都市の余白という意味での「遊び」
山道 近年、土地を公共空間の代替として提供しようという意識が個人や民間企業に定着し、そこに建築家が携わるプロジェクトが増えています。公共空間にまつわる議論の場では、公園は厳しく規制され、公開空地は無味乾燥だという話になりがちですが、コロナ禍以降、個人、民間、公共の垣根を越えたさまざまな座組みの中で、開かれた場をつくり出そうとするチャレンジングな事例は増えているように思えます。こういったプロジェクトにおいて、従来の枠組みからの逸脱を許容する仕組みや遊びをもった空間をいかに構想できるか、という目標設定は、とても現代的だと思います。
パブリックスペースを考えるうえで避けなければならないことは、これまでにない自由さを求めてプロジェクトを推し進めたはずだったのに、ターゲットの想定や企画・運営を厳密に構築した結果、建築とコンテンツが対応しすぎて、想定から逸脱したモノやコトが迷惑なものとして感じられる空気感が醸成されてしまうことです。子供やお年寄りが過ごしづらい雰囲気を纏ってしまっていた場合、あえて緩くする寛容さを伴うオペレーションを行うなど、チューニングしていくことがありえるだろうと最近考えています。
元木 そうですね。「遊びをもった空間」という時の「遊び」という言葉を考えると、バッファーゾーン的な意味で捉えるのがふさわしい気がしますよね。今の都市に必要なのはプレイパークという意味だけではなく、まさに「都市の余白」という意味での「遊び」だと思います。
公園の規制についておっしゃっていましたが、僕はドイツ・ベルリンにある市民の手による公園「プリンセス・ガーデン」に強い影響を受けていますfig.1。2009年に2人の青年が空き地のごみ捨て場を勝手に片付け、植物の種を蒔いて緑化したことによりできた、いわばゲリラ公園です。野菜や果物など作物の栽培を行うアーバン・ガーデンとして、人がくつろげるようにベンチを置き、週末は種蒔き会やDIYのワークショップを開くなど、どんどん規模を拡張していきましたfig.2fig.3。一時はベルリン市から立ち退き要請を受けるも、多くの利用者の署名により、現在は正式に土地を借りて運営されています。それまでは地面に植物を植えていましたが、今後の立ち退きの可能性も考え、ビニール袋やコンテナなどで栽培されるようになったそうですfig.4。カフェでハーブティーを頼むと空のコップとハサミだけを渡され、自分でその辺に生えているハーブを摘むと、お湯を注いでくれる。日本も公園もこのようにもっと寛容な場であってほしいです。
山道 植物をビニール袋で栽培するのは、制度への抵抗を静かに宣言しているようで面白いですね。たくましいです。日本でも、コロナ禍になって飲食店の路上利用が一部認められたりと、個人や民間が公共空間を活用することが許容された雰囲気も一時ありましたが、その後感染者数の増減にも波がありまだまだ定着していません。
元木 日本は、起こり得るトラブルは未然に防ぐという考え方なので、許認可制度は「原則NG(オプトイン)」とすることを基本として定められていますよね。一方で、スタートアップなどのチャレンジに寛容なエコシステムが構築されているエリアのように「原則OK(オプトアウト)」を基本に、問題が起こった時には局所的に対処するという考え方があります。本来、パブリックというすべてに開放された場所の内側に、望む人が確保する場所がプライベートだと思います。民間が公共にどんどんはみ出すことを許容し、そのはみ出し方に問題があった時に公共が対処してくれるという社会になってほしいです。しかし今の日本は、そのパブリックとプライベートの境界が単に境界線でしかありません。民/官、プライベート/パブリックという対立概念ではなく、よりよいコモンズのために境界を溶かしはみ出すというアイデアに対して、官側の境界線が問題になってくると、プライベート側に迎え入れるしかない。このような制度や考え方では萎縮するのは目に見えています。そういったことを背景に、現在の個人や民間企業によるさまざまな取り組みが実情としてある気がします。
山道 「原則NG」か「原則OK」かによって、その場所で描かれる未来は大きく変わりそうですよね。都市の余白をデザインする際の建築家の役割とは何かを最近考えています。従来のルールから逸脱しようとした時に、すでにある慣習や法制度を解釈するクリエイティビティが必要になります。従って、都市に自由な場をつくるうえで、制度を解釈し後押しする法律家というか、活動的な主体の伴走者としての建築家の姿があるのではないかと考えています。
既定の機能を巻き戻す
山道 元木さんは最近、民間企業が運営する広場「HIROPPA」(『新建築』2203)を手がけていらっしゃいましたfig.5。DDAAの事務所「happa」でも、前の通りのガードレールまでをなんとなく事務所の領域として使っていたり、事務所のファサードを越境して植栽が入り込んでいるような設えになっていたりと、日頃の実践の延長から、本当の意味での公園のような、多様なアクティビティが展開する場ができ上がったという印象を受けています。民間がこうした度量の大きな場を設けることに驚きました。どのような経緯で始まったプロジェクトなのでしょうか?
