これからの建築を考える時、「玉虫色」というキーワードが有効ではないか。そんな考えをこの文章で書いてみたいと思う。自分という存在、共同体、建築……。現代においてはあらゆるものが多義的で、複数の異なる側面が同時存在している。そこでは今まで「個」として捉えられていたものすらも、互いに異なるさまざまな側面の集合として浮かび上がるだろう。まして実際に多数の人が関わる思考の場がもたらす、集合的知性の世界においては、多義性というものがますます重要になる。
そんな多義性の時代の建築のあり方、それを玉虫色という言葉で捉えてみたいのだ。しかし、僕はここで(ワークショップの話などを通じた)ポリティカルにコレクトな建築の話をしたいのではない。むしろそういう話も包含してしまうような、インクルーシブな多義性を持った建築=玉虫色の建築の話をしようとしている。そこでは作家的であることと、コレクティブであることが、それこそ玉虫色に共存し得るのではないか。そんな見通しを立ててみたいと思うのだ。
多数的な思考の場
5年前この建築論壇で「〈生態系〉としての公共建築のはじまり」(『新建築』1705)という文章を書いたのは、公共建築としては前作となる太田市美術館・図書館fig.2が完成した時だった。設計上の決定プロセスに市民を巻き込むことによって、公共建築を、より「生きている」ものにすることを目指していた。発想の発端はそこからさらに5年遡る、東日本大震災後の経験に根差している。「陸前高田みんなの家」(『新建築』1303)fig.3の設計プロセスにおいて、現地の人びととの協働から、さまざまな思いや考えがからまり合ってひとつの建築が生まれる経験をしたからだった。
被災地のプロジェクト、生きた公共建築……。しかしこういう風に書くと、どことなく善意ぶった、その実、無内容な議論のように受け取られかねない。しかし展開したかったのは、そういう「善意」とは別次元の、言わば建築のハードコアに関わる問題だった。
そこには設計するという行為の、もっと言えば思考するという行為の拡張が関わっている。われわれが生きている時代を画する、偉大な建築が生まれるとすれば、それはコンピュータやインターネットの出現がもたらした、何らかの質的差異と関係しているだろう。しかしそれは形態生成のツールという次元とは異なるはずだ。コンピュータのもたらした圧倒的な計算能力は、これまで扱うことのできなかった多数性、多発性、多義性というものを、われわれがつくり考える現場に導き入れた。ワークショップにおいて建築をつくる場というものが、多数的な思考の場になるのだとしたら、おそらく事態はそんな新しい時代の思考に近付いている。構造や環境設計におけるFEMやCFD、その他のさまざまなシミュレーション、AIを駆使したデータ解析といったツールは、これまで扱いきれなかった多数性を取り付く島のあるものに変えつつある。その延長上には、より根本的に多数的なものに開かれた思考の可能性、さらにはそうした拡張された思考が生み出す新しい時代の建築があるのではないだろうか。
ワークショップを通した設計は、だから、過渡的な形態なのかもしれない。それは自発的な参加者による議会制民主主義のようなところがあり、一部では既に可能性が論じられている、インターネットを活かした直接民主主義のような理想的形態ではない。いずれ新しいテクノロジーを活かしたさまざまなアプローチが出現するのではないだろうか。
とはいえ他方で、数十人のワークショップという、今日ごく一般的なセッションのあり方も、悪くはない。建築をつくることをめぐる、身体を介した議論の場にふさわしい密度感があるからだ。ある種の学問にフィールドワークが欠かせないように、建築にも一定の生な現実とのからみ合いが欠かせない。建築はそういう対話を通して、無味乾燥な形式的実験や、単なる意味の戯れを超えて、今日的な力強さを獲得できると思うのだ。
ワークショップがどのみち必要なのであれば、むしろそれを可能性の中心において捉えてみたい。おそらくその先には、進化しつつあるテクノロジーを生かした新しい建築があるはずだからだ。セッションの参加者が数万、数十万のオーダーになったとしても展開可能な、インタラクティブな設計の方法論の原型を、予見的に提示したいと思うのだ。とはいえ無論、テクノロジー偏重型の、無味乾燥な未来像を提示したいのではない。多数性や多義性を鍵として、コレクティブなものと個的なものがからみ合う生命感のある建築、現在だけでなく大きな時間の流れの中にある建築の可能性を議論したいと思っている。
