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2021.12.10
Essay

現代都市のための9か条──近代都市の9つの欠陥

第2回(前編)|ゾーニングの問題

西沢大良(西沢大良建築設計事務所)

本記事は、『新建築』2012年5月号の建築論壇に掲載されたものです。原文のまま再掲します。(編集部)

はじめに5 ──質問に答える

前回文章を掲載した後、筆者は「9か条」の残りの内容を口頭で発表することを求められ、公開レクチャーや討論会において何度か説明を行った現代都市の9か条とは、1.新型スラムの問題、2.人口流動性の問題、3.ゾーニングの問題、4.食料とエネルギーの問題、5.生態系の問題、6.近代交通の問題、7.セキュリティの問題、8.かいわい性の問題、9.都市寿命の問題(詳細は『新建築』1110「現代都市のための9か条──近代都市の9つの欠陥 第1回」参照)。なお、筆者が呼ばれた公開のトークショーとは以下の5つのこと。
(1)「Hyper den-Cityと都市の行方」(八束はじめ・西沢大良・吉村靖孝、2011年11月12日、於六本木TSUTYA)
(2)公開レクチャー「現代都市の9か条」(西沢大良、2011年11月29日、於東京理科大学野田校舎)
(3)「LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2011 列島改造論2.0」(大野秀敏・八束はじめ・豊川斉赫・中島直人・吉村靖孝・西沢大良・南後由和・藤村龍至、2011年12月3日、於LIXIL銀座)
(4)「都市・居住・スラム」(西沢大良・糸長浩司・日埜直彦・林憲吾、2011年12月20日、於日本建築学会建築会館)
(5)第15回現在建築史研究会「現代都市の9か条」(西沢大良、2012年2月19日、於YGSAパワープラントスタジオ)
。そこでの質疑応答の中から頻繁に交わされた4つのやりとりを取り上げて、前回文章を補足することから始めたい。

【Q1】 近代都市の定義とは?
【A1】 ある都市が近代都市かどうかを判断するには、その都市域の内外でやりとりされている生存物資や生存技術などが「近代特有のものかどうか」による。より詳しく言うと、都市活動の根底を成すところのエネルギー・食料・人・情報・技術が「近代特有のものかどうか」による前回、筆者は都市一般についての定義を述べた。都市とは外部からエネルギー・食料・人・情報・技術を調達し、またそれらを外部へ破棄し戻すことにより、長期的に持続しようとする生存拠点であった。そうした都市一般の中で、さらに近代都市を特定するには、それらの調達と破棄が「近代特有のものであるかどうか」が決め手になる。。この意味での近代都市の定義とは、(1)その都市域の外から内へ供給されるエネルギーが、近代エネルギー事業(石炭・石油・ガスなどのエネルギー事業)の産物であること、(2)その都市域の外から内へ提供される食料(穀物や水など)が、近代農業・近代漁業の産物であること、(3)その都市域の外から内へ補給される労働力が、賃労働をベースにしていること、(4)その都市域の人びとに与えられる情報が、近代情報産業の産物であること(郵便事業や電波事業や出版事業など)、(5)その都市域の人びとに与えられる技術(建設技術から生活技術まで)が、近代技術であること、(6)その都市域の内外における(1)~(5)の物流や流通が、近代交通や近代インフラに依存していること、である。