元木 「HIROPPA」は都市公園法などに基づくいわゆる公園ではないので、正確にいえば私設の広場です。ただ、誰でも入ることができるので、極めて公共的な場所になっています。長崎県波佐見町で生産されている波佐見焼の企画・製造・販売を手がけるクライアントの「マルヒロ」は、このプロジェクトによって、町民の30%が焼物産業に従事しているといわれる地元の関心を高めることを目指していました。波佐見焼は大量生産品で、食器の数でお勘定を計算していた江戸時代は、お勘定をごまかすために窓から食器を外に投げていたぐらい、日常に溢れ、手軽に使われてきました。そんな地元では、もらえてしまうので陶器を自分たちで買う機会も少なく、信じられないですがマルヒロの社長自身もかつて若い頃は、特に焼き物にそこまで関心がなかったそうです。ただ、その関心の低さというのは、時間の経過と共に産業全体を右肩下がりにしていくじゃないですか。これはなんとかしないと、ということで立ち上がったのがこのプロジェクトでしたfig.6。彼らは自分たちの興味に基づいて、たとえばアーティストとのコラボレーションした焼き物の制作やイベントの開催、Evisen Skateboardsというスケートボードブランドとの陶器を用いた共同制作など、さまざまな活動をしていて、焼き物だけではなく、多様な文化に触れられる場をつくり、楽しく陶器の仕事をしているところを見せることが巡り巡って産業全体に還元されることを期待しています。今は焼き物ファンが訪れるだけでなく、保育園の散歩コースになっていたり、近所のおじいちゃんがコーヒーを飲みに来たりしているようですfig.7fig.8。
閉じた世界になり得ることの危機感から、属性を規定せず、誰でも訪れることのできる「公園をつくろう!」と思ったんだそう。最初はずいぶん飛躍したアイデアだと驚きましたが(笑)、その理由はとてもよいと思いました。大抵の場所は何らかの機能・目的をもってつくられますが、公園は明確な用途がなくても許される空間であり、そこでやることに対しても許容値が高いことが魅力です。公園に地元の文化や産業に触れられるという体験をつくったことで、長い目で見た時に焼き物文化施設をつくるよりも、訪れる人の属性を規定せず間口が広がったのではないかと思います。そして、地域に開きつつもいかに焼き物のロジックやヴォキャブラリーを入れてデザインするか、ということを考えました。
山道 実際のデザインはどのようなプロセスで決まっていったのですか?
