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2022.01.24
Books

人間、社会、自然

本を読む5|カール・マルクス著「社会的存在としての人間」(『経済学・哲学草稿』所収)

山岸剛

「本を読む」ことの魅力を伝える書評連載。第5回は山岸剛さんにお願いしました。(編集部)

社会とは、人間と自然とをその本質において統一するものであり、自然の真の復活であり、人間の自然主義の達成であり、自然の人間主義の達成である。

「社会的存在としての人間」カール・マルクス著『経済学・哲学草稿』、長谷川宏訳、2010年、光文社古典新訳文庫。このマルクスの文言を最初に読んだのは、これまた若き日のジル・ドゥルーズが編んだ教科書である『本能と制度』(『ドゥルーズ初期』、加賀野井秀一訳、1998年、夏目書房)というアンソロジーにおいてだった。冒頭のドゥルーズによる「序」に以下のような言葉がある。「あるときには主体は、みずからの傾向性と外界との間に、独自の世界を確立(=制度化)することによって、数々の人為的な充足手段をつくりあげる。これらの手段は、有機体を自然状態から解放し、別の事象にしたがわせ、傾向性そのものを、新たな環境にもたらすことによって変形してしまう。」本稿を書くにあたって私は、このアンソロジーを読み返すことから始めた。と題された、若き日のカール・マルクス(1818〜1883年)による言葉である。この文言に対する、現在に至る膨大な注釈の蓄積は私の知るところではない。また、この簡明なテキストが孕む巨大な含意についても、その幾ばくかは以下の拙文で展開されることを信じて、今は虚心に、文字通りに読む。すると、ここには三項関係がある。人間─社会─自然。三者関係が見て取れる。決して二項関係すなわち、人間と社会のみではない。

昨年末、信頼する画家の友人からインタビューを受けた。趣旨は以下である。画家・アーティストである彼は、現下も引き続く新型コロナウイルスによるパンデミックでその活動を思うに任せることができない。万事上手くいかない。展覧会に招かれあるいは個展を開こうにも、いざ開催時期が来た時、本当に開催できるかどうか、その時点まで分からない。ゆえに準備のしようがない。日々構想を練り、各方面に意を配し、画布に向かい、身体を動かして描き、描きながら考え、描き直しては期日までに仕上げていく。そんなこれまでの当たり前の作業が、この何年か、どうにも通じない。本当に困った。このどうにもしようのない日々を、その中でモノを考え、つくる、絵を描いていくことをどうするか。さらにこのパンデミックを抜けた後、どうするか。パンデミック以後、アートは、アーティストはどうなるのか。目下のコロナ禍に限らない、歴史上のこれまでの戦禍などを通過して、アーティストや作家はそれをどう乗り越え、どこに移動し、どう新しくつくってきたのか。そういうことを考えたい。だから私にインタビューをさせてほしいとのことだった。

もちろん私はアーティストではないからアートのことは分からない。それでも私にお鉢が回ってきたのは、私がパンデミック下で書いた文章のせいだった。去年出版した本で、2020年4月、はじめての緊急事態宣言下での撮影について書いたのだった山岸剛『東京パンデミック カメラがとらえた都市盛衰』(2021年、早稲田新書)
2019年の6月から東京の風景の撮影に取り組んでいる私は、緊急事態宣言下での撮影が、どうにも上手くいかなかった。時間はたっぷりあるのに、いくらやっても撮れない。どうにも撮れない、撮れないと嘆き節を文章にしたのだった。私は人間を撮らない。私の写真にはほとんど人間がいない。だから緊急事態宣言が出て、東京に人間がいなくなって、むしろ仕事はやりやすくなった(それまでは人けを避けて、撮影を早朝に限っていた)。それなのになぜか上手くいかない、ぜんぜん撮れない。そう書いたのだ。彼はそれを読んでくれたこともあって、私にインタビューを申し込んできた。あのとき、たしかに撮れなかった。何だかヘンテコな感じがして、ハシゴを外されたようで、撮影は上手くいかなかった。当時のことはいまだによく分からない。しかし一方で、そのことを本に書いている時も、頭の隅で、でもまあ撮影っていつも上手くいかないよな、撮れないものだよな。撮れないのが当たり前だよな、とそんなふうにも考えていた。

