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2023.02.15
Essay

建築から遠くない建築ではない何か

きっかけの建築 #1

津川恵理(ALTEMY)

建築家の方々に、人生において何かのきっかけとなった建築と、そのエピソードを伺う連載企画。第1回は津川恵理さんに、「ハイ・ライン」(『a+u』1005、1110、1906)と「三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」(『新建築』0602)を紹介いただきました。(編)

建築学科に所属していた大学生時代から、私は建築にどこか違和感を覚えていた。大学では計画・構造・環境などを総合的に考え、巨大な物質を立ち上げることを習った。しかし当時の私は、建築は物質を越えた概念や思想の中に存在しているのではないかと感じていた。物質的な建築よりも、建築が存在することでどのような事象や経験、概念を生むのかという非物質的な影響に関心があった。行きたい就職先もなかなか見つからない一方で、ダンスなどの身体表現や衣服など、自身の興味に没頭し、設計課題に全力で取り組むことが出来ずにいた。
身体表現や衣服への興味は幼少期からあった。人の内側の感性が非言語的に表れていることに魅力を感じていたからだと思う。そしてそれは単に表現で終わらず、人と人の「間」をつくっていることに惹かれた。身体表現や衣服は、他者から見られることを意識している。他人同士が共生する社会で、身体表現や衣服などの非言語的コミュニケーションは、他人の感性にダイレクトに繋がれる美しい手段だと感じていた。建築でもそうした人と人の間、人と何かの間をデザインすることができないか、そんなことをずっと考えていた。

場所への応答が表現される場

大学院へ進学する前の春休みに、ニューヨークへ旅に出た。『a+u』2011年10月号のマンハッタン特集を手にして、誌面の地図に記載のある建築を片っ端から見て回った。好きなことに没頭するエネルギーを、建築にも早く見出したいと焦っていたからか、自分を掻き立てるような建築に出会えないか、必死だった。多い日は1日で10以上の建築を見た。
最も衝撃を受けたのは、「ハイ・ライン」(『a+u』1110)だfig.1。高架鉄道路線の利活用という特異な文脈ではあるが、マンハッタンをマンハッタンたらしめる、ほかでは見ることの出来ない景観がそこにはあった。窓も扉も屋根もない、2.3kmに渡るインフラであるにも関わらず、私にとって「ハイ・ライン」は建築そのものだった。周辺のビルとの距離感が場所ごとに緻密に設計され、歩けば1時間半ほどかかるリニアな場所でも変化に富んでいる。何よりもそこに滞在する人びとが、各々「ハイ・ライン」に感化されている。ファーニチャーにもたれて寝る人や、リビングのように靴を脱いで本を読む人fig.2。インフラという土木スケールに飲み込まれることなく、滞在している人の数だけ場所への応答が表現されていた。それが何よりも、私が求めていた建築の状態だった。
こうして、私が目指したい建築へのヒントは、建築に近いが建築ではない何かにあるのではないかと考えるようになった。アート、映画、ファッション、ダンス、社会現象、メディアなど、日々飛び込んでくるさまざまな文化に対し、建築に応用できる何かを常に探るようになった。

身体を試す環境

そして大学院生になり、身体と環境を繋げて考える作家たちを探しては、自分の興味と建築が結ばれるかもしれないと期待を抱くようになった。特に、荒川修作やイサム・ノグチの思想に共感を覚えた。「三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」(『新建築』0602)fig.3に訪れた際は、身体に訴えかけてくる強い空間構成に圧倒されたことを、今も身体が覚えている。建築はこうもなれるんだ、と自信をもらえた気がした。通常、建築は使いやすさや安全性を考慮して人(身体)に合わせにいく。S、M、Lという規格によってサイズ展開された服も同じかもしれない。しかし、荒川修作の建築はまったく人(身体)に合わせにいかない。むしろその逆である。洗面台の前は斜面になっていて、靴下を履いていれば滑るし、裸足なら指で踏ん張るだろうfig.4。床の凸凹では、足のサイズが凹みにハマる人もいれば、お尻がハマる人もいるだろうfig.5。球体の部屋では、曲面に合わせて寝る人も座る人も蹲る人もいるfig.6。その室内に居るだけで、身体を環境にどう宿すのか考えざるを得ない状況が用意されている。私達人間が試されているような場所だった。気がつけば、住宅に滞在している人のふるまいは、無意識下で表現の連なりになっていた。一緒に訪れた人は皆、別々の場所で別々のポーズを取っていた。「あの人はあそこでそんな姿勢で座るんだ」「であれば、私はあそこに行ってこういうことをしてみよう」と、他者の表現を感じてまた自分もまた表現するといった、不思議な関係が生まれていた。現実世界の偶発性と、他者と共存する価値が入り混じるその場に、私はとても惹かれた。

現代はデジタル技術の進化と共に、バーチャルへの空間拡張やリモートが発達し、コロナ禍も重なってそれがより一層加速している。人びとの価値観も、SNSによって以前より細分化された。都市はこのままでよいのだろうか。生身の感触や身体感覚をより一層大事にし、現実世界のハプニング性や、それらの偶然から起こる事象がもっと浮き出てくるような空間構成が、都市や建築にこそ必要だと感じている。これからの新時代に備えて、今までとは違う思想を含んだまだ見ぬ建築を諦めずに目指したい。そのためのヒントが潜む「建築から遠くない建築ではない何か」から、私はいつも希望をもらっている。

津川恵理

1989年兵庫県生まれ/2013年京都工芸繊維大学造形工学課程卒業/2015年早稲田大学創造理工学術院修士課程修了/2015~18年組織設計事務所/2018~19年文化庁新進芸術家海外研修員としてDiller Scofidio+ Renfro(New York)勤務/2019年ALTEMY代表として独立/2020年~東京藝術大学教育研究助手/2021年~東京理科大学非常勤講師/2022年~早稲田大学非常勤講師

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a+u 2011年10月号
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「ハイ・ライン」(『a+u』1110)/提供:津川恵理

「ハイ・ライン」(『a+u』1110)

ファニチャーにもたれて寝るなど、人びとが場所に応じてふるまっていた。/提供:津川恵理

三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」(『新建築』0602)/撮影:新建築社写真部

三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」(『新建築』0602)

バスルーム。/撮影:新建築社写真部

三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」(『新建築』0602)

リビング/ダイニングの床は湾曲し、さらに凹凸が付けられている。/撮影:新建築社写真部

三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」(『新建築』0602)

球形のスタディより見る。/撮影:新建築社写真部

fig. 6

fig. 1 (拡大)

fig. 2