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2021.12.13
Essay

現代都市のための9か条──近代都市の9つの欠陥

第2回(後編)|ゾーニングの問題

西沢大良(西沢大良建築設計事務所)

本記事は、『新建築』2012年5月号の建築論壇に掲載されたものです。原文のまま再掲します。(編集部)

近代都市の9つの欠陥 ゾーニングの問題

近代都市の3つ目の欠陥は、ゾーニングをめぐる問題である。都市を住居エリア・業務エリア・商業エリア・工業エリアといった用途別に区分けする(機能別にゾーニングする)という、整備手法のもたらす問題のことである米語でzoningという場合、米国のzoning制度(都市施設のボリュームを立体的に規制する制度。日本における高度地区指定や道路斜線制限や天空率規制に近い)のことを指し、日本語のゾーニング(都市域を面的に地域や地区に分けること)とは無関係。ちなみに英国でzoningという場合は、おおむね日本語のゾーニングと同じような意味を持つ。。この手法は、かつては都市問題を見事に解決していたが、その後のある時点から、ある理由によって、逆に都市問題を生み出す原因と化している。だが近代都市計画の用いるさまざまな計画手法は、かならず都市を機能別のエリアとして捉えることに立脚しているため、この欠陥が近代都市計画によって解消される見込みはない。
この欠陥──機能的なゾーニングという整備手法が新たな都市問題を生み出すという欠陥──は、いわば近代都市の心臓部に生じた治療ミスのようなものであり、9つの欠陥リストの中のひとつの極北である。ただし、このような欠陥が生じてしまったのは予測不能の事件の渦中であり、ある意味では不可避的なことであった。そしてその不可避性を認識することなしに、この欠陥を解消することはあり得ないと思われる。そこで、以下では若い読者がそのことを理解しやすいように、なるべく経緯を単純化して述べてみよう。つまり機能的なゾーニングという手法がどのようにして誕生し、どの時点で新たな都市問題を生み出すものになり、どのような理由からそれが不可避的であり、ゆえに将来的にはどのような別の整備手法へ転換され得るか、順を追って述べてみよう。

