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2023.02.28
Interview

犬のための都市/人のための都市

都市とウェルビーイング #3

菊水健史(麻布大学獣医学部動物応用科学科教授)×吉村有司(東京大学先端科学技術研究センター特任准教授)

なぜ都市をデザインするのかという根本の目的を思考する時、吉村有司さんは人びとのウェルビーイングを向上させるためだと指摘します。その時、ウェルビーイングの向上に繋がる具体的な要因とは何かという疑問が浮かび上がります。犬をはじめとする動物の社会認知について研究する菊水健史さんに、犬がもたらす人への影響、ウェルビーイングの関係について伺いました。(編)

犬がもたらすウェルビーイング

吉村 都市・建築分野においてはウェルビーイングという言葉の定義が判然とせず、事例も少ない中で、本連載「都市とウェルビーイング」の前回では、内田由紀子さんにウェルビーイングとはそもそも何かということをうかがいました。今回はウェルビーイングの観点から人と犬の関係について研究されてきた菊水さんに、その一端をうかがいたいと思います。まずはこれまで研究されてきたことを教えてください。

菊水 私は獣医として、犬の行動学、特に犬がもつ社会性について研究しています。そのきっかけとなったのは2002年に発表された、犬の対人コミュニケーションスキルはチンパンジーよりも高いことを明らかにした論文ですHare, B., Brown, M., Williamson, C. & Tomasello, M. 「The domestication of social cognition in dogs」(『Science』298, pp.1636-1639. 2002)。これまで人間の次に高度なスキルをもつのはチンパンジーだと誰もが思っていたのですが、その常識が覆されることとなりました。もともと犬が好きで、いつか犬の研究をしたいと思っていたところにこの論文を知り、そこから人と犬との関係性についての研究を始めました。そこで発見したのは、これまで同種間でしか生じないと思われてきた、絆形成を促すオキシトシンというホルモンが、視線を介することで人と犬の間にも生じるということですfig.1Miho Nagasawa, Shouhei Mitsui, Shiori En, Nobuyo Ohtani, Mitsuaki Ohta, Yasuo Sakuma, Tatsushi Onaka, Kazutaka Mogi, Takefumi Kikusui「Oxytocin-gaze positive loop and the coevolution of human-dog bonds」(『Science』 348, pp333-336, 2015)。オキシトシンは母が子を世話する際などに分泌されるホルモンで、多くの哺乳類がもっています。最近では人の共感性や社会機能を高めるということが明らかになり、注目を集めています。

吉村 非人間的な発想で恐縮なのですが、オキシトシンが信頼関係を紡ぐということが科学的に分かっているならば、それを人工的につくって人に投与することもできるのですか?

菊水 オキシトシンは鼻腔から噴霧して摂取できます。同じ空間に知らない人がいる時に摂取すると会話が弾んだり、仲違いしている夫婦の関係性が改善されるということが知られています。ただ、オキシトシンは本来、見知らぬ誰かとの間ではなく、家族間での絆を結ぶ「家族ホルモン」です。オキシトシンが高い状態では自分の仲間や家族とは親しくなるのですが、身内に対して少しでも危険を及ぼす可能性がある外部の人に対しては、逆に攻撃性に転じてしまうのです。

吉村 決して万能薬なのではなく、ポジティブな効果が得られるように使うには心の状態や周囲の環境を考慮する必要があるのですね。では、犬が人のウェルビーイングに、具体的にどのように寄与するのでしょうか?

菊水 犬が人に与える影響の多くはこれまで、疫学的な観点から語られてきました。たとえば心臓発作で倒れた人のうち、ペットを飼っていない人は1年以内に約3割が亡くなりますが、犬を飼っている人はそれが5%にまで減少します。犬の存在が人の健康に寄与すること自体は分かっていたのですが、そのメカニズムは解明されていませんでした。ですが、オキシトシンは血圧を下げ、腸内環境を整えるといったリラックス効果をもっているので、犬を飼うことでオキシトシンの分泌が促進され、飼い主の健康に寄与することで、結果的にウェルビーイングが向上すると説明できます。

吉村 これまでは感覚的・直感的に気付かれていた事実にサイエンスとしてのエビデンスがのってきたということですね。

菊水 はい、その通りです。また、犬を飼っている世帯では子供のウェルビーイングが向上するということも分かりました。犬が癒し効果をもたらすということももちろんあるのですが、それ以外にも深い要因があると推察しています。協働した東京都医学総合研究所の山崎修道さんたちの研究によれば、子供のウェルビーイングは何に起因するかというと、母親のウェルビーイングです。母親がよい状態だと子供もよい状態になり、母親がよくない状態だと子供もよくない状態になるのです。では、母親のウェルビーイングが何に起因するかというと、父親、祖父母など周囲の人たちのウェルビーイングです。人は社会ネットワークの中に生きていて、そのネットワークの状態が個人のウェルビーイングに影響するのです。だとすると、人と犬の関係を考える時、飼い主と犬という1:1の関係ではなく、家族ネットワークの中に犬が入ることによって生じる関係性の変化に着目する必要があります。犬がもたらす効果は決して飼い主に限定されたものではなく、その周囲も含めて大きく影響を与えるのではないかと推察し、犬を飼うことで家族、地域ネットワークがどう変化し、どうウェルビーイングに影響を与えるかということを今研究しています。

