ふるまいのデザインが記憶を残す
清野 今回のテーマは「死」と建築です。日本の年間死亡者数は2020年時点で138万人、これから高齢化がますます進み、2040年には約170万人になると予測されています。日本はすでに、毎年政令指定都市ひとつ分もの人が亡くなる多死社会です。にもかかわらず、現在、「死」にまつわる空間、演出、デザインの選択肢はいまだ多くありません。
今回ゲストにお迎えした中村さんと福原さんは、建築、アートという領域の違いはありながらも、死にまつわる作品を多く手がけられています。死の空間デザインは、新しいデザインを世の中にアピールするものということだけではなく、生きた人びとを深い思慮に導くことができるものです。まずは中村さんの近作から、死と建築への考えを伺えますか。
中村 死の空間は、現代において特殊な建築と考えられがちです。しかし西洋建築史を遡れば、そこに燦然と輝くのは霊廟や宗教建築といった、死を悼むための建築がほとんどです。それは有限の命であるわれわれが、建築という存在に永遠性を仮託してきた証です。ですからわれわれはこれを建築の本流として取り組んでいますし、「死」に関連する建築を、人びとがより良く生きるために設計したいと考えています。
これまでに手がけた、「死」にまつわる建築を紹介したいと思います。まずは「風突のケアハウス」(『新建築』2109)ですfig.1。沖縄県恩納村に建つ、難病の子供とその家族のための宿泊施設です。難病の子は病室や自宅の寝室に寝たきりで、外出することは稀です。ここを訪れる親は常にわが子の死を意識しながら、それでもなお、病室の外に美しい世界があることを知ってほしいと願い、最後の旅になるかもしれないという覚悟をもってやってきます。そんな場所だけに、無味乾燥な病室のような空間ではなく、沖縄らしさを感じられる施設にしたいと考えて設計しました。
プランは、客室やLDK がドーナツ状に並び、その中心に水盤とトップライトをもつ中庭構成です。それぞれの部屋に風突を設けたのは、自由に出歩くことができない難病の子に、風を届けたいと考えたからです。風は、沖縄の塩っぽい海の香りや、虫の声、松林を風が抜ける音など、さまざまな情報を子供に運んでくれるのです。施主である公益社団法人「難病の子どもとその家族へ夢を」の大住力代表は難病の子のために何でもバリアフリーにするということではなく、そのバリアが互いの理解や助け合いを促すものなら、あってもよい。むしろこの場所では、その子を背負い、その重みや温かみを感じたことすら、思い出になると語りました。
そこでわれわれは、難病の子の身体性やふるまいをデザインの手がかりにしました。彼らはいつも車椅子に座って上を向いたり、寝たきりで天井や窓を見つめたりすることが多いです。横向きで寝たまま外の景色や風を感じられる掃き出し窓を設けたり、両側から子供の体を支えられるように階段の幅を広く取ったり、居室の入り口を車椅子の高さに合わせてあえて低くしたりしていますfig.2。難病の子の身体性を常に意識するような空間で、その子の重さや体温といった記憶を、体験と共に残したいと考えたのです。また、この団体は難病の子が存命の時だけでなく、やがて天に召された後であっても、その家族を支えたいと活動しています。この施設にも、子供が亡くなった後に訪れる家族がいます。そこでわれわれは中庭を自然現象の影響を受ける静謐な空間とし、わが子が語りかけてくるような場を目指しています。ガラスの入ってないトップライトから風や雨、自然光が降り注ぎ、晴れの日は太陽の反射光が天井に炎のように揺らぎます。われわれはそれを「心の炎」と呼び、家族への励ましととらえていますfig.3。逆にその上の屋上は沖縄らしい花々に満ちた天国のような場です。難病の子がやがて赴く世界が幸福な場であることを切に願う、親や運営者の願いを代弁していますfig.4。建築には来世思想やパラダイス思想を色濃く反映したものが古代からありますが、この建築もその系譜の一つだと思います。このようなメッセージは旅を楽しむ人たちには不必要なものです。ですからきわめて暗黙的なものであることを理解していただけたらと思います。
儀礼のダイナミズムを感じられる祈りの場
次は「上野東照宮神符授与所/静心所」(『新建築』2206)を紹介しますfig.5。国重要文化財である上野東照宮社殿の奥参道と庭を計画し、「神符授与所」と「静心所」を新設するプロジェクトです。そこで祀られる徳川家康公の死を、空間によってどう悼み、祈念するかということを考えました。結界としての二重菱格子の塀の中に、きらびやかな権現造りの社殿が建っているのですが、その存在を塞がないよう、建物全体を参道から西に寄せて建てる必要がありました。特に「神符授与所」は、われわれが色々調査した結果、大変意味のある場所に建てることになりました。「神符授与所」は本来、お守りを買う場所ではありません。人びとはそこで初穂料を納める代わりに、お守りや御朱印などの神符を受け取ります。つまり「神符授与所」も祈りの施設の一つなのです。そこで屋根に二重菱格子をモチーフにした斜交格子梁構造を採用してその下を聖なる場として、いちばん下の斜め垂木を本殿の方向へと振り、「神符授与所」から本殿へと意識を向けられるように配慮していますfig.6。同時にそれは、家康公を御祭神に祀る日光東照宮を向いた方角でもあります。さらにその上に重なる垂木は、家康公が亡くなった駿府(静岡市)の方角を向いています。家康は亡くなった後、駿府にある久能山東照宮の墓に1年間入り、その後、不死(富士)の山頂を通って、江戸の真北にある日光東照宮に移り、そこで祀られることで、東照大権現という神になりました。その儀礼の軸線を二重菱格子で結ぶことで、礼拝した際にそのダイナミズムを追体験する形式としています。
