建築の風景の記憶
太平洋と湿原に挟まれた釧路という港町で僕は生まれ育った。夏の濃い海霧。遠くに鳴り響く霧笛。海に沈む夕陽が描く、鮮やかな橙と紫のグラデーション。都市の背後に延々と広がる湿原。すべてが凍てつく冬。”ほかのどことも似ていない街”。
釧路のウォーターフロントを印象づける港の複合施設、「釧路フィッシャーマンズワーフ」(日建設計(北海道日建設計)・毛綱毅曠建築事務所共同企業体、『新建築』8909)fig.1。海辺の風景が集合したような、カラフルで賑やかなファサードがfig.2、河口に沈む夕陽を受けてざわめき立つのが美しかった。トップライトの光が差し込む吹き抜けの周りを、ぐるぐるとスロープであがるfig.3fig.4。よく立ち寄った古着屋や雑貨店、当時は大人びて見えたカフェやレストランが詰まったそのスロープは、キラキラしたもうひとつの都市だった。
チャシアイヌの遺跡が残る春採湖の近くに祖母の家があり、祖母や家族とよく湖畔を散策した。散歩道の終点、湖を望む丘の上に「釧路市立博物館」(毛綱毅曠建築事務所、『新建築』8405)fig.5がある。遺跡とも宇宙船とも思える佇まいfig.6。一度中に入ると異世界に迷い込み、二度と外の世界に戻ることができないような緊張感。真っ黒に塗りつぶされたような闇の中に、マンモスの骨格標本や巨大なクジラの顎骨、動植物の標本、アイヌの美しい着物や漁具が光を受けて浮かんでいた。ずっと昔にタイムスリップしたような、時間が止まった世界に足を踏み入れたかのような不思議な高揚感に包まれたそこは、特別な場所だった。記憶の地層のように重なる展示スペースを、二重螺旋の階段で行き来するあの興奮は色褪せないfig.7fig.8。
魔界の建築で撃たれた都市
建築を学ぼうと決めたのは、実は毛綱毅曠さんの影響ではなかった。毛綱さんの建築は自分の日常の一部に溶け込みすぎていて、取り立てて対象化していなかったのだと思う。大学で学んだことは膨大だが、僕は特に、相対的に小さな建築がいかにして外側のより大きな環境へ働きかけられるのか、関係をもてるのかということをさまざまな角度から学んだように思う。ただ当時、研究のメインフィールドは東京という都市環境であったから、卒業設計ではその応用として、自分が生まれ育った釧路では何が建築をつくる枠組みに成り得るのか考えようとしたfig.9。改めて向き合ってみた”ほかのどことも似ていない街”にある建物は、環境とは無関係に存在する、ひどく凡庸なものに感じられ、そのことが歯がゆかった。この街で起こる自然現象の中で人びとが集まり、豊かな時間を過ごせる空間をつくろうと、釧路の幻想的な美しさを劇的に引き出しつつ、そのミステリアスな風景に飲み込まれずに対峙するような建築を目指して奮闘したfig.10fig.11。釧路の風景に負けない建築とはなかなか気合いがいるな、と思ったこの時はじめて、力強い風景に挑もうとする時に必要となる建築の”異質な存在感”に気がついたが、それはまさしく毛綱さんの建築群と釧路の風景の間で起こっていたことではないかとハッとした。その時から、釧路の毛綱建築は僕にとって再び特別なものとなった。この卒業設計での気付きは、後の「仁井田本家 米倉庫/酒蔵の建築群」(『新建築』2211)fig.12や「O project」(『新建築住宅特集』2105)fig.13などの自身の実践へと繋がり、それらを総括した論考がある宮城島崇人著「異物は風景になる 社会と住まいを考える21」(LIXILビジネス情報、https://www.biz-lixil.com/column/urban_development/sh3_review001/)。
毛綱さんは「魔界の建築で都市を撃つ」(『新建築』8405)という記事の中で、釧路での実践を「いままでの環境に対応するだけの都市建築ということではなくて、異次元だとか他界を都市の中心にもってくることによって、新しい都市のへそをつくる」と語っていたことを後で知った。釧路で暮らし、都市の中に引き込まれた異界の気配を感じ取っていたのは、決して僕だけではないはずだ。
建築群が与える輪郭
釧路とは、ミステリアスな環境と、毛綱さんが要所に刻みつけた建築群(彼はそれを結界とか、碁とかいった毛綱毅曠著「魔界の建築で都市を撃つ」(『新建築』8405))がオーバーラップした世界といってもいい過ぎではない。ただその要所とは、いくぶん地形的特徴や歴史的な背景があったとはいえ、果たして本当にそれだけだろうか。毛綱さんの建築が環境を逆照射するように、その場所を要所へと再構成していった結果なのではないか。
釧路のウォーターフロントは、「釧路フィッシャーマンズワーフ」と「釧路キャッスルホテル」(同、『新建築』8805)fig.14が輪郭を与え、「釧路市立博物館」と「釧路市立東中学校(現幣舞中学校)」が春採湖畔に輪郭を与えた。輪郭を与えるとは、漠然としたものごとを組織化して、ひとつの存在として認識できたり、そうすることでその存在に対して感情を抱いたり、何かを考えたり、関係できるようにすることだ。その建築がなくなってしまえば、そこは魔法が解けたように何でもなくなってしまう。僕はその魔法みたいな建築の力を信じている。環境の中に生まれ、環境に飲み込まれないからこそ環境を鼓舞でき、世界に輪郭を与える力。今ここにありながら、遠くの時間や、地続きの遠い世界の存在を感じさせる力。自分たちの生きる環境を、建築をつくることを通して築いていく力。今僕は、自らが率いるチームで、さまざまな環境を相手に建築(群)をつくることを通して、どうやったらその環境をより豊かでインタラクティブなものにできるのかを考え、試行錯誤する毎日を過ごしている。時に迷いながらも進んでいけているのは、きっと僕がその力の目撃者であるからだろう。