建築家としてのきっかけの建築
山田 私が「きっかけの建築」としてまず思い浮かべたのは、藤本壮介建築設計事務所の「T house」(『新建築』0505)fig.1fig.2です。アメリカの大学に短期留学し、ランドスケープデザインの勉強をしていた時、図書館にあった日本の現代住宅を特集する本の中で見つけました。単純な形式を使いながらも、体験的な空間が魔法のように生み出されているのだと衝撃を受けました。写真とラフな図面を見ただけでも、藤本さんの設計過程の試行錯誤が思い浮かび、とても楽しそうだと感じたのです。それまで現代建築の空間を体験することはあっても、それを自分の手によってつくることはまったく想像していませんでした。というのも、建築がつくられる過程をまったく知らなかったからです。しかし「T house」を見た時、その形式の明快さ、オープンな設計に、自分にもできる何かがありそうだと感じました。当時少しずつ興味が湧いていた建築の道へ進むきっかけとなる経験でした。髙橋さんのファーストインパクトとなった建築はどのようなものだったのでしょうか。
髙橋 僕が「建築」を知った最初の記憶は、篠原一男さんの「東京工業大学百年記念館」(『新建築』8801)fig.3fig.4との出会いです。実家が近くで、小学生の頃、よく自転車に乗って工事を見に行っていました。足場の囲いの上に半円形のシリンダーが顔を出した時、まるでこちらへ語りかけてきているようで驚きました。向かいにあったスーパーで母の買物へ付き添った帰りに、「あれはレストランではないか、きっとそれがいい」などと話しました。中には入れませんでしたが、それでも外観の迫力に惹き付けられ、一体どうなっているのだろうと想像を掻き立てられました。寺社建築にも似た特性がありますが、建築物の外観は建築の価値を世間一般へ表明するうえでインパクトをもつのだと、経験として刷り込まれました。
山田 建築学科に進もうと思ったのはいつですか。
髙橋 高校の頃です。文系・理系のどちらかを選ぶこと自体が不条理だと思う一方、美術に進むのも親族に反対され、そのうちに建築学科の存在を知りました。どこかの大学が学科紹介のビデオテープを貸してくれ、実家のリビングでいろいろな建築の映像が流れるのを見ていたら、突然背後に立った母が「あなたはこういうのが似合うからやりなさい」と呟き、そこで「東京工業大学百年記念館」の記憶が戻りました。近所にはほかにも「東玉川コンプレックス」(『新建築』8309)や、設計者の分からないコンクリート打放しの家も建っていたので、それらが「建築」というものを教えてくれたという感じです。山田さんの場合は、「T house」をきっかけに「建築」を体感したということですね。
山田 逆にいえば、それまでは建築を設計するということに対して、まったくピンときていませんでした。どのように設計されるのかまったく知らなかったし、そもそも硬いものや尖ったもの、重たくて運べないものは自分に扱えるわけがないと思っていたのです。「T house」にはそれとは違う、自分でも扱えると思わせてくれるような柔らかさを感じたのかもしれません。
──建築学科に進んだ後に影響を受けた建築はありますか。
髙橋 「せんだいメディアテーク」(『新建築』0103)fig.5には、建築の可能性と同時に限界を知りました。東北大学に在学中は、菅野實・小野田泰明研究室で竣工前からこの建築に関わっていました。可能性というのは、コンペで提出された模型の、抽象的で透明感のあるイメージの世界、建築家の想像力による無限の可能性です。他方で、建築物としてはこれらを現実のものとして敷地内に切り取らねばならず、「せんだいメディアテーク」の中に生命を吹き込むものとして考えられたチューブは、耐火上の観点からガラスサッシで覆われましたfig.6。つまり建築家は、自らの想像の世界を現実のものにするために、その限界とも付き合わなければならない。こう表現すると絶望的なことのようにも感じられますが、僕はこのプロセスにこそ建築創造の本質があるのだと思いました。
