──デジタル技術によって現実の都市が急速に変革を遂げる中、都市を表象する地図はどのように変化しているのでしょうか。
地図はこれまで、国や自治体、企業がトップダウンで作成・調製したものを買ったり借りたりして使うものでした。自分が望む地図をつくるには、そうしたものを組み上げてまとめる必要があり、専門的な知識がなければ難しい作業でした。それが現在、一般の人でもさまざまなプラットフォームを通して手軽に地図を作成し、カスタマイズして活用できる環境が整っています。
たとえば2004年、当時ロンドン大学の大学院生だったスティーブ・コーストが立ち上げたOpenStreetMap(OSM)は、Wikipediaのように誰でも編集権限を持つことができる市民参加型の世界地図サービスとして、現在延べ900万人以上が地図編集に関わっていますfig.1。迅速に地図を更新することができると共に、それらが商用利用可能なオープンデータとして公開され、さまざまな目的で利活用できるようになっています。
また、従来のデジタル地図で用いられてきた、点・線・面などのいわゆるベクターデータや航空写真などのラスタデータ以外にも、3次元の点群データや360度のパノラマ写真など、さまざまなデータが簡単に地図の構成要素として取り込めるようになっています。たとえば、空撮用ドローンで撮影した航空写真測量画像をシェアする市民参加型オルソモザイク画像共有プラットフォームのOpenAerialMapや、ストリートビューを市民参加型で収集・共有するMapillaryなどがその例です。
従来のトップダウン型の地図に対し、このような世界中の市民によって作成される地図をボトムアップ型のボランタリー地理情報(VGI)と呼んでいます。ただ、各自のニーズに応じて地図をカスタマイズし、活用できる環境がすでにあるということは、まだ広く認識されていません。地図が国や企業の制約を離れ、市民の手によってつくられていく動きを「地図の民主化」と表現し、こうした状況下でこれまでにない地図の使われ方を模索しています。
──ボトムアップ型の地図が生まれたのにはどのような背景、課題意識があったのですか。
まず、それぞれの国が地図に対して複雑な制約を抱えていたことが背景にあります。OSMが立ち上がった2004年当時のヨーロッパ各国では、地図データの利用に制約の強いライセンスを設けるなど、保守的な姿勢が目立っていました。たとえばイギリスではOrdnance Survey(英国陸地測量部)という、日本の国土地理院に相当する組織があります。この組織の民営化が進んだことにより、地図をリソースとして独自に稼ぐ必要が生じ、地図データの使用に料金を科していました。ボトムアップ型の地図は、こうした制約から地図を解放し、自由に使えるものにしようという動きの中で生まれてきました。
その動きが、2005年にティム・オライリーが提唱した「WEB2.0」の概念によって普及の波に乗ったのだと考えています。コンテンツの送り手と受け手という立ち位置が流動化し、誰もが情報を発信できる文化が定着していく中で、地図をつくるという行為自体が面白いと認知され始めました。OSMなどのクラウドソーシング型の地図共有サービスは、YouTubeをはじめとしたユーザー主体、参加型のコンテンツと共に広がったのです。
──古橋さんはどのようにして地図のカスタマイズに取り組み始めたのですか。また、地図情報の入力が市民に開かれたことで、新たにどのようなことが可能になったのでしょうか。
僕は2005年まで、デジタル地図データをつくるGISソフトウェアの販売代理店でエンジニアとして働いていました。それまでの販売価格は1ライセンスにつき約100万円で、とても個人で買えるものではありませんでした。しかし、2004年ごろからOSMやNASA World Windをはじめとしたフリー・オープンなデータやソフトウェアが出てきたところで業界が変わると直感し、独立して会社を立ち上げ、日本における地理空間情報の利活用技術コンサルティングを始めました。その中でGoogleのエンジニアと意見交換する機会があり、Google MapsやGoogle Earthなどのジオサービスのビジネス活用を相談していたのですが、当時のライセンスはかなり曖昧に記述されていて、どれも実際に使うには判断が難しいという返答ばかりで、思うように進みませんでした。結局、地図の活用を広げるには、オープンなものを独自につくる必要があると考え、その方法を模索していたところでOSMの普及活動を準備していた日本人メンバーを知り、日本のOpenStreetMapコミュニティ立ち上げメンバーのひとりとして活動に参画しました。
OSMなどのプラットフォームは、地図情報の入力をクラウドソーシング化することで、さまざまな目的に応じられる汎用的な地図(ベースマップ)を迅速につくることを可能にしました。たとえば最近では、ロシアがウクライナへ侵攻したことを受け、ウクライナ国境付近のOSMデータの詳細マッピングを行いました。青山学院大学のYouthMappers AGU学生チームが主導し、OpenStreetMapポーランドコミュニティと連携して、ウクライナの国民が周辺国の避難施設へ少しでもスムーズに移動できるよう、避難者の受付場所(Reception Point)までの主要な街道沿いの詳細な地物を入力しました。
今は有事の際、各国の赤十字機関や国境なき医師団など、OSMの地図を頼りにするエンドユーザーがかなり多いです。その傾向が強まる契機となったのは、2010年に起きたハイチ地震でした。現地政府でも被害地域を把握できない状態の中、世界各国のボランティアが協力し、衛星画像などを収集してOSM上に数日で詳細な地図をつくりましたfig.2。こうした危機的状況下で、現場の状況を地図として発信する「クライシスマッピング」の有用性が強く認識されるようになりました。