(1)近代都市のゾーニング

もともと都市を機能別・用途別に区分けするという手法は、19世紀後半のイギリスおよびドイツで、産業革命の弊害に対する回答として始まっている機能的なゾーニング(都市域を機能別の地区や地域に分ける)という手法の起源は、実際には本文で述べるような直線的な誕生を見たわけではなく、いくつかの都市において異なった経緯を辿って生成している。時期的には19世紀中盤~後半、明確な手法として定着するのは19世紀末から20世初頭、主な舞台はイギリスとドイツの諸都市である。イギリスの諸都市においては19世紀の大半はほぼ無規制下のまま開発が先行し、都市域だけでなく郊外の乱開発にも及び、居住系施設(スラム)や公衆衛生に集中せざるを得ず、統一的に取り組まれたわけではない。ドイツの諸都市においては、各都市ごとに異なった手法が試され、異なった法規に結実し、ドイツ内部でも一様ではない(プロシアの建築線制度・マスタープラン制度、フランクフルトの地域割制度・区画整理事業、ザクセンの総合法など)。そのため機能的なゾーニングという手法の生誕地を、一都市に限定することは難しい。本文ではそうした経緯を単純化し、あたかも一都市で集中的に生じたものとして記述する。ちなみに、日本における機能的なゾーニングの起源は、明治期におけるドイツからの建築線制度・街路線制度の輸入に始まったという意味では、ドイツが起源である(プロシア)。
なお、近代都市計画の別の起源として19世紀中盤のパリでなされたオスマンの都市改造が挙げられることがあるが、オスマンのパリ改造は、ことゾーニングという観点から見ると、後述する近世都市における階級的なゾーニングの圏内にあり、機能的なゾーニングの起源とは言えない。オスマンによる都市改造は、筆者の考えでは、後の20世紀の社会主義国家・共産主義国家の都市改造の起源である。直接的な影響関係という意味ではなく、どちらも近代都市と近世都市を混同し、近代国家(立憲主義)と近世国家(絶対主義)を混同し、いわゆるバロック式都市計画を行ったからである(軸線・広場・都市美・インフラに焦点を据えた都市改造)。近代国家がバロック式都市計画を行う時、その背景にはたいてい近代と近世の混同がある。日本では明治初期の東京市区改正(現在の丸の内地区の都市計画)がその典型である。
。産業革命の弊害は数多くあるが、ここでは初期に多用された蒸気機関によって、都市環境が著しく悪化したことを指す。18世紀後半に発明された蒸気機関(ニューメコン式でなくワット式のもの)は、当初は都市から遠く離れた鉱山における動力として用いられ(坑道の排水動力)、ただちに都市環境を悪化させることはなかったが、次第に都市へ接近してくるとともに巨大な影響を及ぼすようになる。すなわち蒸気機関はすぐさま都市間を結ぶ交易船の動力として転用され(河川の蒸気船)、続いて都市内外を移動する輸送機関の動力としても活用され(蒸気機関車)、ついに都市内の繊維工場における動力として据え付けられるまでになり、都市のあちこちで煤煙や排水や廃棄物を放出し、大気や河川や公道を汚すという公害をもたらすようになる。
当時の繊維工場は主として紡績を行う工場で、その成果品は肌着や普段着などの衣類であったから、初期の消費人口からしていきなり大工場で大量生産を始めるだけの需要は必ずしもなかった。だがワット式の蒸気機関はきわめて巨大な出力を持ち、当時の紡績機(自動織機や力紡機)の求める駆動力をはるかに凌駕していたために、一台の蒸気機関に多数の織機や紡機を連結することで、ようやく紡績作業の動力として利用されたのである。この機構のもたらす帰結として、多数の賃労働者がひとつの工場にかき集められ、多くの機械(紡績機や蒸気機関)の生きた手足となり、その人びとと機械の群れ全体が多大なエネルギーの供給(石炭や冷却水)と廃棄物の放出(煤煙や汚染水や粉塵)を都市内で行わせるものになる(近代工場の誕生)。かくも大掛かりな機構が、単に肌着をつくるために考案されたというのは後世の理解を絶しているが、この尋常ならざる大げさな機構を通して、肌着の生産競争と価格競争が行われるという、一種の悲喜劇的な段階に突入していくのである。すなわち、蒸気機関一台あたりの生産量を増加させる競争がはじまり、そのことがますます多くの紡績機を蒸気機関に連結させ、ますます多くの賃労働者を集結させ、ますます多大なエネルギーや廃棄物を都市にまき散らし、工場の拡張や大型化を成し遂げていく(19世紀前半)。しかもこの過程を追走するように、膨大な賃労働者が都市内のスラムをつくり出し、前回述べたようにその衛生環境を豚小屋以下へ低下させ、チフスやコレラといった疫病を発生させ、幼児死亡率を押し上げるといったことも日常茶飯事になる(19世紀中盤)。こうしたほとんど生存不能な環境が、都市という存在の意味内容になりかけたとき、ようやく人びとは正気を取り戻し、産業革命と産業資本主義に見合った都市形態を模索するようになる。そして工場地域と業務地域の分離や、住居地域と商業地域の区別などの、いわゆる機能的なゾーニングが登場するのである(19世紀末~20世紀初頭)。この整備手法はもちろん成果を上げ、都市は人を殺さない程度に改善された。
ここまでの経緯から、機能的なゾーニングという整備手法が産業革命期のテクノロジー(蒸気機関)のもたらす弊害(工場・貧民窟・公害・疫病)に対する起死回生の一打であったことを理解できるだろう。ただし、冷静に考えてみると、それはあくまで産業革命期のテクノロジー(蒸気機関)に対する対処療法であって、それ以外に対処すべき相手を持っていない。このことは、後に蒸気機関が都市から消え去ることになった時、あるかたちで顕在化することになる。つまり蒸気機関が不意に都市から消え去った時、依然として機能的なゾーニングという手法を継続することは、解決すべき問題を欠いたまま整備手法だけを延命させるという、いわゆる形骸化の段階に入ることになるのである。この時点を境にして、この整備手法の持つ負の側面が、都市を別のかたちで苦しめることになる。