個としての生を超えるもの
太田市美術館・図書館から5年が経ち、熊本県八代市で「お祭りでんでん館」(『新建築』2109)が完成した。八代の設計ワークショップで出会ったリアリティは、太田でのそれとはずいぶん感触の違うものだった。
太田のワークショップに参加した人びとは、それぞれが、ある特定の傾向を持った人の代表として、個として、さまざまな発言をしていた。そんな無数の発言の群れが雲のような全体をなし、ひとつの建築の中に、それぞれが独自の快適さや喜びを見出せるような建築をつくる手掛かりを与えた。そこで目指されていたのは、ジャングルの1本の樹に数百の種の生物が棲んでいるように、ひとつの建築の中に無数の比喩的な生態学的ニッチ、つまり〈からまりしろ〉がある状態をつくり出すことだったfig.4。それは、ある程度実現されたように思う。
しかし、八代での経験はのっけからかなり違っていた。というのも、行政のつくったプログラムに対する異議申し立てが、さまざまな立場の参加者から異なる視点で表明される、というスタートだったからだ。そしてそのうちのいくつかは、互いに対立しているように見えた。われわれは当初、太田の時と同じように、建築の成り立ちと対応したいくつかの決定プロセスを積み重ねる、一連のワークショップを考えていた。しかしこれを受けて、そういう整然とした進行を崩してでも、互いに納得するような計画の方向性を、つくるプロセスを通してきちんと話し合うべきだと腹を括ったのだった。ここでのさまざまな異論は、単なる荒れた意見とは質的に異なると、感じたからでもある。それぞれの強い意見は、自分の一生よりはるかに長い時間続いてきたさまざまなお祭りや文化活動を背負った発言だったのである。近代的な個の水準ではないところから発せられている、というのだろうか。日頃、あくまで個としてのありようをベースに、異なる個の集合について考えていた身としては、虚を突かれると同時に感銘を受ける出来事だった。
そもそもの原因は、この建物の機能上の多義性にあった。民俗伝統芸能伝承館、と呼ばれている一方で、この建物は隣接する八代市厚生会館(『新建築』6209)のリハーサルルームや事務室を兼用してもいる。したがって見る主体によって、この建物は、まったく違った役割を帯びたものとしてそれぞれに映っていたのである。そこで、それぞれの視点から役割がまっとうされるように、配置計画を組み替えた(当初、棟と棟の間にできる「道」に賑わいをつくり出す要素として、大小の会議室を収蔵棟の道沿いにへばりつかせていたのを、リハーサルルームを兼ねた伝承ルームと同じ棟にまとめ楽屋的機能を兼用させた。他方で収蔵棟の笠鉾の搬入に必要な前室を多目的ルームとし、人びとの活動や笠鉾のグラフィックが垣間見えるようにしたfig.5。)。ともあれ、いったん浮かび上がった対立を、平面配置計画を適切に組み替えることで解決できたのは幸いだった。結果、プランは満場一致で受け入れられた。ポジティブな意味合いでの「玉虫色性」という言葉はその時に浮かんだものだ。見る人の立場によってまったく違ったものに捉えられるプラン。しかし同時に、この玉虫色という考え方は、もっと抽象度高く展開できるアイデアだともこの時思い始めた。
ともかくも、お祭りという、人間を超えたものに向けての場所がつくられた。特に、市の最大のお祭りである八代妙見祭fig.6fig.7fig.8を彩る高さ4m以上の笠鉾を、複数同時に組み立てられる大きな軒下空間が特徴である。この大きな笠の下は、八代の強い日差しや雨から守られた、人びとのための憩いや活動の場となるだろう。