筆者がこの定義を用いる理由は、近代都市に対する従来の定義を改めるのが望ましいからである。「従来の定義」とは、近代都市を内部的・短期的な特徴から特定しようとするもののことで、たとえば都市内の一定の景観によって近代都市を定義する、あるいは都市内の機能性や利便性によって近代都市を定義する、などが一般的だろう。この内部的・短期的な定義には、都市を外部に対する長期的な生存拠点として捉える視点が欠けているため、都市活動というのがいかに外部に依存しているか、またそれをどれだけ長期に持続できるか、というふたつの重要なポイント(外部依存性・長期持続性)を見失わせることになりやすい。その結果、たとえば都市内の景観を整えてみたものの、生存拠点としての能力は向上しなかったというような、都市活動の外部依存性を忘れたような都市整備がなされてしまう。あるいは都市内の機能性や利便性を向上させてみたものの、生存拠点としての長期的な継続力はむしろ損なわれたというような、都市活動の長期持続性を忘れたような都市整備もなされてしまう。こうした近代都市への介入は、その外部依存性・長期持続性を失念しているという意味で、無意識のうちに都市を集落のように整備しているようなものなのだ。だが何度も言うように、都市を集落のように扱うことは有害である。特に近代都市をそのように扱うことは有害である。そうした行為は都市活動の死滅に手を貸すことになる。このことは、都市と集落の生存戦略の違いを考えてみれば了解されるだろう。
丁寧に説明すると、もともと近代都市という存在は、過去のあらゆる都市形態の中で、最も内部的に完結しがたいレベルで成立している。それは決して近世集落(生産共同体)のような、おおむね内部で完結し得る閉鎖性(自給自足性)を持っていない。この近世集落(生産共同体)というのがおおむね閉鎖性を持つのは、内部に「特殊な土地」(食料生産地・エネルギー生産地)を抱え込み、その生産力を温存しながら存続するからである。ゆえにその生産力を絶やさないために、内部的な調節を絶え間なく行うことが、集落を整備するという場合には重要になる。だが近代都市はそうした生存戦略の上に成り立っていない。近代都市は冒頭の定義にあるように、外部との間で特定のエネルギー・食料・人・情報・技術をやりとりするという、一種の開放性によって存続するからである。したがってその開放性(外部依存性)のもたらす問題を、開放性を損なわずに解決することが、都市整備の主要な役割になる。以上の違いをひと言で対比すると、集落とは内部依存性(閉鎖性)によって長期持続性に到達しようとし、都市とは外部依存性(開放性)によって長期持続性を獲得しようとする。そのような都市を集落のように整備することは、開放性(都市)を閉鎖性(集落)に近づけるようなもので、都市活動の停滞や死滅に繋がることはあっても、長期持続性・外部依存性を向上させることはない。都市を集落のように整備することはその意味で有害である煩雑さを避けるために本文から割愛したが、近代都市を内部的に整備するだけで都市活動が繁栄得る幸運な時期、というのがある。それは、都市の近代化(産業資本主義化)のプロセスにおける次のような「中期」のこと。本文中で後述するように、都市活動の継続力は、外部とやりとりするエネルギー・食料・人・情報・技術の総量で決まるが、それらの流通・物流の状態を考えると、都市の近代化の過程は初期・中期・末期の3つの時期に区別できる。初期とは、上述した総量(P)が増大傾向にあるが、その流通を許容し得るだけの基盤整備(Q)が追いついておらず、その構築がさかんになされる時期のこと(P>QかつΔP>0)。国内都市では1960年代初頭~70年代初頭がこの時期である。中期とは、総量(P)が安定的な増加傾向を保ち、かつその流通や物流のための基盤整備(Q)もすでに構築されており、都市活動を阻害する要因が解消された時期のこと(P<QかつΔP>0)。国内都市では1970年代初頭~90年代中盤がこの時期である。末期とは、総量(P)が定常状態ないし減少傾向に移行していく時期のこと(P<QかつΔP<0)。国内都市では1990年代後半以降がこの時期である。これらのうち、「中期」においては、都市域を内部的に整備しているだけでも都市活動の継続力は損われないため、内部的な都市観がリアリティを持つ。だが今日の国内都市は近代化の末期であり、あるいはその次のステップである近代都市からの「移行期」であり、内部的な整備によっては都市活動の継続力は向上しない。
力点を変えて言うと、現状の近代都市の開放性(外部依存性)につきまとう問題は、集落(内部依存性)のように整備することで解決し得るものではなく、単に個々の都市域に「別の開き方」をさせることによって解決されるのである。つまり「特定の開き方」(近代都市)の持つ欠陥を、「別の開き方」(現代都市)へ移行させながら解消することが、今日の都市整備の役割である。もちろんそのためであれば、近代都市への介入は内部からなされてかまわないし、もっとなされた方がよい。だがそれは、かならず「別の開き方」を編み出すための創意工夫でなくてはならない。以上の事柄を、今後の都市整備にとってのコンセンサスとするために、近代都市はその特殊な開放性(外部依存性)から定義されることが望ましい。