「形骸化」や「負の側面」とはこの場合、用途別に切り分けられた都市域が、あたかも機能制限や活動規制を課されたようなエリアと化していく、という意味である。たしかに機能的なゾーニングという手法はかつて工場エリアを業務エリアから区別する時には威力を発揮したし、スラムエリア(住居エリア)に改善命令を下す時にも有効であった。だがそうした確たる標的(蒸気機関・工場・貧民窟・公害・疫病)を失った後、機能的なゾーニングによって都市をひたすら整備していくと、都市が隅から隅まで行動制限や活動禁止を課されたエリアの集積と化してしまう。蒸気機関が都市から撤退しはじめるのは20世紀前半であり、おおむね過去の遺物と化すのは20世紀中盤である。したがってこの時点で、機能的なゾーニングという整備手法が形骸化しつつあることを、誰かが告発したとしても不思議ではない。そしてその告発は、この整備手法に信頼を寄せてきた都市計画家や建築家からでなく、その形骸化のありさまを冷静に見ていた部外者から発せられるのである。
1960年代になされたジェイコブスたちの近代都市計画批判の背景には、こうした計画手法の形骸化があった。彼女らの批判が近代都市計画の手法それ自体を標的にし、手法そのものが生み出す都市問題を対象化したのは、そのためである。とくにジェイコブスの場合、機能的なゾーニングという手法の持つ活動禁止的な側面を、衝撃的なかたちで浮き彫りにした。
ジェイコブスによれば、前近代から存続している魅力的な街区、たとえば1950年代のグリニッジビレッジのようなダウンタウンには、良質なかいわい性が絶え間なく生じており、そのことが都市生活を生気あふれるものにしている。「かいわい性」とはジェイコブス用語においては、単なる都市住民同士の交流やにぎわいといったことだけを指すのではない。「かいわい性」とは市民活動の特殊な状態のことを指しており、具体的には一定の都市域において、住民自治や相互扶助、経済活動や安全保障、地域福祉や環境維持などが継続的に生じる状態のことを指している(今日の用語で言えばセーフティーネットに近い)。この意味での「かいわい性」が絶え間なく生じている街区に、ひとたび機能的なゾーニングが施されると、「かいわい性」の生起は二度と起こらなくなると彼女は言う。なぜ起こらなくなるかといえば、ジェイコブスによると、機能的なゾーニングによって単一機能による街区形成(住居エリアや業務エリア)が行われてしまうからだと言う。彼女にとってモダニストの行う機能的なゾーニングなるものは、「かいわい性」の生起を根絶やしにする猛毒なのである。それに対して彼女が対置したのがミクストユース(ふたつ以上の機能を混在させること)であった機能的なゾーニングに対してジェイコブスが対置したのは、ミクストユースの必要性だけでなく、高い人口密度、歩行圏の尊重、老朽施設の必要性、などがある。ここでは経緯を単純化させるため機能的な提案(ミクストユース)に問題を集約させている。詳しくは原典参照。。つまり機能的なゾーニングという整備手法は、もっと機能の重合や複合を促す手法へ転換されるべきだというのが、彼女の主張である。
この主張は、筆者の考えでは、攻撃対象(機能的なゾーニング)と最終目標(セーフティーネットとしてのかいわい性)は正しかったのに、そこに到達するための整備手法(ミクストユース)が不十分なものであったため、残念ながらモダニストの誤解を招くだけに終わったように思われる。ただし、その最終目標(セーフティーネットとしてのかいわい性)に示された彼女の認識は重要である。それは人びとの経済保障や安全保障や生活保障を、国家や大企業に委ねるのでなく、都市それ自体に備え付けることができるのだという、非常にオリジナルな発想である。おそらくこの発想は、20世紀になされた都市に対する認識の中で、最も秀逸なもののひとつである。だがこの認識については別の節であらためて検討することにしよう。話を戻すと、彼女は攻撃対象(機能的なゾーニング)と最終目標(かいわい性)を間違えることはなかったが、実現手法(ミクストユース)が不用意なものであったため、残念ながら二次災害をもたらしてしまう。というのも、この批判を受けた近代都市計画が、次のような軌道修正を行ってしまうからである。
1970年代以降の近代都市計画は、それ以前の単一機能による地区計画、たとえば住居群と小店舗によるいわゆるベッドタウンの計画をなるべく避け、業務地区や商業地区を加えた大規模ニュータウンを計画するようになり、いわゆる多機能な街づくりを行うようになった。国内の多摩ニュータウンから近年の中国の大規模ニュータウンまでが、業務地区から商業地区までの多機能なエリア構成を備えているのはその帰結である。この多機能性は、モダニストによる公式説明──つまり従来の住居専用街(ベッドタウン)のように母都市にぶら下がる街のあり方でなく、業務機能から商業機能までを含めた多機能な計画都市(大規模ニュータウン)を整備することで母都市から独立した街のあり方を目指すという公式説明──から離れて客観視するならば、ミクストユースを歪んだかたちで反映したものとなっている。というのも、大規模ニュータウンはマクロなレベル(マスタープランレベル)においてはミクストユースを反映しながらも、ミクロなレベル(街区レベル)においては単一機能による街区計画を貫いており、依然として機能的なゾーニングを貫徹しているからである。そのため、こうした多機能性は都市活動をさほど変えるものでなく、かいわい性を生起させるといったことは起きていない。つまり1970年代以降の近代都市計画は、マクロにおいては多機能性を実現しながらも、ミクロにおいては隅々まで活動禁止を行き届かせるという、やや分裂症的な街づくりを行うようになる。
