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2024.06.04
Interview

建築的思考がビジネスを成長させる

アーキテクチャの存在価値を更新する・レクチャーシリーズ #4

国見昭仁(2100) 聞き手:清野由美(慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所研究員)

新建築書店|Post Architecture Booksでのレクチャーシリーズ。第4回はビジネスに着目します。構築性と論理的思考に基づく建築的思考は、他分野にも通じるものであり、他分野での思考もまた建築設計に通じるものという仮説に基づき、数々の企業変革に取り組む2100の国見昭仁さんに、その方法論を伺いました。(編)

クリエイティブからビジネスにブレークスルーを起こす

清野 今回のレクチャーは、建築そのものを離れて、ビジネスをテーマとしました。というのも、建築は敷地条件などを読み解き、どのような空間をつくるかという論理的思考に基づいて設計が行われますが、それは建築に限らず、ビジネスにも通じるのではないかと考えたからです。そこで、国見昭仁さんをゲストにお招きしました。国見さんは新卒で都市銀行へ入社され、ADK、電通を経て、クリエイティブ・ブティックの2100(ニイイチゼロゼロ)を創業されました。現在は2100のCEOとして、さまざまな企業の経営変革に携わっておられます。電通では、既存の広告会社の事業モデルへの疑問を出発点に、広告会社が持つクリエイティビティを活かして企業経営にアプローチしようと、2010年に社内ユニット「未来創造グループ(当時)」を立ち上げられました。以来、アウトドアメーカーのスノーピーク、丸亀製麺で知られるトリドール・ホールディングスなど、数々の著名な事業ブランディングを行われてきました。国見さんは、企業にとって最も大切なことは、単に成長することではなく、「存在意義」だと言われています。今回はその発想と方法論を伺い、ビジネス的思考と建築的思考を接続するヒントにしたいと思います。まずは、広告制作から経営戦略にフィールドを移された背景から教えていただけますか?

国見 僕のキャリアは銀行員からスタートしました。銀行員は経営者と話す機会が多いのですが、経営者は銀行員に対して本音を話すことはあまりありません。広告代理店に転職した当初は、クライアントから「この商品は売れないかもしれませんが、何とか売ってください」というオーダーを受け、他社の人間にこんなにも本音で話してくれることがあるのかと驚き、面白く感じました。一方で、既存の広告ビジネスのあり方に違和感を覚えることもありました。たとえば、ある飲料のCM制作では、試飲した時においしくなく、本心では売れないだろうなと思いました。でも、クリエイターはそれが売れると信じてCMをつくらないといけない。確かに一度広告を打てば、売上は上がるのですが、商品そのものに魅力がないと、のちに必ず落ちていきます。だとすると、広告費に莫大なお金をかけるよりも、商品をおいしくするための開発費に当てた方がいいはずです。でも、そんな提案は、当然クライアントや自分の会社には受け入れてもらえない。商品を売るためにやるべきことが分かっているのに、仕事の領域にとらわれて根本的な問題に踏み込めない。そういうビジネスのあり方を変えたいと、その時に思いました。
では、どうやってその変革にアプローチすべきか。CMをつくる際は主に広告宣伝部とやりとりしますが、実際にはその上流に商品をつくる事業部の方がいます。ただし、事業部にアプローチできたとしても、新たに生み出される商品に魅力がない時、会社の文化や風土に原因があるとすれば、どんな事業提案をしてもうまくいきません。結局、経営のすべてを見切れるのは経営者しかいないという結論に辿り着き、企業の中枢にアプローチして変革を目指すことにしました。
ビジネスの多くは、意思決定をする「経営」、会社を差配する「人事」、会社の核である「事業」、商品を製造する「工場」、その商品を売る「店舗」、その商品を広く訴求する「広告」といった類型から成ります。広告代理店をはじめとするクリエイティブ領域が手がけているのは、その出口となる「広告」の部分です。対して僕は、入り口である経営領域にクリエイティブを提供して、ブレークスルーを起こすことを狙いました。これは既存の広告代理店のビジネスモデルにはなかったもので、この考えを電通社内で実装するために2010年、電通内で「未来創造グループ」を立ち上げました。