元木 彼らからは、公園をつくりたいことと、フラッグシップショップが必要だということ以外の要望が極端に少なかったんです。さまざまな属性の人に楽しんでもらいたいからバリアフリーは徹底してほしい、ということ。あとは隣に神社があるのでその参道にあたる部分には建物を建てないでほしい、といったくらい。そこで、まずはさまざまな公園にどういうものが置いてあるのかリサーチし、遊具のスタディを重ねたのですが、結局ほとんど採用しませんでしたfig.9-12。というのも、遊具は国土交通省が安全基準の指針を定めていて、その指針をもとに日本公園施設業協会が「遊具の安全に関する規準」を作成しています。事故などの問題に対処できるように仕様が決められているので、それになぞらえてデザインすると、既存の滑り台ができ上がるんです(笑)。
でも、よく考えると遊びはそもそも遊び方を自分で見つけ出すところから始まりますよね。滑り台も、最初は坂道を転げ落ちたら楽しいことを体験し、滑りやすい角度を探したり、段ボールを尻に敷いて滑ったりと、試行錯誤して今のかたちが生まれたはずです。そこで「HIROPPA」では、決められた遊びを促す遊具ではなく、新しい遊びを発見できるぐらいまで機能を巻き戻し、違う使い方も許容された状態にするのはどうかと考えました。その結果、バリアフリーの通路をレベルの起点とし、地形を操作することで池や高台を設け、さまざまな機能がグラデーショナルに繋がった公園ができたのですfig.13fig.14。そこに至ったのは、外構を担当してくれた西海園芸の方に、土の移動がいちばん安いよ、といわれたというのが大きなヒントになっています。
ノイズを受け入れる
山道 「HIROPPA」のスタートは新型コロナウイルスの感染拡大と同時期だったかと思いますが、コロナ禍で変化を感じたことはありますか。
元木 社会が根本から変わってしまう現実を目の当たりにし、仮設的な構造やフットワークの軽さがより説得力を増したと思います。これから未曾有の災害やパンデミックが起こると想定した時と、未来永劫安泰と想定した時では、デザインのやり方がまったく違いますよね。
最近は、建築は完成しない状態のままがいいのではないかと思っています。竣工して終わりではなく、変数を許容しながら全体として強度を保つ、つまり、場所として魅力的な状態を保ちつつ、自由度が高い状態やプラットフォームとしてもコンテンツとしてもよくできている状態を何とかしてつくりたいと考えています。そのため、「HIROPPA」のパーゴラは建物と同じ1mモジュールでつくり、建物と広場の間に配置することで内外の領域を曖昧にしています。これによって、広場で遊ぶ子供と日陰でくつろぐ大人の領域を混ぜようとしました。建物の外壁の一部では、真柱にテントを直付けしています。サッシを使っていないので、開放するとパーゴラのように見えるんですfig.15fig.16。
山道 上棟直後のような空間は、自由さを感じさせますね。
元木 建築は上棟したてぐらいが実はかっこいいですよね。パーゴラではパッションフルーツなどの植物を育てているので、場合によっては構造材の木が腐ることも考慮し、材を1本単位から簡単に交換できる簡単な構法を採用しました。ガラスもすべて同じサイズのものを仕口で留めるだけにしています。そうした更新性・可変性は意識していて、将来増改築する時も外壁ごと使い回すことができます。
山道 構法的な「遊び」を残し、変化に対応できるようにしているんですね。さまざまなスケールで「遊び」をもって全体を構築していますね。徹底した緩さ、という状態が興味深いです。
元木 現代の社会基底となっているモダニズムのよいところは、ユニバーサルであるということです。最大公約数的なデザインは全世界で適用・応用可能ですが、それがよくできていればいるほど、ノイズがこぼれ落ちてしまいます。そのノイズを許容できない限り、多様性とはいえません。ユニバーサルとダイバーシティは対立概念ではないので、いかにそれらが共存する場をつくれるかということを考えていますfig.17。
山道 最初にすべてをつくりきるのではなく、変化と共に領域が展開していくというやり方は、ユニバーサルとダイバーシティが共存する場をつくるのに効いてくるのではないかと思いました。
たとえば下北沢はそこかしこで建築が改造され、街中はモノで溢れていて、ノイズの集積ででき上がったような街です。「BONUS TRACK」(『新建築』2005)でもそういうノイズを積極的に取り入れようと、建築を改造するためのルールブックをつくりましたfig.18。ほとんどの商業施設には慣習的に「内装管理指針書」というルールブックが存在し、「内装管理室」という部署がテナントの図面をチェックするという構図があります。ツバメアーキテクツでは内装管理指針書をゼロからつくり、内装管理室も自分たちが担うことで、ハード部分を司るエリアマネジメントのような役割を担っています。庇や外壁、床、跳ね出した基礎などは改造してもよい、外部に家具をはみ出して広場をいくらでも使ってもいい。その代わりに周りのお店の方と協力してください、というお願いをしています。僕らが各テナントに対し街並みへの溢れ出しを促すように、そして当然違法建築化しないように図面に目配せしているので、時間軸と共にその場所でさまざまな実践が重なり合います。多くの一般的な「内装管理指針書」と「内装管理室」は、テナントが入れ替わるたびに滞りなく現状復帰が行えるように、すなわちゼロに戻すことを目的としていますが、「BONUS TRACK」では、価値がどんどん蓄積していき、いつの間にかかけがえのない価値を持つものへと変化していくようなことを目指しています。
