このプロジェクトのスタートから企画、形態のスタディをしている段階まで、コロナ禍ということもあり、ずっとオンラインでミーティングをしていたfig.1。東京だけに留まらず、佐賀大学のメンバーをチームに招いたのも、コロナ以降のオンライン時代の研究会の新しいかたちを試したいという野心もあった。
アイデアの議論やリサーチなどが主だった序盤はオンラインでの進行で何も問題なかったが、設計のフェーズになると、肝心のデザインがなかなか進まない。2x2材でこのスパン大丈夫?2mの高さの網の壁はどう見える?など、物質性を伴う設計段階では思うようにいかないものだ。
普段の設計事務所としての活動では、SlackやZoomなどをベースにオンラインで設計を進めることは半ば日常になり、遠方のプロジェクトでも、スタッフがどこにいようとも、問題なくこなせるようにはなってきた。しかしこのプロジェクトのようにセルフビルドで小さいもの(だが決して小さくはない)は、ひとつひとつの部材が全体に及ぼす影響が大きく、また触ってみないと判断できないといったことが頻繁に起こる。そのため、模型レベルではなく1:1の物質(モックアップ)と向き合わないと難しい。頭では、細くてかっこよいと思っていても、実際の長さで出してみると細すぎて危なっかしいということが頻出する。それがものづくりの面白さでもあり、難しさでもある。
そんなこんなで早稲田大学の小林恵吾研究室でモックアップをつくり始めたので、徐々にそこに集まるようになったfig.2。僕や小林恵吾さんと小林研の学生は早稲田大学の研究室から、佐賀大学の宮原真美子さんと宮原研の学生はZoomで打ち合わせに参加する構成ができ上がった。このディテールはどうだとか、この材を何で留めるかとか、網の大きさによって見え方がどう変わるかといった詳細を議論しながらデザインを発展させる。特に今回は簡単に、どこでもある材料で、自分たちで組立てができ、できるだけ容易に設営・解体ができるかという判断が重要で、試したディテールが全体のデザインの判断をどんどん変化させるようなプロセスのため、対面でやるようになって一気にスタディが加速した感覚はあった。
ただ、佐賀大チームとしては依然として画面の向こうの出来事なので、普通だったら取り残されたようになりがちだ。僕が佐賀大チームにいたら内職でも始めていたかもしれない(笑)。が、こちらがホワイトボードに図を描きながら議論したり、モックアップをいじる手元を、手持ちのiPhoneで追う「コデショカメラ」fig.3なるものが考案され、状況はだいぶ改善された。早稲田大学チームのコデショ君が率先してやってくれたからついたネーミングで、宮原さんからは頻繁に「コデショカメラお願い」と声が飛ぶ。Zoomの画面に、固定カメラやiPhoneの画面など、複数の角度から映される映像fig.4でだいぶ理解が深まったはずだ。
それだけでなく、佐賀大学チームも同じ素材を取り寄せてモックアップをつくり始めた。早稲田大学チームが構造や架構を検討するのに並行して、干網の取り付けや接合方法、網内部の展示スタディなどを進めてくれていた。その時は、ふたつの研究室の物理空間が、オンラインで本当に繋がっていたといっても過言ではない。まるで、アポロ13号の事故発生時にNASAがシャトル内にある部材のみを集めて環境を再現したかのようだった。(これが今日におけるメタバースやデジタルツインといった概念の元となったといわれている。)
そうやってあの手この手で培われた組織形態fig.5は、現場に入っても生きた。ホームセンターで何かを買う時にリアルタイムでチームのSlackに連絡が入り、僕がしばらく現場を離れなければいけなかった時期も、現場での組立て写真に建具の取り付け方がスケッチされたものが届き、いやこうではないか、とスケッチを返す、などのやりとりfig.6が続いた。
学生たちは、大学院生ということもあり、皆非常によい仕事をし、短期間で急成長してくれた。たとえば初日に電動丸鋸を購入し、最初こそみんなで端材を切ったりして練習fig.7したが、すぐに習得し、その日の夕方にはプロさながらのカットを見せるようになる。網の留め方も現場でつくりながらさまざまなスタディが行われ、ほぼ全員が網を巧みに操る網職人fig.8と化した。
そうやって毎日学生たちが道沿いで作業をしていると、なんと徐々に差し入れをいただくようになった。フィッシュ&チップスをつくってくれているホンダさん夫妻から試作品fig.9が届いたり、漁港の方から差し入れが届いたり、近所で栽培している野菜を届けてくれたりfig.10する。オープンしてからも、買いにきてくれる人の多くが「若い子がみんなでつくっていたアレでしょ」と認識してくれていて、意図せずに、絶好の宣伝となっていたのだった。ぼんやりとした組織が困難を糧に徐々に成長し、地元のコミュニティと接続し始めた瞬間だった。