2022.11.22
Essay

ラーニング フロム フードトラック

小豆島にフードトラックをつくる #08(最終回)

中村航(Mosaic Design/フードトラックオーナー)

食と都市について研究するFOOD & the CITY研究会。その活動の実践編として、瀬戸内国際芸術祭2022に合わせ、小豆島でフードトラックを作り、実際に営業してみることになった。建築家たちがどのようなことを考えながら企画・設計・制作を進めて行くのか、そのどたばたプロセスの記録。このプロジェクトはどこに向かうのか…?

フードトラックを制作し、営業までやってみようと始まった本プロジェクト。なんとか芸術祭の夏会期・秋会期を乗り切り、関係者の尽力のおかげでかなりよい評判もいただいた。会期限定プロジェクトではあったが、追加出店のお誘いをいただいたいくつかのイベントにも参加し、11月20日の営業をもって一旦完了、無事(?)走り切ることができた。今後の使途については未定なものの、誰でも使えるような汎用性にはこだわったため、活用されるとよいなと考えている(町役場でもキッチンカーを制作する計画があったそうで期待値は高まっている)。

われわれ、FOOD & the CITY研究会としては研究の一環の実践編としての位置づけであったが、実際に営業してみて学ぶことはたくさんあった。

「移動」は意外と楽でない

露店営業では、出店場所を毎回申請せねばならず、基本催事でしか営業できないため、軽トラックを使用した「自動車営業」としたことは小豆島で営業する上では必須だった。

今回、飲食店営業の許可を、軽トラックを使用した「自動車営業」として取得したが、実際に移動するということは、そう簡単ではない。概念としては、トラックで移動して営業し、夕方は別の場所に移動、なんなら買い出しなどもしてしまうということをイメージするが、やってみると実際には不可能に近い。移動するためには、水の入ったタンクを下に下ろし、発電機を積み込み(今回は電源を借りられるところのみでの営業とした)、食材も一度冷蔵庫にしまい、戸締りをして移動しなければならない。営業場所に車を停めたらセッティングを行い、電源を繋ぎ、一度容器に移し替えた油を鍋に入れて温め直すところから始める必要がある。フィッシュ&チップスの下処理とは別に、営業場所でのセッティングに小一時間かかることになる。考えてみれば当たり前のことだが、リアリティを持って感じられるようになったことは貴重な学びだ。

出店を通じて得るコミュニティ

しかし移動がイメージより簡単でないということを差し置いても、移動できるということがもたらす恩恵は大きい。日替わりで場所を変え、さまざまな環境に出店することができるという点だ。この2.5ヶ月で、「小豆島ハウス」前の路地及び草むら、坂手港のきまぐれびーる屋台(クラフトビールの屋台が毎週末開催される)横、坂手みなとまつり、小豆島の玄関である土庄港の観光センター前、役場近くの駐車場、その他ビール祭り、音楽イベント、カフェのマルシェ、といった10カ所以上で環境を変え、営業をすることができたfig.2fig.3。行く先々で新たなコミュニティに触れることができ、アクセスポイントを増やすことで認知を広げてきた。設計にあたり、いろいろな環境で営業することを想定して、左右のどちらからでも料理をサーブできるようにシンメトリーのプランとしたり(そうなっているキッチンカーはほとんどない)、庇や網で環境と接続することができるようにしたりした。それは一定の効果があったが、実際には、いろいろな場所に同じトラックが来る、というアイコンとしての役割のほうが強いと感じた。環境への順応より、移動するアイコンである。移動して拠点を変えるという性質そのものが、動かない建築に比べて、よりアイコン性の重要度を増すことになったfig.4

通行量の選択

オープン当初、週末やお盆を除き、平日の売上はなかなか厳しいものがあった。これも当たり前のことであるが、モノは人がいないと売れない。拠点とする「小豆島ハウス」は、小豆島でも東端に位置する坂手港の近くにある。「小豆島ハウス」は芸術祭の作品として出展していたので、アート作品を目当てに人は来ていたが、それを除くとふらっと通る人はほぼ皆無という立地での出店となり、飲食には厳しい状況だった。さすがにある程度は想定の上で、互いのプロジェクトに相乗効果が出ればよいなどと考えていた(実際フィッシュ&チップスを目当てに来てくれた方が展示を見たり、「小豆島ハウス」に寄った方が注文してくれたりといった効果はかなりあった)が、売上という数字でリアルに見ると、それはやはり周辺の通行量にほぼ比例することが明らかだった。そこで、出店場所や営業時間を徐々に調整すると、徐々に売上が安定していく。売れる時に売れる場所で営業する、ということができるのはフードトラックならではだ。そうこうしているうちに、認知度も上がり、何度もリピートしてくれる方も出始めた。その場で食べるだけでなく、自宅での食事のおかずとして持ち帰り需要も増えた。