さらなる二次災害として、より深刻な今日の状況についても触れておこう。こうした多機能でありながらも活動禁止を貫く街づくりがその後40年あまりも続けられてきたために、今日ではむしろ住民の方がそれに慣れており、自分たちの活動が制限されているとは夢にも思わなくなっている。かいわい性(セーフティーネット) を備えた重要性はとうに忘れ去られており、都市がそんなものを生成し得るとは誰も考えなくなっている。あたかも抵抗不能の校則に慣れてしまった中学生たちのように、大規模ニュータウンの住民たちも、自由の感覚を麻痺させられて40年が過ぎている。そのため、今日の大規模ニュータウンでの生活は、新型スラムの名の通り、かつての19世紀スラムを清潔にして巨大化し、十分な多機能性を備えているものの、肝心のかいわい性(セーフティーネット)をぬぐい去った日常と化している。だがそのような生活は、どんなに利便性が高くとも、都市活動が死滅する時のひとつの兆候である煩雑さを避けるために本文から割愛したが、筆者が大規模ニュータウンや郊外ベッドタウン(筆者もその出身者のひとりである)の将来を心配している理由は、特に大規模ニュータウンには、都市活動の生命線であるところの長期持続性と外部依存性が十分に備わっていないため。大規模ニュータウン(1970年代~)は、その計画立案者たちが言うように、かつての郊外ベッドタウン(1950~60年代)に比べて母都市から独立することを目指した。逆に言うと、それは母都市の負担を軽減させ母都市の長期持続性のための計画であって、大規模ニュータウンそれ自身の長期持続性を真剣に検討していない(『多摩ニュータウン計画:中心施設の研究と要旨/日本住宅公団南多摩局1967年』『多摩センター地区事業概要/同1977年』『多摩ニュータウン構想:その分析と問題点/都整備首都局1968年』『多摩ニュータウン/東京都・日本住宅公団・都住宅供給公社の計画書』ほか)。そのため大規模ニュータウンは母都市救済のために、ニュータウン内において業務活動から消費活動までを行わせるという多機能な街づくりになった。これを大規模ニュータウンの側から見ると、かつての郊外ベッドタウンに比して母都市から独立した分だけ外部依存度が減り、長期持続力を犠牲にしている。母都市からの独立を促すのでなく、母都市と多くの郊外ベッドタウンや大規模ニュータウンが、中心を持たない多焦点的な都市圏をつくることを立案する必要があった。そして個々の都市域(ベッドタウン、ニュータウン、旧母都市)同士でやりとりされるエネルギー・食料・人・情報・技術の総量を、あたう限り増大させることを目指す必要があった。
以上が経緯のあらましである。
この経緯には、途中でいくつもの重要なトピックが現れており、いくつもの貴重な代償が払われている。それは何度でも学習されるに値するし、何度でも再考されるに値する。さしあたりここでは、この経緯の中から、機能的なゾーニングという手法を形骸化させた最大の原因を取り出して、経緯の説明を終わりにしよう。
機能的なゾーニングという手法を形骸化させた最大の原因は、ひと言でいえば、産業革命期のテクノロジー(蒸気機関とその工場)が都市にとって短期的な存在だったからだと言える。蒸気機関(とその工場)は都市においてほとんど長期的な存在ではなかったために、その弊害を解決してきた手法も長期的な効力を持つことがなく、短期的に形骸化することになったのだと言える。ただし、問題はそれだけではない。というのも近代都市の場合、こうしたことは蒸気機関だけの話ではないからだ。
もともと近代都市の使命は、先述したように、産業資本主義と産業革命に対応した都市形態の実現にあった。だが「産業資本主義と産業革命」というこの組み合わせは、実に頭の痛い代物である。産業資本主義は技術革新を次々と行うことで存続するという性質を持ち、多くのテクノロジーを短期的なものに留めることで存続するという、恐るべき性質を持っているからである。かくもめまぐるしいテクノロジーの変遷は、もちろん近代以前には存在したことがない。近代都市に持ち込まれるテクノロジーは、古代ローマ都市のテクノロジー(築城術や治水術など)のような数百年スパンの長期性を備えていない。にもかかわらずそれが都市活動に与える影響は甚大であり、19世紀の蒸気機関であれ20世紀のモータリゼーションであれ、何らの弊害を伴わずに済むことがない。そのような弊害に取り組む近代都市計画は、いわば人類史上最も形骸化しやすい立場に置かれているようなものなのだ。機能的なゾーニングという整備手法を形骸化させた最大の原因は、究極的には産業資本主義下におけるこうしたテクノロジーの絶え間ない変遷にある。その意味では、この整備手法が形骸化するのは避け難いことであったし、不可避的なことであった。
経緯が長くなったため、簡潔にまとめておこう。まず機能的なゾーニングという起死回生の手法は、産業革命以来のテクノロジー(蒸気機関+工場)のもたらす害悪と戦い、破竹の快進撃を続けていたが、20世紀中盤に不意に形骸化した。その理由は産業革命期のテクノロジー(蒸気機関+工場)が都市から消え去り、戦うべき真の敵を失ったからであった。ゆえにこの手法は都市それ自体と戦いはじめることになり、都市活動の長期持続性を損なうまでに戦線が拡大し、たとえばかいわい性は根絶しにされた。この惨状を目の当たりにした近代都市計画批判は、それを解決する代替手法を提示したが、それは歪んだかたちで機能的なゾーニングの肥やしとなり、戦線はますます拡大し、多機能でありながら活動禁止の行き届いた巨大な街づくりに帰結した。ここに至って機能的なゾーニングの形骸化は、その頂点に達している。だがこのような形骸化は、もともと19世紀のテクノロジーの短期性に原因があり、その短期性が産業資本主義によって運命づけられていた以上、不可避なことであった。
こうして近代都市は、過去足掛け3世紀にわたり、産業資本主義下のテクノロジーの変遷にのたうち回り、ついでにおのれの整備手法にのたうち回ってきたのである。だが、近代都市がのたうち回ったあげくに次なる都市形態、すなわち現代都市を出現させるというここでの予想からすると、かくも解決困難なのたうち回りは、現代都市を誕生させる重要な契機のひとつになると考えられる。少なくとも上述してきた経緯から、現代都市の誕生について、次のふたつのことを予測できるだろう。第1に現代都市を実現し得るタイミングは、その都市域における産業資本主義の活動に大きな失調が生じる時点だということ、第2にその失調を示す最も分かりやすい指標として、テクノロジーの変遷に何らかの大きな異変が起こること、という2点である。そしてこの2点は、1990年代後半以降の国内都市においては、かなり満たされていると考えられるのである。今日の国内都市における産業資本主義は、人口流動性の第二段階(B型ウィルス)に移行するほど失調しているからであり、また19世以来のテクノロジーの推移も、以下に述べるように明らかに別のフェーズに移行しているからである。

