、それをどのように自分たちでつくり、手をかけ、育んでいけるのかということが大事になってくると思います。

──シモキタ園藝部の、自分の庭のように地域の緑を自分たちで手入れをするという自治システムがいいかたちで成立している背景には、緑が身近な存在になれば暮らしが豊かになるという自主性と必要性の感覚が地域で広がっていることがあるのですね。

三島 そうだと思います。皆、誰かのためというボランティア精神というよりも、純粋に自分のため、自分が暮らす大好きな街のため、という楽しい気持ちで参加してくれています。

街の中に寛容さをつくるデザイン

──三島さんは谷中の「TAYORI」(『新建築』2206)fig.7のランドスケープも担当されていますが、現地で見た時、デザインの作為があまり表に出てこず、まるで谷中に昔からあったかのような風景に見え、誰かに使われる風景が自然に想像できました。ほかのプロジェクトを見ていても、三島さんのプロジェクトには何か人びとが主体的に関わりたくなるような仕掛けがある気がします。そのデザインにはやはり、園藝文化から得た感覚や気づきが影響しているのでしょうか。

三島 「庭」という言葉の語源は「土間(にわ)」であるという一説があるのですが、このことを知った時、自分がつくりたい庭のイメージは、土間のように使いやすい生活の舞台であり、園藝のような生活の技術を通じて人と植物の関わり合いが生まれる場所なのではないかと思うようになりました。それは英語でいうと、見るためのgardenではなく、使い勝手のよいyardというイメージなのだと思います。

──なるほど、確かにgardenはyardに対して視覚的・造形的なイメージがありますね。

三島 gardenはguard+eden、つまり囲われた理想郷という意味に由来しているといわれています。対極的にyard としての庭は、生活を支えてくれるインフラのような場所だと思っています。
もうひとつ、場所のデザインを考える時に意識しているのは、デザインの寛容性です。最近は街のベンチのほとんどが寝転べないデザインだったり、公園でも禁止事項がたくさんあったり、何かと不寛容な世の中になっている気がしますが、みんなが使うものが寛容であることが、きっと街として成熟しているということなのではないかと思います。マナーがユーザーに委ねられた、寛容なデザインが街に普通にあるというのはすごく大事なことです。「ajirochaya」の庭には、地元の宮大工さんに金輪継でつくってもらった幅3.5mのベンチを置いていますfig.8。ふたりが縦になって寝転べる長さです。宮大工さんの技術をパネルで紹介し、これは特別につくられたベンチなので、禁止事項をずらりと列挙するという見せ方をしてもよいのですが、ここではそうはせず、ただゴロッとベンチを置くだけにしています。年に一度メンテナンスの様子を見せるイベントをしているのですが、ベンチの特別さを感じてもらう瞬間は、そうした非日常があれば十分だと思いました。こういう特別で寛容なものがさりげなく、当たり前に街に置いてあるということが、その街を誇りに思ってもらえる大事な仕掛けになっていくのではないかと思っています。
植栽や造園デザインでは、いかに人の手間を省くかということも大切ですが、そうすることで失われてきたものも多くあるのではないかと思います。これから社会全体でシビアにコスト管理が行われるようになる中では、費用対効果と手間の削減がますます求められる気もしますが、手間をきちんとかけて場や街に愛着をもてるようにしていくこともデザイナーの大事な役目になるのではないでしょうか。「ajirochaya」の園路の舗装も、プロにお願いすれば1週間でできるところを、地域や関係者の方の愛着を醸成するために協力していただき、みんなで1カ月以上かけてつくってもらいましたfig.9

──その手間が、先ほど話したような愛着を風景の中に感じさせ、直感的に居心地のよさを訪れた人に感じさせるのでしょうね。

これからの社会に必要な緑とは

三島 今、私も含めて緑に関する仕事をしている人たちの中には、本当に社会のためになることをしてきたのだろうかという問題意識をもっている人が多くいます。緑の仕事と聞くと、何となく環境や社会にとってよいことをやっていると思われがちですが、グリーンウォッシュという言葉があるように、必ずしもそうではないことも多々あることを実感している人は少なくないと思います。そこで、同じ問題意識をもつ方達と、これからの社会に必要な緑とは何か、そのための仕事はどういうものかということを学び、実践、発信するプラットフォームとして「ソーシャルグリーンデザイン」というプロジェクトを2020年に立ち上げました。ランドスケープ・園藝・エクステリアなどさまざまな業界が参画し、企業やコミュニティ向けに新しい緑の事業を企画するスクールを開催したりしています。これまで緑化はそれだけでよいものとして好意的に見られることが多かったと思いますが、これからの社会に向けた緑のあり方を考えると、そこには再考の余地や可能性が多分にあると思います。