オーナーシップとリバースエンジニアリング

このプロジェクトは期間限定ではあるものの、 FOOD & the CITY研究会を代表して僕がオーナーを引き受けることになっていた(自発的に手を挙げた)。通常、建築家はモノができるまでの役割だが、実際にリスクを取って営業することでより詳細な知見を得る、いわばリバースエンジニアリングを試みたわけである。そこで目指したことは、ただ飲食店やキッチンカーをよりうまくデザインできるようになる、ということだけではなく、移動しながらいろいろな都市空間で食を提供し続けることでしか得られない何かを体得しようとした。一方で経営者として魂を売る的な、判断を迫られることもある。例えば、「地元の新鮮な食材を使い、出来立てを提供する」ということの難しさだ。フードトラックで、地元の新鮮な鯛を、揚げたてで、というのは、食材の仕入れや賞味期限、調理時間や一度に揚げられるキャパシティなどさまざまなことがクリアして初めて可能になる。僕らは門外漢だから、当然そういうものを目指したいと思って始めたのだけれど、前述の通り平日の売上が上がらず、週末の売り上げでなんとかカバーする状況だと、もっとイージーなやり方で売上を上げるほうが優先なのではという悪魔の囁きが頭をよぎる。オーナーを引き受けたからこそ、魂が闇に落ちそうになる瞬間だ。揚げたてじゃなくてもよいのではとか、あらかじめつくっておいたものを最後ちょっと温めるだけなら今の2〜3倍の速さで提供できるのではないか、などだ。効率と回転を上げるべきでは?冷凍を使うか(実は本プロジェクトを通じ、冷凍は冷凍で技術が進み、昔ほど悪い選択肢ではないということを知ったのだが)?などだ。結果的には出店場所を整理し、なによりもシェフの本田夫妻の頑張りで魂を売ることなく、本当に美味しい状態でフィッシュ&チップスを出し続けることができたfig.5

それはごく一例だが、そんなことを考え続けたこの数カ月で「オペレーション」に対する感度は格段に上がったと思う。それはまさに、このプロジェクトに取り組んだ真の価値であった。ここで得た成果を元に研究を継続すると共に、小豆島にも定期的に通って次のアクションを起こしていきたいと考えているfig.6fig.7

チームメンバーの小林恵吾さん、宮原真美子さん、制作に携わってくれた早稲田大学及び佐賀大学の学生メンバー、ずっと現場に立って本当に美味しいフィッシュ&チップスをつくり続けてくれた本田義男・美咲夫妻、小豆島ハウスのメンバー、小豆島の方々、新建築社の皆さん、そのほか関わってくれた全ての方々に、この場を借りて感謝いたしますfig.8

中村航

1978年東京都生まれ/2002年日本大学理工学部建築学科卒業(高宮眞介研究室)/2005年早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了(古谷誠章研究室)/2008年同大学博士課程単位取得退学/2007〜09年同大学理工総合研究所助手/2010〜16年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教(隈研吾研究室)/2011年博士(建築学)号授与/2011年Mosaic Design設立/2016〜20年明治大学I-AUD教育補助講師/2018年〜日本大学、早稲田大学で非常勤講師

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中村航

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新建築 2022年7月号
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坂手みなとまつり。「アウトドアダイニング」とキッチンカーが一体となって大きなトラックの様相をつくる。/提供:FOOD & the CITY研究会

小豆島で採れる食材にまつわるエピソードが書かれたプレート。/提供:FOOD & the CITY研究会

島内外の多くの方にご来店いただき、無事芸術祭期間の営業を終了した「TRACK/TRUCK × ata rangi」。/提供:FOOD & the CITY研究会

晴天だった坂手みなとまつりでは、両端を捲り上げた干網がつくる日陰スペースを多くの方が利用した。/提供:FOOD & the CITY研究会

坂手みなとまつりでの出店。/提供:FOOD & the CITY研究会

会期後、「アウトドアダイニング」は解体され、干網は地元の方々に譲渡された。/提供:FOOD & the CITY研究会

「移動するアイコン」としての役割を果たしたキッチンカー。/提供:FOOD & the CITY研究会

fig. 7

fig. 1 (拡大)

fig. 2