仮設建築は風景へと昇華するか
近年、まちづくりやアートの界隈での流動的・実験的な場づくりとして、仮設建築への注目が集まっている。私は5年ほど前から、東南アジアの屋台工場に弟子入りするなどして屋台の研究と制作を行なっている。近年はコロナ禍とあって日本の屋台にも目を向け、福岡市をはじめとする西日本各地に現存する屋台をキャラバン調査している。
屋台研究家として、仮設建築を用いたまちづくりプロジェクトなどに関わることも多いが、日本で仮設建築、特に飲食を伴う屋台などを営業するにはさまざまなハードルがある。日本の路上で恒常的に営業を行うことは原則許可されないし、一時的に使用する場合には、道路使用許可や保健所の営業許可を取得する必要があるなど、かなり厳しい。
そのようなハードルを超えてつくられたハードも、大抵は一時的なものとして姿を消してしまう。そもそも仮設建築という以上、それは恒久的に存在することを意図されるものではないし、タクティカル・アーバニズムと呼ばれる戦略の中では、それらがハードとして存在すること以上に、そこで得られた知見を将来のまちづくり戦略に生かすことに重きが置かれる。だが、多額の予算とデザインリソースをかけて制作したものが、ただ一時的なものとして廃棄されてしまうことへの違和感が拭えない。仮設建築が持続可能な風景として都市に根付くことはできないのだろうか。すでに屋台文化が根付くバンコクと福岡市の調査を通し、仮設建築を風景へと昇華するためのヒントを探りたい。
都市生活に根付いた流通・経済システムの中の屋台
熱帯・亜熱帯気候のバンコクでは、仮設かつ移動式の屋台が街に展開し、飲食や野菜・果物の販売が行われているfig.1。バンコクの屋台は半円形のアイコン的な屋根をもち、主に郊外に点在する工場で製造されるfig.2fig.3。規格品のほかに、カスタマイズされた特注品も製造され、販売店を通して売られる。故障や破損した場合には、街のいたるところにあるバイク屋やパンク修理店(屋台ピット)でメンテナンスでき、販売店では屋台の買取も行なわれている。
また、バンコクの住宅にはキッチンがない家も多いため、自炊の習慣があまりなく、屋台の料理を袋に入れて家に持ち帰ったり、その場で食事したりして3食を済ますことが多い。つまり、屋台がパブリックキッチン、路上がダイニングの役割を果たし、屋台を介して都市空間に市民のコミュニケーションの場が生まれているのだ。
しかし、近年では大型開発や違法営業の横行などに伴って取り締まりが増え、指定された道路や区画でしか営業が難しくなり、屋台が中心街から周縁に追いやられている。そんな中で、今も屋台が生業として成り立っているのは、屋台をつくる人やメンテナンスする人、構成する資材の製造所や整備する工場が同時に街に存在し、生態系として息づいていることが背景にあるfig.4。屋台を巡る流通・経済システムは、市民の都市生活に密接に根付いているのだ。
土着的な生態系の継承
日本においても、広島県呉市や高知県高知市など各地に屋台文化があるが、いずれも都市開発による立ち退きや移転、後継者不足などさまざまな要因を伴って衰退しつつある。だが、福岡市では市民運動や独自の政策を通して屋台文化の継承が図られ、日本最大の屋台都市としての様相が今も色濃く展開している。日中は公共空間として機能する場所に、夜になると突如屋台が現れるfig.5。2023年7月現在、市内では120軒前後が営業している。
屋台は公有地の決められた場所で行政から占有許可を得た人によって営業され、ほとんどの屋台には電気や上下水道も整備されている。営業時間は福岡市屋台基本条例によって午後5時〜午前4時と定められており、日中屋台はコンパクトなかたちに折り畳まれ、街の駐車場などに格納されているfig.6。一部の屋台は夕方になると、引き屋と呼ばれる人によってバイクで牽引され、それぞれの営業場所まで送り届けられる。その後店主が1時間ほどで屋台を組み立て、営業時間になると一斉に商売を始める。閉店後も同様に、引き屋が屋台を駐車場に格納する。
屋台の製造実態は、バンコクと少し異なる。現在市内で稼働している屋台のほとんどは、建具店として創業した赤城製作所でつくられているものだ。赤城製作所は昭和60年から屋台をつくり始め、現在は赤城孝子さんが屋台の総監督として、大工の松本孝敏さんを中心に屋台製作を行っているfig.7。長年屋台づくりを行う中で赤城さんらが開発した「赤城式屋台」の耐久年数は30年と長く、これまで納品後に修理したことはないそうだ。バンコクでは規格材を簡単なスキルで組み上げるように、屋台が産業的なシステムに依存して流通しているが、福岡市では土着的なコミュニティの中で様式が育まれ、今も製造されている。だが、そのような屋台も行政による屋台数のコントロールなどさまざまな要因から需要が少なくなり、現在生産は年に数台のみとなっている。また、近年新規参入する屋台はDIYやデザイナーによってつくられることも多く、伝統的な屋台がつくり上げてきた福岡の風景も変わりつつある。
調査の中で最も興味深かったのは、市内に歩道の点字ブロックが屋台の設置場所を避けながら配置されたような箇所があることだfig.8。日本の屋台は戦後の闇市をルーツとして発祥し、社会構造の変化と共に矛盾を抱えながら、制度の変化に晒され続けて現在に至っている。福岡市でも、不法営業や名義貸し、安価な使用料が問題視され、営業が原則一代限りとされるなどの制約を課されてきた。だがこの点字ブロックは、福岡市の屋台文化が現代都市に先行して根付いていたことを伺わせる。さまざまな矛盾を抱えた屋台文化を公共空間で継承していくには、こうした制度との折衝は避けられないのだろう。
都市に可変性をもたらす生態系
バンコクと福岡市の屋台文化は、形態や営みに差異を含みながらも、屋台の移動や製造、メンテナンスを担う人材や、屋台を保管する場所、公共インフラなどのプラットフォームに下支えされているという点で共通する。それらが屋台を市民の生活に根付かせ、営みに個人を超えた広がりをもたらしている。現代における仮設建築物を用いた社会実験などにおいても、そこでつくり出される風景が恒久的な文化として根付くためには、その取り組みがその都市の風土や経済、市民の生活と絡み合う複雑な生態系を構築し、継承できるかどうかが鍵になるのではないだろうか。
私は屋台のリサーチと並行し、制作も行っているfig.9。制作を通じて感じる仮設建築・屋台の魅力は、その可変性だ。フォーマットに応じて部材を足し引きし、自分好みにカスタマイズすることができる。失敗すれば、都度修正すればよい。
都市は固定的である必要はない。動的な巷を生み出しては流動していく。その流動的で仮設的な巷を支えるインフラを含めた「屋台の生態系」に着目しながら自らも実践していきたい。