建築は多様である。
僕はそんなあたり前のことに気がつくまで随分と時間がかかってしまった。
若い頃、ろくな教育も受けずに何も分からないまま建築をつくりはじめた僕は、頂上の見えない得体の知れない山をがむしゃらに登るような感覚があった。そんな僕の拠り所となったのが雑誌や書籍だった。その得体の知れない山が「自然にできた山」というよりも、「人工的につくられた山」であることに気がついたのはずいぶん先のことだった。当時は、歴史がどれだけ純粋なものなのか、メディアがどれだけフラットで正しいのか、そんなことを考える余裕もなく貪欲に建築を吸収しようとしていた。僕は、北海道という地方での長年の設計活動や、世界中で見たたくさんの建築や旅の経験を通して、メディアの捉え方や、つくられてきた歴史、つくり続けられる建築についての記録は、多様な建築のありようを知るきっかけであり、盲目的に信じるのではなく、冷静に客観的に見つめることが大切であると実感した。
そんなふうに考えながら昔の論考を読み返していると、専門学生時代の友達のことを思い出した。同級生だが5つ年上の彼は、とても手先が器用で図面もスケッチも美しかった。卒業後、東京の設計事務所で働き始めたが1年ほどで辞め、単身イタリアへ移り住んだ。車マニアであった彼は、車の最高峰であると信じていたフェラーリのお膝元の街で、革職人として働き始めた。神聖な山の麓で暮らしたいという純粋な感情からだったようだ。そんな彼がある日、自動車博物館で初代「パンダ」のモックアップと出会う。
初代フィアット「パンダ」は40年前、ジョルジェット・ジウジアーロによりデザインされた一般大衆車である。それまでフェラーリに憧れ続けていた彼は、パンダの美しさに魅了された。その後、初代パンダを購入しパーツを集めフルレストアし、それをきっかけに日本で初代パンダのパーツ輸入を始めた。今では日本のパンダファンの神様と呼ばれていると聞いた。
今回僕は、さまざまな場所や立場で思考し、向き合う様子が綴られた、4人の建築家による論考を読んだ。
「自立分散型の生産システムをつくる──VUILDの活動」(『新建築』1810)
秋吉浩気(VUILD)
「東南アジアの環境観と身体性からの学び」(『新建築住宅特集』2104)
西澤俊理(NISHIZAWA ARCHITECTS)
「建築家の自由」(『新建築住宅特集』2107)
宇野友明(宇野友明建築事務所)
「ふたつめの命名を待つ建築」(『新建築住宅特集』2107)
久野浩志(久野浩志建築設計事務所)
西澤俊理は、東南アジアのベトナムという異なる風土の土地で建築と向き合っている。
宇野友明は、名古屋で己れと向き合うことで自身の建築を見つけた。
久野浩志は、北海道で哲学と向き合いながら建築を思考している。
秋吉浩気は、従来の「建築家」像と対比して「これからの建築家」像を模索している。
「人工的につくられた山」をがむしゃらに登り続けた時、ふとあたりを見渡すと、多様で美しい山々が無数に広がっていることに気付く。この4本の論考は、そんな風景に気付かせてくれる一例として紹介したい。
僕の友達は自動車博物館でフェラーリとは別の美しさをもつ初代パンダに偶然出会い、魅了されたように、さまざまな人の思考を読むことは、建築の多様さを知るきっかけである。そして世界の多様性に気づくきっかけでもある。