吉村 自然界に生きる生物の捕食関係やわれわれの社会の構成要因など複雑に絡み合った関係性をネットワークで表現することによって、そのネットワーク自体の性質を数理的に扱っていく、複雑系ネットワークという分野があります。僕はこの考え方を建築や都市の分野にも導入しようとしています。たとえば僕がアドバイザーを勤めているルーヴル美術館の部屋同士の繋がりはひとつの巨大なネットワークと捉えることができ、そのネットワークの上を移動する来館者の動きをBluetoothセンサーによって解析しました。そうすることで、これまで多くは美的な観点から語られてきた美術館に、サイエンス的な観点を入れられたのです。先ほどのお話も、ある地域における社会ネットワークの中に犬のネットワークが入ってきて、それをネットワーク分析の枠組みで解析することができたなら、これからの都市デザインにとって新たな知見になりますね。

見えないものまでをよい状態に導く空間

吉村 僕は今、人びとのウェルビーイングを高める都市とはどのようなものか考えています。犬がそのファクターになり得るのであれば、どのような都市像が描かれると思いますか。

菊水 犬が集まりやすい街や犬が飼いやすい街では、人びとのウェルビーイングが高くなると考えています。先ほど犬を飼っている世帯の子供はウェルビーイングが高いということを話しましたが、その子供の口腔内細菌叢を調べると、犬を飼っていない子供とは違うパターンを持っていて、それをマウスに投与すると社会性が高まることが分かったのです。犬が散歩の際に付着させた細菌叢を家の中に持ち込み、床を這いつくばる子供がそれを口の中に入れ、ウェルビーイングを高める細菌叢が構築される。それはつまり、犬が人と自然との橋渡しをしているということです。犬が人にもたらすのは、見て触れて癒されるということだけではなく、人のネットワークに入り込むことで、自然との共生の仕方など、より根源的なことを変えているのだと思います。そうであれば、犬が飼いやすい環境や犬が微生物を持ち込みやすい環境など、人のためだけではない観点からの創意工夫で、人のウェルビーイングを高める都市空間を考えることができるはずですfig.2

吉村 犬を飼いやすいことがつまり、人のウェルビーイングに繋がるというのは大変興味深い視点で、すぐにでも検証してみたいと思いました。地区単位で犬を飼っている人数が分かるデータがあれば分析できるでしょう。そうした地域では歩道や公園が多いなど、建造環境データも合わせて把握できると、犬が飼いやすい都市デザインへの知見も得られそうです。また、これまでの都市デザインで行われてきたような、美学的な観点ではないところから新しいデザインが考えられ、しかもその空間が人びとのウェルビーイングを満たすのであれば、都市に新たな可能性が開けるのではないかと思いました。

菊水 そうですね。人類の長い歴史の中で考えれば、現在の綺麗な都市空間で生きた期間は、ほんの少しに過ぎません。地球にヒトの祖先にあたる原人が出現して約100〜200万年、ホモサピエンスへ進化して約20万年が経っていますが、もともとは今のような整然とした都市空間には住んでおらず、土の中から木の実を掘り出して食べたり、川の水を飲んだりしながら生きてきたはずです。自然の中で生き抜くためのスキルを磨いてきた歴史は遺伝子に刻まれており、それはほんの数百年で簡単に書き変わるはずありません。これまで自然の中で有効活用していたものを遮断し、現代のテクノロジーのもとで合理的に生きることは、遺伝子に刻まれた歴史とは矛盾する営為なのかも知れません。そこで、人の進化の過程の中で何が重要視されてきたかを今一度問い直すことによって、デザインにもいろいろな方向性が生まれてくるでしょう。たとえば今はバーチャル空間でコミュニケーションができ、いずれはその中で触れ合うこともできるようになるといわれています。ですが、先ほどの観点でいえば、触れ合って細菌叢を交換することは絶対にできないですよね。そうした、目に見えないけれど人にとって確かに大事なことを見落とさない空間を取り入れていかないといけないはずです。