ここで、この場所が、第一義的にはあくまで人間のためではなく、「笠鉾」という人間を超えた存在のためにつくられている、ということが重要ではないだろうか。人のためにつくられていないことによって、人びとを引き寄せる建築が生まれるという地平。お祭りという、人の一生を超えたタイムスパンで引き継がれてきたものを媒介として、人間のためだけに設えられたのではない、ある意味での前近代性を持った建築が浮上した。振り返ってみると、太田においてはあくまで現在を生きる個の集合としての多数性を扱っていたのに対して、八代においては、既にこの世を去った他者を含めた時間的広がりや、この場所に流れ込んでいる共同性の空間的広がりを含めた多数性や多義性に向けての建築を考えさせられたのだ。
しかしここで浮かび上がった特性は、この建物がお祭りと関わる目的で建てられた、特殊解だから持ち得るにすぎないものなのだろうか。それとも、もう少し広い文脈の中で捉えられる話が、含まれているのだろうか。
海/ハイブリッド
銅鑼が鳴り、のたうつ長ラッパの音が響き渡る。八代のオープニングで獅子が舞った。九州の夏の強い日差しを避けるように、エントランスの大庇のつくる濃い影の中に、われわれはいた。地場の木材を編み合わせてつくった、うねるような屋根の下を、涼しい風が吹き抜けていく。テープカットを待つ間の、ちょっとしたサプライズだったのだが、何かその時間、音や風や動きや色や形の全体がからまり合って、その場に生命力が行き渡ったような、それでいて、自分たちのいる場所が、ここではないどこか遠くの時間、遠くの場所に繋がっているような、不思議な感覚を覚えた。
聞くところによれば、前述の銅鑼や長ラッパを使った獅子舞は、最初から妙見祭にあったわけではなく、300年ほど前に、ある人物によって導入されたもので、長崎で見た中国風の獅子舞や、外国の楽器を使って新たにつくられたものであるという。そもそも、八代妙見祭の元になっている妙見信仰そのものも、中国から渡ってきたものである。500年も続いているお祭りは、原型的なものから始まり、千利休の弟子の茶人でもあった細川忠興(三斎)やその流れを継ぐ松井家という歴代城主たちの影響も重なって、洗練され、発展を遂げてきたfig.9。つまり、異なる場所からやってきたさまざまな文化がハイブリッドして、卓越したものへと進化を遂げ、これからも進化し続ける生きているお祭りなのである。生きているお祭りの「道」をつくることを掲げたこの建築もまた、ハイブリッドに編み上げられた伝統の一部となることを目指したのだった。
ところで、伝統というものがハイブリッドな出会いによって生まれ、進化しているのだとしても、そこにかけ合わさっていくためには、何らかの鍵が必要だろう。実は、八代において、その鍵は「海の文化」なのではないかと僕は密かに仮説を立てていた。
妙見信仰が海を渡って中国からやってきたように、海に面したこの街には、古来からさまざまなものが渡来しただろう。事実、上海との距離の方が東京より近いし、台湾や東アジアの島嶼とも繋がっている感じがある。それは、歴史学者、網野善彦の言う「海の道」──日本という国家的な枠組以前にあった東アジアの海を舞台にした文化的ネットワーク──を想起させる(たとえば、網野善彦著『日本とは何か』を参照)。陸を拠点にした中央集権的でシステマティックな指向性とは異なる、脱国家的傾向を持った海民たちは、既にいた縄文的傾向を持った人びととも親和的に融合しただろう。東南アジアから続き、九州や韓国の済州島、対馬から日本海へ、あるいは瀬戸内海から太平洋へ抜けて三陸まで続く海民の道fig.10。同じルートの中にある尾道、堺、岸和田からきた人びとのハイブリッドである自分が、八代のお祭りに、奇妙な懐かしさを覚えたとしても、別段ロマンティックな話ではないし、オカルティックな話でもない。むしろ、身体の中に流れ込んでいるさまざまな共同性のうち、ある側面が共鳴したのだと考えれば、自然なことだ。さまざまな人びとが織り成す小さな出来事や習慣が身体に流れ込み、生来の傾向と織り合わされたところに現れるのが、個性と呼ばれるのだと、僕は思っている。個性とはその意味で、元来ハイブリッドなものであり、少し逆説的だが、個を超えて続いているものと分かち難く結び付いている。そして、自らの出身地でもない街の、お祭りという伝統のハイブリッドと響き合う何かをつくろうとするならば、そのような意味での個性が共鳴するものを通してしか、上手くいかないのではないか、と思うのだ。
