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2023.08.07
Interview

余白から表象を広げる推し活

都市とエンターテインメント #5

久保(川合)南海子(愛知淑徳大学心理学部教授)×吉村有司(東京大学先端科学技術研究センター特任准教授)

エンターテインメントからこれからの都市のあり方を模索する連載。第5回は推し活に着目。近年熱狂的なファン行動として注目を集める推し活ですが、それはそもそもどのような行為を指すのか。そのメカニズムから都市の新たな可能性を見出すことはできるのか。認知科学分野で提唱されるプロジェクションという概念から推し活を研究する久保(川合)南海子さんに伺いました。(編)

外界への働きかけを促すファン行動

吉村 推し活とはどのような行動を指すのか、着目された背景と共に教えてください。

久保 推し活は近年、一般的な用語になるまでに浸透しましたが、いまだ定まった定義はありません。私は、何かの対象を受け身的に愛好するだけではなく、何かを愛好することによって能動的な行動が促されるファン行動のひとつとして推し活を定義しています。推し活は文化や経済活動として、あるいはサブカルチャーの文脈としてなど、多様な研究がなされており、中でも私は認知科学分野で提唱されているプロジェクション・サイエンスという切り口から研究しています。

吉村 プロジェクションとはどういう概念を指すのでしょうか?

久保 プロジェクションとは、2015年に認知科学者の鈴木宏昭先生によって提唱された概念で、物理世界の情報を処理してある表象を構成し、そこでつくり出した表象を再び外界に重ねて世界をとらえ直す一連の心の働きを指します。私はこの概念を知った時、これは推し活を通じて経験してきたことそのものではないかと思い、それが本格的に推し活を研究するきっかけになりました。

吉村 推し活とプロジェクションは、具体的にどう関係しているのですか?

久保 人は物理世界の情報を処理して生きていますが、それは人が生きる世界の半分でしかありません。もう半分には、その情報からつくり出した表象を再び物理世界に投射し、自分で意味づけた世界がありますfig.1。人はその両者を重ねた世界を生きているのです。よく考えれば当たり前のことのように思われるかもしれませんが、実は鈴木先生が提唱するまで、このプロジェクションという概念は学問的に確立されていませんでした。推し活とは、対象から生み出した表象によって物理世界を自分なりに意味づけ、行動に移す活動です。たとえば推しの対象のイメージカラーのグッズを身につける、ゆかりの地を訪れるというのは、推しを通じて生まれた内的世界を外の世界に投射する行為だと説明することができます。

吉村 たとえばアイドルのファンクラブのような愛好活動は昔からあったと思いますが、それが今でいう推し活とどう違うのでしょうか?

久保 ひとつは裾野の広さです。昔はアイドルを応援するにも現場に行かないと活動できませんでしたし、活動を共にする人は必然的に顔見知りになっていました。今はインターネットやSNSの普及により、ウェブを介したファンコミュニティが生成され、活動の幅が大きく広がっています。ネットで情報を収集したり、ライブ配信を見たりと、ファン行動が多様化したことで、これまでいわゆるオタクとは呼ばれていなかったライトなファン層も気軽に推し活が行えるようになっています。また、近年は多様性を需要する社会へと変わりつつあることもあり、以前よりも臆することなく好きなものを好きだといえる風潮が広がっていることも、推し活の普及を後押ししているように思います。

吉村 人は何を求めて推し活にのめり込むのですか。

久保 ひとつは、日常への活力です。推しの対象がたとえ現実に存在する人やものであっても、それは自分のリアルな生活圏内には絶対に存在しないものです。日常の生活圏外にある何かを愛好する推し活は、必然的に非日常的な活動になります。人間はリアルな世界で生きていますが、日々その世界と向き合い続けると疲れてしまう時もありますよね。だから、推し活を通じて非日常の世界に浸ることで、リアルな世界で生きる活力を得ようとするのです。
ふたつ目は、自己の世界を拡張することです。たとえば推し活をきっかけに関心がドライブしたり、交友関係が広がったりということは想像しやすいかと思います。それ以外にも、推し自体が自己を表現するツールとして使用されることもあります。たとえば最近の学生は自己紹介で「私の推しは〜です」とよくいうのですが、自分そのものを曝け出して付き合うよりも、推しを媒介にして付き合う方がマイルドで、かつ自身の核心を表に出すことができ、距離が近いけど緩衝材が効いているというような、適度な距離での人付き合いが可能になるようです。
3つ目は、利他の幸福感です。推し活は直接の見返りのない行為ですが、他者に自分の資源(時間や労力やお金)を分け与えることで幸福を感じるのは人間が持っている生得的な傾向です。推しに自分の時間やお金を費やすことは、それだけで幸せを感じることができる人間的な活動であるといえます。
推し活はこうして自身から外の世界へと働きかける行動を生みます。まさに自分を「推」進する力なのです。

推論を掻き立てるための余白

吉村 ポジティブに推し活に臨めば、ウェルビーイングに繋がるのではないかとも思います。

久保 実際、高齢者施設での健康のために推し活が導入されることもあります。みんなで旗を降ったり、太鼓を叩いてサッカーチームを応援することで、活力を生み出すというものです。体を動かすことは心にも影響を与えます。じっとして応援するよりも、体を使って応援する方が気持ちが高まり、競技や選手の魅力をより感じられるのです。これは心理から行動を考えるだけでなく、行動も心理に影響を与える身体性認知という考え方です。サッカーに限らず、グッズを買ったり、情報を集めたりという行為は、自身の中で推しの魅力を増大させ、さらにその行動を促しますfig.2。推し活ではよく「沼にハマる」と表現されることがありますが、その要因にはこの感情と行動の循環があるのです。

吉村 たとえばそれをビジネスの現場で戦略的に用いることもあり得るのですか?

