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2023.04.27
Interview

都市をイメージ化する音楽

都市とエンターテインメント #2

スージー鈴木×吉村有司(東京大学先端科学技術研究センター特任准教授)

エンターテインメントからこれからの都市のあり方を模索する連載。第2回は音楽に着目。吉村有司さんと、音楽評論家のスージー鈴木さんに、音楽そのものの特性や、近年のテクノロジーの進化に伴う変化から、都市と音楽の接点と、その関係性を考察していただきました。(編)

言語化できない情感を表象する音楽

吉村 本連載の第1回では、高知工業高等専門学校の学生たちの提案から、音楽は場の雰囲気という言語化が難しいものを、音として再現することができるのだと実感しました。そういう意味でも、音楽は都市や建築に通ずる部分があると思います。今回は、数々の楽曲を分析されてきたスージー鈴木さんと共に、音楽という観点からこれからの建築や都市計画、まちづくりを考えていきたいと思います。まず、音楽と都市との関係について、どのように考えていますか。

スージー鈴木(以下、スージー) 音楽は、極めて工学的に構築されるものです。たとえば主音(ド)から半音を4つ積み重ねて(ミ)さらに3つ積み重ねる(ソ)と「ドミソ」のCというメジャーコード、逆に3つ(ミ♭)と4つ(ソ)積み重ねると「ドミ♭ソ」のCmというマイナーコードが出来上がるという具合です。その反面、言語化できない、感覚的な側面も持ち合わせています。松任谷由実は「私は音楽理論はまったくわからない」とよくいうのですが、それでも「コードの響きって色なのね。色彩なのよ。ドミソのコードにセブンスのB♭(註:シ♭)という音を加えれば、色が少し変わるんだと思う。それがB(註:シ)の音になったらパッと違う色になるとか」と語っていますfig.1参照:松任谷由実「ルージュの伝言」(角川書店、1984年)。この感覚を言葉で説明することは難しいのですが、なんとなく共感することはできます。日本の音楽ジャーナリズムにおいて、音楽は歌詞や流行風俗の観点から語られることが多いのですが、僕はコードなどの工学的な側面から楽曲を説明するということにチャレンジしていて、その中で、音楽の感覚的な部分と理論的な部分にどう線を引くかということを大きなテーマとしています。この理論と感覚のバランスは建築や都市にも共通するのではないかと、かねてより思っていました。

吉村 「建築は凍れる音楽である」とよくいわれます。建築は重力に対して構造的に構築されるという側面や、人が空間の中を歩き回ることによって、時間と共に場面(シーン)が物語として展開していくというところが音楽と共通しているというわけです。そのような工学的な側面と、「雰囲気がいい」「なんか落ち着く」というような感覚的な側面が一体となってつくり出されているのが建築や都市という芸術です。

スージー 僕は日本のポップスや歌謡曲など、いわゆる戦後の西洋音楽のメソッドの上に乗った大衆音楽を評論対象としてきましたが、邦楽は洋楽に比べて独特の特性があると感じています。日本では平成以降、Jポップという言葉が生まれ、カラオケの登場によって「歌い甲斐」がある曲がヒットし、カセットからCDに移行したことで曲も長くなりました。そこにはたくさんのコードやメロディが盛り込まれ、楽しかったり、明るかったりと、ひとつの曲に情感がてんこ盛りになっています。さらにそこに、6thや7th、テンションノートなどの複雑な音が散りばめられることで、全体としての情感がバランスよく出来上がる。僕はそれを、数分で満腹になる「幕の内弁当」と表現しています。この感覚を日本的なものとして都市の文脈から考えてみると、都市を野放しにスクラップ&ビルドするのではなく、ある情感を生み出すコードを都市の計画段階からあらかじめ計算して割り振り、理論と感覚をバランスよく保ちながら進めると、居心地いい街ができるのではないかという仮説をもっています。

吉村 確かに、耳触りのいい音楽を聴いた時の感情と、居心地いい空間を体験した時の感覚は通底する気がしますし、居心地いい空間を聴き心地のいい音楽構造からつくるというのは、すごく魅力的な視点だと思います。テクノロジーが発達した今、僕はそれらの感覚を定量化し、サイエンスとして都市に適用することに挑戦しています。そのようなアプローチ(建築や都市にサイエンスを適応する枠組み)をアーバン・サイエンスと呼んでいて、スージーさんのおっしゃられていることは、僕の言葉でいい換えると、音楽という観点からアーバン・サイエンスを考えてみようということなのかなと思います。