そういうわけで、僕は海の文化と繋がる八代のお祭りに魅了され、そこにある躍動感や、海洋生物を思わせるような造形感覚を建築にしたいと思った。屋根の曲線は、ハイブリッドとしての伝統とハイブリッドとしての個を繋ぐ、いわば公約数である。このお祭りに流れ込んでいるものと、自分の身体に流れ込んでいるものの共通性と差異によって、新しい(と同時に伝統と接続する)ハイブリッドをつくり出すこと。その曲線は、過度に均整の取れたものであってはいけなかった。むしろ遠く縄文がこだまするような、過剰さを秘めたものでなければ、そしてそれでいてある抑制が働いたものでなければならなかった。最先端の3D技術、風洞実験による検証を含む構造力学的技術、現場での優れた施工技術を総動員して、それを実現すること。それがこの建築のすべてであると言ってもよい。
曲面の大庇の下で銅鑼の音が鳴った時、そういうすべてのイメージがひとつになったようなシーンが、少しの間だけ、現れたような気がした。しかし本当のシーンは、コロナを超えてお祭りが再開し、この屋根の下で笠鉾が組み立てられる時まで待たなければならない。
玉虫色の建築
八代での経験は、ひとつの建築の背後にある共同性すら、もはや一枚岩ではなく、多義的なハイブリッドをなしていることを教えてくれる。八代でのワークショップで見られたように、このお祭りでんでん館を見る、いくつかの異なるまなざしがあり、それぞれは違った共同性に根差していた。まったく同じ建物が、見る人(あるいはその人が根差している共同性)によって、まったく違う色に染まって見えること。あるいはこうも言える。同じ建物に期待する働き(機能)が、人によってそれぞれに異なるということ。ここでは、限定された使い手の集団の内部においてすら、ひとつの建築に異なる共同性のありようが重ね合わされているさまが見て取れるだろう。
しかしもうひとつの点も重要である。お祭りということを媒介として、この建物が、現代の八代に限定されない空間的、時間的広がりの中で、より広い文脈での共同性を引き寄せるということ。事実、そのような多義的な共同性を仮想し、海の文化ということに触発されながら、僕は独特の曲線を持った屋根の建築を提案したのだった。
こうして見てくると、どうやらふたつのレベルの玉虫色性がありそうだ。ひとつは機能のレベル、もうひとつは形態のレベルに関わる。
機能レベルの玉虫色性は、ワークショップを通した多数性の介在によって、さまざまな使い方を受け入れる融通無碍性が獲得されたことと対応している。おそらく、長い時間の中での使い方の変化にも耐えるフレキシビリティが、無個性な空間によってではなく、得られている。
形態レベルでの玉虫色性。それは八代の場合、独特の屋根の曲線と、主に関係している。それはハイブリッドな伝統と、玉虫色の個との間を繋ぐ、公約数のようなものであり、これを通して、お祭りをめぐるさまざまなイメージや記憶、地場の木材や伝統的仕口、お宮の屋根のような前近代的な存在感、といったこの建築の成り立ちを豊かにするさまざまな要素が流れ込んだ。公約数的な形は、それゆえにある抽象度を持ち、あからさまなシンボリズムとは無縁である。しかしそれは、完全に漂白されたものではなく、それ以上に、つくり手の個性(それは既に玉虫色のものなのではあるが)と共鳴し、ある強度を獲得するポテンシャルを持つ、意識のからまりしろである。そこには、ハイブリッドで多義的な、さまざまな共同性を含むコレクティブな存在が、同時に作家的でもあるという地平が見出せるのではないか。それは玉虫色の個と玉虫色の共同性の時代にふさわしい、新しい建築である。
実空間と情報空間の織物
玉虫色の建築。玉虫色性には機能のレベルと形態のレベルがある。これらふたつのレベルは相互浸透的な関係をなしている。そこまでは、なんとなく分かってきた。では最初からこの玉虫色の建築、多数性や多義性に開かれた建築を目指して建築をつくるとどうなるのだろうか。またそこに現代のテクノロジーはどのように介在し得るのだろうか。
豪雪で知られる新潟県小千谷市で関わっている、図書館を中心とした複合施設では、まさにそのような課題に取り組んでいる。このプロジェクトで特徴的だったのは、プロポーザルの時点から、図書館における情報空間と実空間の重ね合わせが、どのように行われるかの提案が求められていたことである。また、通常どうしてもハード先行で、後手になりがちな運営の問題を、「at!おぢや」なる市民プラットフォームを巻き込みながら、設計と並行して行っていくという、先進的なプロセスも提示されていた。