山田 学生の時、「せんだいメディアテーク」の現場監理を担当された松原弘典さんに話を聞く機会がありました。そこでも伊東さんの最初のビジョンと、実際に建ち上がったものに差が生まれたことに言及されていましたが、印象に残ったのは、その過程の中で新たな可能性が生まれ、当初とは別の観点から建築が肯定されていったということです。たとえ最初の青写真がそのまま実現せずとも、それを現実に落とし込む過程で異なる可能性が見出されるというプロセスをポジティブに捉え、私もそうした作業に関わってみたいと思いました。藤本壮介建築設計事務所に入所して、「House Na」、「House OM」(『新建築』1012)、「House H」 (『新建築』0912)などさまざまな住宅のスタディから竣工までを間近で体験することができました。模型や図面を通して想像していたものが、現実のものとして立ち上がっていくことが純粋に楽しかったし、スタディの時に見ていたビジョンや可能性が、竣工後微妙にずれながらもより広がっていくような感覚を覚えました。髙橋さんは最初の作品が竣工した時、どのように感じましたか。
髙橋 西沢立衛建築設計事務所で担当した「森山邸」(『新建築』0602)fig.7が、携わった最初の建築物です。当時は記憶があまり残らないほど必死でしたが、多分スタディしながら想像していた通りに建ったという気がします。
山田 「森山邸」はメディアを通して何度も見ていたので、当初は図式的・形式的な建築だと捉えていたのですが、実際にリアルスケールで体験すると、部屋と部屋の間の庭のような場所から、水平にも垂直にも、時にはボリュームの開口を通して視界が斜め方向に抜ける感覚を強く抱き、図面とのギャップを感じました。設計者としてはすべて想像の範囲内だったのですね。
髙橋 設計したものが実際に立ち上がることのリアリティを真に受けたという意味で印象に残っているのは、担当ではありませんが「ウィークエンドハウス」(『新建築住宅特集』9811)fig.8です。事務所1年目にとある用事で一泊しました。中へ入るとまず、事務所にあった実施図面を読み込んでいた時の想像よりも大きいと感じました。木造で、細かなグリッドによる柱が落ち、天高も低めに抑えられているのですが、実際の寸法より広く感じたり、ガラスがやけに反射したりと、住宅には見えず、むしろ神殿のような印象を受けたのです。図面だけでは感じられない身体感覚が生まれていて驚きましたfig.9。図面や概念を通して建築を考えることと、実際に建つことの間を繋ぐリテラシーという、建築家に必須の素養を学んだ最初の経験でした。
山田 私はそのリテラシーを、経験を通して身体的に学んだのかもしれません。その後は「Tokyo Apartment」(『新建築』1005)や「武蔵野美術大学 美術館・図書館」(『新建築』1007)などが竣工しましたが、事務所内でああでもないこうでもないと実直に議論を重ねても、でき上がった建築は嘘みたいにあっけらかんと、楽しげに敷地に立ち現れる。そうしたプロセスの往復に楽しさを覚え、自ら建築を構築することのリアリティを得ていきました。
第三者の経験に向き合う
──これまでのお話を伺っていると、鑑賞者として体験した建築の記憶は、出会う時期や時代背景など、複合的な要因によってその人固有のものになるのだと実感しました。一方で、設計者としての建築との向き合い方は、鑑賞者の視点とは決して重ならないのだとも思いました。だとすると、設計者は第三者による建築の経験にどのように向き合えばよいのでしょうか。
山田 人は幼少期からそれぞれ異なる経験を積み重ねます。ひとつの建築でも、その見られ方は鑑賞者のこれまでの経験によってまったく違う認識がされる。他人の認識はコントロールできない以上、概念は設計者として構築しつつ、竣工後どう捉えられるかはお楽しみに、自由に捉えられるようにしておくとするしかないのだろうと思います。
髙橋 どう経験されるかを意識して設計しても、それはあくまで設計者の主観でしかありません。でも、それでよいと思っています。設計者個人の感性を訪れるようにして、街や建築を経験できる方が面白い。それがより多くのひとりひとりの共感を得られたらいいと思って設計しています。
山田 髙橋さんが手がけている「霞ケ浦ふれあいランド再生整備計画」(2023年竣工予定)のパースはすごくシンプルに描かれていて、見る人の認識を固定しないように意識されているのだと感じましたfig.10。
髙橋 おっしゃる通りです。受け手の印象に関することを伝えるのではなく、つくる側の意思だけを示すという感覚です。ここでは、既存の建物にコンクリートの構築物が巻き付き、その内外に動物がいるという形式だけを描いています。その方が、見る人の想像を掻き立てるのではないかと。
山田 面白いですね。普通はもう少し体験的なシーンを描くのではないかと思います。