私には現在小学1年生の息子がいる。彼は虫好きである。彼に引き連れられて、去年ずいぶん虫捕りに出かけた。彼は図鑑やらYouTubeやらで知識を得て、目星を付けて、近所の多摩川の河川敷に向かうのである。しかし、この季節、こんな場所だからこの虫を捕るのだ、と意気込んでもそう上手くはいかない。目算通り、お目当ての虫が捕れることはほとんどない。いくら計画しても、捕れるのは常に偶然からである。なぜか。相手は自然だからだ。こちらがどんな意図をもって、いくら計画して臨もうとも、あちらは自然、意図も計画もなく、ただ在る。こちらの目的など、あちらにはまるで関係がない。ゆえに両者が出会うのはただただ偶然からである。ひるがえって、撮影も同じようなものである。私がこんなイメージで、とか、こんな感じの東京を見たい、撮りたいと何となく頭に思い描いたとしても、そんなものがそこいらの風景に上手いこと転がっているわけではない。馬車馬のように何度も何度も走り回って、しつこく東京を見た果てに、ようやく何がしか撮れるのである。それを元手にして改めて、また撮影をひたすら繰り返すのである。東京という都市は、あらゆるものがことごとく、人間の意図と計画で目的をもってつくられた場所であるにもかかわらず、そうなのである。撮影など、少なくとも私の撮影など、虫捕りと同様、常に上手くいかない、なかなか撮れない。なぜなら、虫捕りも私の撮影も、その向かう先には自然が在るからである。

インタビュアーである画家は、私のひとつ前の本、東北地方太平洋沿岸部を2010年8月から、足かけ9年にわたって撮影した写真をまとめた写真集もよく見てくれていた山岸剛『Tohoku Lost, Left, Found 山岸剛写真集』(2019年、LIXIL出版)。それについての彼の指摘は実に興味深いものだった。いわく、9年にわたる私の写真の中で、被災直後の2011〜12年頃の写真は、写真家も緊張している、写真がこわばっている、風景に撮らされている。いわば作家の、写真家の「作風」がない。反対に2017〜18年あたり、写真集も終盤に差しかかると、「作風」らしきが醸され、「山岸の写真」になってくる。そういうのだった。「作風」とは何か。「作風」が出てくるということ、それは「上手くいっている」ということなのか。「作風」のない2011年、いってみれば上述したパンデミックによる最初の緊急事態宣言下にも比肩し得る状況で、写真を撮っている時、私はどんな状態だったのか。

予想に反して、そして少なくとも私自身の実感として、当時2011年4月に初めて、いわゆる被災地に入って撮影を始めた時、私はむしろ「上手くいっていた」。率直にいって、不謹慎を恐れずにいって、この上なく、これまでになく「上手くいっていた」世にいう(=世間!)「不謹慎」なるものこそ、ここで批判する「自然」なき「社会」から帰結し、その肥大化した最たるものである。。私は東北の太平洋沿岸部で、人間のつくった人工物が、津波という圧倒的な自然に出会っている姿を見て、激しく感動した。植物が光に向かい、風に揺れ、その全表面で水を受け止めるように、建築という人工性が、その依って来(きた)るべき秩序の源泉としての自然に、正しく出会っている姿を見て、大きく動かされたのである。建築という人工性を、初めて「健康」であると感じた。その姿を見て取って、撮影はこの上なく、これまでになく「上手くいった」のである。そこには人間、人間がつくったもの、自然という三項関係、三者による力の関係性があった。そしてそれはきわめて健康的なあり方だった。

この撮影に出る以前、私は東京で鬱屈としていた。当時3歳の長男を抱えて、放射能の恐怖に怯えながら。そしてさらに遡って、東京で建築物を撮影することに携わっていた私は、建築という人工性が東京という都市において、人間と人間がつくったもののみの、すなわち自然なき二項関係の閉域にあるのを観察し、撮影するにつけ鬱屈としていたのである。それは自然なき「人工性のための人工性」の自己完結した姿だった。だから東北において、まったき自然に出会っている人工性の、まさに底の抜けたような健康さに出会って、私は自らの健康さをも取り戻したのである。以後、私は自身の健康を維持するべく、季節が変わるごとに東京を出て、東北に向かったのだった。

冒頭のマルクスに帰れば、私は「人間─社会─自然」の三項関係の健全さを取り戻すことで、「人間ー社会」のみの二項関係の閉域から脱することができたのである。人間がいて、人間がつくる社会がある。しかし真実はさらに、その社会の向こうには、それが依って来(きた)る秩序の源泉として、人間が観照し、共振し共鳴してそこから秩序を取り出してくる自然が、厳然と在る。人間は自然を観照し、それに共振共鳴することで、そこから秩序をつかみ出し切り出して、もって事後的に社会をつくり上げるのである。社会は常に揺れ、動く。それは人間がつくり、そこに介入して手を入れ続け、動かしていくものだから。他方、自然は動かない。ほとんど動かしがたく、そこに在って動じない。自(みずか)ら、自(おの)ずから然(しか)らしむるように、目的もなく意図もなく、ただそこに在るものだから。定義上そうなのである。これまた定義上、常に動揺する社会の只中にありながら、その向こうに、その秩序の源泉たる自然を正しく見据えていれば、人間もまた、さして動ずるには及ばない。人間は単に社会的存在であるだけではない。狭く社会的存在にのみ矮小化されるべきではない。社会の向こうに自然を見据えてこそ、マルクスのいう意味での、真の「社会的存在としての人間」に成るのである。混濁し、不透明で騒がしい社会の只中にありながら、常に明朗で透明そして静謐なる自然を見据え、これを観照することで、そこに照応していくことで、それをもって既存の社会に介入し、これを新しく動かすことが可能なのではないか。目下さして動じていない私は、「社会」に対しては極めて鈍感だが、それに反比例するように、よりいっそう、「自然」に対しては努めて敏感である。無論、内なる「自然」を抱えた「人間」に対しても。