──建築を中心に考えてしまう建築業界はどうしても植栽を外構として、建築とは別物の周縁として見てしまっていた気がします。もちろん植栽があったほうが綺麗に見えるけれど、あくまで主役は新築の建物のように考えられていた。緑の業界がこれまで本当に必要とされる緑について深く考えられていなかったというのは、実は建築業界からの緑に対する理解の浅さも原因のひとつとしてあるのではないかと思います。ただ、三島さんのようなランドスケープ・アーキテクトや土木分野のデザイナーと建築家の関わりを見ると、そのような見方は変わりつつあるようにも感じます。

三島 視覚や空間体験に訴えるデザインではなく、いかに社会課題に応えるかというデザインの視点が今後ますます重要になっていくと思います。今、徳島県の農家住宅「石井の家」(『新建築住宅特集』2301)の庭のデザインを建築家の坂東幸輔さんからの依頼で行っているのですが、庭の植物がよりよく育つようにするためというのはもちろん、虫や微生物などさまざまな生き物がそこに生息できることを意識したデザインを行っています。コンクリート舗装を解体して敷地内に水の流れや浸透を意識した水系をつくり、地中に水や空気を巡らせるということを試みたりfig.10、既存の外構の解体で生じた様々なガラを環境改善に向けてアップサイクルするなど、廃棄物を出さず、ローテクで庭をつくり替えることにチャレンジしています。このプロジェクト単体のインパクト自体は、決して大きなものではありませんが、どこでも誰でも真似できる手法でやることで、これからの地方都市における新たなリノベーションのモデルのひとつとして参照してもらえる可能性を想像することが大事だと思っています。

──「誰でも真似できる手法」というのも、やはり寛容というか、気前がいい(笑)。小さなプロジェクトにも、社会に響く大きなビジョンを込めているのですね。

三島 これまでデザイナーによるデザインの価値は、真似できないこと、オリジナルなものであることが価値だと思われてきましたが、たとえば伝統的な民家はどれも同じようなかたちをしているように、優れたものを皆で真似し合い、少しずつブラッシュアップを重ねて、その積み重ねが価値となっています。これからは過去を参照したり、真似しあったりすることを通じて、社会の中で競争だけするのではなく、共に大きなムーブメントをつくっていくことが重要になってくるのではないでしょうか。
fig.11

(2023年7月21日、フォルク下北沢オフィスにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

三島由樹

1979年東京都生まれ/2002年慶應義塾大学環境情報学部卒業/2006年 ハーヴァード大学大学院デザインスクール修了/2006〜08年Michael Van Valkenburgh Associates(NY)勤務/2013〜15年東京大学大学院工学系研究科助教/2015年フォルク設立/2020年〜一般社団法人SOCIAL GREEN DESIGN理事/2021年〜一般社団法人シモキタ園藝部共同代表理事

黒瀬武史

1981年生まれ/2004年東京大学工学部都市工学科卒業/2006年同大学大学院工学研究科都市工学専攻修了/日建設計・都市デザイン室を経て2010年東京大学大学院助教/2016年九州大学人間環境学研究院准教授/2021年同教授/主な著書に『米国のブラウンフィールド再生 工場跡地から都市を再生する』(九州大学出版会、2018年)など

三島由樹
黒瀬武史
ランドスケープ
価値の転換
都市
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シモキタ園藝部が管理する「シモキタのはら広場」(2022年)。小田急線の地下化に伴う線路跡地で、小田急電鉄が世田谷区と協力して整備した緑地。さまざまな草花や樹木、虫、微生物たちと共生する野生の庭をコンセプトにフォルクが設計を担った。シモキタ園藝部には現在およそ180人の部員が所属する。/撮影:梶原敏英

「ajirochaya」(建築設計:TYRANT、2017年)。東京都八王子市の老舗茶舗網代園のリノベーションプロジェクト。ランドスケープデザイン・プランツマネジメント・コミュニティデザインをフォルクが担った。/撮影:Yurika Kono

藝は、人が木を植えるさまに由来した象形文字。(シモキタ園藝部ウェブサイトより)/提供:フォルク

セントラル・パーク(撮影:2007年)。/提供:三島由樹

「HAGISO」での展示風景。谷中地区の住民から借り受けた植木を並べた。/提供:フォルク

谷中地区の路上園芸がある場合(左)とない場合(右)での比較図。/提供:フォルク

「TAYORI」(建築設計:HAGI STUDIO、『新建築』2206)。フォルクがランドスケープデザインを担当した。/撮影:新建築社写真部

「ajirochaya」の庭に置いたベンチ。/提供:フォルク

「ajirochaya」の庭の園路を舗装する様子。/提供:フォルク

「徳島 石井の庭」(2024年夏竣工予定)のコンセプトイメージ。/制作:坂東幸輔建築設計事務所

三島由樹氏(右)と黒瀬武史氏(左)。

fig. 11

fig. 1 (拡大)

fig. 2