(2)ふたつの産業革命

ここで現代都市の姿を考えるために、上述したテクノロジーの変遷の果てに何が起こるのか、またそれが都市や農村をどう変えるのかについて、ひとつの有力な仮説を挙げておこう。建築家や都市計画家の唱えた説ではないが、上述したテクノロジーの問題を誰よりも根本的なものとして捉え、そこからひとつの学問を打ち立てた者の述べた予想である。
ノーバート・ウィーナーは1950年代に、旧来のテクノロジーの推移が別のフェーズに移行しつつあることを察知して、いちはやく考察を加えている(『人間機械論』第9章、1954年)。ウィーナーは産業革命以来のテクノロジーの変遷を、第一次産業革命と第二次産業革命というふたつのフェーズに区別する。第一次産業革命とは上述してきた蒸気機関(ワット式)に始まる技術革新のことで、その後のモータリゼーションや航空機、また建設機械や農耕機械なども含まれる。その特徴はウィーナーによれば人間の肉体労働を機械で置き換えたことにある。これに対して第二次産業革命とは、第一次の影に隠れて進行した技術革新のことで、具体的には19世紀後半以降の電気技術や通信技術、そして戦争期のレーダー技術やその後のコンピュータなどが挙げられているが、今日のいわゆる情報革命もそこに含まれるだろう。その特徴は知的労働(コミュニケーション能力やリテラシ—能力)を機械に置き換えたことにあると言ってよいだろう。ウィーナーによれば、第一次産業革命によってもたらされた人びとの常識は、第二次産業革命の深化とともに想定外のものへ変貌することになる。たとえば上述した「都市における紡績工場」という「19世紀的な生産体制」は、すでに20世紀初頭に回避可能なものになっていたとウィーナーは述べている。というのも蒸気機関に取って変わり得る別の動力として、低出力の小型動力(電気モーター)が19世紀後半に出現したからであり、さらに場所を問わない通信技術(電話)やエネルギー増幅器(電子管ないし真空管)もほどなくして実用化されたためである。これらは初期においては第一次産業革命を補う代用技術として用いられたにすぎなかったが(たとえば蒸気機関を何らかの理由で設置できない場合に電気モーターで代用する)、ウィーナーにとっては第二次産業革命の開始を告げるものである。ウィーナーによれば、19世紀の繊維工場がよりにもよって蒸気機関を導入し、よりにもよって都市に賃労働者を集中させ、よりにもよってスラム(都市)と過疎(農村)を生み出す羽目になったのは、電気モーターや電信技術の発明が半世紀あまり遅れたために生じた不毛な回り道である。彼にとって都市+大工場+蒸気機関という組み合わせは不条理なのであり、他に選択肢がない場合に限って容認し得るという程度の価値しか持っていない。そのためウィーナーは、20世紀初頭以降は都市ではなくむしろ農村で、低出力のモーター動力を各農家に分散させて連携させた方が、賢明であると指摘している。すなわち都市+大工場+大型動力の集中配置による工業生産ではなく、農村+家屋群+小型動力の分散配置による工業生産(軽工業)に転換することが、可能になったと指摘している。
もちろんウィーナーの興味の中心は、近代都市や近代農村の克服といった事柄にあるわけではない。彼のここでの関心は、特定のテクノロジー(蒸気機関なり電気モーターなり)の仕組みが、どのような社会の仕組みをもたらすかにある。ウィーナーにとって人間のつくり出す社会や集団は、思想や哲学の反映ではあり得ず、究極的には大なる確率で、テクノロジーの仕組みの反映と化す。だとしても、筆者がウィーナーのその指摘(農村+家屋群+小型動力の分散配置)を忘れられないのは、そこに近代都市の次の都市形態が暗示されているように思われるためであり、現代都市のひとつの姿が示唆されているように思われるためである。第一次産業革命のテクノロジー(たとえば蒸気機関)をどちらかと言えば軽蔑していた節のあるウィーナーは、その行き着くところを第二次産業革命という視点によって完全に相対化していたために、意図せずして近代都市の次の都市形態に言及することになったと言える。
彼が「都市+大工場+大型動力の集中配置」に対して「農村+家屋群+小型動力の分散配置」を対置したのは、第二次産業革命のもたらすひとつの効果が、第一次産業革命とは違って、場所の拘束性を無効化することにあるからだろう。彼のあげた低出力の小型動力や電信通信技術、自動機械やレーダー技術、フィードバック回路やコンピュータ、ひいては彼の死後に実用化されたパーソナルコンピュータやインターネット、そして今日のクラウドコンピュータやスマートグリッドに至るまで、その効果はますます拡大していると言ってよい。すなわち、第一次産業革命が特定の活動を一定の場所で行う可能性をもたらしたとすれば(たとえば軽工業生産を都市で行う)、第二次産業革命はその活動をさまざまな場所で行う可能性をもたらす(たとえば軽工業生産を農村で行う)。このことは、第一次産業革命によってつくり出された場所と活動(機能)の結びつきが、第二次産業革命の深化とともに解きほぐされていくことを意味する。そのためウィーナーは、農村においてさえ工業生産(軽工業)を行えるようになってきたと指摘したのである。彼はここで農村の変化だけを例に挙げ、今後の都市の変化については明言しなかったが、もし近代都市に関する知識を持っていたら、次のような都市の変化を予測していただろう。すなわち第二次産業革命の特性が場所の拘束性を無効化することにあるならば、それが深化していく今後の都市においては、場所に対する従来の整備手法──場所と活動を結びつけた機能的なゾーニング──は、別の望ましい整備手法に取って変わられるだろうという予測である。
ここで読者の視野を広げるために、ゾーニングという手法一般について、機能的なものに限定せずに振り返っておこう。というのも近代都市で行われてきた機能的なゾーニングは、歴史的にはきわめて特殊なタイプのゾーニングで、必ずしも優れたタイプのゾーニングというわけでもないからだ。たとえば近世都市におけるゾーニングのことを想起してみよう。歴史上の近世都市は一様ではないが、ある共通したタイプのゾーニングを行っていたという意味で、記憶に留める価値がある。近世都市におけるゾーニングとは、武家地や寺社地、教会領や諸候領、交易市場やゲットーなどのことだが、それは機能別のゾーニングではなくて、階級別のゾーニングである(実際には階級・職業・人種・宗教によるゾーニングを兼ねているが、以下では階級的なゾーニングと記す)。しかも、個々の階級ゾーンの内部においても機能的なエリア分けは明瞭でなく、業務機能から居住機能までがグラデーショナルな状態である。さらに、この近世都市における階級的なゾーニングは、当時なりの人口流動性を沈静化する役割を果たしていたという意味で、機能的なゾーニングにない底力を持っている。もちろん近世集落のような人口定着性はもたらさなかったが、後の近代都市のような過剰な人口流動性は当然もたらしていない。いずれにしても、都市を面的に区分けするいくつかの手法と比べると、機能的なゾーニングという手法が唯一のものでなく、さほど優れた手法でもないことに気づくだろう。しかも、第一次産業革命の直接的な弊害がおおむね消え去った今日の都市にとって、それは不可欠な手法でもなくなっている。何度も言うように、それはあくまで第一次産業革命の弊害に対する対処療法にすぎないからである。前節までの言い回しを用いれば、それは短期的にしか効かない風邪薬のような手法であって、長期的に有効な手法ではまったくない。

(3)現代都市のゾーニング

以上の議論を前提として、来るべき現代都市の姿をゾーニングという観点から考えてみよう。機能的なゾーニングに取って変わり得る整備手法、しかも短期的でなく長期的な効果を期待し得る整備手法は、筆者の考えでは環境的なゾーニングである。「環境的なゾーニング」とは、「環境オリエンテッド」な「街区形成」をマスタープランレベルで行う、という意味だが、具体的には以下のような手法のことである。

