素材の個性を楽しむ
永山 今回はせっかくお菓子を題材にしたディスカッションなので、うちの事務所の恒例イベントも紹介したいと思います。うちの事務所では、毎年私の誕生日に建築を模したケーキをスタッフがつくってくれるんです。わざわざチョコレートの型をつくって、どんどん凝ったものになってきています(笑)。これまでに、「JINS PARK 前橋」の外観や、「東急歌舞伎町タワー」のアルミキャスト柱を再現したチョコケーキをつくってくれましたfig.1fig.2。
清野 お土産として売れそうなクオリティですね(笑)。建築はコンクリートや鉄、ガラスなど、固いものを組み合わせて構造的に積み上げていくものですが、その考え方はお菓子づくりにも共通するものだと思います。鉄やコンクリートで建築をつくるように、お菓子も小麦粉や卵、砂糖の分量を緻密に計算してかたちをつくり上げていく。そこで今回は、京都・岡崎地区の菓子店ラ・ヴァチュールの若林麻耶さんからその考え方を伺いたく思います。若林さんは大学で空間デザインを学ばれ、現在はタルトタタン職人として活躍されていますfig.3。空間デザインを学びながら、なぜお菓子の道に進まれたのでしょうか。
若林 ラ・ヴァチュールは、1971年に私の祖母がフレンチレストランとして創業しました。その後、祖母がフランス旅行の際に食べたタルトタタンの味に感動し、日本でもその味をと、タルトタタンを焼き始め、今では専門店となっています。私は幼少期から店の上階のマンションに住んでいたので、よく店に顔を出していました。せっかく空間デザインを学んだので、将来はその方面で仕事をしていくと思っていたのですが、卒業間際に祖母から店を辞めるという話を聞き、ここまで続けてきたタルトタタンを簡単になくしていいのかと思い、店を継ぐことを決めました。
清野 タルトタタンとはどういったお菓子なのでしょう。
若林 簡単にいうと、りんご、バター、砂糖を鍋でじっくり煮詰めて、タルト生地を被せてオーブンで焼き上げるものです。キャラメルやカスタードが入ったものなど、いろいろな応用があるのですが、ラ・ヴァチュールのタルトタタンは本場の伝統的な味を参考に、りんごだけでボリュームを出すとてもシンプルなものです。使うりんごの品種によって水分量や味が変わるので、状態を見て煮詰める時間や調理方法を調整し、色の入り方、美しさも同時に見定めています。
清野 やはり、素材に対して深いアプローチがあるのですね。
若林 ラ・ヴァチュールでは時期によって使うりんごの品種を変えているのですが、一口にりんごといってもいろいろな種類があります。りんごは元々中央アジアやコーカサス地方が原産で、日本で一般的に食べられる西洋りんごは、ヨーロッパ、アメリカへと伝わり、明治期に日本にやってきたものです。はじめに入ってきたいくつかの品種から絶えず改良が行われており、品種の系統を追うととても面白いです。気候や品種によってりんごの味は当然変わりますし、調理するコンロや鍋の状態によっても変化が出る。りんごの収穫がない時期には冷蔵保存したものを使うのですが、そうすると水分が抜け、味が濃厚になる。そういう素材の変化に応じた味わいも楽しみとして受け取ってもらいたいと思っています。
クオリアを伝えるための表現
清野 建築、お菓子という違いはあれど、お二方とも非常に素材を重視されています。それはなぜなのでしょうか?
永山 建築はやはり物質なので、必ず何かの素材で出来ています。その素材のテクスチャーが変わるだけで、表現は大幅に変わります。光などの外部要因や人の触れ方によってもそうです。私はよく細かなモチーフを使うのですが、たとえば大規模建築を設計する時、こんなに小さい表現をしても見えないのではないかと言われることもあります。でも、人の目に映る世界の解像度は、人によっても違うはずなので、それが本当に必要かどうかは誰にも分かりません。自然が美しいのは、ミクロなものが積層した解像度の高い世界だからです。だからこそ、その中から人それぞれに機微を見出すことができる。私は高い解像度の世界をつくるために素材を重視しています。ミクロな所作からマクロな都市的事象まで、さまざまな解像度を横断できることが建築の魅力です。
清野 「東急歌舞伎町タワー」は、写真で見ても、実際に見ても、その解像度の高さを実感できます。華やかな超高層ビルと歓楽街が入り混じる多様な場にあって、そこにある建築が醸す美しい機微が、ある種のさまざまな問題を抱える現代都市の救いのようにも感じられます。
若林 歌舞伎町は以前沼地だったという話を伺いましたが、やはりどれだけ変わってもその場所が持っている磁場のようなものは残り続けるのだと思います。たとえそれが見えるものではなくても、表現を介して人に伝わるものはあるはずです。
以前、日本の若手職人をピックアップする「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」の一環で、京都建仁寺の両足院で食をインスタレーションとして表現してほしいという副住職さんからの依頼を受け、造形作家、台湾料理研究家の母と、アーティスト、陶芸家の方と共に、空間演出を手がけましたfig.4。赤と青のベールの中に卓を置き、一方には台湾の精進料理でよく使われる白いキクラゲをfig.5、もう一方には乾燥きのこからとった出汁を配置したfig.6、「『喰』/ jiki」という作品です。このベールは血の巡る動脈と静脈、胃や腸をイメージしていて、ここできのこを見ながら出汁を飲むことで、生と死の間にあるグラデーショナルな境界と、自身もその循環の中にいるということを実感してもらえるような演出としました。視覚、触覚、味覚のすべてをつかって空間を感じてほしかったのです。
清野 同じく両足院で、永山さんもアートイベント「Art Collaboration Kyoto」の一環で空間ディレクションを担当されていましたね。
永山 そうですね。3名のアーティストがそれぞれインスタレーションを構成するという内容だったので、物質的な空間構成をやめて、作品に過度に干渉せずに五感に訴える構成の展示にしようと思いましたfig.7。視覚、聴覚、触覚は作品の中で十分表現されていました。私はそこに嗅覚、味覚を主に足して行こうと。そこでまずアーティストの空間ごとに香りを当て込んだ演出をしました。そうすると、空間ごとに香による変化を感じ、鑑賞者が動き回るのに合わせて香りもほのかに混ざりあっていく。動線の最後には庭園が見渡せる高い位置にある茶室を視点場に設定しました。そこからは両足院に配された作品群全体が見渡せ、お菓子とお茶を楽しみながら作品を反芻することができますfig.8。
清野 実際の建築、都市においてはまだそういった数値化できない、五感すべてでとらえるクオリアが、今はまだ重視されていません。表現には、AIが弾き出した解答にはない力があるはずです。それは若林さんのお菓子づくりにも通じていますよね。
若林 実はラ・ヴァチュールを開店する前、祖父母はギャラリーを運営していました。その場所を移転した先の隣接地にオープンしたのが、ラ・ヴァチュールです。私が子供の時はまだギャラリーを運営していて、料理と芸術が隣合う環境で育ってきたので、そこに境界を感じることはありませんでした。私の場合は表現するための手段がたまたまタルトタタンであっただけで、素材の本質を見て、かたちをつくるというプロセスはさまざまな分野にも通じるものだと思っています。
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(2023年11月24日、新建築書店にて公開収録 文責:新建築.ONLINE編集部)