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2023.04.21
Essay

万博建築にみる建築転用の可能性

建築の意味を継承する転用へ

米澤隆(米澤隆建築設計事務所)

2025年に日本国際博覧会(大阪・関西万博)の開催を控えている。万博は世界各国の新技術と文化の見本市であると同時に、クリスタルパレス、エッフェル塔、ジオデシック・ドーム、メタボリズムなど、各時代における最先端の建築の考えが提示されてきた歴史がある。加えて、開催期間が限られることもあり、そのほとんどが必然的にテンポラリーとなり、閉幕後に転用されたものも多い。近年、グローバル化と共に、限られた資源の扱いや環境保全が問題視され、持続可能な社会という考えに人びとの意識が大きくシフトしてきている。ものを長く大切に使い続けることももちろん大切だが、移設、転用、改変といった、その時々の状況に合わせて場所や機能、かたちを流転させることもひとつの持続可能性のあり方だろう。現に日本では、伊勢神宮が式年遷宮により20年ごとに建て替えられ続けたり、藤原京から平城京への遷都の際に建築部材の再利用が行われたりと、古くから建築の転用が行われてきた。木をはじめとする可燃性の素材で建築がつくられることから、その永続性が信じ切られず、テンポラリーなものとして捉えられてきた歴史がある。
そこで、建築の転用という観点から、これまで日本で開催されてきた1970年の大阪万博と2005年の愛・地球博を振り返り、大阪・関西万博やその後の社会を見据え、これからの建築のあり方を展望したい。

大阪万博(1970年)──アイコンとしての建築への需要

大阪万博は、高度経済成長を背景として、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げて開催された。万博を契機として、鉄道や道路などの大規模な都市整備が行われ、リニアモーターカー、電気自動車、携帯電話といったその後の未来社会を先取りする製品やサービスが紹介された。拡大、発展する社会における科学技術を信奉した未来志向の開発型万博であったfig.1。建築においても、宇宙開発や科学技術の進歩を想起させるようなフューチャリスティックなデザインや、斬新でアイコニックな形態が目立ち、その話題性とアイコン性などから、その場で利用し続けられたり、移設転用された事例もあった。

万博の記憶を色濃く残すモニュメント建築の「太陽の塔」は今も跡地の万博記念公園で記念碑的に建ち続けfig.2fig.3、​​菊竹清訓による「エクスポタワー」(『新建築』7005)fig.4は、エクスポランドのアトラクションとして存続した。また、40m近い高さの恐竜のような形態の巨大な片持ち梁が目を引く「オーストラリア館」(ジェームズ・マコーミック)は、シドニー港と四日市港との姉妹港提携のシンボルとして三重県四日市市に移設されたfig.5。黄色のスレートが葺かれた60度の急勾配の大屋根をもつ「カンボジア館」(ウク・ソメス)は、住宅開発業者により購入され、住宅販売の広告として兵庫県神戸市に移設されたうえ、集会所として機能している。日本の民家の様式による「サンヨー館」(竹中工務店)の屋根と桁はバンクーバーへと移り、ブリティッシュコロンビア大学アジア図書館として転用されたfig.6。宗教施設へと転用された事例も多く、ラオスの宗教建築を模した「ラオス館」は、中観山同願院昭和寺の本堂として長野県諏訪市に移築された。約1200年前に建てられた東大寺の七重塔を模した「古河パビリオン」(清水建設)は、相輪部のみではあるが東大寺に寄進され、境内に設置されているfig.7fig.8。全日本仏教会により無料休憩所として開設された「法輪閣」は、大阪市の四天王寺庚申堂に移設されたfig.9

移設転用された建築の中には、ウルグアイ館やアイルランド館といったような鉄とガラスで造られたモダニズム建築も存在していたが、多くがモニュメント建築や各国の様式を踏襲したヴァナキュラー建築といった、アイコニックな形態のものであった。これらは、必ずしも設計時から移設転用が想定されていたわけではないが、万博建築としてつくられたという、建築そのものがもつコンテクストや文化的価値への需要が集まり、高額な費用と多大な労力をかけてでも移設する価値があると考えられた。
一方で、大阪万博は建築物を生命体として捉え、成長・変化を内包する建築のあり方を提唱したメタボリズムが花開いたことでも有名である。メタボリズムの考えを体現した黒川紀章による「タカラビューティリオン」(『新建築』7005)fig.10は、鋼管ユニットや移動・取り替え可能なカプセルにより構成され、増築、解体、移築の仕組みが備えられていた。にもかかわらず、閉会後に取り壊されてしまったことは残念である。太陽の塔とお祭り広場の大屋根の関係にも象徴されるように、アイコン建築が移設転用され、メタボリズム建築が取り壊されたことは、皮肉にも大阪万博が目指した未来志向のその後の顛末を示しているように思われる。
ただ、「タカラビューティリオン」は解体されはしたものの、大阪万博に来場していた中銀グループの創業者である渡辺酉蔵がそれを目にすることにより、メタボリズム建築の代表作である「中銀カプセルタワービル」の建設に繋がるのも事実である。そう考えると、大阪万博の建築群は、転用の実効性のある仕組みまでは備えきれなかったが、そのアイコン性により、夢と共に理念を社会に広めたといえよう。