存在意義からはじまるビジネスの循環

国見 続いて、僕のビジネスの根底についてお話しします。経営者の方がたと話すうち、ある大きな問いにぶつかりました。それは、企業はなぜ右肩上がりの成長を目指すのかということです。よく考えれば、そんな理想的な成長は通常起こり得ません。なぜなら、社会に出回るお金の総量は決まっていて、ある企業が儲れば、ある企業が損をするようになっているからです。それでもすべての企業が右肩上がりの成長を理想に据える。その理由をいろいろと考え、最終的に行き着いた結論は、企業が成長を目指すのは、長生きをするため、言い換えれば、存在し続けるためだということでした。あくまでも僕の仮説ですが、企業が社会の中で生き続けるためには、事業的にも、人員的にも規模を大きくして、成長を目指すことがひとつの有効な手段になります。そこで僕は、企業の「存在意義」について突き詰めて考えることを根底に据えることにしました。

ただ、存在意義はあくまでも概念でしかありません。僕はこれまで多くの企業のビジョンをつくってきましたが、時間が経って、単なる額縁の中に飾られた言葉になってしまうことも多くありました。概念をつくることは大切だけど、単につくるだけでは何の意味もありません。同時に必要なのは、つくった概念を背負うものです。具体的にいうと、それは社員や、社内のカルチャーです。僕はそれを「存在動力」と呼んでいます。存在動力を起動する、つまり、社員が社の存在意義を背負って動き出すと、存在意義を実体化した価値である「存在価値」が生み出されます。これは、分かりやすくいえば「事業」です。

さらに、存在価値が生み出された先では、それを世の中に認めてもらうことが必要になります。僕はこれを「存在伝達」と呼んでいます。いざ会社の存在意義をつくり上げ、価値を磨いても、世の中がいいと思ってくれなかったらそこで終わりです。だからこそ、自分たちがつくり出した価値を広く伝える必要があります。

会社の存在意義が見定まると、その意義を背負う動力が動き、価値が生まれる。その価値が世に認められると、その背景にある存在意義が広がり、また動力が動き出す。僕はこの循環をつくり出すことを「存在戦略」と呼んでいます。

「人間性の回復」から広がる可能性

国見 次に、僕が手がけた存在戦略の具体的な事例として、アウトドアメーカー・スノーピークのブランディングを紹介します。スノーピークは高品質、高単価なアウトドア用品をつくっている会社として知られています。仕事を共にし始めた2013年当時、キャンプ用品全体の市場規模は約300億円で、そのうち、スノーピークの商品のように、高くていいものを求める人の市場規模は15〜18%の約45億円でした。それに対し、当時のスノーピークの年間売上は約30億円、つまり、残りの成長ポテンシャルは計算上では15億円しかありませんでした。それを踏まえると、アウトドア用品の製造だけに留まって事業を考えることがもったいなく思いました。
その時、アイウエアブランド・JINSが上場したというニュースを知りました。今は皆コンタクトレンズをするし、レーシック手術も普及していて、普通に考えれば眼鏡市場は落ち込んでいるはずなのに、なぜ上場できたのかが気になりました。調べてみるとその成長の要因は、ブルーライトをカットする眼鏡や、花粉症対策のための眼鏡の売上が伸びていたことにありました。これまで、眼鏡は見えないものを見えるようにするためのものでしたが、JINSは、そうではないあり方の眼鏡の市場を新たにつくっていたのです。これは僕の勝手な解釈ですが、JINSは眼鏡の「存在意義」を再定義したのではないかと思いました。そこで、このロジックをスノーピークに持ち込んでみました。

スノーピークの存在意義を再定義するために、そもそも人はなぜキャンプをするのかを考え、山井太社長が「キャンプをする子供は、普通の子供になる」と言っていたことを思い出しました。スノーピークの本社は新潟県三条市の広大なキャンプ場の中にあるのですが、都会から来た子供は地面が歪んでいるだけで転んでしまうそうですfig.1。でも、何度か訪れるうちに、歪んだ地面を走り回れるようになる。それを山井社長は、普通の子供になると表現したのです。つまり、山井社長は事業を通じてキャンプを普及させるというより、キャンプを通じて人間性を回復させたかったのです。そこで山井社長と一緒に議論をして「人間性の回復」をスノーピークの存在意義とし、そのためにアウトドア用品や、キャンプを普及させているのだと捉え直すことにしました。

