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2022.06.29
Interview

ものづくりの軸を見定める

異色の元建築学生たち5

下条美緒

建築学科を卒業しながら業界を超えて活躍する方たちに、その進路を選ばれた経緯やきっかけを伺う連載企画。第5回は料理研究家・フードコーディネーターの下条美緒さんです。(新建築.ONLINE編集部)

──現在料理研究家・フードコーディネーターとして活動されていますが、それぞれどのような仕事なのでしょうか。(編)

料理研究家は下条美緒という名前でレシピを考案する仕事で、フードコーディネーターはテレビなどのメディアや食品メーカー、飲食店へレシピを提供する、いわば裏方の仕事です。また、料理だけでなく食器など、食周りのコーディネートも行っていますfig.1fig.2fig.3

──建築学科に進学された際はどのような思いがあったのでしょうか。

幼少期から建売住宅の広告に掲載されている平面図を見るのが好きで、間取りから家具の配置を想像して夢を膨らませていました。いつしか自分も住宅を設計したいと思うようになり、また設計だけでなく絵やデザインにも興味があったので、武蔵野美術大学建築学科に進学しました。学部1年のカリキュラムには、一般教養のように彫刻やデッサン、グラフィックデザインなどの建築以外の美術も含まれていて、さまざまなものづくりをひと通り体験できました。
在学当時はバブル景気の真っ只中。敷地周辺の環境や歴史との関係から導かれるデザインよりも、造形的な美しさを優先したような建物も多く、どこか違和感を覚えていました。建築は周囲の街並みや環境と融合して生み出されるものと考えていたので、3年時のゼミ選択ではひとつの建築に向き合うよりも、周辺環境を広く捉えられる都市計画の分野に進みました。卒業設計では「『よい街並み』とは何か」をテーマに、住居、商業、オフィス、ホテルの複合施設を下北沢に設計しました。機能の合間にそれぞれの利用者が入り混じり、多様な活動が展開するスペースを設けました。

──そこまで設計と向き合われてきた中で、料理への興味はいつ芽生えたのでしょうか。

幼い頃から料理に興味があったわけではなく、ぼんやりと料理の仕事がしたいと思うようになったのは学部3年からです。当時は設計課題に打ち込んでいたのですが、図面は手書きで、求められる模型も大きくかなりの作業が必要でした。そこで、友人たちと大学の近くの部屋を借りてアトリエにし、課題に取り組みながら共同生活をすることにしました。その中に料理が上手な子がいて、いつもハンバーグや親子丼を振る舞ってくれていたんです。私はこれまで両親が料理するところをじっくりと見たことがなかったので、友人が手際よく美味しい料理をつくる様子に感動しました。それまで料理の経験はほとんどなかったのですが、友人が持っていたレシピ本を読んでいるうちに、自分でも簡単なものからつくり始めたのが料理との出会いです。

──料理のどんなところに魅力を感じたのですか。

建築や都市計画は、完成するまで数年から数十年を要しますよね。その間にさまざまな関係者の思いが入り混じり、当初の自分のヴィジョンとはまったく違うアウトプットになることもあると思います。多くの人と意見を交わしてひとつのものをつくるのも魅力的なことですが、はじめて意識的に料理をつくった時は、頭の中のイメージが自分の手捌きを通して手軽に具現化できたことに感動したんです。コストもかからないので試行錯誤しやすいし、何より食べた人が目の前で喜んでくれる。その一連の営みに魅力を感じました。
こうして、家庭で気軽に再現できる料理のレシピを世に届ける仕事をしてみたいと思うようになったのですが、当時、料理研究家やフードコーディネーターという肩書きは一般には認知されておらず、当然インターネットもなかったので、参考となるロールモデルが見つけられずに悶々としていました。とはいえ両親の援助で大学に通い、せっかく建築・都市計画を学ばせてもらったので、料理への漠然とした憧れを抱えたまま、卒業後は都市計画の事務所に就職しました。