もうひとつ、この定義を用いる理由がある。冒頭の定義によれば、 1960年代までには見えなかったような、近代都市の異様な性質に気づきやすくなるのである。「近代都市の異様な性質」とは、今日機能している都市の大半がすでに近代都市と化したということであり、そのことが前回述べたようなさまざまな都市問題を地球規模でもたらすまでになったということである。筆者の考えでは、そのような存在として近代都市をあらためて認識する必要があり、近代都市の再定義が必要になったと考えている。この再定義を行わない限り、今日のさまざまな都市問題は直視されず、放置されたままになってしまうだろう。
詳しく言うと、今日の都市現象として、前回述べたG20諸国における近代都市の量産も無視できないのだが、その一方であらゆる国や地域において、先行する近世都市や近世集落が続々と近代都市へ転換されてきたことも、無視できないのである。そのため今日では、典型的な近代都市計画による産物ばかりでなく(郊外ニュータウン型や新都心型)、近世都市のたたずまいを残した近代都市というのもあれば(既成都市の近代化)、近世集落の景観を内部に温存した近代都市というのもある(既存集落の近代都市化)。つまり、こうしたさまざまな景観性や機能性を内部において許容しながらも、依然として成立し得る都市のあり方こそが、近代都市という存在なのだと、あらためて認識されるべきだと考えられる。さらに、このような都市の大量発生ならびに無差別形成が、もともと近代都市に備わっていた属性から可能になったのだと、認識されるべきだと思われる。従来の定義はこうした認識を妨げるようになっている。
従来の近代都市の定義は、都市内の景観性や機能性に固執するあまり、上述した都市現象(都市の大量発生と無差別形成)を近代都市とは無縁のものもののように捉えさせ、枝葉末節の事象のごとく捉えさせてしまう。だがそれは枝葉末節どころでなく、近代都市の重大な性質を決定的に示している。近代都市という存在は、そこが近世都市であれ近世集落であれ更地であれ、常に己を出現させるための餌場と化すという、異様な性質を持っているのである。この外部浸食性とでも言うべき重大な性質が、従来の近代都市の定義には伺われない。なぜなら従来の定義は1960年代までに確立されていて、これほどの都市の大量発生と無差別形成を想定できなかった時代の産物だからである。そうした定義を、もし現時点において改めないとしたら、この都市現象(都市の大量発生と無差別形成)が近代都市とは無縁だという説明が必要になってくる。だがこれほどの都市の大量発生と無差別形成は人類史上に前例がなく、近代都市の出現以降にはじめて生じており、しかも今日のほぼすべての都市問題の源泉になっている。従来の定義を撤回するかどうかは、決してごまかしてはならないだろう。
筆者の考えでは、近代都市に対する従来の把握には、近代都市のさまざまな形成のされ方に対する認識が欠けている。これに対して冒頭の定義には、近代都市の内外でやりとりされるエネルギー・食料・人・情報・技術が、対象地を問わずに浸透するタイプのものであることが記されている。とすれば近代都市という存在は、そこが更地であれ近世集落であれ近世都市であれ、等しく己を形成するための地盤と化すという、異様な性質(外部浸食性)を持っていることを理解し得るだろう。また、上述した都市の大量発生と無差別形成が、そうした近代都市の属性による必然的な帰結であることも理解し得るだろう。今後の都市への介入は、近代都市のその性質(外部浸食性)を見失わないことが望ましい。その上で、かくも量産と拡大を続ける近代都市という存在を、どのように改良すれば長期的・外部的な生存拠点たり得るか、考案されることが望ましい。