元木 変化し続けるという意味で両者は共通していますね。ノイズを許容するには、ひとつの定まった状態を想定しないことがとても重要だと思います。
場のお裾分けが価値を生む
元木 先ほど建築は完成しない状態がよいという話をしましたが、たとえば自分の事務所だと毎年壁を塗り直したり、スタッフの人数が変わるたびにレイアウトを考え直したりしているように、自分たちが関わるうえでは、その建築は新陳代謝を繰り返していてほしいです。建物は存在しているのに、不動産が減価償却資産とされて価値が下がっていき、数十年で不動産価値がゼロになるというのも、本来は不思議な話です。
山道 事業計画をつくるうえで、未来永劫、無限に同じ賃料を取ろうといわんばかりにエクセルのバーが埋められていく。エクセルに流れている時間は非常に静的です(笑)。私は、時間の経過と共に、価値が蓄積しどんどんよくなっていく仕組みを構想したいですね。それには、制度ができ上がる前に立ち戻ることで、デザインだけでなく、現代社会の仕組みの観点からこれまでと違うことに取り組む重要性を感じます。
元木 今年4月にオープンした「all day place shibuya」というホテルでは、向かいが美竹公園であることを利用して、街に思い切りはみ出して使える外構デザインとし、それを活用いただけそうなテナントに入ってもらいました。ホテルのエントランスを広場のような空間にし、テナントのビアバーとカフェのお客さんに積極的に使ってもらうために、ホテルのサインや手摺り、塀などは、すべて腰を掛けて、ビアグラスやコーヒーカップを置けるようにしていますfig.19fig.20。広場はホテルの共用部でリースラインの外のため、ホテル側の直接的な利益にはなりませんが、ここに人が集まることで、ホテルの利用者が渋谷の日常を感じられる。地元の人からおすすめの飲食店が聞けるかもしれない。そういう場所をもつことはホテルにとってもよいことだし、テナントにとっては家賃をかけずに席を確保できる。つまり、簡単にいえばこれは運営側とテナントにとって良い共存関係が生まれていて、外にはみ出すことで全体としてベネフィットがあり、街に対しての意識としてはお裾分けなんです。そういう意味ではとてもうまく機能していると思っています。このプロジェクトでもキーワードは公園でしたfig.21。
「BONUS TRACK」も、住みながら働くという新たな生活の実験場としては秀逸で、2階が家になっている兼用住宅が広場を囲むというプランが重要なのではないかと思います。自分ごととして使いこなせる広場があり、よい広場になると街にとっても利益があり、人が集まることは「BONUS TRACK」にとっての利益に繋がります。サステナブルかつ能動的に広場をアップデートしていく循環構造がありますよね。
山道 おっしゃるとおり、住宅地における広場には可能性を感じています。活動によって人が集まることで、魅力を感じた来訪者が、近所の空き家を借りて店を出してくれたりと、好循環が生まれます。地元の園芸サークルが「BONUS TRACK」の植栽メンテナンスを担うようになり、最近園芸拠点もできました。こういう連関は、都市開発の視点から見ると事業計画に取り込みにくい細やかな実践の連なりです植栽のメンテナンスや、イベント、マーケットなど外部空間で展開される一連の活動を、計算の外側の経済活動という意味合いで、外部経済と呼んでいる。。企業が手がける都市開発も、そうした地域住民の実践による外部経済が成長するまで時間をかけた開発となっていくことに期待したいです。
元木 僕ら建築家に仕事を依頼するような企業は、パブリックマインドが高いですよね。客を囲い込もうとせず、直接利益お金を生むことに繋がらずとも、まず何かを与える。不思議なことに、こうしたお裾分けの精神が巡り巡って利益になるのかもしれません。ハードだけ用意して終わりではなく、使いこなすソフトあってこそですし、こうしたさまざまなものを許容する余白的なものの価値への意識が、運営側にも利用者側にも、少しずつ芽生えている気がします。
「HIROPPA」は特殊なプロジェクトに見えるかもしれませんが、斜陽となりそうな地場産業と絡めた広場をつくり、興味を持ってもらうところから始めるということはほかの地域でも応用可能だと思います。デザインのきっかけも豊富にあるし、なにより風景がポジティブに変化する。このように、展開可能なロールモデルを社会に示すのもわれわれの役割だと思っています。fig.22
(2022年5月24日happaにて。文責:新建築.ONLINE編集部)