会社の存在意義を「人間性の回復」と定義すると、事業の可能性が、単にアウトドア用品をつくるだけではないところにまで広がります。そこから、日本各地で失われつつある衣服文化に光を当て、その職人技を継承する「LOCAL WEAR」というラインが生まれたりしました。
また、キャンプは人間性を回復する手段のひとつですが、多くのキャンプ場は中山間地域にあって、アクセスがよくありません。そこで、都市の中にあるベランダに着目し、マンションのデザイン監修や住宅のプロデュースを行う事業も立ち上げました。ほかにも、古代品種の野菜などを提供するレストラン「Snow Peak Eat」やアウトドアで仕事をしてもらう「キャンピングオフィス」などさまざまな事業が広がっていきました。

存在意義を定めたのち、事業を動かすための「存在動力」を育むために、例えば社員総会の場を新しくして「人間性の回復」を喚起するような言葉を会場に掲示して、社員の方がたには、存在意義の実現に向けて抱えている悩みなどを、本音で話すようにしてもらいました。この頃から本格的に社の空気が変わってきたという印象を持っています。

最後は、「人間性の回復」を、どうやって社会に伝えていくかという「存在伝達」です。スノーピークはCM広告を打たないので、たとえばカタログを商品紹介だけでなく、スノーピークの思想を発信する媒体としたり、さまざまな業界の人を集めた展示会やトークセッション「LIFE EXPO」を催したりと、他社とは違うコミュニケーションを積極的に図っていきました。このように「人間性の回復」という存在意義を起点にした循環をつくり上げることで、スノーピークはアウトドアメーカーから見ても、アパレルメーカーから見ても何かが違う、ジャンルに縛られない固有の存在として浮かび上がることになったのです。

本質を見定め、物事を拡張する

清野 国見さんは、企業ブランドを構築するのに、さまざまなアスペクトを緻密に組み立てているのだということが伝わってきました。その緻密なアプローチは、複雑な与件を整理し、ディテールまでを突き詰めて設計する建築とも通じると、改めて感じました。日本でアーキテクトというと、まず建築家が想起されますが、今はITのシステムエンジニアなども、そのように呼ばれます。つまり「アーキテクチャを担う人」の意味が、物事を構造的にとらえて構築する人へと広がっているわけです。その意味で、国見さんはまさにアーキテクトですし、建築設計の根底にある構造的な思考は、ビジネスにも共通するのだと感じました。ご自身の活動と、建築家の職能の類似性を感じることはありますか?

国見 広告は、緻密な論理が必要で、かつその論理をジャンプアップさせる大胆さも備えていなくてはならないという意味で、建築と似ていると感じています。広告代理店はよく体育会系というイメージを持たれがちですが、とても知的な世界なんです(笑)。また、建築も広告もクライアントワークですが、クライアントがいるということは、アウトプットに制約が生まれるということです。僕はそういう制約こそが、クリエイティブの根源だと思っています。たとえばテレビCMには、15秒という枠があるからこそ、その中で何をどう伝えるかということを、0.1秒単位でとことん突き詰めるんです。建築にも敷地条件や予算、施主の要望などさまざまな制約がありますよね。そこに生まれるゲーム性に僕は魅力を感じています。

広告は、クリエイティブな職能です。ただ、今僕がフィールドにする経営分野で行われていることの多くはコンサルティングで、クリエイティブとは違う世界です。でも僕は、自分の領域を経営分野に移しても、手段はクリエイティブのままでいこうと考えました。一見かけ離れたものを組み合わせるからこそ、化学反応が起こる可能性を秘めているからです。そういう意味で、建築家の人も、建築だけにとらわれず、もっといろいろなことをやっていいと思っています。たとえば、僕は中国、北京空港近くにある「羅紅芸術館」の空間プロデュースを行ったりもしています。その建物の「存在意義」が設定できれば、空間がどうあるべきかを考え抜くことができます。逆にいえば、建築家の方々が広告をつくることだってできるはずです。肩書きにとらわれず、もっとラフに考えてもいいと思います。自身の専門で培った経験が専門外の分野で生きることもあるし、素人であることが武器にもなることもあります。

