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2022.04.25
Essay

東南アジアの環境観と身体性からの学び

西澤俊理(NISHIZAWA ARCHITECTS)

*本記事は『新建築住宅特集』2021年4月号に掲載されたものです。

私たちはベトナム南部のホーチミン市を拠点に設計活動を始めて10年ほどになる。
ベトナムは複雑な歴史を背負った国であり、19〜20世紀初頭にかけてのフランスの植民地化に伴い、政治・経済・軍事・宗教などが絡み合った思惑の中で、大きな構造変化を受け入れ、次に脱植民地化から現在に至る過程では、政治イデオロギーの対立に巻き込まれて南北に分かれた悲惨な戦争を経験している。今世紀に入ると、グローバル規模の資本主義農業に支えられた強大な人為的介入により、どこまでもビニルハウスで覆われるダラット郊外の丘陵や、大規模なコンクリート堤防により水との関係が一変したメコンデルタの新しい生活風景が広がるなど、新しい次元の景観が生まれつつある。ベトナムの文脈的な構造は、近代以降現在に至るまで、フランケンシュタイン博士がつくり出したキメラ的混生物のようで、時間的・空間的なひとつながりの統合体というよりは、バラバラに分断された文脈のコラージュ的な総体と見た方が現実に近い。
しかし、社会構造が刻々と変化してきたからこそ、じっと身を潜めて脈々と受け継がれてきたものもある。それはベトナムの人びとがもつ環境観と、自分自身の身体感覚への信頼である。彼らは強大な他者から幾度となく押し付けられてきた強靭な切断線とは対称的に、自らは微小でエフェメラルな切断の点の集合で環境に干渉しようとする。しかも、ひとつの点をずらしては、ほかの点や全体とのバランスを見て次の点をずらす、という作業を絶え間なく繰り返しながら、その場その場の快適さを探り当てていく。そもそも南国は年中安定して蒸し暑く、大袈裟に動けば体力を消耗するけれど、バナナの木陰に掛けたハンモックに腰を掛けて、最小の動作で日昼をやり過ごすには申し分ない。だから環境に対して強い緊張感をもって相対峙するというよりは、ヤドリギのように場所を点々と移動しながら、最小限の介入で寄生するような人為のあり方が理に適っている。
その一方で、社会や他人が幸せを与えてくれるとは考えず、徹底的にリアルに自分自身が感じる「今、ここ」の歓びを、傲慢と思えるほど追求する。ベトナムの路上はどこでも市場のような熱気と活気に溢れているが、それはベトナムの人びとがもつ「自分の住む環境は自分の好きなように変えればよい」という圧倒的な自信に裏付けられている。私達が構想する建築や場所を実際に使いこなす人びとは、頼りがいのあるこのような主体である。私達はそれぞれのプロジェクトを通して、ますます分断されていく文脈の構造と、人びとの身体や生活の根底で変化しないものとの隙間に入り込み、それらの意味や関係を繋ぎ直すように建築をつくれないかと模索してきた。

