1990年代後半の日本経済は、上向く兆しすらなかった。就職を目の前にした僕らは、銀行や株、通貨も、信用という名の虚構であったことを痛感していた。そんな時代にあって、ポストモダンの建築家たちによる「すべてはフィクションに過ぎない」という達観的でシニカルなデザインは空虚だった。それに僕は、数年前にカルトの虚構が富士の裾野で突きつけた事実、すなわち「倉庫とヘッドギアがあれば建築などなくてよい」という割切りにも苛立っていた。そして、その痛みや苛立ちを麻痺させるように、物質性や身体性、場所性、さらに時間性や歴史すらも消去し、虚構や物語をもち得ないほど漂白されたガラス張りの建築群が建築界を鎮静していくのを見て、僕は「違う、そうじゃないんだ」と呟いたのだった。
かつて建築は連帯のためにつくられ、人びとが信じるにたる物語を編んできた。それを積極的に引き受けて、僕はどうつくるのか。「今必要なのは、人びとがそこに確かにあると実感できて、それを共に紡いでいけるような、リアルな物語をつくるための建築論だ」。そのような考えのもと、建築の演劇性をテーマとする修士論文を書いた。「ホーキング博士の家」という、身体拡張住宅を卒業設計とするなど、僕にとって身体と建築の関係は昔から、そして今も通底するテーマだが、そこに自然を重ねることで、人びとが信じ得る物語を編むことができないか。そんなことを考えていた大学院2年目の夏に、「蕣居」(『新建築住宅特集』9807)fig.1に出会った。
自然現象とふるまいが相関する建築
蕣とはアサガオの旧漢字で、12枚の花びらのような鉄板同士を、蕾のように束ねた建築だ。鉄板の間にはサッシがはまっていて、その枠と兼用した束材と結束ロッドという極めてシンプルな材だけで、フープ効果を生み出すトラスを発明している。そして鉄の外観とは対照的に、内部は吸音や断熱性に優れた桐材が曲面追従のために厚さ6mm、幅40mmの本実で張られているfig.2fig.3。設計者の齋藤裕氏はこの木目や色、質感を統一させるために、素性も育ちも同様な桐の山を、設計に先行してひと斜面買ったそうだ。
このような齋藤氏のあくなき探究や圧倒的センスにも心惹かれるのであるが、自分自身の設計手法確立のきっかけとなったのは、この建築がもつ空間と自然現象と、ふるまいの相関であった。半地下に降りるエントランスは、この建築の物語への没入感を一気に高める。暗く天井の低い地中に潜り、そこから光と空気を求めて浮かんでいく。このようなアプローチは外敵の侵入を防ぐ動物の巣に見られるが、これによって心は俗世から切り離される。上部にはドゥオモのような屋根が面発光し、人を光で包む。ドゥオモの屋根が空を意味したように、この建築には”空”がある。
齋藤氏は朝型の生活スタイルの施主に合わせて、花弁の重ね方を朝日が差し込む向きにしたそうだ。「ベッドから起き出した家人は1階の居間へと降りていくが、階段は東側に設置してあって、上部からの朝日が階段にもこぼれている。メシベのセンサーのように、光を空間が受け取り、それを住人が感知し、頂部の明るいところから1日がはじまってだんだん下へと降りていく」『新建築住宅特集』9807より。。施主が目覚め、アサガオの花弁のような柔らかなカーブに沿って階段を降りる。この建築固有のふるまいに朝日が纏う光景を想像してみてほしい。建築空間に起きた自然現象とふるまいが一致した時に、壮大なドラマが生まれるのだ。
齋藤氏の都市住宅には外部に対して閉じた中庭型の空間が多い。中庭に外光が入り込んできて、多角形のガラスに複数の反射と透過を繰り返すことで空間が刻々と変化する。「“るるるる阿房”中村錦平邸」(『新建築住宅特集』8104)、「百日紅居」(『新建築住宅特集』9604)fig.4fig.5に続いて「蕣居」は円形の中庭を頭上に頂き、目眩く光と影の物語が編まれる。「百日紅居」で齋藤氏は、「夜は家の内側、つまり筒の中からだんだん明けていき、朝は家の中心からやってくる」齋藤裕著『齋藤裕の建築』(TOTO出版、1998年)より。と語った。中庭の中で太陽や月が昇り、巡る。天体の壮大な運動を外から眺めるような宇宙的感覚。それは瞑想のうちに、森羅万象を俯瞰する感覚に似ている。
建築構成が固有のふるまいを引き出し、それを自然現象が祝福する。そのような建築が没入や臨場感、共感をつくることに、齋藤氏の一連の作品が気づかせてくれた。それは僕の「狭山の森礼拝堂」(『新建築』1407)や「狭山湖畔霊園管理休憩棟」(同)、「オプティカルグラスのリヤド」(『新建築住宅特集』2011)や「虹を探す家」(『新建築住宅特集』1606)などの光学ガラスの光の現象を用いた作品の設計にも、確実に繋がっている。