愛・地球博(2005年)──要素の転用

大阪万博の徹底した未来志向に対し、愛・地球博は、グローバル化の進展と共に高まる環境意識や低成長時代を背景として、「自然の叡智」をメインテーマに掲げた。会場整備のために、海上の森を破壊して造成する当初の計画や、会場の跡地利用として住宅地開発や道路建設が見込まれていたことに対して批判が集まったことで、全面的な計画の見直しが求められ、環境配慮と市民参加が前面に打ち出されることになった。このことからも、万博を取り巻く情勢は「開発型」から「環境保全型」へと大きく変わったことが分かる。森や川、池はそのまま残し、元ある地形をできるだけ生かし、既存の建物を活用して造成面積を縮小するなど、自然環境に配慮した会場計画が行われた。メイン建築の「グローバル・ループ」(菊竹清訓建築設計事務所・環境システム研究所設計共同体、『新建築』0505)fig.11が自然地形に適するように配置、設計され、建材には再生有機性木材などが使用されたことが、万博の志向を象徴している。各建築においても、既存の建物の利用や閉会後の継続利用などによる「リデュース(発生抑制)」、解体・再利用しやすい構造や資材の使用やモジュール方式(1モジュールを縦18m×横18m×高さ9mとする)の導入などによる「リユース(再利用)」、リサイクル材の積極的利用や建設廃棄物に関するリサイクルの目標値の設定などによる「リサイクル(再資源化)」といった3Rが推進された。

代表的な事例をいくつか具体的にみていく。「グローバル・ループ」は、建材として間伐材、廃プラスチック混合材が利用され、地中杭にはリサイクル・リユースできるスチール素材が用いられた。また、閉会後にはドライミストが中部国際空港の展望デッキに移設された。「長久手日本館」(日本設計、『新建築』0505)fig.12は、間伐材による束ね柱、竹繊維吸音断熱材、竹の瓦屋根、土に還るレンガなどが採用され、解体時の切断を容易にする工法が考えられるなど、リユースに配慮した易解体設計が行われた。解体された建材は、浜松合同庁舎のモニュメント、ベンチ、ウッドデッキとして転用された。加えて、リース・レンタル品が積極的に活用され、広く建築資材・設備機材のリユースを促進するため、会期後に「リユース日本館」というウェブサイトが立ち上げられ、一般向けに入札が実施された(現在は閉鎖)。「瀬戸愛知県館」(第一工房、『新建築』0505)fig.13は、閉会後は恒久施設部分が森林や里山に関する学習と交流の拠点施設として利用され、仮設部分の外壁、床に使用された木材は、愛知県下山村の新設小学校に転用された。「ガスパビリオン」の客席床段床は架設リース材が用いられ、エレベータなどの大物設備は他の建物へ再利用され、ウッドデッキは名古屋市内の駐車場の側壁として移設転用された。「スペイン館」(foa、『新建築』0505)fig.14は、パビリオンの外壁ブロックが名古屋市内のスペイン料理店やスーパーマーケットに買い取られ、移設転用されているfig.15

全般的に、組立解体が容易な建設工法の採用、リユース、レンタル、リース可能な資材や既存建物の活用と閉会後の建物の再利用、廃材、中古資材、エコ資材などの活用がレギュレーションとして徹底されたことは目を見張るものがあり、環境保全と循環型社会に対する強いメッセージを感じる。その後の社会を牽引するような取り組みが提示されたことは大きな意義があった。一方で、転用といっても、建築を要素に解体し、そこから得られた建材や設備などがリサイクル・リユースされるといったように、それは元の建築の意味を消失した部分の転用に留まり、また、モジュールの採用などレギュレーションの強さからか、大阪万博に見られたような自由なデザインが、全体として薄れてしまったという課題も浮かび上がる。