【Q2】 なぜ人口流動性という視点が必要か?
【A2】 人口流動性というのは筆者の造語だが、これは近代都市計画のどこに間違いがあり、今後の都市計画をどのようなものにすべきかを、人口問題に関して明らかにするためのもの。その前提となるのが、前回述べたように、まず人口定着性(集落)と人口流動性(都市)を区別することであり、次に人口流動性の中の異なるタイプを区別することである(以下では人口流動性A型とB型と呼ぶ)。
手短に繰り返すと、過去3世紀にわたり、集落から都市までのさまざまな生存拠点を突き動かした原動力は、人口定着性・人口流動性A型・人口流動性B型という3つの生存形態であった。人口定着性とは近世集落(農業共同体・漁業共同体)として結実した生存形態のことで、その根底には「特殊な土地」(食料生産地とエネルギー生産地)に定着することで生き延びようとする人びとの生存戦略があった。人口流動性A型とは産業資本主義の起動とともに惹起した生存形態のことで、その根底には都市へ移住し賃労働者となることで生存物資(食料とエネルギー)を得ようとする人びとの生存戦略があった(集落→都市)。人口流動性B型とは産業資本主義の衰退期に生じる生存形態のことで、その根底には賃労働をもはや持続しがたい人びとの生存形態があった(都市A→都市B)。これらのうち、第1のものから第2のものへの変化(人口定着性→人口流動性A型)を最初に味わったのがイギリスで(18世紀末~19世紀中盤)、その変化については、もちろんマルクスによるすさまじい分析がある(資本論第1巻24章「資本の原始的蓄積過程」「資本の原始的蓄積過程」とは、産業資本主義が起動するまでになされた資本の形成過程のこと。マルクスによるとイギリス近世史のほぼすべてがそれに費やされる。その過程は15世紀の自営農民の拡大(農奴制の廃止)に始まり、その最終局面である18世紀から19世紀前半の激烈な「農地からの農民の掃き捨て」に至る。この「掃き捨て」られた農民たちのうち都市へ追いやられた人びとが、賃労働者に改造され、マンチェスターやグラスゴーにおいて劣悪なスラム(貧民窟)をつくり出す(人口流動性A型)。)。その後、同じ変化は旧G7諸国で繰り返されることになり(19世紀末~20世紀中盤)、今日ではG20諸国で繰り返されている(20世紀末~21世紀初頭)。さらに、今日の旧G7諸国においては、第2のものから第3のものへの変化(人口流動性A型→B型)が、さまざまなかたちで現れている(20世紀末~21世紀初頭)今日の旧G7諸国の諸都市における人口流動性B型の症状はさまざまで、まだすべての症状が現れたとはまったく言えないが、現時点で次のものがある。移民流入、頭脳流出、観光や開発資本の移動、「特殊な土地」の投機化、失業率の上昇、都市間競争、税収低下、自治体と中央政府の対立、少子高齢化、女性高学歴化、核家族の崩壊、低賃金労働者の拡大、ミドルクラスの崩壊、新型スラムの拡大、ゴーストタウンの拡大、官僚機構の肥大、教育と医療と福祉の破綻、格差拡大、人権制限、経済徴兵制など。これらはいずれも、個々の都市域における産業資本主義の衰退(いわゆる雇用流出と労働分配率低下)によって起きている。。そのため今日の地球上に存在しているのも、今のところ人口定着性・人口流動性A型・人口流動性B型の3つである。
よりイメージしやすい用語に置き換えてみると、人口定着性というのが人体にとっての風邪のようなものだとすれば、人口流動性とはインフルエンザのようなものだと言える近世集落の人口定着性を人体における「風邪」になぞらえたのは、すでに健康体でなくひとつの病気であるため。近世集落における共同体は、決して理想的なものではなく、土地の生産力の収奪や環境破壊に行き着いたケースも多い。また今日のような人権(特に生存権)はなく、私有物や商品経済もほぼ存在しない。近世集落よりも「健康」だった状態としては、近世狩猟採集民をあげる説(民俗学)、中世遊牧民をあげる説(歴史学)、中世都市ならびに集落をあげる説(社会学)、原始共同体をあげる説(宗教学)、先史時代の狩猟採集生活をあげる説(人類学)などがある。他方、人口流動性を「インフルエンザ」になぞらえたのは、この段階で死に至る病になったため。。さしずめ人口流動性A型とB型は、インフルエンザにおけるA型ウィルスとB型ウィルスのようなものである。そして近代都市計画は、本来ならばA型ウィルス(集落→都市)に対するワクチン剤(都市計画)になるはずだったのに、どちらかと言えば風邪薬(集落計画)に近い代物になってしまったと言える。前回述べた1960年代に日本でマニュアル化された高度経済成長という処方箋も、A型ウィルス(集落→都市)に対する日本製ワクチンとして期待され、そのようなものとしてG20諸国において接種されてきた。問題は、それが単なる風邪薬にすぎなかったこと、つまり偽ワクチンにすぎなかったこと、あるいは短期的にしか効かないワクチンだったことにある。日本製ワクチンを投与すると、 30~50年後にB型ウィルス(都市A→都市B)を発症させてしまうからである。
その意味で、今日の旧G7諸国における人口流動性B型の拡大は、一種の耐性ウィルスの出現になぞらえることができるかもしれない。A型ウィルス(集落→都市)に対してひたすら近代都市計画を施してきたことが、B型ウィルス(都市A→都市B)の覚醒に行き着いたためである(なお人口流動性A型に対するワクチンとして、日本製の他にアメリカ製のものがある)人口流動性A型(集落→都市)に対するアメリカ製ワクチンとは、1960年頃から(特に1970年代以降に)アメリカによって後進国向けに投与されてきたもののことで、世界中に膨大なメガスラムを生み出してきた(中南米諸国、南アジア諸国、中近東諸国)。そのメカニズムは以下のとおり。
(1)世界銀行(ないしIMF)による開発援助プログラムによって、ある後進国の近代化が開始され、都市基盤が整備される(港湾施設や高速道路や工業団地など)。
(2)当初はその国の近代化が起動したかのように見えるが、実際はその国の一部の富裕層の近代生活を向上させるだけであり、大多数の国民は前近代の生活水準のまま放置され、単に国外からの借金を増やし続けるものになる。
(3)その国の対外債務が天文学的な数値に達すると、世界銀行(ないしIMF)による構造調整プログラムによって外貨獲得を迫られ、自国の資源(農地やエネルギー生産地)を多国籍企業へ譲り渡さざるを得なくなる。その多国籍企業は、多くの場合アメリカ資本の多国籍企業である(エクソンモービル社やテキサコ社、ユナイテッドフルーツ社やドール社)。
(4)多国籍企業は、かつてイギリスでは4世紀かかった「農民の掃き捨て」をわずか数年で完了させる。その結果、農地やエネルギー生産地から一挙に「掃き捨て」られた膨大な人びとが、行き場を失って都市へ集まり、その内外で膨大なメガスラムをつくり出す。他方で農地の荒廃やエロージョンも進む。アメリカ製ワクチンは、投薬直後は薬のような働きをするが、実際には別の病原体を植え付けるという毒薬である。この偽ワクチンを投薬された地域や国では、産業資本主義が本格的に起動することはなく、流産し続けることになる。ちなみに、ここでも近代都市計画(港湾計画や道路計画やエネルギー基地計画など)は必要不可欠なツールとして、決定的な貢献を果たしている。

