高校で進路を決める時、直感に頼るより自分の向き不向きや趣向をもとに考えました。
秀でた勉学の才能はないが、絵を描くのは好きだ。ゼロから作品を生み出すような芸術家肌ではないが、社会や誰かに求められるものを創作することは得意かもしれないと思い、東京藝術大学建築科への進学を目指しました。
進学した東京藝術大学建築科は、少人数で授業や課題に臨むため、同級生の性格や創作における個性が把握しやすく、それぞれがつくり上げるものと、創作に対する感覚の多様さに驚きました。自らの趣向を軸に決断を重ね、独自の解答をつくり上げる他者の姿を見るにつれ、創作物とその中に潜む「創作者の個性」との関係への興味が強まっていきました。ものをつくることと同時に、創作を通して自身や同級生が変貌していく物語に惹かれたのです。無我夢中で手を動かし、創作することによってぼんやりとした自己が自覚される際には雷に打たれるような衝撃が走りました。こうして、個性を表現する者としての建築家への憧れを抱くようになり、スターアーキテクトと呼ばれる建築家の創作論などを読み漁るようになりました。
しかし、学部2年の終わりに東日本大震災(2011年)が起き、今までの建築への考えを見直すことになりました。自分がそれまでに思い描いていた建築は、建築家個人の目線で利用者の生活やそれに伴った形態を提案する、箱物中心的な考えでした。しかし、震災を機に社会の要請に答えることがより切実になり、その憧れに疑問を持ちはじめ、確信をもって建築の課題に臨むのが徐々に難しくなりました。そして修了制作の時には、自分がどんな建築をつくっていきたいのか分からなくなり、将来の選択肢として設計を仕事にする自信がなくなっていました。そんな折、トム・ヘネガン教授に「手を動かすためにもストーリーボードを描いてみてはどうか」と提案され、物語を考えるのは面白いかもしれないと、一度建築から離れて漫画を描いてみることにしました。
どうせ描くのであれば本格的に描いてみようと、大学院を休学して漫画のフォーマットを調べ、学部1年の頃に支給された製図用具を使って描き始めました。その際、この建物のこの場所に窓があったら、この人の生活はどうなるだろうと想像してプロットを考えたり、その場で起きる事柄や個人の経験、世界観が読者に伝わるようにイメージしてコマに落とし込みました。それは、利用者の日常を想像しながら場をつくり、他者に提案するという設計のプロセスと共通していることに気がつきました。
また、物語を構築する際は、人間同士の関係だけでなく、人と空間や周辺の環境との関係も含めて考えることが多いということを発見しました。それも、建築で培った思考の影響かもしれません。建築と同じ製図用具を使い、似た想像力を駆使して久しぶりに手を動かせた開放感が、悶々と悩んでいた建築学生を漫画に向かわせたきっかけでした。そして何より心を掴んだのは、漫画を通して表現をすることができたという実感でした。その時に描いた漫画が商業誌の賞を受賞したことが、漫画家という道へ進むことへの後押しになりました。
今思えば、建築で悩みつつ学んだことは、夢をかたちとして実現するための実践のあり方のひとつです。震災を機に悩んだ自分は、実践の方法を探していたのだと思います。また、当時憧れていた建築家たちが見せていた個性は、ひとつの実践のあり方だったのだと思います。
今でも漫画を描く時、悩みながら何度も線を引いてしまうため、下書きは煩雑で汚くなってしまいます。それでも、下書きの複数の線をヒントに、これはと思う主線を引く手つきは今後も続けたいと思っています。
Q1. 現在のご専門を教えてください
– 漫画家
Q2. 現在の活動の概要と、最近のプロジェクト事例を教えてください
【活動の概要】
漫画を描きつつ、建築系の書籍向けのイラストや記事なども描いてます
【プロジェクト・作品】
「ジャンピングガール」(『週刊Dモーニング 新人増刊2016夏号』、講談社、2016年)fig.1fig.2fig.3
異常なほど高く跳べてしまう女子高生が、グラウンドレベルを歩いていては気づかない、高層のビルの壁面など、街の高所のところどころにある謎の落書き(グラフィティ)を見つけ、その街の謎に迫る話です。
高く跳べる人は見たくないものも見えてしまいます。でも、その景色はその人だけのものだと思って描いた漫画です。
「見えない都市」(『建築ジャーナル』2020年2月号〜2021年2月号にて、山川陸と隔月で共同連載)fig.4fig.5
あなたの居場所はどこでしょうか。高度に商業化した都市では、お金を払わなければ、心落ち着く居場所を得ることさえ容易くありません。 一昔前、中高生のたまり場といえばファミレスでした。 今彼ら彼女ら、そして私たちの駆け込み寺は、 都市の中に存在するでしょうか。 都市生活の中で人びとが見出した居場所のあり方を、幽霊君というキャラクターと共に訪ね歩く連載です。
Q3. 学生時はどのような設計・研究をされていましたか
学部卒業制作「多摩考」(2013年)fig.6fig.7fig.8fig.9
母校の高校の建て替え案。タイトルは高校の愛称をもじったものです。当時、学校建築においてオープンスペースなどが話題になり、南側教室・北側廊下の構成が疑問視されていました。低層の各棟を平行に並べた平面計画の母校はその典型のような建物でした。計画的には古いと思われていた建物でしたが、自分が経験した学生生活はそんな古い計画学が長年使われることによって育まれた豊かな教育文化がたくさんありました。そんな明文化されないハードと結びついた伝統や文化をリサーチによって可視化し、既存の図面をコラージュするという設計方法で、9年をかけて建て替える案を考えました。
修了制作「illegal in crossing」(2016年)fig.10fig.11fig.12
卒業制作は自身の実体験の伴うヘテロトピアのリサーチと設計でした。対して修了制作では、経験のないヘテロトピアのリサーチ・設計をすることで、それぞれの手法を明確にしたいと臨みました。街の中で出会った風景を納めた1枚の写真がきっかけのプロジェクトです。
Q4. どのような建築作品、建築家に影響を受けましたか
たくさん刺激を受けた人が多いので絞るのが難しいのですが、アーキグラムには大きく影響を受けました。所属していた研究室のトム・ヘネガン教授が、アーキグラムのメンバーが教鞭を執ったAAスクール出身だったこともあり、彼らの建築ドローイングに触れる機会が多かったです。ウォーキングシティやプラグインシティなど個々の提案もさることながら、ドローイングやその情報自体までを建築と呼んだ彼らのメディウムに対する軽妙な態度が好きです。自分も建築や漫画を軽やかに横断したいです。