われわれは、〈フロート〉、〈アンカー〉、〈ルーフ〉という3つの建築的デバイスによって、小千谷という場所のバイオリズムや情報空間とからみ合う新しいタイプの図書館をつくろうとしている。
〈フロート〉とは可動の書棚や家具のことで、フロート書棚は分類法と対応したリニアなレール沿いに動くfig.11。これによって異なった分類の本たちが出会い、かけ合わされることによって随所に島状の小さな資料のまとまりが生まれるだろう。この認知可能な小さな資料のまとまりは、情報空間上に共通の関心を持った人びとの潜在的な集まりを生み出す。
このバーチャルな関心のコミュニティを、リアルな場に展開するためのデバイスが〈アンカー〉である。これはさまざまな性能やプロポーション、備品を持った複数の箱のことである。ひとつのアンカーは、それが持つ特性にふさわしい複数の市民活動によって棲み分けられる。無駄のない有機的な市民活動のプログラミングが、情報空間と連動して行われることになる。〈ルーフ〉とはこれらの場所を小千谷の深い雪から守る安定したプラットフォームであり、夏には屋外でのイベントも可能な市民の広場となるfig.12。
豪雪地帯である小千谷はビビッドな季節の変化に特徴付けられるだけでなく、高い技術で知られる花火や気球を飛ばすイベント、小千谷発祥と言われる錦鯉の品評会など、自然のリズムと連動したさまざまなイベントに満ちている。この小千谷のバイオリズムと連動するように、フロートの可変性を使った空間が変化し、情報空間との往復運動を起こすような場所を、3つのデバイスを組み合わせることによってつくろうとしているfig.13。それはもはや、場そのものが思考しているような、本、情報、自然がからみ合う新しい公共空間である。
やや結論を先取りするようだが、ここで肝要なのは、多数の声をある叡智として扱えるようにすることである。冒頭でも述べたように、そこには多くコンピュータの計算能力を活用したテクノロジーが介在するだろう。フロートの位相に関しては、既に述べたように開館後の展開に大きく関わる形で、それは起こる。ここではアンカーやルーフの位相において、設計プロセスの中でテクノロジーを介してどのようにある種の叡智が浮かび上がったか、以下に見てみたい。もちろん、近未来に実現可能であろうすべてのテクノロジーが手元にあるわけではない。また、テクノロジーだけで形が自動的に生成されるわけではなく、つくり手とのからみ合いが不可欠である。しかしここには、限定的であるにせよ、十分に原型的なケーススタディがある。
〈アンカー〉がつくる玉虫色のプログラム
「at!おぢや」の活動の一環として開かれたこの建築の市民とのワークショップは、まずは多様なアンカーを析出させるプロセスとなった。この場所の想定される使い方を、一連のシークエンスの中で記述するプラクティスとリサーチによって、アンカーの中で行う市民活動のリストが浮かび上がった。われわれは、京都大学平田研究室の学生たちとも協働しながら、100を超える活動相互の関係を、その活動が要求する空間特性との関係から、グラスホッパーを応用してつくった簡易な数理モデルで分析し、活動相互の距離を反映した活動の星座のような図を生成させたfig.14。この星座に含まれる近傍のいくつかの星の集団をグループ化し、活動の頻度も合わせて吟味することで、適切なアンカーの個数と特性を浮かび上がらせることができた。
次のワークショップでは、このようにして浮かび上がらせた複数のアンカーを、どのように使いたいか、さまざまな意見を抽出した。その雲のようにたくさんの意見の集合から、アンカー相互の関係性を、バネモデル的な引力斥力の関係性に還元した思考ツールをグラスホッパーを活用してつくった。これを補助ツールとしながらアンカーの配置をプランニングすることで、無数の意見が持つ知恵を効率よく反映できるようにしたfig.15。