以上のメカニズムが明瞭化したのが1990年代後半以降であった。こうしたメカニズムを全体として理解すれば、今後の都市計画の方向性として、次の3つのことを了解し得るだろう。
第1に、目下拡大しつつある人口流動性B型(都市A→都市B)に対して、近代都市計画を繰り返すことには意味がないこと。そんなことをすれば、 B型ウィルス(都市A→都市B)をA型ウィルス(集落→都市)のごとく誤診することになり、しかもその誤診によってますますB型ウィルスが拡大していくことになる。もともと人口流動性B型は、近代都市計画を過剰に接種したあげくの耐性ウィルスの出現であった。近代都市計画を施せば施すほど、B型ウィルスは猖獗をきわめる、といった関係にある。近代都市計画をこれ以上継続することは、可能な限り避けることが望ましい。
第2に、したがってB型ウィルス(都市A→都市B)に対しては、新しいワクチンが必要であり、しかもなるべく長期的な効果をもたらすワクチンが必要である。人口流動性が恐ろしいのは、A型にしてもB型にしても、産業資本主義が都市から消え去った後も残り続けることにある。前回述べたように、人口流動性というのは自ずと消え去るようなものでなく、人類の生存形態を不可逆的に変えてしまった長期的な事態である。そして何度も強調するように、この人口流動性の受け皿となるのは都市しかなく、そうした生存拠点を企てるのが都市計画の役割である。この意味での都市計画は、可能な限り長期的な効果を及ぼすことが望ましい。
第3に、人口定着性・人口流動性A型・人口流動性B型という3つの病気の中で、最も重篤であり、最も治療方法を欠いているのは人口流動性B型だろう。もちろん人口流動性A型に対しても、人類の手中にあるのはふたつの偽ワクチンだけであり(アメリカ製と日本製)、十分に処置されてきたとは言えないが、その偽ワクチンによって時間稼ぎをしていったあげくにB型ウィルスが出現したのである。このB型ウィルスには偽ワクチンすらもなく、成す術もなく放置されているのが実情である。そのため、近い将来生じる次のような都市現象について、私たちは完全に丸腰状態にある。G20諸国、たとえば中国における都市人口の比率は、昨年(2011年)ついに50%に達したが、旧G7諸国の過去の経験によれば、それが70%を超えるあたりでB型ウィルスを発生させることになる。この中国発のB型ウィルスは未曾有の規模になり、さまざまな未知の症状を人類史に刻み込むことになると思われるが、それに対する処方箋はどこにもない今後の中国においてどのようなB型ウィルスが発生するかについては、旧G7諸国にはない要素がひとつだけ、あることはある。中国共産党が過去半世紀にわたって行ってきた戸籍管理制度のことだが(農村住民と都市住民を戸籍表示して居住地を指定する制度)、この制度を都市住民の比率が70%に達するまでに改革すれば、B型ウィルスの異常発生をある程度沈静化できる可能性が、ないこともない。ただし、目下の筆者の予測では、この戸籍制度は20世紀の共産主義国家の農業政策(農村人口の流出を国家権力によって阻止しようとした政策)を引きずったものであるため、最も成功しても瞬間的な制止に留まるだろう。もともと20世紀の共産主義国家は、おそらく『資本論』第1巻24章を誤読したことにより、「農地からの農民の掃き捨て」を国家権力によって阻止し得ると考え、激烈な農業政策を行った(旧ソビエト共産党、毛沢東時代の中国共産党、カンポジアのポルポト政権など)。それらはいずれも農業人口を人為的に確保するという共通点を持つ。だがこうした農業政策は、むしろ近世においては常套手段であった。近世の主権者たちは、集落から都市に至るまで、人びとの居留地を人為的に指定することに重きを置いたのである(絶対主義国家)。おそらく20世紀の共産主義国家の主導者たちは、近代都市と近世都市を混同したのであり、近代農村と近世集落も混同したのである(共産主義と絶対主義も混同した)。彼らの行った都市整備は、絶対主義国家時代(近世都市)の都市のリバイバルであった。。人口定着性・人口流動性A型・人口流動性B型という3つのうち、最も処方箋を欠いているのは人口流動性B型である。
以上見てきたように、人口定着性・人口流動性A型・人口流動性B型の3つを区別することで、従来の都市計画のどこに間違いがあり、今後の都市計画がどういう方向性を持つべきかについて、一定の見通しを得ることができるだろう。 

