新規登録

この記事は下書きです。アクセスするログインしてください。

2022.02.22
Essay

無意識に眠る教養、世界をナビゲートする地図

異色の元建築学生たち3

曽良あかり(Niantic)

建築学科を卒業しながら業界を超えて活躍する方たちに、その進路を選ばれた経緯やきっかけを教えていただく連載企画。第3回はNianticの曽良あかりさんにお願いしました。(編集部)

幼少期をアメリカで過ごし、当時ビデオテープなどで観た日本のアニメに影響を受けてよく絵を描いていました。車での移動時間が長い生活で、車中で架空の世界の空想に浸ることが多く、将来は漠然と漫画や映画、ゲームなど、フィクションの制作に関わりたいと思っていました。高校生の時の進路選択では、多分野に跨って幅広い勉強ができ、キャリアの選択肢も増やせると思い、建築学科への進学を決めました。

学部のはじめは美術部や映画部、漫画研究会といったサークルでの制作活動に明け暮れていましたが、3年時に設計課題が始まると、建築デザインの面白さに気がつきました。特に造形を考えるのは彫刻のような感覚で楽しく、またデザイン史などの座学にも興味を持って臨んでいましたが、そのキャリアに進むことについてはしっくりときていませんでした。当時、日常の中で生きる楽しみを実感できたのは、漫画や映画に夢中になっている時でした。衣食住など現実の実用的な問題を解決する建築の道よりも、精神的に、心を満たせるフィクションをつくりたいと考えていたのです。

キャリアについて悩みを深めていた頃、東日本大震災(2011年)が起きました。当時はベルギーに留学しており、慣れ親しんだ東北の風景が一変する様子をテレビで目の当たりにしました。人生はいつ終わるか分からない、という現実を突きつけられ、正直にやりたいと思っているフィクション制作の道に進むことを決心しました。
またその頃は、ゲームの中の世界観をつくりたいという思いを強めていました。特に「人喰いの大鷲トリコ」(ソニー・インタラクティブエンタテインメント、2016年)のトレーラーを見て、獣や遺跡の見た目や質感など、リアルで親しみはありながら、現実のどこでも見られないような世界観に影響を受けていました。立体的な環境のゲームであれば建築のバックグラウンドも活かせるのではないかと考え、ゲーム制作会社への就職を目指しました。

ゲーム制作会社に就職してからは、コンシューマーゲームの背景やキャラクターの3Dモデルや2Dアートを手掛けてきました。ゲームづくりは意外に手仕事の部分が多く、3D、2Dスキルを磨き、できることが増えていくことはとても刺激的で、また、業界全体で年々技術が向上しており、表現の幅の広がりを間近に感じられたことも魅力的でした。一方、大規模のコンシューマーゲーム開発では分業化が進んでいて、最も興味のあった世界観づくりなど、ゲーム体験全体に関わることが難しい環境で、また長い開発期間の中で社会の動きから取り残されていると感じてもいました。

後にほかの開発環境の経験もしてみたいと考え、現在所属するNianticに入社しました。手軽なゲーム体験づくりとユーザーをより身近に意識した環境でゲーム開発を行っています。
現在の肩書はUXデザイナーです。UXとはユーザー・エクスペリエンスの略でユーザー体験をデザインすることが仕事となります。ゲームの世界観をつくりたいと長く思ってきましたが、ユーザーの体験をつくることはそれとかなり近いか、それ以上に面白いことかもしれません。現在手掛けているアプリ開発では、画面の見た目や振る舞いをデザインすることが多いのですが、アフォーダンスに配慮するなど建築の設計に通じる部分がとても大きいです。今まで得てきた建築デザインとゲーム制作の経験をすべて注ぎ込み、また新しい学びを得ながら日々仕事をしています。

回り道をしてきた人生の単なる通過点として考えていた建築ですが、振り返ってみると、自分が思う以上に助けられてきました。これまで3Dや2Dアート、UXなど、異なる媒体を手掛けてきましたが、それらには成り立つまでのプロセス、存在するコンテクスト、人への伝達手段など、いくつか共通して考慮、配慮するポイントがありました。普段はもはや自分の無意識の中に眠ってしまっていますが、これらのものづくりに対する癖や知識の多くは建築デザインを通して得られた教養のようなものです。恩師の五十嵐太郎先生が「教養は才能の邪魔をしない」と仰っていたように、これらの知識・知恵、あるいは視点が蓄積していくことで表現の幅を広げて来れました。異なる分野に進んでも建築の教養によって制作の道中をナビゲートする”地図”を得ることができたので、迷子にならずにものづくりを続けて来れたのだと思います。
コンシューマーゲーム制作の場でどっぷりとフィクションをつくることにのめり込みましたが、ARの会社で働きはじめて再び現実に戻ってきたような気持ちでいます。ゆくゆくはUXデザイナーとしてフィクションと現実を繋げた新しい体験をつくりたいですが、そのときはまた建築デザインの世界にヒントをもらえる予感がしています。また改めて勉強したいと思っている今日この頃です。



