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2022.04.25
Essay

ふたつめの命名を待つ建築

久野浩志(久野浩志建築設計事務所)

*本記事は『新建築住宅特集』2021年7月号で「ショーケース」(久野浩志建築設計事務所)と共に掲載されたものです。

機能と形態と建築計画について

はじめに、機能と形態のさまざまな関係を考えてみたい。哲学者ジャン=ポール・サルトルは人間の存在について「実存は本質に先立つ」『実存主義とは何か』(人文書院、1996年)と語った。人間はもともと意味をもって生まれてくるのではなく、自ら本質をつくり出さなければならないというのだ。それに対し、人間がつくり出すものは、本質が実存に先立つという。これについてペーパーナイフを例に挙げ、紙を切るという本質(機能、用途)を知らずにペーパーナイフをつくることはできないからであると説明した。何に使うかを想定せずにつくることができないのは、建築も同じかもしれない。
しかし、リカルド・ボフィールの自邸(1973年)など、昔から多くのコンバージョン建築では、ある機能を想定してつくられた建築に、別の機能が入ってもなお作品として成立している。ペーパーナイフをつくったのにバターナイフとしてうまく使われているという状況だ。機能を頼りに形態を考えることは必ずしも信頼できる方法ではなさそうだ。視点を変えて、人間によってつくられたものではないが、同じく形態をもつものとして、自然の風景についても考えてみたい。山々や広がる平原、連なる丘陵など、それらは人間のためにデザインされたものではない。それなのに人びとはそれらの風景に驚き、時には涙を流す。山の形態の成り立ちについて考える時、何のためにと問うことは当然不可能だ。人間のためにつくられたものではないからだ。山は地質学的現象によってかたちづくられ、重力や風雨に従いあのようなかたちになった。このように構造的合理性に従っただけの形態に心が動かされるというのは不思議なことだ。
もともとの機能を超えてそこに面白さや歓びを見出したり、機能をもたない形態に何か思いを馳せる人間のあり様を見ると、一体何を頼りに建築を計画すればよいのか分からなくなる。そもそも建築でいう機能とは、通常考えられている用途やプログラムではないのではないか。われわれが建築に満たそうとしている機能とは何だろう。たとえば住宅においては、食べる、寝るなどのはっきりいい当てることができる行為のほかにも無数の名もない行為がある。建築の機能とは、たとえば床というものに対してどのようなことが起こるかについての無数の機能の網羅的リストなのではないか。そして建築計画とは、機能を見出す人間の力を信じ、できる限り機能の網羅的リストに応えようとすることなのではないか。建築計画がこのリストからいくつかの項目を取り出して限定することであってはならないし、ましてやナンセンスを計画するものでもない。計画が計画以外を排除する辞書のような建築であってはならないと思う。意味がべっとりと貼り付けられ、身動きが取れなくなった建築には息苦しさを覚える。

自邸について

こうした考えを今回の建築に引きつけて書いてみたい。敷地は札幌市郊外のひな壇状の住宅地で、平坦な長方形が広がり、間近に山々、眼下には札幌の街、さらに北海道中心部の日高山脈まで見渡せる。前面道路が行き止まりとなっているため、車や人通りがほとんどないのが特徴的である。ここに自邸を計画したfig.1。計画は水場を考えることから始まった。住宅において便宜上固定されなければならない代表的な要素であり、生活の基本となるものだからだ。水場は地面に溜まる水たまりのように地面と同じ高さに設定した。そうすることで地面から連なる床面が表れる。水に濡れても問題がない仕上げとすることで、水にまつわるさまざまな行為を可能にしている。この床面はこの家唯一の個室であるトイレを除き、一切仕切られることなく繋がっている。次に水場に加えて、火(薪ストーブ)と寝床をどのように配置し、どのように外皮で包むかを検討した。軸組は山の成り立ちに倣い、構造的合理性を追求した結果、シンプルなキューブとなったため、結果的に四角い平面に各要素を配置することになった。雪で実寸模型をつくり、これらの要素のさまざまな距離感や残された床面の可能性を検討した。風呂はゴム栓や背もたれの傾斜をやめ、できるだけ風呂の顔をしていない、大きな水場、あるいは単なる竪穴という状態まで還元しようと試みた。こうすることで家の表に風呂があるということの違和感を消し、さまざまな行為を可能にしている。ベッドを置く竪穴は、ガラス面との関わりや座ったり鉢植えを置いたりできるスペース、ベッドを置かない場合の可能性など、さまざまな寸法、配置の検討を繰り返し、決定した。これらの要素は大きなヴォイドを共有し、周辺に余剰をもちながら成立している。
2階はただ床のみがある。梁を井桁状に組んだだけの仮設的な床で、現在仕事場として使っている。45度の梁を追加することで水平剛性が保たれているので、2階の床は構造上必要がない要素となっている。その結果、床を四周の壁から離して置くことができ、下階に光をもたらし、空気と音が心地よく流れる。幅、蹴上、踏面が段階的に変化し、上昇感を強めた階段を登って屋上へ向かうと8.8m角の水盤が現れる。ここは宙に浮かぶ空を写す床がある特別な場所である。次に記号を剥がすためのディテールの検討が延々と続いた。特定の機能を想起させる記号を剥がすことで機能が開けると思った。窓や風呂、階段などは独自に設計し、既成パーツをできるだけ排除した。最後にこれらすべてが人の近くに寄り添えるものとして、触れていて気持ちがよいように丁寧に仕上げられた。
このように行為の網羅的リストに応えようと検討を重ねた結果、形態は意図がないように見えながらさまざまな行為に開かれている様相を呈した。

サルトルは、その本質を知らずににペーパーナイフはつくれないといった。しかし、建築は生まれたその瞬間から機能が剥ぎ取られた実存になり得るのではないだろうか。建築に限らず、人によって生み出されたものは、そのようなポテンシャルをもっているのでないか。実際、ペーパーナイフは、バターナイフにもなれば、凶器にさえなり得るのだ。実存となった建築は、さまざまな意味をもち得る。そういったポテンシャルが最大になるような建築をつくりたい。「山は山だ」とある農夫がいう。その時山はこの農夫が思うところの山となる。「海は海だ」とある漁師がいう。その時海はこの漁師が思うところの海となる。建築もこのようにトートロジーによる第2の命名を待つ存在であってほしい。建築が人びとに対してもつ基本的態度は、このようなものであってほしいと思う。

(初出:『新建築住宅特集』2107 論考1)

久野浩志

1970年青森県生まれ、北海道育ち/ 1993年大阪芸術大学芸術学部建築学科卒業/ 2001年久野浩志建築設計事務所設立/ 2008年第5回三井住空間デザインコンペ佳作受賞/「熊谷邸」で2010年愛知建築士会名古屋北支部設立20周年記念建築コンクール入賞、2010年第35回日本建築学会北海道建築賞奨励賞、2010年日本建築家協会北海道支部住宅部会住宅賞新人賞/ 2014年「16の部屋」(本誌1707)でSDレビュー 2014入選

久野浩志
住宅
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新建築住宅特集 2021年7月号
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コンセプト図。/提供:久野浩志

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