伝統的な紙地図には「地図はつくられた瞬間に古くなる」というジレンマがあります。印刷してしまうと当然更新できないので、即時性を重視する「リアルタイム地図」を実装することはできませんでした。しかし、デジタル技術によって、地図の即時更新は夢物語ではなくなりました。特に、都市が大きく変化する大規模災害時には、被災現場で救急救命活動に従事する方への最新デジタル地図提供が当たり前になりつつあります。地図はこれまで、ある一時点の世界を表象するものでしたが、デジタル技術によって複数の時点が積層し、かつ更新の担い手が全世界に広がったことで、現実と同様に常に流動するものとなったのです。
──トップダウン型の地図とボトムアップ型の地図が社会の中で果たす役割は異なるのでしょうか。また、ボトムアップ型の地図が普及することで、現実の都市空間、都市計画にどのような影響があると考えていますか。
トップダウン型の地図の大きなミッションは、網羅性を担保することです。ボトムアップ型の地図はすべての建物情報が網羅できているわけではなく、場所によって情報の粒度にムラがありますfig.3fig.4。あくまで個人のレベルで展開するため、全体を網羅するという意志がないからです。
ただ、両者はいずれ組み合わさっていくと想定しています。たとえば、国土交通省のProject PLATEAUは3D都市モデルの詳細度に応じて4段階のレベル分けしていますが、詳細度が足りず、2次元地図をそのまま鉛直方向に持ち上げただけの四角い箱(LOD1)で表現されている建物もまだ多くあります。さらに、歩道橋や高架橋などの都市構造物などの細かいアセットはまだまだ実装されていないので、整備が追いついていない部分や、オープンデータとしての整備コストが見合わない地物をボトムアップ型のデータで補完していくのが現実的な解ではないかと思っています。
また、少子高齢化・人口減少が進み、これまでの社会サービスの継続が課題となるこれからの社会において、ボトムアップ型の地図は間違いなく重要な情報となっていきます。これまでの都市計画は、トップダウン型の、市民にとってはあくまで受容するものとしてのプランが主軸となっていましたが、縮小していく未来を前提にすると、政策立案プロセスの抜本的な改革や、その後の評価・検証が不可欠です。そのためには、定期的かつ定量的に都市をモニタリングし、さまざまな課題を可視化して、その解決法を議論する必要があります。その議論のベースとなるのが地図データですが、データの運用や鮮度の向上にもコストがかかります。持続可能な社会サービスとしての地図データを目指すのであれば、国や自治体が運用から計画立案までを一手に引き受けるのではなく、都市の主役である市民や企業が、ボトムアップ型の地図によって都市をモニタリングし、計画立案にバランスよく関わっていくことが必然です。
OSMのような大縮尺の地図を自らつくるという行為は、地図編集の過程で街の細部を再発見することによって、点と線で構成されていた脳内のメンタルマップを面的に理解できるようになるということです。普段気にしていなかった小道や建物、土地利用などのディテールを向上させるマッピング作業を通し、個々人にとっての街の空白域が詳細に見えてくるようになる。これはマッピング活動に参加した多くの人が感じる変化だと思います。結果として、自分の街への理解が深まることで、街の課題と向き合った時の空間的な分析が容易になります。
また、「地図の民主化」を通して街を見る人が増えることで、ボトムアップ型の地図が高頻度に更新され、その地図に触れる多くの人や都市計画に関わる人が、都市の変化に気づきやすくなります。その街の変化へに行政や民間企業、市民が素早く対応できるようになります。「観察(Observe)」の頻度が上がることによって、情勢への適応(Orient)と意思決定(Decide)を素早く行い、最終的に行動(Act)まで繋げていく都市のOODAループを回すスピードは加速していくでしょう。
──ボトムアップ型の地図の普及にあたり、課題となっていることを教えてください。
これは非常に難しい問題なのですが、地図が国家や企業の管理から離れてオープンとなることで、今まで以上に多様な使われ方をしていく反面、場合によっては人の命に関わる危険性が生まれることは否定できません。たとえば、地図は国の安全保障に密接に関わるものです。その証拠に、各国の測量機関は軍事的なルーツを持っています。日本の国土地理院は旧日本陸軍の陸地測量部と内務省地理局がベースで、第2次世界大戦中には軍事工場などを日本の地形図から消していました。OSMなどは、そういったしがらみから切り離された市民から始まったデータセットですが、現在でもわれわれがつくった地図情報が軍事利用される可能性はゼロではありません。地図データの更新プロセスに透明性を保証すると共に、地図情報が世界中で共有されていることを当たり前にすることで抑止力として機能することも重要と考えます。
ボトムアップ型の地図を使用した際のリスクヘッジは使用者の自己責任に委ねられています。誰でも自由に地図データをつくれるようになった一方で、そこに生じるリスクをゼロにし、保証することはできません。地図の作成・調製やその利活用が社会に開かれることが、世の中をよりよくすることだといえるように、正しく地図を使うためのリテラシーを地道に育てていく必要があると思っています。
冒頭に話したように、ボトムアップ型の地図はまだ広く知られてはいません。ですが、2022年度から高校の新学習指導要領にGISを学ぶ必修科目として「地理総合」が盛り込まれたように、これからデジタルの地図情報へ触れ、自分で操る機会は徐々に増え、それに応じてボトムアップ型の地図の編集者も増えていくのではないかと思います。
また、現在はスマートフォンに備わるGPSの移動ログやジオタグ付きの写真・映像が多様なスマホのアプリを経由して自動的に収集・共有され、さまざまな地図データの更新に生かされており、多くの人がほとんど意識することなく地図づくりに参加しているのも事実です。ボトムアップ型の地図の拡大には、こうした地理空間情報を収集する場となる、Pokémon GOなどのような地図データを活用したサービスを増やし、それらを相互に連携させることで、受動的な地図づくりへの参加の機会を増やすことも重要です。
(2022年7月7日、オンラインにて 文責:新建築.ONLINE編集部)