久保 十分あり得ます。最近は実際に推し活をビジネスに活用することへの相談を受けることが多くあります。そこで気をつけなければならないのは、推し活の根源にはとにかく自発的な衝動があるということです。たとえば高齢者施設でのプログラムは体操や歌を歌うことが主流ですが、それは受動的なものです。でも、体を動かしてサッカーチームを応援することは、自分から対象に働きかける自発的な表現行為です。ただし難しいことに、ある行動を促すために演出され過ぎてしまうと、一気に冷めてしまいます。自発的な衝動ではなくなってしまうのです。

吉村 演出されすぎると冷めてしまうというのは、体感的に分かる気がします。そうならないためにはどのような配慮が必要なのでしょうか?

久保 過剰な演出を避けるためには、プロジェクションを誘発するための余白をつくることが大事です。今各地で行われているアニメや漫画の聖地巡礼は格好の例だと思います。ここがアニメの聖地だと大量のパネルで示されると、それ以上の推論想像は生まれない。特にそういう演出、情報がなくても、知識がある人が分かるようになっていれば、余計な演出が施されるよりも多くのプロジェクションが誘発されるはずですfig.3

吉村 プロジェクションのための余白というのは、具体的にどういうものなのでしょうか?

久保 仮説形成と呼ばれるアブダクションという推論の機能があります。Aという事項だけでは説明しきれないBという事象が起こった時、Cという仮説を生み出す人の心の働きです。たとえば街中にある得体のしれないモニュメントを見つけた時、それがつくられた背景や目的を想像するでしょう。そういう推論を呼び起こす説明不可能性があることが、プロジェクションを誘発する余白を生み出すのです。オタク界隈ではアニメや漫画の二次創作という文化がありますが、それは既存の作品の設定やストーリーの余白や違和感をきっかけに妄想を広げ、推論によって自分なりの物語を構築するものです。それがまたほかの誰かの推論を呼ぶことで、コミュニティが広がっていくのです。

吉村 仮説から生まれた推論が新たなプロジェクションを生むということですね。今流行っているアニメや漫画は、設定やストーリー上でそういう余白をうまくつくり出している気がします。

抽象的なイメージから生まれる未知数の変化

久保 余白によって、主体的にそこに何かをプロジェクションしたいと思わせることが重要なのです。都市も同じようにつくり込み過ぎるのではなく、人の推論や想像を掻き立てる余白があってほしいと思います。かつての渋谷は「若者の街」という大きなイメージがありつつも、その中では音楽やファッションなどさまざまな文化的な背景が混在していました。それは、若者たちが渋谷という街でプロジェクションを生成し、街で芽生えた小さな種をそれぞれが主体的に育てていった結果なのだと思います。

吉村 そうですね。レコード店が集積していた宇田川町一帯から渋谷系が生まれ、原宿の裏通りからストリート文化を象徴する裏原系が生まれてきた。それはメディアの情報と共に大きなムーブメントとなりましたが、元は地域から自発的に生まれた小さな種でした。今は渋谷駅前を中心に大規模な開発が進んでいますが、大きなコンセプトを一様に敷いてしまっては、それこそ余白がなくなってしまうのではないかと思います。

久保 都市のイメージは、たとえば渋谷は若者の街、新宿は雑多で多様な街、銀座は大人の街というようなものがありますが、それらは明確に言語化されたイメージというわけではなく、ぼんやりとした緩やかなものです。実際の渋谷には文化施設なども多くあり、単に若者のための街ではありません。そこでは、何となく楽しいという感情が若者の街という大雑把なイメージで表象されているのではないかと思います。その抽象性が余白として機能したことで、その街で何をするかが主体的に考えられていたのではないでしょうか。つくり込まれたコンセプトによる開発は、与えられたものをどう消費するかという姿勢の人たちには遊びやすい街になると思いますが、何かをクリエイトしたい人には刺さらないでしょう。でも、そういう人たちがいないと都市は消費されるばかりで、未知数の変化が訪れない気がします。