清野 今回のレクチャーの中で、国見さんは「再定義」という言葉を強調されていましたが、それは、既存のカテゴリーを疑うことだと思います。国見さんの発想を伺っていると、まさに既存のカテゴリーに当てはまらない方だと感じます。

国見 今、日本には大きく分けて10前後、さらに細かく分けると約200の業種があるといわれていますが、僕の会社・2100はそのどれにも当てはまりません。僕はよく学生に「業種を選ぶのをやめなさい」ということを伝えています。業種にこだわった時点で、その間にある可能性を捨ててしまうことになるからです。自分がやりたいことを突き詰めた結果が、たまたま既存のカテゴリーの中にあればそれはよいことですが、最初から用意された選択肢の中から選ぶのはもったいないことです。

清野 それは建築業界にも共通することで、設計を志そうとすると、学校を卒業した後に組織設計事務所かゼネコン、アトリエ系事務所という少ない選択肢の中から選ぶことを迫られる現状があります。ですが、経済縮小社会の中でその選択肢が機能し続けるかどうかは不透明です。本当はそれ以外にもさまざまな可能性があるはずです。

国見 僕は他社の事業を参考にすることなく、自分が思うビジネスを実現しようとゼロから考えてきたので、既存の業種に当てはまらないことになりました。だから、競合がいません。先行事例を参照するよりもまず、自分の中でこうあるべきという考えを突き詰めれば、自ずと新しいものが生まれるはずです。たとえば昨年の4月、徳島県神山町で、僕が発起人の1人として参画した「神山まるごと高等専門学校」(『新建築』2304)が開校しましたfig.2。そこでは、デザイン・テクノロジー・アントレプレナーシップの3本柱からなる教育方針を打ち出しています。すでにある教育を参考にすると、どうしても文系・理系といった枠組みにとらわれてしまいますが、ここではこれからの社会で新たな価値をつくり上げる人物を育てるにはどうすればよいかをゼロから考えたため、他のどこにもない学校が出来上がりました。
ゼロベースで物事を考えるのは大変なことだけど、とても大事なことです。今、多くの企業は、商品力に課題が見つかれば商品力を強化し、競合他社が出店を増やせばこちらも増やすというように、傷ついた箇所に絆創膏を貼り続けるように課題を解決しています。でも、対処療法でやり過ごすよりは、企業の本当のあるべき姿をもう一度再構築し、骨格からつくり直したほうがいい。それが僕の取り組んでいる「存在意義の再定義」です。

僕がやってきたことをシンプルにまとめると、「事象から本質へ」ということです。事象のみから考えると、その事象だけしか触れられませんが、本質まで立ち戻ると、そこからさまざまな事象に触れることができます。経験論的に構築してきた「存在意義」「存在動力」「存在価値」「存在伝達」の循構造が、物事を拡張する時のひとつのヒントになり得るのではないかと思っています。

(2024年1月26日、新建築書店にて公開収録 文責:新建築.ONLINE編集部)

国見昭仁

1972年高知市生まれ/1996年青山学院大学経営学部卒業/第一勧業銀行(現・みずほ銀行)、ADK勤務を経て2004年電通入社/2017年に「電通ビジネスデザインスクエア」を立ち上げ、最年少でエグゼクティブ・プロフェッショナルに就任/2020年プロフェッショナルブティック「2100」を創業

清野由美

1960年生まれ/1982年東京女子大学文理学部史学科卒業/2017年慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了、在学中英ケンブリッジ大学客員研究員/草思社、日経ホーム出版社(現・日経BP)勤務を経て92年からフリーランスジャーナリスト/現在、慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所研究員、城西国際大学大学院非常勤講師

    国見昭仁
    清野由美
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    「snow peak Headquarters」(設計:大成建設一級建築士事務所、『新建築』1111)

    約4万m2に及ぶ傾斜地に、オフィス、工場、キャンプサイトを設けている。

    「神山まるごと高等専門学校」(設計:shushi architects/吉田周一郎・石川静+須磨一清、『新建築』2304)

    右に旧神山中学校の校舎を改修した西上角校舎・学生寮,鮎喰川を挟んで左に新築の大埜地校舎が建つ。

    fig. 2

    fig. 1 (拡大)

    fig. 2