髙橋 ですが、このドローイングは形式のみを伝えるものにはなりきれていません。自分がこの建築に対して目論んでいる魅力を同時に伝えないと、提案として伝わらないからです。たとえばスケールを伝えるために人や動物を描いていますが、すると今度はここでの体験の魅力を設計者が定義してしまうことになります。それはある種の詐欺行為になるかもしれません。このプロジェクトは特にそうなのですが、僕自身も実際にどうなるかよく分かりません。だから、僕自身のモラルの問題としても、パースによって伝えるものはなるべく形式だけに留めようとしました。モノとしてのリアリティは、ドローイングとは別のリアリティをもち、体験した時に初めてわかることですし。
山田 そこでの体験も含めて、利用者の認識を一義的にしたくないのでしょうか。
髙橋 そういうことになります。少なくとも僕にとって、ドローイングは建築の形式というか、構成原理を示すだけのものです。多くのドローイングにはそれなりの形式性があると感じていて、そこに作者の考え方が潜んでいます。ザハ・ハディドの初期のドローイングも一見すると渾沌としたグラフィックに見えますが、形式性を感じます。いい換えれば、ドローイングはそのプロジェクトの本質を自分で見つめ直したり、相手へ伝えたりするのによい方法です。たとえばレストランのメニューは、食べる前に料理を想像するためのものという点でドローイングに近いです。特に文字列だけの中国料理のメニューはシンプルで、ご飯を炒めたものは「炒飯」、青椒(ピーマン)と肉の絲(細切り)は「青椒肉絲(チンジャオロース)」というように、調理法や原理だけで表現されています。そして、同じ表記でも料理人や地域、食べる人の感覚によって異なる味(体験)になります。ドローイングによる情報伝達でも、そういうプロセスが自然ではないでしょうか。そのように、形式性をクリアに示すことで、相手の想像を呼び起こすということをずっと意識してきました。でも、形式だけが強く伝わると逆に一義的になってしまうので、その加減を毎度調整しています。
最近は山田さん「miyazaki」(『新建築住宅特集』2211)のドローイングも研究しましたfig.11。コラージュのようで、エキセントリックな色がたくさんついていますね。
山田 個性的なかたちや色を持つモノがポツポツと浮かぶように置かれていて、住人がその時々にモノを繋ぎ合わせながら生活するというイメージでコラージュをつくりました。私たちもドローイングを描く時、実際に見える風景を正確に伝えるというよりも、モノや場のあり方はどうあるべきなのかを探りながらコラージュしているようなところがあります。髙橋さんの形式をクリアに示す、という話に近いものがあるかもしれません。ある程度ドローイングで示したイメージ通りに設計できたと思ったのですが、実際に立ち上がると写真がドローイングと違うという声が聞こえてきてびっくりしました。ドローイングではあくまでも建築の住み方をイメージしたので、完成予想図として捉えられるとは思っていませんでした。
髙橋 でも、大体の人はそう見てしまうと思います。
山田 それはもう仕方ないと思っています。だからせめて、リアルに描かないようにしています。商業建築や公共建築では完成予想図としてのパースを求められることもありますが、そうしてリアルなものをつくると、第三者だけでなく、自分達の視野まで狭めてしまわないかと思います。事務所では、設計を続けている間、さまざまなスケールの模型、ドローイング、3Dモデル、2Dの図面を行き来して、自分たちの思考の抽象性を保っています。
髙橋 建築の認識や表象性についてはポストモダンの時代に盛んに議論されましたが、今は状況がもっと多様化しています。皆が車に乗り始めた時代には、その視点に対応するような記号性の高い建築が生まれましたが、そうした両者間の相互認識を信頼し過ぎると、消費という状態になっていずれは両者とも消えるように感じます。それでは虚しいので、相互認識という循環から離陸してつくらなくてはなりません。そのためにも、相互性の世界よりも外側にある視点から設計することや、もしくは設計者自身が設計プロセスに対し、いかに外的な存在となり得るか、を考える必要を感じています。
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(2023年2月13日、山田紗子建築設計事務所にて。文責:新建築.ONLINE編集部)