吉村 ネットやSNSが普及し、情報が多様化した今はそういう都市のイメージも解体され、消費の向きが強くなっているように思います。そこでは、都市を使う側の人のリテラシーも重要なのだと思います。たとえばバルセロナはウォーカブルを推進していますが、スペインの人びとは路上で自由に遊ぶことが文化として根付いているので、見慣れた道がいきなり歩行者空間になっても、しっかりと使いこなせています。一方で近代以降の日本ではスペインと比較して公共空間を自由に使う文化が根付いていないので(正確にいうと元々日本人は路地などといった都市の余白を上手く活用して生活を楽しんできた民族だったのですが、近代化と共にそういう楽しみ方を忘れてしまったといったほうがよいとは思うのですが)、いざ歩行者空間にしたとして上手な使い方がされるようになるまでは時間がかかりそうです。いかに余白から推論をつくるかというのにも、訓練が必要そうですね。おそらくそういう主体的な想像力とクリエイティビティが強いのは誰かというと、これまでオタクと呼ばれてきたような人たちではないでしょうか。

久保 まったくその通りです!私も含めて、推し活に臨む人は、たとえば何てことない赤い水筒が置いてあったとして、そこから「あれは誰々のイメージカラーだ」と想像し、プロジェクションを無限に膨らませていくことができます。そういう意味でも、推し活とは非常にクリエイティブな行為なのです。

共感で紡ぐ都市

吉村 大きなコンセプトによる一元的な開発はプロジェクションのための余白を生み出しにくくするというお話がありましたが、プロジェクションの生成という観点から、現代の情報そのもののあり方の変化はどのようにとらえられていますか。

久保 よくも悪くも個人の発する情報が力を強めている今、そこでの拡散力、情報の価値は、その新規性や正確性ということよりも、いかに多くの人の共感を得られるかによって決まるようになっています。そういう意味でも、大きなコンセプトに則って行われる都市開発はこの時代背景と矛盾しているような気もします。

吉村 言葉で表現するとかえって押し付けがましくなってしまうこともあります。だからこそ人は、「いいね」を使って適度な共感を伝えたがるのでしょう。

久保 テクノロジーの進化によって、人は言葉にならない抽象的な、新たな表現言語を手に入れました。学生が自身の推しを通じて自己を表現するのもそうですが、直接的な表現によって語弊を生むリスクを避けながら、代わりに言葉にならない抽象的な表現で伝える。そういう緩やかで柔らかい表現の方が共感を得やすいのかもしれません。

吉村 そういう緩やかで柔らかな連帯は、これからの社会において見過ごせないものになるでしょう。それこそ少し語弊が生まれるかもしれませんが、傷つくことなく共感を求める人の習性をなんとか理解、活用して都市をよりよい方向へ導けないかと思います。

久保 大事なのは、推しに限らず何かのイメージを誘発するような余白を設けることと、もうひとつは人の身体によってこそ得られる都市の現場性を活かすことだと思っています。その街の空気はその街に行かないと吸えないわけですから。各地で進む都市のウォーカブル化も、人が身体を動かしてこそ体験できる都市の現場性を活かすという意味では有効な方策だと思います。やはり現地で街を歩き、体験すると、何かの余白に気が付くわけです。そういう意味でも、都市へ繰り出すきっかけをつくり出したスマホアプリ「Pokemon Go」はなかなかいい発明だと思います。

吉村 そうですね。都市の外側からの働きかけによって都市を楽しく使うことができる。それはこれからの都市のあるべき姿だと思うので、そうした都市の周辺にあるエンターテインメントにもますます着目する必要があると思います。
fig.4

(2023年7月21日、オンラインにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

久保(川合)南海子

1974年東京都生まれ/博士(心理学)/1996年日本女子大学人間社会学部心理学科卒業/1998年日本女子大学大学院人間社会研究科心理学専攻博士課程前期修了/2001年同博士課程後期単位取得満期退学/2002年京都大学霊長類研究所研究機関研究員/2005年日本学術振興会特別研究員(PD・京都大学)/2007年京都大学こころの未来研究センター助教/2009年愛知淑徳大学心理学部専任講師/2012年同准教授/2019年同教授/主な著書に『「推し」の科学  プロジェクション・サイエンスとは何か 』(集英社、2022年)、『プロジェクション・サイエンス 心と身体を世界につなぐ第三世代の認知科学 』(共著、近代科学社、2020年)、『心理学概説 こころを科学する 』(共著、ナカニシヤ出版、2019年)など

    吉村有司

    愛知県生まれ/2001年〜渡西/ポンペウ・ファブラ大学情報通信工学部博士課程修了/バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター、マサチューセッツ工科大学研究員などを経て2019年〜東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、ルーヴル美術館アドバイザー、バルセロナ市役所情報局アドバイザー

    久保(川合)南海子
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    プロジェクションという心の働きを示した図。/『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』(集英社、2022年)より 提供:久保(川合)南海子

    アニメ「KING OF PRISM」の劇場版の応援上映にゼミ生と参加した時の様子。声出しや手拍子、コスプレやサイリウムの持ち込みなどが許可される応援上映として企画された。能動的な鑑賞体験は推しの魅力をより大きく感じさせる。/提供:久保(川合)南海子

    アニメ「Free!-Eternal Summer-」の聖地オーストラリア・シドニーのハーバーブリッジ。/提供:久保(川合)南海子(ゼミ生Cさんより)

    久保(川合)南海子氏(左)と吉村有司氏(右)。

    fig. 4

    fig. 1 (拡大)

    fig. 2