スージー 一方で、僕は音楽を聴く際、できるだけ感覚的に聴こうとしています。ある音楽家が、ある程度理論を理解し、分析的に聴けるようになると、子供の頃にロックンロールを聴いて受けた衝撃、得もいわれぬ快感が二度と味わえなくなるといっていて、まさにその通りだと思うからです。ただ、頭の中ではやはり、リズムとメロディのバックに潜むコード進行を重視しながら聴いているように思います。逆に、歌詞はあまり意識的に聴いていません。桑田佳祐の登場以降、日本の音楽ではリズムやサウンドを優先し、その後に歌詞を当てはめていくというスタイルが普及し、Jポップは基本的にその影響下にあるものだと思っているからです。

吉村 実は僕は子供の頃から歌詞ばかりが気になっていて、その意味を分析するのが好きでした。たとえば、竹内まりやの「駅」(1987年)は歌い出しの「見覚えのあるレインコート」という歌詞で、雨が降り出すという現象を用いて劇場をつくり出し、最後の「改札口を出る頃には雨もやみかけた この街にありふれた夜がやってくる」で、雨が止むということでその劇場に幕が下ろされることを表現している。そんな日本語の妙を考えることが好きでした。ただ、そんな歌詞ばかり見ていた僕にとって、桑田佳祐や井上陽水の歌詞はじっくりと読み込んでも意味が分からないものが多かった記憶があり、先ほどのスージーさんの話を聞いて腑に落ちました。当時ドラマの主題歌にもなっていた井上陽水の「Make-up Shadow」(1993年)なんかはさっぱり意味が分からない。「2匹の豹の サファイアルビーの あの口づけ」ですからね、まったく何をいっているのか(笑)。でも、全体を通して聴くと、不思議なことに曲に込められた情景がなんとなく伝わってくる。

スージー 「リバーサイドホテル」(1982年)の「部屋のドアは金属のメタルで」なんていう一節も、本当に意味が分からないですよね(笑)。それでも、全体のコード進行などと合わせてなんとなく曲のテーマが伝わってきます。たとえば「傘がない」はAm→G→F→Efig.2という、単純で演歌のような循環コード進行によって絶望感を感じさせるし、加えて彼の独特な発声もそれを助長しているように思います。歌詞だけでは意味が分からなくとも、サウンドや歌声とパッケージになることで、ある情感をなんとなく感じさせます。

吉村 音楽が複雑な情感を複雑なまま含むことができるものだとすれば、それを媒介に都市を考えることが、今後有効なコミュニケーション手段になるのかもしれません。

テクノロジーと肉体性

スージー 今、音楽はますます人工的なものになっています。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」(1722年)以降、1オクターブ内に12種類の音が等間隔に並ぶ調律法である平均律が定着したことにより、本来はドとド♯の間にも音程があるはずなのに、機械的に12等分されるようになりました。実際に演奏される音楽は、最終的にはアナログなものなのに、人間がつくり出した計算に則って音楽がつくられている。歌詞についていえば、日本のミュージシャンは、東京という首都に集中的に向き合ってきました。たとえば松任谷由実は「中央フリーウェイ」(1976年)の中で、「調布基地を追い越し 山に向かっていけば 黄昏がフロントグラスを染めて広がる」と、東京の情景をプラスティックに表現しています。松任谷由実以降のシティ・ポップと呼ばれる曲の中では、東京がハリボテ的・書割的に、人肌感が薄いものとして表現されます現在世界的にブームとなっている、昭和末期につくられた都市(シティ)イメージを強く押し出した楽曲の総称。松原みき「真夜中のドア」(1979年)や竹内まりや「プラスティック・ラヴ」(1984年)などがその代表曲。。シティ・ポップは今グローバルに着目されていますが、そこで表現されているのはカギカッコ付きの東京です。確かに聴き心地はいいけれど、そこで想起される都市的イメージには人肌感がなく、本当の意味で肉体が満足しているのかと。今東京では次々とハイテクで新しいビルが建っていますが、そこに人肌感を感じられないのと同じことだと思っています。都市や音楽がもつ人工性と肉体性というのは、どこかで折り合いをつけるべきだと思います。今は演奏もほとんどデスクトップでつくれますし、スタジオで合わせるというのは少なくなってきていますが、それでもやっぱりフェスやライブはなくならないし、歌手が一発録りで歌う「THE FIRST TAKE」が流行するのも、人が音楽に肉体性を求めていることの証左だと思います。