【Q3】 今後の都市計画を誰が行うかという、計画主体についての見解は?
【A3】 従来の建築界の通念によれば、1960年代の近代都市計画批判(ジェイン・ジェイコブスやクリストファー・アレクザンダーなど)によって計画主体が否定され、都市計画の不可能性が立証されたと見なされてきたが、筆者はそのようには考えていない。その理由は、前回、述べたように、ジェイコブスにしてもアレクザンダーにしても、(1)前近代の計画都市に対して好意的であるため、(2)今後の都市計画について希望を捨てていないため、(3)ゆえに今後の代替手法の提案や構想を、彼ら自身が主体となって行っているためである(文言だけだとしても)。これらを落ち着いて考えてみれば、彼らは都市計画が不可能だとは考えていないこと、計画主体を否定していないことが分かるだろう。
彼らが否定したのは、前回述べたように、「特殊な時期」の「特定の計画主体」だけなのである(経済成長期におけるモダニストの否定)。というよりも、実際には、特定の「主体」ですらなく、特定の「手法」を否定しただけである(近代都市計画技法の否定)。ジェイコブスたちは、主体性批判といった観念には捕われていないし、計画不可能性の立証といった欲望も持っていない。彼らは単に計画手法Aを疑問に思い、計画手法BやCに変えたらどうかと言っただけなのである(計画手法A=近代都市計画、計画手法B:ジェイコブス=ミクストユース・歩行者街路・老朽施設・人口高密度など、計画手法C:アレクザンダー=パタンランゲージ・スラムサーベイなど)。ひと言で言えば、彼らは近代都市計画に取ってかわる代替手法の必要を述べたのである(計画手法A→計画手法B、C)。まずこのことを間違えないようにしよう。
以上を確認した上で、今後の都市計画を行うために、1960年代と90年代後半以降の違い、すなわち計画主体の置かれた状況の違いを考えてみよう。前回述べたように、1990年代後半以降は60年代までとは比較にならないほど、近代都市の量産期であった。つまり60年代までとは比較にならないほど、大量の計画主体(都市計画家・土木設計者・建築設計者)が都市計画を行った。ただし、誰が計画しても同じアウトプットしか得られなかったという意味で、成果品としてはおおむね1種類であった(近代都市)。今日の計画主体の問題はこのこと以外にはないのだが、というのもこうした計画主体のあり方によって近代都市の大量生産が可能になり、多大な影響を地球規模にもたらしているためである。
この今日の状況は、どんな主体であってもかならず計画手法Aを実行するという量産体制であり(近代都市計画)、誰であろうと、近代都市をひたすら量産させるという受発注体制である 。このことは、1960年代のジェイコブスたちの議論の核心が代替手法の実行にあったことからすると(計画手法A→計画手法B、C)、状況としては悪化している。近代都市の量産期である 「失われた40年」(1970年代初頭~2010年代初頭)において計画主体を取り巻いていたのは、こうした受発注体制であった。
「失われた40年」になされなかったこと、つまり今日最も欠けていることは、計画手法A(近代都市計画)に取って代わる代替手法の提示である。またその代替手法を、前掲の質疑応答で述べたような意味で、創意工夫をもった手法に練り上げていくことである。そして願わくば、その代替手法が明確なコンセンサスとして結実することが望ましい。このことなしに、代替手法が実行されることは望めない。逆に、もし明確なコンセンサスが形成されれば、それが真の意味での発注者に影響を与えることができるだろう。「真の発注者」とは、現状の国交省なり民間開発業者といった短期的な思惑に絡めとられた団体のことではない。国交省や民間開発業者が気を揉んでいるところの市民や世論のことである。国内においては市民ワークショップ制度やオンブスマン制度は十分に浸透したとはまだ言えないが、これらは「失われた40年」において成長してきた唯一の突破口である。この延長上に生じる協議体や委員会(行政ベースでなく市民ベースのもの)が、代替手法を実行し得る「真の発注主体」になるだろう。
むしろ今日の計画主体が注意すべきなのは、二度と間違ったコンセンサスを醸成しないこと、つまり間違った代替手法を練り上げないことである。そのためには、計画手法A(近代都市計画)の欠陥を認識する必要があり、また、かつて採用に至らなかった過去の代替手法、たとえば計画手法B(ジェイコブス)やC(アレクザンダー)の欠陥を認識する必要がある。そのようにして1960年代の近代都市計画批判は、「失われた40年」が終結した後に、新しい都市計画のために揚棄されることが望ましい。計画手法A(近代都市計画)に取って代わる計画手法DやEの創出がさかんになされ、明確なコンセンサスとして結実することが望ましい。