吉村 すごく共感できるお話です。現代のテクノロジーと社会への適応、それらに支えられた生活というのは人類の長い歴史で見ればイレギュラーでしかありません。すごく単純化していえば、たとえばわれわれの視覚は森の中で木や動物を見分けるために発展したもので、都市空間でうまく機能するために発展したものではありませんマーク・チャンギージー著、柴田裕之訳『ヒトの目、驚異の進化―視覚革命が文明を生んだ』(早川書房、2020年)など参照。だけど、今を生きるわれわれの社会では現代のテクノロジーや都市空間が当然に存在するものとしてデザインが考えられています。そうではなく、先ほどお話しいただいた細菌叢のように、人や自然がもともともっていたものを活かし、それらの能力を促進させる都市デザインは、おそらく誰もやったことがないのではないかと思います。

菊水 たとえばアフリカの一部の地域では、ウシの糞を壁に塗っています。そうすると、壁から豊富な細菌叢が取り込め、使い終われば肥料にしたり、燃やして燃料にしたりできます。このように、必ずしも人間本位ではない視点からも、新しいデザインにも繋げられると思っています。

吉村 アフリカの人たちが先祖代々、わざわざウシの糞を使ってきたということは、そうした潜在的な効用を感じ取っていたのではないかと見ることもできます。それを科学的に解析すると、ウシの糞と人との細菌叢の交換の仕組みなどの隠された知恵が解明されるという、面白い発見ができるかもしれません。建築・都市の分野でも古くはバーナード・ルドルフスキーの『建築家なしの建築』バーナード・ルドルフスキー著、渡部武信訳『建築家なしの建築』(鹿島出版会、1984年)や原広司の『集落の教え』原広司著『集落の教え』(彰国社、1998年)などが影響力をもっていますが、それらはいずれも先人の知恵を直感的に扱ったものです。われわれのアプローチならそれらを科学的なレイヤーで分析でき、また違ったかたちで先人が育んできた知恵を炙り出せるかもしれません。

菊水 最近は細菌叢以外にも着目していることがあります。日光に含まれるウルトラバイオレットという、ブルーライトよりも短い波長を浴びると、脳の血流が上がり、発達するそうなのですが、この光は蛍光灯からはほとんど出ません。日光が少ないところではうつ病の患者が多く、予防のために日光浴がよいということがよくいわれますが、実は健康に寄与しているのは日光そのものというよりも、ウルトラバイオレットではないかということが分かってきました。結局、人が見えている範囲で分かることは、ほんの一部でしかないのです。見えないものが果たしている役割を見落とし、見えている範囲だけで快適性を求めると、おそらく大事なものを失っていくでしょう。たとえば今は空調もすごく発達していて、30℃を超える室内で過ごすことは滅多になくなっています。ですが、人間の汗腺の量は、幼少期にいかに高温を体験するかということに依存しています。汗腺が多くあると、体温調整機能が高まり、熱中症になるリスクを減らせます。逆にいえば、幼少期に快適な環境ばかりに身を置きすぎると、熱中症のリスクが高まるともいえるのです。

吉村 見えないものをどうデザインに昇華するかということは、今後の都市における大きな課題だと思っています。そうすると、先ほどの話に戻りますが、建築や都市空間も美だけではない視点からデザインする視点が重要になるでしょうし、それを裏付けるために科学が参入する可能性がある気がします。

菊水 人間の進化の中で環境に適応しながら能力を会得してきた過程を想像すると、人と環境との関わりはとても大事なファクターで、環境がよい状態であれば人もいい生活ができるという、相互的な作用が生まれてきていたはずです。人だけがよい状態であるのではなく、環境に生息する植物や動物、微生物までを含めてよい状態であれば、それは人にも還元されるでしょう。
fig.3

(2023年2月9日、オンラインにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

菊水健史

1994年東京大学農学部獣医学科卒業/1995年三共神経科学研究所/1997年東京大学大学院 農学生命科学研究科・助手/2007年4月麻布大学獣医学部動物応用科学科伴侶動物学准教授 /2010年千葉大学非常勤講師/2011年名古屋大学大学院生命農学研究科非常勤講師/2010年宇都宮大学非常勤講師/2013年慶応義塾大学非常勤講師/2009年麻布大学獣医学部動物応用科学科介在動物学教授

吉村有司

愛知県生まれ/2001年〜渡西/ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部博士課程修了/バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年〜東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザー

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菊水氏の愛犬・ジャスミン。犬が飼い主に視線を向けることにより、飼い主のオキシトシンの分泌が促進され、それにより促進された相互のやりとりにより、犬のオキシトシンの分泌も促進される。/提供:菊水健史

菊水氏の愛犬・ジャスミンの散歩の様子。/提供:菊水健史

左から菊水健史氏、吉村有司氏。

fig. 3

fig. 1 (拡大)

fig. 2