死を遠ざける都市空間
福原 私は、テクノロジーの進展が日常にどのような変化をもたらすか、ということを研究する「インタラクション・デザイン」をバックグラウンドに持ち、その中で、「死」について考えてきました。現代の都市において、死の存在は避けるべきもの、怖いものとしてとらえられています。その証拠に、多くの墓地は塀に囲まれ、その存在が日常の場から切り離されています。ただ、私としては、死後そういう場所に納められると、時間と共に自身の存在も痕跡もすべて忘れられてしまうのではないかという恐怖を感じます。
ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに入学する直前、祖母が亡くなりました。遺骨は納骨堂に納めたのですが、墓参りをした際、番号を入力すると骨壷が出てくるというシステムになっていて、祖母の墓は名前ではなく番号で管理されていたことにとてもショックを受けました。本人の意思でそこに納めたのですが、これはさすがにどうなんだということで、結局、叔父が別のお寺に墓石を建てました。そういうこともあり、数年間祖母の死をなかなか受け入れられず、今を生きる人、そして残された人にとって、死を怖くないものとするにはどうすればよいかを考えるようになりました。
そこで、先ほど中村さんの「狭山樹林葬地」の中でお話があった、樹木葬という文化を知りました。樹木葬とは、遺骨を地中に埋め、樹木を墓標とするものです。墓標は大抵、グレーや黒の石でできていて、冷たい印象があります。でも、それが木であれば、もう少し温かみを感じることができます。そこで、樹木の下の地中ではなく、木そのものに人の遺伝子を保存し、供養するという方法を思いつき、卒業制作で「Biopresence」と題した作品を制作することにしましたfig.1。もし祖母の遺伝子情報が保存されている木があれば、その木に初恋の相談をしたり、曾孫がその木に上ったり、さらにその果実を食べたりということが想像されます。その木が庭に生えていても、違和感を抱くことはないでしょうし、墓よりも身近に感じられるでしょう。その木が、故人と残された人びとを繋ぐ媒介になってほしい、というのが私の思いでした。
ただ、この作品のコンセプトが新聞で紹介されると、大炎上しました。西欧圏では、万物は神の創造物と考えられているため、自然に人の遺伝子を組み込むなんて、神への冒涜だということで、学校に抗議の声が来たり、私のもとに手紙が送りつけられたりしました。最初は怖かったのですが、勇気を出して返事を書き、「神を冒涜するつもりはなく、遺伝子組み換えなどの新技術と、人の生死を結びつけることに対し、なぜ恐怖や懸念を感じるのか、その答えのない問いに向けた対話をしてほしくて、アートとして制作した」という私の思いを伝えました。すると、その人は「友人とそのことについて話してみる」といって、実際に展覧会にも来てくれました。アートは時に心を掻き乱すこともあるけれど、そのように対話をうながし、自分なりの答えを見つけること、そして異なる意見を認める寛容さをつくり出すことが、大きな役割のひとつだと思っています。
生死の境界を問う
清野 人の生死とテクノロジーという問題のデリケートさを感じさせられます。2015〜16年に金沢21世紀美術館で展示された「Ghost in the Cell:細胞の中の幽霊」も、大きな話題となっていました。
福原 これは簡単にいうと、バーチャル・シンガーのキャラクターである初音ミクのDNAデータをつくり、そのDNA情報をiPS細胞から作られた心筋細胞を展示するというプロジェクトです。初音ミクのライセンスは、クリプトン・フューチャー・メディアという会社が所有しているのですが、面白いことに、声さえ変えなければ、どのような二次創作を行ってもよいということになっています。そこで「緑の目」や「明るい肌」といった、初音ミクの外見的特徴を示すDNA配列を、データベース上に人の遺伝子を組み合わせてつくり出し、さらにそれをインターネット上で不特定多数に公開し、それぞれの思う初音ミクの遺伝子情報を書き込んでもらいましたfig.2。その配列をDNAプリンターというDNA合成機で合成し、さらに、「iPS細胞」から生成された心筋細胞に組み込むことで、「初音ミクの遺伝子情報」をもった心筋細胞を生み出しました。その細胞を電子顕微鏡で覗いた映像をモニターに映して展示したのですが、よく見ると脈動していることが分かります。私はその動きに、生命を感じました。初音ミクは、いわば2Dのイメージですが、ライブでは、会場にホログラムで投映された初音ミクを見て、皆が熱狂していて、まさに偶像だと感じました。ここでは、偶像でありながらも、生命を感じさせる細胞を展示することで、生死の境界について問いかけることを考えました。
このプロジェクトを通して、私自身は、生とは何か、死とは何かという疑問をより強く抱えることになりました。そこで、多くの科学者に、生きていることを証明するための条件とは何かということをインタビューしました。その答えの中で多かったのは、動く、食べる、排泄する、変異する、子孫を増やす、適合をとる、ということです。ただ、その条件をひとつも満たさなければ死んでいるということになるのかといえば、そうとはいい切れないそうです。なぜかというと、休眠している場合があるからだそうです。生も死も、それほどに定義しづらいものなのです。そこで見つけた私なりの答えが、死はエントロピーだということです。エントロピーというのは、物質の状態が無秩序であり、不可逆であることです。だから、元に戻ることはありません。分かりやすくいえば、水の中に角砂糖を入れて溶かし、煮沸すると再度固形の砂糖が表出しますが、角砂糖の形状に戻ることはありません。そういう不可逆性が、死なのではないかと思いました。樹木葬でいえば、遺体は土の中でなくなるわけではなく、無限に拡散していく、という考え方です。
清野 死というと、無機的、静的な状態が想起されますが、エントロピーというと、動的な感じがして、何か希望が持てるような気もします。
中村 建築は、たとえば切り出した木や石などを使うので、死んだもので構成された集合体というイメージを持たれがちですが、たとえ目に見える範囲では動かなくても、ミクロの単位でマテリアルが動き続けていると考えれば、そのとらえ方も変わってくるように思います。福原さんは、決まった答えがないものを考え続けて、作品の鑑賞者に対して生死にまつわる思考を促すだけでなく、ご自身も制作を通して思考し続けていますね。僕も設計を通して死について考えてきましたが、それは同時にどう生きるかを考えることでもありました。そういう意味では、死は必ずしもネガティブな概念ではないように思えます。
福原 むしろ、生死の境界がつけられない、グラデーショナルな風景が都市に広がることが、自身の生き方を内省する機会を増やすことにもなるはずです。「狭山湖畔霊園」は、そういう日常の風景の延長にあることを感じます。たとえ墓地であっても、憩いの場であってよいはずですし、死に関係のない人が訪れてもよいと思います。
清野 死とは誰にとっても本能的に怖いものだと思います。私自身もその怖れを持って生きていますが、このような場で建築家、アーティストの方と共に、作品論として、また哲学として語ると、むやみに怖がらなくてもよいのかなと思えます。中村さんの設計した墓所と、福原さんのつくった墓標で偲んでもらえるなら、安心だとも思います。多死社会の日本では、お墓や墓標など、まだデザインが十分に及んでいない領域があります。そここそが建築家やアーティストにとってはブルーオーシャンともいえるので、ぜひこの領域に目を向け、新たな都市と死の風景を築いてていただきたいです。
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(2024年2月2日、新建築書店にて公開収録 文責:新建築.ONLINE編集部)