第一に環境的なソーニングは、従来の機能的なゾーニングのように地域や地区を単位とするのでなく、街区(ブロック)を単位として整備される。街区(つまり道路によって囲まれた一団の土地)を単位としたゾーニングであれば、近代都市からの移行は可能である。もともと近代都市のひとつの達成は、先行する更地・近世集落・近世都市を、街区に分節し尽くしたことにある。「街区の分節」とは、都市が近代化されればされるほど、道路が貫通されまた拡幅されることによって、街区がくっきりと分離されていくという意味である。また道路にエネルギー系統(インフラ)が敷設されることにより、街区の等質性・孤立性も高まっていくという意味である。ただしこれらの大量の街区は、こと環境という意味では1種類であり、いわば均一環境の街区の集積である(特にエネルギー様式や資源様式などの生存環境として)。こうした多数の街区の集積が、近代都市から現代都市への移行(ゾーニングレベルでの移行)の重要な足がかりになるだろう。その意味で、近代都市から現代都市への転換は、ことゾーニングに関しては、ひとつの街区の改良から開始することができる。
第2に環境的なソーニングは、街区ごとに環境設定を行うものになる。「環境設定」とは、自然環境と人工環境の合成であるところの都市環境に関して、街区ごとに整備後の達成目標を指定するという意味である(機能的なゾーニングが施設整備後の用途指定を行っていたのに対して、環境的なゾーニングは施設整備後の環境指定を行う)。「自然環境」と、「人工環境」のそれぞれの整備目標は、現実的にはさまざまな設定方法・基準項目があり得るが、たとえば次のような細かな特性(自然環境と人工環境のそれぞれの特性)の組み合わせによって、街区の環境基準を指定することが考えられる。
前者の「自然環境」の整備目標については、都市活動に影響を与える体感可能な環境特性の中から、整備後の街区の気温変動・湿度変動・大気鮮度・風力変化・日照変化・雨水処理量・降雪処理量・植生緑被率・生物種・地形可変量・地盤毀損量、などの項目ごとにグレードを指定して、施設整備後の街区に一定の都市気象・生態環境の特性が形成されるようにする。後者の「人工環境」については、都市活動の要である生存物資や生存技術に関わる環境特性の中から、整備後の街区のエネルギー様式・資源様式・交通様式・インフラ様式・水源選択を指定し、また整備される立体(建築や工作物や付属物を含むあらゆる人工物)のエネルギー消費量・二次エネルギー生産量・資源消費量・資源再生量・ペリメーター性能・発生音量・吸音量・臭気発生量・耐火性能、また地中に整備される立体(外構・基礎・杭・遺跡・遺構など)の掘削限度・存置限度・排出土制限・地下水排出制限、などの項目ごとにグレードを指定して、施設整備後の街区に一定の人工環境が形成されるようにする。これらの「自然環境と人工環境」の特性の組み合わせから、多種類の街区環境を生成させることができる。仮にここまで細かな項目立てをしないとしても、「自然環境」の指定を8項目×各3グレード、「人工環境」の指定を6項目×各3グレードで行っただけで、単純計算で38×36=478万2,969種類ということになる。もちろん実際には過度に微妙な組み合わせや無意味な組み合わせを排し、実現困難な可能性に配慮することになるが、それでも200種類は下らないだろう。いずれにしても環境的なソーニングは、n種の異なる環境設定を街区単位で行うものになり、n種の街区環境を操るものになる。したがって、どこへ行っても同じ環境が整備されていたのが近代都市だとすれば、すべての街区が少しずつ違った環境特性を備えているのが現代都市になる。
このn種の環境種別は、どれも都市活動の長期持続性を考慮して、冗長性を持ったn値にするのが望ましい。また個々の項目ごとのグレード数(仮にk値とする)も、同じ意図から都市に冗長性をもたらすk値にするのが望ましい。たとえばエネルギー様式や資源様式などは、近代都市の街区はほとんど1種類のグレードであり(k=1)、効率性・合理性を持っているかわりに冗長性がない。つまり長期的な展望がない。なにしろk=1という状況は、都市活動の存続が1本の命綱にかかっているような状況で、しかも世界中で量産されている近代都市の活動もその1本の命綱にぶらさがっている状況である。それは将来的に生じる資源争奪や高騰を想定すると、頭の痛い状況である。都市活動の長期持続性・外部依存性を向上させるには、もっと別のエネルギー選択や資源選択を行う街区をつくり、都市域全体の冗長性を高めた方が賢明だろう(エネルギー様式についてはせめてk=3)。あるいは水源なども、近代都市はあまりに巨大な人口をひとつの水源地に依存させており(k=1)、過去のいかなる都市形態よりも長期持続性・外部依存性を危うくしている状況である。せめて街区総数の30%程度は複数の水源(水道のほかに井水系統や雨水系統を備える、また水源地の分散と人口負荷軽減など)を確保すべきだろう(せめてk=3)。その上で、街区単位のn種の環境設定の段階においても、あらためて都市域全体の冗長性を増大させるべきだろう。たとえば過去の歴史地区や自然地区、あるいは工業地区や農地や林地などを、n種の中に位置づけることが望ましい。あるいは前々節であげた歴代の新型スラムなども、n種の中に位置づけることが望ましい。それらはいずれも都市活動の外部性・長期性と切っても切れない存在だからであり、今後の都市活動にとっての資源になるからである。
第3に、環境的なゾーニングによって整備されるn種の環境設定は、街区内の活動(機能・用途)のための環境設定の役割も兼ねる。ただし、機能的なゾーニングのように用途指定を優先して行うのでなく、あくまで環境設定を優先して行い、その環境に追随・従属し得るm種の活動(機能・用途)をリスト化する。つまり、あくまで環境オリエンテッドに人びとの活動(機能・用途)を捉えるようにする。もちろんこの環境的なゾーニングの初動時は、機能的なゾーニングからの移行期であり、街区環境が未整備であるため、今後整備されるn種の環境設定と、それに追随し得るようなm種の活動(機能・用途)を同時に指定せざるを得ない。「せざるを得ない」とは、本来都市においては、活動(機能・用途)に対する規制はあたう限り撤廃されることが望ましいからで、いかなるゾーニングの手法もその可能性に開かれたものでなくてはならないからだ。その意味で環境的なゾーニングも都市活動(機能・用途)の自由化を目標とするが、あくまで環境オリエンテッドな範囲内での自由化を最終的な目標とする。つまり用途指定が消滅したにもかかわらず、街区に整備された環境設定によって活動が自ずと整流されるような、環境オリエンテッドな秩序の構築を目指す。