吉村 僕も「THE FIRST TAKE」は好きでよく見るのですが、先日アップされたあのちゃんの回は非常に印象的でした。1回目では緊張しながらも段々と楽しくなっていく「ちゅ、多様性。」を披露し、2回目では対照的に、曲に感情を乗せながら自身の主張を貫く「普変」を歌い上げていました。「ちゅ、多様性。」はアニメのエンディングテーマになっていたりと、広く知られている曲をアーティスト・anoとして歌うことによって多くの人にリーチし、後者ではバンド・I’sのボーカルとしてシリアスに歌い上げる彼女の側面を印象付けました。「ちゅ、多様性。」の後半のサビ部分でイヤリングが落ちるというハプニングが起こりましたが、それも一発録りだからこそ生まれた場面だったと思いますし、そういう部分が視聴者の共感を集めているのではないかと思います。
僕はその動画をたまたま新幹線の中でパソコンを広げながら見ていたのですが、人によっては地下鉄の移動中にスマホの小さな画面で見ていたり、歩きながら音だけを聴いていたりと、この数年のテクノロジーの進化によって音楽の聴取方法の選択肢が劇的に増えました。そのようなテクノロジーの進化と音楽、そして街の捉え方の関係性にとても興味があります。

スージー 先ほど東京がプラスティックな背景として表現された流れについて話しましたが、それはウォークマンによって推進された気配があります。1980年前後に、コラムニストの泉麻人は「ウォークマンを聴いて東京を歩くと映画の1コマに見える」という名言を生みました。当時の日本人はカリフォルニアが好きで、音楽を通して、街をそういう風に書割的に見ようとしたのですね。田中康夫の小説「なんとなくクリスタル」で表現されるような、「東京」の視覚的イメージを推し進めたのがウォークマンだといわれています。

吉村 僕がウォークマンを買ってもらったのは小学5年生の時でしたが、街を歩きながら音楽を聴くと、同じ都市の風景でも、その時に聴いている音楽によってガラリと印象が変わるのが衝撃的でした。その時の新鮮な驚きは今でも僕の脳裏に、音と共に焼き付いています。ウォークマンの登場によって都市は音楽の背景に、そして音楽は街にとってなくてはならないものに、新しい風景を与えてくれるものに変わったように思います。

スージー 今はいろいろなものがスマホやデスクトップに一元化され、制作の場としても、聴取の場としても、音楽は具体的な場から解放されています。昔はスタジオで集まり「せーの」で合わせて曲をつくっていましたが、そうすると、チューニングが狂っているとか、リズムが合わないとか、いろいろなことが起こります。でも、そこにこそヒューマンな刺激が潜んでいるのです。たとえばザ・スパイダースやキャロルなどの演奏に感じる、あのいきいきとしたグルーヴです。昔のグループ・サウンズビートルズなど洋楽の影響から生まれ、1960年代後半の日本で急激に盛り上がったロックバンドやその楽曲の総称。文中のザ・スパイダースに加え、ザ・タイガース(沢田研二など)、ザ・テンプターズ(萩原健一など)がその代表。はジャズ喫茶で1日に5公演をこなしたりしていたので、何度も演奏するうちにそのバンドにしか出せない独特のグルーヴが生まれていました。音楽にとってそれは絶対に必要なものだと思います。なぜなら、そこにこそ聴き手の快感が付随するからです。

吉村 人間ならではのリズムのずれが独特のグルーヴを生むというのは、物事の最適化とは違う可能性を示しているように思います。ビッグデータやAIを使う人は大抵、データの最適化の方向に向かってしまいます。データを扱うということは最適解を探すということとほぼほぼイコールであるという側面もあるのですが、そのような最適解ばかりを求めているだけでは都市はつくれないと思っています。

スージー YMOの初期に「Absolute Ego Dance」(1979年)という曲がありますが、YMOは、沖縄民謡に潜む独特のリズムのズレを参照し、計算のうえで電子上で入力したといわれています。この曲は、琉球音楽をモチーフとしているのですが、琉球音楽のリズム感を分析すると、エイトビートとシャッフルの中間的なもので、具体的には、ふたつの8分音符が並ぶエイトビートを「♪タタ」=「12:12」、三連符の前のふたつをくっつけたスウィングが「♪タッタ」=「16:8」だとすると、「Absolute Ego Dance」のリズム感は、このふたつの中間=「14:10」でつくられているらしいです。つまり彼らは、フィジカル性を数値化するということを40年以上前に既に発想していました。

吉村 都市には人間の予期せぬ活動や出会いを受け止める余白が必要なのです。そもそも最適化だけが目的ならば、僕のような建築家やプランナーが都市ビッグデータを扱う意味はありませんしね。そうしたフィジカル性を定量化し、都市や建築にどう落とし込むかということがわれわれの問題意識でもあります。