つまりここで起こっているのは、多数の「ここでやりたいこと」の群れに、コンピュテーショナルなツールによってある形(あるいは模様のようなもの)を与え、建築家がそれを読み取りながら、多数性の場に次の投げかけを行うプロセスの繰り返しである。そしてそれによって、集団の叡智を反映したプログラミングやプランニングを可能になるという、まったく新しい事態なのである。
〈ルーフ〉がつくる玉虫色のシンボリズム
上記の、集団の知恵を反映したアンカー配置には、いくつかの可能なバージョンが想定できた。次のワークショップではその中からひとつを選ぶヒントとなる意見を集め、敷地の中の大まかなアンカー配置を決定した。これによって、ルーフの大まかな形が浮かび上がる。
とはいえルーフの形は、単にアンカーの配置から自動的には決まらない。構造的な工夫と内部の空間特性、そして風景の中での現れ方に関する吟味が必要だからだ。
われわれはまず、大きな地形の中に敷地を位置付けるところから始めた。これを単純化するとこの敷地に交わる3つの軸が見えてくるfig.16。そのようなところからわれわれは、トラスを内包した、尾根と谷が入り混じるような屋根を、次のワークショップに投げかけることにしたfig.17。地形のような、名産品である小千谷縮のシボのような折目は、3つの軸の幾何学をガイドにつくられているfig.18。ここまでは、コンピュテーショナルなツールを使って浮かび上がった大まかな屋根の外形を前提に、現地でのフィールドワークなども踏まえた建築的統合によってひとつの素案を投げかける過程である。小千谷でのこの案も、八代の時と同じように、ある公約数的なもの(この場合は地形的なるものを鍵とした)を媒介とした、意識のからまりしろとなることを意図したものでもある。
ワークショップでは、縮のような案はほぼ好評だったが、地形への読みや、心に残っている風景に対して、たくさんのコメントがあった。これらはすべてデータ化し、テキストマイニングや、M-GTAという手法を活用した言葉の濃縮を行い、ワークショップ当日に聞こえてきた話の印象も視野に入れて案を変形させた。主には、3つの軸だけでなく、小千谷という場所を特徴付けている地形の乱れやそれを遠因とする記憶に残る風景のあり方を反映する変形であるfig.19。
こんな風にしてまだ設計は続いているが、少なくともこのような過程を経てこの建築の形は、小千谷をめぐるさまざまな記憶やイメージの断片、空間的特性などが共存し、より強い玉虫色性を獲得しつつあると、感じている。
ルーフがつくる象徴的風景や空間のレベルでの玉虫色性、アンカーがつくるプログラムのレベルでの玉虫色性、フロートがつくる情報のレベルでの玉虫色性。異なる位相が掛け合わされることで、この建築はより深く、小千谷の人びとや、自然、折々の出来事が総体として持つ叡智を反映したものになっていくだろう。
人のためではない位相
お祭りのような神聖な出来事、単に現世のためだけにつくられていない建築、そういう、人のためにつくられていない建築が、かえってさまざまな人びとの想いを受け止める玉虫色の建築になるfig.20。お祭りのような、元来閉じた共同性を前提にした文化すら、そんな玉虫色の共同性の中で生命を獲得する。それは現代の社会の多義性を反映した、新しい建築の可能性ではないだろうか。
玉虫色の建築の可能性は、小千谷における試みのように、より一般的な文脈でも見つかりつつある。お祭りのような神聖なものによって「人のためではない」位相を獲得するのと同じように、これまで取り付く島のなかった多数性というものから、テクノロジーの進化を助けにして、これまでの人間的な知性の範疇を超えた、ある知恵や叡智と呼べるようなものを取り出すことができつつあるからだ。そこに浮かび上がるのは人びとの営みとそれを取り巻くより大きな環境が共鳴し合うような変化する様相を持った建築であるfig.21。ある意味で「現世的」な、はっきりと名付けられる機能と意味を持った建築ではなく、絶え間なく移り変わり、さまざまな人びとの想い、記憶、憧憬を柔らかく受け止める、どこか現世離れした、それでいて人びとの生き生きとした日常を育むような、大きな自然のバイオリズムと人びとの活動が呼応し合う建築。玉虫色に彩られた集団の叡智と、玉虫色の個性のぶつかりから、そんな新しい時代の建築が、生まれようとしている。
(初出:『新建築』2109 建築論壇)