【Q4】 今日の国内都市の人口問題についての見解は?
【A4】 今日の国内都市における人口現象を大きく分けると、地方都市における人口減少と、東京圏などにおける人口膨張がある。このふたつの人口現象は、一見すると正反対の動きに見えてしまうため、正反対の計画目標に収斂しそうな気配がある。たとえば前者に対してシュリンキング・シティ(国交省用語で言えばコンパクト・シティ)という計画目標が立てられていて、後者に対して近代都市計画の反復や洗練(デベロッパー用語で言うと再開発事業)という計画目標が立てられている。おおまかに言うと、前者は人口減少に合わせて都市面積を縮小させようとするもので、後者は人口増大に合わせて都市面積を拡大させようとする。このふたつの計画目標は、どちらも間違っていると言わなくてはならないのだが、というのもどちらも都市活動の長期持続性についての展望を持たず、外部依存性についても軽視しているためである。
まず前者のシュリンキング・シティ(コンパクト・シティ)の間違いについては、いくつかの指摘方法があるが、前節までの内容から理解できるように説明する。シュリンキング・シティ(コンパクト・シティ)の場合、国内の地方都市における面積縮小を、孤立した集落における面積縮小であるかのように捉えていることに問題がある。近世集落(生産共同体)──厳密には住民数でなく世帯数が生存単位なのだが──の場合、たしかに世帯数が著しく減少すると、集落面積の縮小が行われる。ただし集落内の生産地(農地や漁場など)の縮小はなるべく行わず、生産力を維持したまま可住面積だけを縮小させようとする。その理由は、生産力を減らさず食い扶持だけを減らすことにより、生産力を相対的に向上させ、生存拠点としての長期持続性を向上させるためである。したがって集落において面積縮小が起きる時、長期持続性は放棄されていないばかりか、それを上方修正するためになされる。集落面積の縮小というのは共同体を滅ぼしかねない危機的な局面であるために、長期持続性を向上させる場合に限って実行されるのである。これに対してコンパクト・シティ(シュリンキング・シティ)という計画目標は、それに対置し得るような生存戦略の上方修正を伴っていない。都市活動の長期持続性が向上するという展望がない。内部に生産地を持たない都市において面積縮小を行うことが、長期持続性を向上させることは基本的にはない。ある都市域の継続力は、あくまで外部とやりとりするエネルギー・食料・人・情報・技術の総量によって決まる。これらの総量(密度でなく)を増大させるような展望がない限り、都市面積をどのように変えても長期持続性は向上しない。シュリンキング・シティ(コンパクト・シティ)という計画目標には、以上の矛盾がある。
ちなみに、こうした矛盾を持った計画目標が喧伝されている理由を考えた結果、筆者としては次のような疑惑に行き着かざるを得なかった。それは都市面積の縮小を行った場合、長期持続性を獲得し得る者がいるとしたら、国交省だということである。つまり個々の都市域の市民はどうあれ、国交省それ自体の長期持続性の向上が目論まれているとしか、筆者には思えない。もともとコンパクト・シティ(シュリンキング・シティ)を正当化している理屈、たとえばインフラ維持費なり財政再建なり高齢者対策なり福祉予算なりといった理屈は、税金収奪を効率的に持続したいという意味であり、とりもなおさず国交省の長期持続性を上方修正したいという願望である。もし仮に、ある都市域の面積縮小が都市活動の長期持続性の向上に繋がると言うのであれば、税収云々でなく、外部とやりとりされるエネルギー・食料・人・情報・技術の総量が、縮小前より高くなることが証明されなくてはならない。そのための対策を伴わない場合、縮小前と比べてそれらの総量は変わらず、その都市域の長期的な運命は変わらない。特に筆者が危惧するのは、その延長上にやってくるだろう、将来的な数度にわたる段階的縮小である。つまり30~50年後にあらためて税収問題や国民数問題がマスコミを通じて宣伝され、30~50年サイクルでその都市域は縮小させられ、2~3回の縮小の後に都市活動の死滅に至ってしまう恐れがある。念のために言うと、筆者は地方都市で地道な努力を続けておられる同業者諸兄の批判を言うのではない。筆者が考えた限りで、コンパクト・シティ(シュリンキング・シティ)という計画目標は、上述した総量を増加させるような別の対策を伴わない限り、危険な選択肢になってしまうということである。少なくとも国交省を除くすべての市民にとって、危険な選択肢になってしまうのである。したがって筆者としては、そのような危険な選択肢を喧伝している国交省の方を、むしろ縮小すべきだと言わざるを得ない。