草の根のプロセスから生まれる新規性

吉村 建築・都市分野では、1960年代にケヴィン・リンチが『都市のイメージ』という本を出版しました。トップダウンで行われる近代的な都市計画が主流だった時代において、住民達が感じていることや、彼ら・彼女らが心の中にもっているイメージこそが重要ではないかと主張した書籍です。シティ・ポップが東京という都市を表象するように、都市と音楽はある種のイメージを介して深く結び付いてきたかと思います。東京以外で、たとえば京都でもそういった傾向はあるのでしょうか。

スージー 僕の持論ですが、Jポップの歴史において、ヒットしたミュージシャンの人口比率でいえば関西圏は案外少ないです。東京の次といえば広島や福岡で、大阪や京都では在日米軍向けのラジオ「FEN」Far East Network。極東(日本)にいるアメリカ軍の軍人および家族向けの放送。現「AFN」(American Forces Network)。がなかったことが大きいのではないかと思っています。加えて、広島や福岡の人は東京に行って「天下取ったるぜ」という意気を感じますが、大阪の人は東京への対抗意識が強すぎるのか、そういう人があまり出てきていません。ただ、京都は加藤和彦や沢田研二を輩出していて、特に沢田研二からはどことなく京都的な反骨精神を感じます。

吉村 まさに「勝手にしやがれ」という感じでしょうか(笑)。今東京では地区の特異性が薄れ、都市のイメージが壊れかけているというか、捉えられない状態になっているともいえます。たとえば90年代であればフリッパーズ・ギターに代表される渋谷系など、土地と結びついた音楽があり、それ自体も渋谷のイメージを醸成してきました。

スージー 渋谷系は、渋谷に多くあった輸入盤のレコード店の影響を受けて醸成されてきた側面があるので、そうした店舗が再開発によってなくなったことは大きいと思います。レコード店や本屋は、街の文化を規定する一種のカルチャーステーションだったわけです。今はそれが少なくなり、みんながサブスクリプションで音楽を聴くようになったことで、都市の色も少なくなっているように思います。

吉村 NHKがあの場所にあったのも大きかったように思います。当時のNHKは日本の中でも最先端のテクノロジーをもっていた企業とみることもできて、そのような先端技術に敏感だった人たちが、仕事の行き帰りに渋谷駅とNHKの間を行き来していたということの意味は大きく、そのことが渋谷を文化発信の拠点にしていったという側面もあるかと思います。
昔はアルバムを買って一曲目から順に聴き、つくり手の物語(ストーリー)を体感していました。建築もエントランスを入ってここから景色が見える、というように物語的な空間シークエンスを大切にする部分がありますが、サブスクはそういう体験を解体したように思います。アルバムのどこから聴いてもいいし、もっといえば今の若い人はサビしか聴かないということもあるそうです。そんな中で、これからどう音楽をつくっていくのかということは、都市や建築にとっても無関係ではないと思っています。

スージー その答えが分かれば、僕は迷わずミュージシャンになりますね(笑)。聴取体験の崩壊は止められず、そこで生き残っていくしかないというのが今の音楽産業の現実ですが、昔のように音楽をひとつのカルチャーとして、アルバムを通して聞いて「うーん、いいなぁ」と唸る文化も簡単には廃れないとも思っています。いつか「令和のザ・ブルーハーツ」が出てきてほしいと思いますが、今のところは予測された通りに音楽マーケットが縮小していて、なかなか難しい状況です。

吉村 令和になってサブスクが定着し、聴く側の体験が変わりつつある一方で、スージーさんが著書『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社、2021年)の中で「SNS歌謡祭のような草の根的かつ民主的なメカニズムでヒット曲が生まれるなんて、何と素晴らしいことだろう」と述べられていることに感銘を受けました。大手プロダクションの戦略によってトップダウンでヒットする曲が作為的に選ばれるのではなく、SNSを通して主体的に聴かれた曲がヒットするのは、音楽にとっていいことではないかと。実は今、まちづくりでも同じような流れが起きていて、もともと都市開発は行政やディベロッパーがトップダウンで行うのが主流でしたが、テクノロジーの進化によって市民がいいたいことを発言できるようになり、ボトムアップなまちづくりの流れが生まれつつあります。

