西欧文化とキリスト教という構図の中で、どのように建築思想が生まれ、育っていったのだろうか? 信仰心の薄いこれまでの自分にとっては、あえて興味から外してきたことであった。
中世初期に北欧各地でキリスト教化が進む頃、ガムラ・ウプサラはスウェーデン王の墳墓が残る場所として異教文化を保ち続けていた。12世紀にキリスト教化が完了し、墳墓に連なった場所に教会が建てられることで、そこには独自の歴史を語る風景が生まれたfig.2fig.3。
建築家が建築を考える上で、何ものにも支配されない強い心と、あらゆるものを受けとめる広い感性をもち得たとして、信者のひとりとして宗教建築に携わった建築家は、建築家であり続けられるのかという疑問を以前からもっていた。しかしそれはアントニン・レーモンドの「新発田カトリック教会」(1966年)を体験し変わり始めた。質素な装飾や色彩などすべてにレーモンド夫妻が関わり、冬の日本海独特の灰色の空と馴染み、市街地から田園まで続く、重く切ない風景をつくり出していた。
今回の舞台も、灰色の空と雪を覆った平原が重なり合い、重い世界が続いていた。シュラフをたたみ、遅い夜明けをじっと待ち続けた。旅の途中、そこに住む人びとと違う風景が見えることが時々ある。それは、現実と切り離された時間の流れを感じる風景である。ちらほらと犬の散歩に訪れる住人が見えだした頃、ガムラ・ウプサラは静かに遅い朝を迎えた。生活の音が聞こえ始めるころ、心は現実に戻ってきた。
■旅のデータ
国・市・村 スウェーデン王国ウプサラ市ガムラ・ウプサラ
人口 約13万人
交通手段 ストックホルムの北79kmの地点。ウプサラ中央駅まではバス、鉄道にて移動。駅からガムラ・ウプサラ行きの市バスあり。または徒歩5km。
(初出:『新建築住宅特集』0605)