他方、後者の東京圏における人口膨張については、近代都市計画で応えようとすることに誤りがある。先に詳しく説明したように、近代都市計画は偽ワクチンなのであり、B型ウィルス(都市A→都市B)をますます悪化させるだけなのである。人口流動性B型(都市A→都市B)の症状を治癒するような計画が立案されない限り、東京圏といえども長期持続性は望めない。さらにもうひとつ補足すると、人口増大に合わせて都市面積を拡大しようとするこの発想は、今日の人口増大をかつての人口増大の再燃(人口流動性A型の再燃)のように錯覚している恐れがある。だが人口流動性A型(集落→都市)は一度だけしか起こらないし、産業資本主義の起動(農村からの農民の引きはがし)は二度と起こらない。今日の東京圏における人口増大は、人口流動性A型(集落→都市)ではなくて、人口流動性B型(都市A→都市B)のひとつの現れなのである。つまり、先述した地方都市の人口減少と同時に生じるような、相互的な人口変動なのである(都市間競争)。さらに、海外都市との間で相互的に生じるような、長期的な人口変動である(移民、観光)。
最も広域的に説明しておこう。まず今日の世界人口はもちろん増大しつつあるが、その中の国や地域を見ると、人口が減少しつつある国や地域もあれば、増大しつつある国や地域もある。国でいえば日本は前者であり、G20諸国の多くは後者である。地域でいうと高緯度地域には前者が多く、中低緯度地域には後者が多い。さらに、それらの国や地域の中の諸都市を見ると、人口が減少しつつある都市もあれば、増大しつつある都市もある。日本の地方都市には前者が多く、東京圏は後者である。大事なことは、これらの人口現象(人口減少から人口増大まで)があくまで同時に進行していることである。つまり今日の国内都市における人口変動は、東京圏における人口増大にしても、地方都市における人口現象(原文ママ)にしても、多数の都市間で生じる相互的な浸透現象として、外部的に把握される必要がある。またその延長上で何が起きるかについても、海外も含めた多数の地域間で生じる相互的な浸透現象として、長期的に捉える必要がある(移民、棄民、観光、投資、紛争など)。多くの都市の人口減少や人口増大が同時多発的に進行している今日の状況は、人口流動性B型の深化を示している(都市A→都市B)。今日の旧G7諸国の都市人口の問題は、個々の都市域を孤立的に捉えている限り、間違った計画目標に吸収されてしまうことになる。あるいは一国の人口変動を、一都市が反復するようにイメージしていると、間違った計画目標に回収されてしまうだろう。
今日の国内において構想されるべき計画目標は、人口流動性B型(都市A→都市B)のさらなる深化に応え得るような都市形態でなくてはならない。もちろん、人口流動性B型というのが人類にとって未経験ゾーンにある以上、何人たりともその最終的な姿を断言することは不可能だろう。ただし、そのおおまかな姿だけは言い当てることができる。今後ますます猖獗をきわめる人口流動性B型に追随し得るのは、複数の想定未来に耐え得るような、ある冗長性を持った都市形態である。それは、長期的な人口減少と人口増大のどちらに対しても、ある幅をもって応え得るような都市形態である。その意味では今日の地方都市における人口減少は、事と次第によっては人口増大に転じ得るものとして、長期的に備えることが賢明であり、また人口増大している国内都市においても、事と次第によっては人口減少に転じ得るものとして、長期的に備える必要がある。諸都市における人口減少と人口増大のどちらにも容易に傾き得るのが人口流動性B型(都市A→都市B)だからである。しかも、都市活動の長期持続性は都市人口(住民数)だけで決まるわけでなく、あくまで都市域の内外でやりとりされるエネルギー・食料・人・情報・技術の総量によって決まる。都市面積と都市人口を比例させるような捉え方は、集落においては意味をなすが(人口定着性)、あるいは産業資本主義の起動時の近代都市においても意味をなすが(人口流動性A型)、産業資本主義の衰退期にある今日の国内都市においては意味をなさない(人口流動性B型)。
もちろん「冗長性を持った都市形態」といっても、より人口減少に対する追随性の高い計画とか、より人口増大に対する応答力の高い計画といった冗長性のタイプの違いはあった方がよいし、あるはずである。だが人口減少と人口増大のどちらか一方だけを想定した国内都市は、今後の人口流動性B型の深化の中では長期持続性を獲得できないだろう。
前回から説明しつつある「不均一でまだらな広域都市」という計画目標は、その意味での長期持続性・外部依存性に応えるためのものである。さらに、筆者の考えでは、そこにいくつかの工夫を施すことで、人口流動性B型に対するワクチン剤を開発できると考えているが、その内容については次節以降の問題とともに説明したい。

(初出:『新建築』1205 建築論壇)

西沢大良

1964年東京都生まれ/1987年東京工業大学建築学科卒業/1992年~西沢大良建築設計事務所代表/2013年~芝浦工業大学教授

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