ベトナムで建築すること

たとえば、毎年の雨季の浮水と共に暮らすために高床式住居と水上住居によって街が構成されてきたチャウドックfig.1では、近年になって広域で輪中化が進んだことで浮水が消失し、高床式住居という構造の意味合いが希薄化しつつある。「チャウドックの家」(『新建築住宅特集』1711)では、敷地周辺に多くの高床式住居が残っており、人びとの瑞々しい日常生活の営みがリアリティを維持しているfig.2fig.3fig.4だけでなく、建材や構法、職人が広く地元に流通していることから、構法や素材という意味では既存の文脈に寄り添いつつfig.5fig.6、洪水のない時代だからこそ可能な住居として、「主要高床」を消去して得られる大きな気積の半屋外空間の中に、軽やかで「副次的な高床」だけが並列的に浮遊する、もうひとつの高床式住居fig.7をつくることで現代の文脈に回答した。
またその後、滋賀県立大学 芦澤・川井研究室との共同調査の結果、チャウドックの高床式住居の起源が、コンクリート杭が林立する船台の上に、軽やかな木造船が固定されたことに由来するのではないかということfig.2、その接合部をボルト接合とすることで高床の高さを移動する仕組みになっていることfig.8、この地域の高床式住居では、床材と床材の間に意図的な隙間(7〜10mm)がとられており、地表や水面を眺める大きな窓として機能してきたことfig.9が分かってきた。建築は時間の荒波に耐える強さをもつべきだという見方が一般的だが、家屋自体をなるべく軽量化して、数年ごとに家の高さも街の高さも少しずつ更新していくようなあり方はベトナムらしいし、メコンの水とつかず離れずの暮らしでは、何より理に適っている。現在進行中の「チャウドックの増改築」(芦澤・川井研究室との共同設計、『新建築住宅特集』2001)では、この既存の文脈を信用したうえで、それを延長させることを試みる。具体的には、「主要高床」自体を設計の主対象fig.10とすることで、輪中化後の床上空間と床下空間とが、今後どのように豊かな関係を築けるのかということを設計の主題に据えた。
一方で、「胡椒とヘリコニアの農小屋」が位置するドンナイ省のロンカインfig.11では、人びとの営みにもっとも強く影響するのは、地上や地中にごろごろと分布する大小さまざまな火山岩である。胡椒を植樹するためには、その岩を移動させる必要があるが、岩の大きさによっては迂回する必要があるため、胡椒林のグリッド自体が不整形に歪んでいく。取り除いた火山岩は石垣や基礎に再利用されるfig.12が、それでも余ったものは高さ2mほどのコーン状の石塔に積み上げられ、ある程度の間隔をおいて近隣に広く分布して特徴的なランドスケープを形成する。ロンカインの景観は、火山岩、胡椒林、岩塔、農小屋、前庭といった、一見ばらばらの要素がそれぞれに関係しながら、ネットワーク状に絡み合ったような構造をしているが、世界的な胡椒の価格下落にともなって、胡椒栽培だけでは経営が成り立たなくなっている。各農家がドリアンやジャックフルーツなどの果樹栽培との多角化を進めており、私たちの建主も実際に農地の半分をヘリコニアという観葉植物の栽培に充てることを決めた。プロジェクトでは農小屋を含めた新たな農園の構造を、まだ地域に広く残っているネットワーク状の景観構造に定着させることを主題としたがfig.13、施工中には職人がいつの間にか、建物のすぐ裏を掘り返して仮設の石切場を設営して基礎に利用するfig.14fig.15など、この地域の合理性がいかに建材や構法、職人の所作の中で生き続けているのかを改めて実感した。特に郊外では予算が限られていることが多く、安価でもできるだけ質の高い素材を選ぼうとした結果、地域や身体に埋め込まれた文脈に自然と接続していることが多い。
それに対して、ホーチミン市fig.16のような都心では、外国資本の絡んだ大規模な再開発によって、街の歴史を物語る植民地時代の建物や近代建築が次々に取り壊されては、エアコンの使用を前提にしたジェネリックなオフィスビルやアパートに置き変わりつつある。「ベンタンのレストラン」fig.17では、コロニアル様式の建物がもつ手工芸的な素材感やスケール感と一体化する目的で、まず手でもち運べるサイズの建材を現地でつくり、それを反復させることで、雨の線のような鉄製スクリーンfig.18、強化ガラスを組み合わせた可動ジャロジーのスクリーン、現場打ちプレキャストブロックを埋め込んだテラゾー床fig.19をつくっていったが、それは手工芸的な建設技術が今なおホーチミン市に色濃く残っているという事実を踏まえている。同じホーチミン市内の「Restaurant of Shade」(『新建築』1901)では、グリッド状の街路沿いに集中して再開発が起きる結果、街路に囲まれた区画の中央部分に現れる都市の窪みのような地形に、大きな天窓のスクリーンを張って、街の構造を裏側から眺められる仕組みfig.20をつくることで、現在の文脈との対話を試みた。いうまでもなく、既存の環境に簡素なシートを吊り渡して、最小限の介入と労力とで快適な場所をつくり出す所作は、ベトナム人なら誰もが習得しているような基本的な技術であり、スクリーンに使用した農業用の半遮光シートという工業製品についても、非常に安価なために、日常生活のあらゆる場面で観察することができる。
「南国の人はのんびりしていて怠惰」という私たちの大方の予想を裏切って、彼らはメンテナンスを厭わず、身体とモノとの断続的な関わりを肯定して、むしろそこに歓びを見い出す。また、絶え間なく断片的な変化を重ねるように環境に干渉することで、多様な他者(近隣住人、動物や昆虫、時間、自然、死者など)とのおおらかな共存を楽しむ。利便性や経済性という大義名分のもと、制御が難しい他者や人間自身の身体性をますます厳しく排除しようとする資本主義の社会構造に適応してきた私たちは、ここから何かを学べるだろうか。少なくとも、私たちの関わる建築や環境は、ひとりひとりの「個」やその「身体性」、「今」と「ここ」への信頼の先に、未来の豊かさを見い出そうとする彼らの身体性や環境観に共鳴したものでありたい。

(初出:『新建築住宅特集』2104 特集論考)

西澤俊理

1980年千葉県生まれ/2003年東京大学建築学科卒業/2005年同大学大学院修士課程修了/2005~09年安藤忠雄建築研究所/2009~11年Vo Trong Nghia Architects パートナー/2011~15年Sanuki+Nishizawa architectsパートナー/2015年NISHIZAWA ARCHITECTS設立/2014年「Binh Thanh house」(Vo Trong Nghia Architectsと共同設計)でベトナム建築学会賞受賞、2015年アルカシア建築賞金賞受賞/2017年「チャウドックの家」(『新建築住宅特集』1711)でWADA賞2017受賞/著書に『海外で建築を仕事にする』(共著、学芸出版社、2013年)

西澤俊理
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チャウドックの航空写真。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

水上住居と高床式住居。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

杭上の街の生活風景。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

浮水が残る地域に広がる豊かな床下空間。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

鋼製波板・セメント・木材・鋼材などチャウドックに流通する主要建材を扱う工場。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

鋼製波板製の横軸回転窓。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

「チャウドックの家」内観。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

コンクリート杭と木柱の接合部ディテール。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

水面や地表を眺める床窓。人びとがいかに水との関係の中で暮らしてきたかを物語る。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

「チャウドックの増改築」スタディ模型。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

ロンカインの航空写真。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

農地から取り除いた地中の火山岩を利用した石垣。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

「胡椒とヘリコニアの農小屋」施工風景。空洞煉瓦の壁で垂直荷重を支える。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

職人が設営した仮設の石切場。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

まず基礎つくり、解体後の廃材を床下へ埋め直す。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

ホーチミン市の航空写真。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

既存内装の解体と鉄骨による構造補強。コロニアル建築の窓の大きさに気付く。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

直径4mmの鉄棒を長方形状に折り曲げ、それをひとつひとつ溶接してつくる繊細なスクリーン。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

発砲スチロール製の型枠にモルタルを詰めてプレキャストブロックをつくり、型枠を取り除いた隙間に白テラゾーを流し込んで研磨する。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

「Restaurant of Shade」。透過率50%の半遮光ネットによる天窓のスクリーン。/提供:NISHIZAWA ARCHITECTS+Dam hai son

fig. 20

fig. 1 (拡大)

fig. 2