建築の意味を継承する転用へ

大阪万博は、話題性とアイコン性により、力技で建築が転用され、またメタボリム建築により転用の理念は広く提唱されたが、実効性のある仕組みまでは備わっていなかった。愛知万博は、環境、循環がテーマとして打ち出され、3Rのレギュレーションが徹底され、建築の転用の仕組みが提示・実行されたが、その多くはあくまで部材の転用に留まった。その次のステップとしては、ふたつの万博の可能性と課題を引き受け、その場のコンテクストや求められる機能性に配慮することによる特徴をもった固有の建築でありながら、元の建築の意味を消失させずに継承する建築としての転用の仕組みを考えたい。
2022年、メタボリズム建築の代表作である「中銀カプセルタワービル」が解体された。140個のうち20個以上のカプセルユニットが転用される計画となっている。本来残り続けるはずのストラクチャーが取り壊され、取り換えられるはずのカプセルユニットが個々で転用されるという、本来とは逆転した構図が生まれた。そこにこそ、これからの建築の転用の可能性を見出せないだろうか。強いストラクチャーによって建築を固定するのではなく、転用されるユニットが全体を構成し、そのユニットが建築の意味を継承する寄る辺となるような姿が探れないだろうか。

現在、公募型プロポーザルにおいて設計者として選定され、大阪・関西万博の会場施設としてトイレの設計を進めている。そこでは、「Re:METABOLISM」と題して、大阪万博から55年の時を経てメタボリズムをアップデートさせることを考えているfig.16。建築を構成するユニットをひとつの単位とし、互いに関係づけることで意味を展開させる。緩く連帯させながら生態系を構成するように共存させることで全体像をつくり上げ、会場デザインコンセプトである「多様でありながら、ひとつ」の状況をデザインする。また会期後は、ユニット単位に解体し、他の場に移設し、その場のコンテクストや求められる機能に応じて複数のユニットを組み替えることで、その意味を展開・転用し新陳代謝させていく計画で、流動性と可変性をもたせることで生き続ける建築とする考えである。

縮小する社会においては、都市や建築はすでにそこにあり、ゼロからつくることよりも、すでにあるものに手を加えていくことがより求められる。ここまで、建築の転用という観点から日本における万博建築の変遷を追い、継承・転用されるものとしてのこれからの建築のあり方を模索してきたが、地球環境保全、循環型社会、多様で複雑な状況、激しい社会状況の変化の中では、それに追従できる柔軟な仕組みを備えている必要がある。その時建築は、確固たるものとして完成させるのではなく、複数の構成要素が揺れ動き、関係性を変化させ続けていくような、生態系のようなものであるべきではないだろうか。場所やかたちをかえてもなお、元の建築がもつ意味や価値、記憶を継承できるような仕組みを内在化させることが、本当の意味で生き続ける建築をつくるのであろう。

米澤隆

1982年京都府生まれ/2007年名古屋工業大学工学部卒業/2014年名古屋工業大学大学院工学研究科博士後期課程修了、博士(工学)/2005年〜米澤隆建築設計事務所主宰/現在大同大学准教授/2015年「公文式という建築」で日本建築学会作品選集新人賞2015受賞/2014年「『つくる』と『生まれる』の間」でSDレビュー2014入選/2015年「空き家再生データバンク」でSDレビュー2015入選/2021年「名古屋駅西側駅前広場設計プロポーザル」最優秀提案

米澤隆
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新建築 2005年5月号
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大阪万博会場航空写真。/撮影:新建築社写真部

「太陽の塔」。/撮影:新建築社写真部

「太陽の塔」(2017年撮影)。/撮影:新建築社写真部

「エクスポタワー」(『新建築』7005)。/撮影:新建築社写真部

三重県四日市市に移設された「オーストラリア館」。観光施設「オーストラリア記念館」として利用された(2014年解体)。/提供:四日市市

「サンヨー館」の屋根と桁を転用したブリティッシュコロンビア大学アジア図書館。/提供:The University of British Columbia Asian Library

「古河パビリオン」。/撮影:新建築社写真部

東大寺の境内に設置された「古河パビリオン」の相輪。/提供:東大寺

「法輪閣」は四天王寺に移設され、庚申堂として利用されている。/提供:四天王寺

「タカラビューティリオン」(『新建築』7005)。/撮影:新建築社写真部

グローバル・ループ」(『新建築』0505)。/撮影:新建築社写真部

長久手日本館」(『新建築』0505)。/撮影:新建築社写真部

瀬戸愛知県館」(『新建築』0505)。/撮影:新建築社写真部

スペイン館」(『新建築』0505)。/撮影:新建築社写真部

「スペイン館」の外壁ブロックを転用したスペイン料理店。/提供:米澤隆

プロポーザル提出時のパース。強いストラクチャーによるのではなく、ユニットを緩く連帯させることで全体像をつくり、会期後は、ユニット単位で移設・転用させることを目指す。/提供:米澤隆

fig. 16

fig. 1 (拡大)

fig. 2