Q1. 現在のご専門を教えてください

– UXデザイナー

Q2. 現在の活動の概要と、最近のプロジェクト事例を教えてください

【プロジェクト・作品】
個人制作「Project KGM」(2017年)fig.1fig.2
謎解きアクションゲームの企画を想定したアートワークを制作しました。「鏡」をコンセプトに、2Dと3Dが入り混じったトリックを幽霊屋敷を舞台に展開できないかと考えました。

個人制作イラスト(2020年)fig.3
ゲームに出てくる遺跡や廃墟に影響を受けて描いた一枚。外か中かわからない空間が好きで、かっちりとしたコンセプトアートを描きたいときはロケーションの設計作業に熱中してしまい、いつまでたっても構図が決まらないことが多いことが悩みです。

Pikmin Bloom(UXデザイン、3D/2Dアート、2021年)fig.4
ピクミンを育てながら、歩くことをより楽しくするアプリを制作しました。3Dモデルの制作や、生活の記録をつけられる機能であるライフログなどのUXデザインを手掛けました。UXのデザイン作業は建築の設計プロセスに特に近いので建築のバックグラウンドが大変役に立っていますが、日々勉強です。

Q3. 学生時はどのような設計・研究をされていましたか

学部卒業設計神殿(2012年)fig.5fig.6
長い時を経て神殿へと変貌していくデータセンターを設計しました。千年、万年と情報を保存することは可能か、という考察です。サーバーの排熱で植物が育ち、それらの繊維でつくった紙に情報が記録され保存されます。やがて情報は忘れられてもモニュメント、祝祭の場として残るストーリーを考えました。

修士設計フィクションと空間(2014年)fig.7fig.8
図面を漫画のコマ割りとして物語と空間を合わせる試みです。作家の”お父さん”と娘の”えっちゃん”のストーリーを壁画にしてプレゼンテーションを行いました。

Q4. どのような建築作品、建築家に影響を受けましたか

スーテラン・トラム・トンネル」(OMA、2004年、『a+u』1201
地下と地上、内部と外部の繋がり方に衝撃を受けました。地下鉄と商店街、駐車場など社会インフラと通路を通る人の動きが、普通は分断されることの多い地下空間で視覚的に繋がっています。留学中に訪れ、デン・ハーグの人びとの日常に溶け込んでいる様子を実際に確認できました。空間が生きていると感じた作品です。

コロンバ大司教区教会美術館」(ピーター・ズントー、2007年、『a+u』0804
遺跡、教会、美術館が重なってひとつの建築として融合している姿が美しくて留学中にいちばん実物を見てみたかった建築でした。光の入り方や空間構成など、上手くできたことはなかったですが密かに真似したいと思っていた作品です。

曽良あかり

1988年岡山県生まれ/2014年東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻卒業/現在Niantic勤務

    曽良あかり
    デザイン
    デジタル
    教育
    異色の元建築学生たち
    続きを読む

    個人制作「Project KGM」(2017年)/提供:曽良あかり

    個人制作「Project KGM」(2017年)/提供:曽良あかり

    個人制作イラスト(2020年)/提供:曽良あかり

    「PikminBloom」( UXデザイン、3D/2Dアート、2021年)/Copyright © 2021 Niantic, Inc., Pikmin and Mii Characters / Artwork / Music Copyright © 2021 Nintendo All Rights Reserved.

    学部卒業設計「神殿」(2012年)断面図/提供:曽良あかり

    学部卒業設計「神殿」(2012年)模型写真/提供:曽良あかり

    修士設計「フィクションと空間」(2014年)断面図/提供:曽良あかり

    修士設計「フィクションと空間」(2014年)。断面図やパースなどをコマ割りとして交えた漫画。/提供:曽良あかり

    fig. 8

    fig. 1 (拡大)

    fig. 2