このm種の活動(機能・用途)について、初動時においてもなるべく自由度を高める方法としては、用途選択の幅が大きくなるような指定方法を工夫することだろう。さまざまな工夫があり得るが、たとえばm種の活動を、エネルギー消費量や放出量に従って大きくグルーピングした上で(たとえばA群~G群)、それをn種の環境設定と組み合わせて指定する、という方法が考えられる。たとえばn種の環境種別の中の第1種環境(仮に親自然型・省エネルギー型・省資源型・静音型の環境とする)を指定した街区において、エネルギー消費と放出の少ない活動A群を指定し、静かで穏やかな環境でありながら高密度な複合用途の都市環境を誘導したり、あるいは第2種環境(仮に人工型・エネルギー消費型・資源浪費型・騒音型の環境とする)の街区において、エネルギー消費と放出の大きい活動G群を指定し、近代都市の中の保存すべき街区に適用し、20世紀の機能的で功利的な活動を街区ごとを保存する、などが考えられる。また、エネルギー消費量や放出量によって活動をグルーピングする場合、性差や年齢や身体障害なども独立したグループとすることができ、医療や福祉や教育における弱者のための環境設定を行った街区を形成することもできる。逆に、エネルギー浪費の高い商業活動などについては、複数の周辺街区も含めたマスタープランレベルでの環境設計が大事になるだろう。ちなみに、m種のリストにない未知の活動や複合活動については、環境アセスメントを義務づけ、その街区の環境設定に追随し得るかどうかを検証すればよい。その場合の追随性の検証は、一定の都市実験・社会実験を行うことが望ましい。いずれにしても、現代都市はことゾーニングに関しては、先行する均一環境の街区の集積をもとに、それらをn種の街区環境へ分化させ、m種の活動を従わせながら生成していくことになる。その意味で現代都市は、近代都市の内側から散逸的に形成されるものになる。
第4に、環境設定と活動の組み合わせによる街区指定(n+m)について、マスタープランにとっての配置自由度を考えてみると、北米型の近代都市を除けば(グリッドシティ)、多くの近代都市にはさまざまな大きさや形状や地形の街区があり、そのことによって実現し得る環境種別とし得ない環境種別がある。また先行する都市域の状態によっても実現し得る環境種別とし得ない環境種別がある。さらに、街区内ですでに活動中の既存の機能が新たな環境種別に従属し得る場合とし得ない場合がある。これらによって、どこでも配置できるような環境と活動の組み合わせ(n1+m1)と、おおむね過不足なく配置し得る組み合わせ(n2+m2)と、きわめて配置に手こずる組み合わせ(n3+m3)といった、いわば「街区型」とでも言うべき街区のタイポロジーが生じると思われる。またこの「街区型」が、非常にうまく行った場合、街区内の施設の「建築型」を数多く発生させると考えられる。ただしそれらは、あくまで環境オリエンテッドな「建築型」になることに注意しよう。
というのも、かつて近世都市(階級的なゾーニング)から近代都市(機能的なゾーニング)への移行の際、数多くの建築型が派生したが、それらは機能オリエンテッドな建築型であった。近世都市から近代都市への移行は、建築レベルでは、階級オリエンテッドな建築型(寺社仏閣、町家など)から機能オリエンテッドな建築型(美術館、学校、集合住宅など)への移行をもたらしたが、今後の近代都市から現代都市への移行においては、環境オリエンテッドな建築型が生じることになる。それらは基本的に、街区の環境設定と、施設のエネルギー様式や資源様式を(ひいては人びとの活動エネルギーや活動資源を)すり合わせるものになるこの段落で述べた「環境オリエンテッドな建築型」のうち、木造の事例については拙稿「木造進化論」(『西沢大良木造作品集2004-2010』、LIXIL出版、2010年)を参照。
第5に、以上のように環境的なゾーニングによる街区形成(現代都市計画)は、機能的なゾーニングによる地区形成(近代都市計画)に比べて、非常に多種多数の生存環境を都市の中につくり出し、その環境に活動(機能)が追随するという、環境オリエンテッドな街づくりである。この「環境オリエンテッドな街づくり」の持つふたつの特徴(環境の多種多数性、環境設定の機能に対する優先性)は、ちょうど自然界で生じる人びとの行動様式を、都市の中で別のかたちで再建するものになる。従来の機能的なゾーニングの場合は、これと正反対の特徴を持ち(環境の少種性、機能設定の環境に対する優先性)、もっぱら「機能オリエンテッドな街づくり」であった。そのため、近代都市における人びとの行動様式は機能性・利便性によって誘引され、また経済性・功利性によって動機づけられていた。たとえば便利だから何処何処に行く、安い商品があるから何処何処に行く、といったことが近代都市における人びとの一般的な行動規範であった。だがそうした人びとも、自然界においてはまったく別の行動規範を示し、環境オリエンテッドな行動を示す。たとえばおいしい泉だから何処何処に行く、気持ちいい日陰だから何処何処に行くといったことが、自然界におかれた人びと(というより身体)の行動規範になる。このふたつの異なる行動様式の源泉は、究極的にはその人間(身体)を包んでいるところの環境の違い、つまり環境A(自然環境)と環境B(近代都市)の差異にある。いわばふたつの行動は、環境Aと環境Bがかくも違うということの、人体を通じた表現である。すると、来るべき環境C(現代都市)においてどのような行動様式や規範が出現するかを考えると、筆者の予想では、環境B(近代都市)とも環境A(自然環境)とも違うものになる。それは一面においては環境A(自然環境)に近いが(環境に対する行動の追随性)、ただし歴史上に存在した環境に対する追随性とは異質な追随例になるだろう。他方でそれは、環境B(近代都市)とは決定的に異質だが、その残滓をあるかたちで留めるだろう。いずれにしても、環境的なゾーニングによる「環境オリエンテッドなまちづくり」は、環境と人間(身体)の新しい関係を、都市の中で再建するものになるだろう。