──都市計画の事務所ではどのようなプロジェクトを担当されたのでしょうか。

青森県から仕事を受け、下北半島の東通村、六ヶ所村など原発関連施設の建設で潤う自治体の大規模なまちづくりプロジェクトを担当し、リサーチを通して街に必要な施設などを提案する仕事に携わりました。大量の業務をこなし、プロジェクトがひと段落したところで再度自分自身と向き合った結果、やはり料理への道へ進もうと決心しました。昼間は派遣社員として積算の仕事をしながら、服部栄養専門学校調理師本科夜間部に通って調理師免許を取得しました。

──建築・都市計画から料理の道へと進むのは、大きな転機だったかと思います。何が決意するきっかけとなったのでしょうか。

明確なきっかけはなかったのですが、美大に通った影響が大きかったのではないかと思います。絵を描く人や家具のデザインをする人、さまざまな学生たちと交流し、それぞれのものづくりへの姿勢に感化されました。ほかの学部の生徒はつなぎを着ていて、学校内は工事現場のような音や匂いがする、ものづくりが身近な環境だったんです。建築学科では実際に建物をつくることはないですが、絵画や工業デザインの人たちは成果物をそのまま制作している。料理というものづくりのダイレクトさに感動したのは、自身の手によって即物的に成果物を生み出すことへの憧れがあったのかもしれません。
本格的に料理の道へ進めたのも、大学での縁がきっかけでした。料理研究家の小林カツ代さんのご子息で、自身も料理研究家となったケンタロウに、大学時代の友人が引き合わせてくれました。その縁で小林カツ代キッチンスタジオに入社し、料理のキャリアをスタートしました。

──料理を考える際、今でも建築・都市計画で学んだことが活きることはありますか。

たとえば、雑誌の場合は読者層や掲載時期、過去の特集の傾向、ケータリングの場合は参加者の男女比や年齢層などを調べ、いつどこで誰に求められるのかということを整理し、提案に活かしています。レシピを考える際は、口の中のバランスを考えます。完成形の全体をイメージし、足りない味や食感があれば食材や調味料を追加してまとめあげるという感覚です。また、料理単体だけでなく、お酒とのペアリングなども考慮します。まずは与件を整理し、全体を見つめ、食材や料理同士の関係を考える。これは建築・都市計画の分野で身についた姿勢かもしれません。
建築を学んでから今に至るまで通底しているのは、ものづくりの先にいる人びとが喜ぶ姿を想像してつくるという姿勢です。ものづくりを仕事にするという軸で考えた結果、私の場合は料理という道に繋がりました。些細なことでも興味を持ったものは、まず実践・経験し、夢や目標を言葉にすることで思考は展開します。そうすると、自分にとって大事なことが何かが自ずと見えてくるはずです。

(2022年6月13日、Fireking Cafeにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

下条美緒

1973年長崎県生まれ/1995年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業、テイク・ナイン計画設計研究所/1998年服部栄養専門学校調理師本科卒業/1998年小林カツ代キッチンスタジオ/1999年ケンタロウ事務所/2008年〜「男子ごはん」(テレビ東京)にてフードコーディネーター担当/2012年独立/著書に「うちで乾杯ほろ酔いつまみ」(成美堂出版、2022年)「一生使える! ダッチオーブンレシピ」(成美堂出版、2021年)、世界一美味しい!和食パスタの本(共著、主婦と生活社、2020年)など

下条美緒
教育
料理
異色の元建築学生たち
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IDEE SHOP Onlineのクリスマススタイリングのためにコーディネートした料理。和風ミートローフ、サーモンのアジアンタルタル、豆とブロッコリーのタルタルサラダなどを並べた。/提供:下条美緒

『うちで乾杯ほろ酔いつまみ』(成美堂出版、2022年)/提供:下条美緒

『一生使える! ダッチオーブンレシピ』(成美堂出版、2021年)/提供:下条美緒

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