スージー サブスクによって業界自体の規模や音楽の中での情感や思い入れが減っていくというのはよく指摘されることですが、その一方で、米津玄師や藤井風など、SNS時代ならではの新たなスターも生まれています。彼らは大手プロダクションのオーディションを経るのではなく、YouTubeから出てきて日本を席巻しました。近年は、いわゆる循環コード進行とか、聴きやすさを重視したベタなコード進行が多く採用される傾向にありますが、米津玄師の音楽は、極めて独創的で曖昧模糊、複雑なメロディとコード進行を取り入れていて、癖があります。でもそれがヒットし、曲を出すたびに絶大な支持を受けている。藤井風も同様にYouTubeから登場しました。彼はデジタル化が進む昨今において、極めて肉体性、アナログ性が高い音楽を奏で、今の音楽業界にはないもので勝負しているように思います。こうした「民主的」なシステムの中から、才能のある若者が出てくることは昔にはなかったことで、そういう意味では、今の音楽界の流れには正負の両面があると思っています。都市や建築でも、こうして民主的なシステムからアイデアを生み出すというメカニズムを重用すれば、これまでとは異なる視点が生まれる気がします。

舞台としての都市をつくり上げる音楽

吉村 音楽には人生を歩んでいくうえで助けられることが多かったり、音楽があるからこそ困難を乗り越えられた場面が今まで何度もありました。スージーさんがCreepy Nuts×菅田将暉の「サントラ」(2020年)を引き合いに、「人生とは外側をでっち上げること」と言及されていたことにハッとさせられました。「この人生ってヤツはつくりばなし 自分の手で描いていくしか無い あの日でっち上げた無謀な外側に追いついていく物語」という歌詞ですが、僕も建築家になろうと思いバルセロナに行き、アルヴァロ・シザの建築を理解したくてオポルトに1年間住みました。その後もう一度バルセロナに戻って、今度は公的機関の立場からデジタルテクノロジーに関わり、博士号をコンピュータ・サイエンスで取得し、今は建築や都市計画、まちづくりの文脈でビッグデータやAIを扱っています。デジタルテクノロジーを建築家の視点から都市に活用し、文化を語っていきたいという、20年前のあの日にバルセロナのカフェででっち上げた、本当に無謀な外側に、どうやって追いついていくか、日々格闘する毎日です。

スージー 「サントラ」は僕がちょうど勤めていた会社を辞めることを宣言したタイミングでリリースされたということもあって、印象に残っています。会社員でいながら、心の中ではずっと評論とかDJとかの夢、つまりは「あの日でっち上げた無謀な外側」が意識の中にありました。退職するということは、そんな会社の「外側」に「追いついていく」ことだと思ったのです。もしかしたら、この曲を聴いたから退職したのかもと思うくらい(笑)。それくらいの衝撃を受けました。だから「ミュージックステーション」でこの曲を初めて聴いた時のこと、自宅でのワンシーンは、一生忘れないような気がします。

吉村 都市とは思いもしなかった他者との出会いを促進する、もしくはそのような機会を与えてくれる公共空間であるべきなのです。そしてそのような出会いを「忘れられないワンシーン」にしてくれるのが、建築というハードと、そこで流れているサントラとしての音楽がつくり上げてくれる舞台だと思います。その時の喜びや悲しみと共に、僕の人生の中には常に音楽がありました。その時に聴いていた曲を耳にすると、一瞬であの時のあの場面に連れ戻される、そんな気分にさせられるのですfig.3fig.4。やはり音楽とはそのような強い力をもつ芸術だと思います。そのような力をこれからの建築や都市に取り入れていくことができたとしたら、僕たちの都市はもっと魅力的になっていくに違いありません。
fig.5

(2023年4月4日、東京大学本郷キャンパスにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

スージー鈴木

1966年大阪府生まれ/1990年早稲田大学政治経済学部卒業/1990年〜2021年博報堂/現在、音楽評論家、ラジオDJ、小説家として活動/主な著書に『1984年の歌謡曲』(イースト・プレス、2017年)、『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社、2021年)、『桑田佳祐論』(新潮社、2022年)など

吉村有司

愛知県生まれ/2001年〜渡西/ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部博士課程修了/バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年〜東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザー

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C(ド+ミ+ソ)にシ♭を加えるとC7(Cセブンス)、シを加えると、シティ・ポップで多用される陰影のある響きのCmaj7(Cメジャーセブンス)となる。/制作:新建築.ONLINE編集部

井上陽水の「傘がない」で繰り返し用いられる「Am→G→F→E」のコード進行。/制作:新建築.ONLINE編集部

バルセロナのカフェ。都市生態学庁に勤務時、バルセロナでは建築家の視点から都市にデジタルテクノロジーを活用する将来を思い描いた。バルセロナでの心情と風景は、Creepy Nuts×菅田将暉の「サントラ」と結びつき、忘れられないシーンとなっている。/提供:吉村有司

都市生態学庁の自席から見えたビーチ。都市、データ、テクノロジーなどの関連をぼんやりと考えていた。/提供:吉村有司

吉村有司氏(左)とスージー鈴木氏(右)。

fig. 5

fig. 1

fig. 2