以上が、筆者の考える「環境的なゾーニング」という整備手法の概略である。この手法は、総じて近代都市計画とは異なる視点で都市域を改良する。たとえば近代都市計画のマスタープランの目標のひとつが「集団建築」のコントロールにあったとすれば、現代都市計画のマスタープランの目標のひとつは「集団環境」のコントロールにある(n種の街区環境を操るという意味で)。あるいは前者の目標が、「都市機能」の強化にあったとすれば、後者の目的は生存拠点としての「都市環境」の強化にある。あるいは前者が都市を物理的に制御したとすれば、後者は都市域を化学的(ないし熱力学的)に制御するものになる。そのため後者の手法には、その適用方法を工夫していけば、前者の弊害や欠陥を修復し得る余地がある。そこで、以下に前々節(新型スラムの問題)と前節(人口流動性の問題)に対する部分的な修復方法・適用方法を述べて、本節の説明を終わりにしよう。

まず新型スラムの問題(第1節)について。環境的なゾーニングは、産業資本主義の衰退する都市が生み出す新型スラムの問題を、街区単位で解決するものになり得る。筆者が考えているのは、新型スラムの一部をベーシックエンバイラメント(生存環境)として無償提供すれば、いわゆるベーシックインカム(生存収入)よりは希望が持てるということ。現行の生活保護制度との比較で議論されているベーシックインカム(生存収入)は、きわめてざっくりと言えば、生存し得る最低限の金銭を自治体なり政府なりが支給するというものである。受給対象は全国民という意見もあれば、低所得者層限定という意見もあり、引きこもり限定という意見もある。いずれにしても筆者が思うには、金銭では長期的な展望が開かれないし、真の意味でのベーシックでもないということ。真の意味でのベーシックを考えれば、生存のための金銭よりも、生存のための環境(住居)を無償で供与した方がベーシックだろう。第1節にあげただけでも今日の新型スラムは少なくとも12種類あるが(たとえばn11~n22)、その中のベッドタウンの公営賃貸住居(n11)などを無償で提供し、それに追随する活動としてベーシック生存とし(m11)、両者を組み合わせてベーシックエンバイラメントとして活用すればよい(たとえばn11+m11)。その上で、滞在しているだけで金銭を支払うか否かは自治体の財政余力で決めればよい。もしベーシック生存者が施設の清掃やメンテナンスを行ってくれる場合はその活動のエネルギー消費量と放出量は単なるベーシック生存(m11)とは異なるから、あらためて別の活動、たとえばベーシック労働としてリスト化し(m12)、別種のベーシックエンバイラメントとして指定すればよい(n11+m12)。その上で、その活動に対する金銭を支払う、ないし自治体紙幣を発行する、ないし生存物資(食料など)と交換する、といったことを追加政策にするのがよい(n11+m12)。あるいは、さらに活動力のある生存者の場合は、シャッター街と化した地方の商店街の一軒をベーシック・エンバイラメント(生存環境)として指定することも考えられる(n12+m13)。ただし商店街の場合は清掃メンテなどのベーシック労働(m12)では不十分なため、一定の社会サービスを行うベーシック交易(m13)を最低条件とし、それを提供しない場合は公営住宅へ移転させる、といった一定の条件を付けた方がよいだろう。いずれにしても今日の新型スラムは、その多くをベーシックエンバイラメント(生存環境)として利用できる。
次に人口流動性(第2節)の問題について。筆者が「環境オリエンテッド」ということに拘るのは、いわゆる資源問題やエネルギー問題だけでなく、今後の人口流動性の深化を考えているため。というのも人口流動性に影響を与え得るものがあるとしたら、「環境」以外にないからである。人類史上に見られる近世までの人口流動性は、そのほとんどが環境オリエンテッドな原理で解決されている(近世狩猟採集民、中世遊牧民、先史時代の狩猟採集民など)。今後の人口流動性B型(都市A→都市B)の深化を考えると、筆者の考えでは、機能的なゾーニングにつきまとう活動禁止的な側面を都市からぬぐい去り、それに取って代わる活動秩序を打ち立てない限り、 B型ウィルスのさらなる深化に応えることはできない。先の経緯で見たとおり、もともと機能的なゾーニングという手法は人(原文ママ)流動性A型(農村→都市)の異常発生期である19世紀に誕生し、都市活動の自由を抑止・制止するために編み出されていたが、今後の人口流動性B型の深化は、個々の都市域にとっては長期的には人口膨張にも人口減少に傾き得るもので、都市活動の単なる抑止によっては対応できないものである。それに対応するには、都市の活動規制を無くしながら、同時に活動を整流させるような磁力を備えた環境C(現代都市)をつくること、またそれを環境A(自然環境)ほどではなくとも冗長性を備えた都市域とすることが、マスタープランの成し得る対策である。もちろん、この環境的なゾーニングという手法も、初期においては活動指定をせざるを得ず、活動禁止的な側面を一定期間持たざるを得ない以上、その時点の人(原文ママ)流動性B型にどこまで応え得るかは分からない。だが人口流動性B型のさらなる猛威が国内都市を襲った時、もし都市環境それ自体によって自ずと活動が治まるような秩序が生成し、冗長性を持った都市域がひとつでも多く実現されていれば、人口流動性に対するひとつのワクチン剤になるだろう。

(初出:『新建築』1205 建築論壇)

西沢大良

1964年東京都生まれ/1987年東京工業大学建築学科卒業/1992年~西沢大良建築設計事務所代表/2013年~芝浦工業大学教授

西沢大良
新建築
現代都市のための9か条──近代都市の9つの欠陥

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