「神符授与所」の隣には、大イチョウの根本に建つ「静心所」がありますfig.7。長く防火樹として社殿を守ってきた大イチョウの木が腐食のために伐採せざるを得なかったため、それを構造に再利用しています。腐食が激しく長径材が十分に確保できなかったので、最小断面60mm角に乾燥した製材を用いてシェル構造をつくって、支点から3mキャンティさせることで、御神木側に柱を落とさないようにしています。社殿と御神木をパノラマに臨みながら、祈りを捧げられる場ですfig.8。歴史とは死者の物語でもありますが、イチョウの死と再生の物語や家康公が死後、神になる物語を建築に込めています。
自然現象を介して故人と繋がる場
続いては、「狭山湖畔霊園」でのプロジェクトを紹介します。狭山湖は東京都の水瓶とも表現される貯水湖で、人はこの森で涵養された水で生かされ、亡くなった後はこの森に還るという意味で、普遍的な祈りの対象をこの森に見出しています。敷地北側にあるる「狭山湖畔霊園管理休憩棟」(同1407)fig.9は、墓参前に親族と待ち合わせをしたり、礼拝堂で法要を行った後、食事をしたりする場所です。鉄筋コンクリートでコアをつくり、そこに事務系諸室を入れ、その外側に受付、休憩室や食事室と、滞在時間の長い順に奥から客用サービスをレイアウトしています。外部には水盤を設けて結界性を高めると共に、陽光や森の景色を室内に取り込んでいますfig.10。
うつむく
内部はダウンライトを設けず、少し暗めのインテリアとしています。明るい外から入ってくると、その暗さに目が慣れず、しばらくは外の風景が白く飛んでいるように見えます。そうして外の風景と遮断されることで、内省的な感覚が呼び起こされます。また、屋根は軒を内部床から1.46mの高さにまで抑えています。内部に入ってスロープを上がると共に、天井が近づき、瞼を半分閉じていくような感覚を得られます。この建築は、悲しみの中でうつむく人のふるまいに寄り添うべきだと思ったからです。窓辺にはベンチがあって小休止を誘います。そこに座ると初めて、遠くの山々が見えてきます。
故人は風になる、あるいは土に帰って木々になると表現されることもあるように、日本には故人が自然に帰り、また自然現象から故人の存在を感じる感性があります。ここでは空間が自然現象に呼応して変化しますfig.11。ハイサイドライトからの木漏れ日と、水盤からの反射光で、屋根や床の照度が刻々と変化します。太陽が雲に遮られると空間の静謐さが強調され、水紋が収まると、まるで時間が止まったかのような感覚が呼び起こされます。ここで故人と語らう時、そこで起こる自然現象が故人からの語りかけのように感じる瞬間があります。
手を合わせる
「管理休憩棟」から南へ行くと「狭山湖畔霊園管理休憩棟」(同1407)fig.12があります。敷地は墓域と森の境界に位置しているため、聖なる森の中にある礼拝堂の形式を求めています。墓域側に植樹を行い、森の木々を避けるようなプランです。木々の枝葉を避けるように壁の上端を内側に倒し、2本の梁を互いに立て掛け合う扠首(さす)構造をもつ合掌形式としています。この形式を全方位に展開することで、屋根架構が鉛直力と地震力を負担するようになっています。祭壇は敷地の中心に設け、森を背景に祈る空間となっていますfig.13。床レベルは、祭壇に向かって10mmの傾斜をつけています。また仕上げには、奥の森に消失点を設定し、そこから建築に向かって放射状に引いた線に従って稲井石を貼っています。そうすることで、奥の森にささやかな意識が向くことを期待しています。屋根は4mm厚のアルミの砂型鋳物の乱葺きとしていますfig.14。これは、樹液で汚れても美しくエイジングするものとして、地域の鋳物職人と共に開発しています。竣工から約10年が経っていますが、樹液による美しいエイジングが感じられます。屋根を伝って落ちた樹液の養分で、足元には苔が生え、それを虫が食べる。森の生の痕跡が、この建築をつくっているともいえます。
耳を澄ます
最後に、2022年に竣工した「狭山樹林葬地」を紹介しますfig.15。霊園の敷地内に300人ほどが入れる樹木葬の墓地をつくり、そこに、高さ1mの小さな丘と礼拝所を設けました。礼拝所に置いた御影石のベンチに腰掛けると、緑の丘が構内の道路や墓地を隠し、奥の森と直接繋がるような眺望が見られますfig.16。背後にあるパラボラ状の構築物は、ベンチに座った人の頭が放射面の焦点にくるように削り出しており、森の枝葉の擦れる音や、鳥や虫の鳴き声を集めます。
これら3つの作品は、いずれも故人と向き合うふるまいを通じて、自然に還った故人からの応答をつくろうとしています。
清野 建築家がデザインに携わる墓地の事例はほかにもありますが、ただ、その多くに不動産的な視点、つまり、デザインによって区画に付加価値を与えて高く売る、という生々しさを感じてしまうのです。ただ、今回中村さんにご紹介いただいた作品は、デザインの先に、人が死とどう向き合うべきか、故人といかにして対話をするか、という内省を促すという意味で、一線を画した事例だと感じます。
後半は、福原さんの生死をテーマとするアート作品について解説をいただきます。
(2024年2月2日、新建築書店にて公開収録 文責:新建築.ONLINE編集部)