人間は自然に適応せず、自然を自らに順応させてきた。自然を馴致する中で、第三項として社会をつくり上げてきた。いつしか人間は、自らがつくり上げた社会の厚みの前で、当の社会の依って来た自然を忘れた。みずからの秩序の源泉たる自然を排除し、排除し尽くせると勘違いし、排除したことさえ忘れている。そのような人間に対して、時に自然は逆襲するようにして現れる。人間が自然を排除すればするほど、叩けば叩くほど、自然は手を替え品を替えて逆襲してくる(ように人間には見える。そう見えるのは人間のみの一方的な思い込みである。自然はその定義上、ただ在るだけだから。そして人間もまた、自然であるから)。それがこのパンデミック下の都市で、われわれが日々目にしている事態にほかならない。

「新しい生活様式」とやらが提唱され、「ソーシャルディスタンス」が喧伝されてすでに久しい。しかし「ソーシャル」なものの向こうに自然を見据えないこの「ソーシャル」ほど、人間が「ソーシャル」なものにのみべったり張り付き、社会なるものに「密」である時代はない。「ソーシャル」なものに正しく「ディスタンス」をとり、その依って来(きた)るべき自然に新しく出会い直すことこそ、真正なる来(きた)るべき「新しい生活様式」となるはずだ。

後記

本稿は書評を依頼されたものであるから、実は当初はガスケ著『セザンヌ』(2009年、岩波文庫)を評するつもりだった。冒頭にマルクスの言葉を掲げて書いてみたら、いうべきことは尽きたように思われたので止めた。しかしせっかくなので、蛇足ではあるが、少し紹介させていただく。

ポール・セザンヌはいわずと知れた「近代絵画の父」とされる画家である。私が本文で展開した三項関係の健全さについては、セザンヌの本業である絵画作品のみならず、彼の言葉からもその多くを負っている。それを、ガスケとの対話を通して教えてくれるのが『セザンヌ』である。

セザンヌはルーヴル美術館に通い詰める。ここで彼は、彼以前の巨匠たちの絵画作品にひたすら目を凝らす。巨匠たちが彼らの時代に固有の「自然」をどのように絵画記号に変換し、画布に定着したかを見極め、その◯×を厳しく判定していく。巨匠たちがそれぞれの「自然」と相対した末に生み出した、変換の技法(メチエ)すなわち絵画の約束事、慣習の体系を我がものとするためである。つまりルーヴル美術館における絵画の伝統の蓄積は、セザンヌにとっての「社会」である。
一方で彼には、彼固有の「自然」が在る。とりわけサント・ヴィクトワール山という厳然たる、どうにも動かしようのない山が在る。セザンヌはそれにほとんど挑みかかるようにして、何度も何度も繰り返し、この山から受けとる感覚の束を画布に定着するべく奮闘して終わることがない。サント・ヴィクトワール山はセザンヌにとって、いかんともすることのできない、どうにも動じることのない、彼をほとんど拒んで受けつけることのないような、強烈に異質な他者としての「自然」であった。

見たり感じたりした自然、そこにある自然(彼は、緑と青の平野を指した)…こちらにある自然(彼はおでこをたたいた)…両方ともが持続できるために……風景は、私のなかで反射し、人間的になり、自らを思考する。

自然を経てルーヴルに行き、ルーヴルを経て自然にもう一度戻らなければならないのだ……

ルーヴルは参照するのにいい書物だ。私はそうすることを欠かさなかったがね、それでも仲介であることにとどめておかねばならない。本当の、偉大な取り組むべき習作は、自然の光景の多種多様です。……画家は、完全に自然の学習に献身して、ひとつの教えとなる絵を作る……

馬鹿げているのは、既製の神話体系や物体についての出来上がった考えをもっていること、現実のかわりにそれを模写することなのだ。この大地よりもあれら想像の産物を。にせ絵描きは、この木やあなたの顔やこの犬が見えないのだ、一般的な木、顔、犬しか見えない……

われわれは、すべての語が見つかる辞書を見てきたのだ。さあ外に出よう。美しい自然を学習しよう、その精神を明るみに出すように努力してみよう。

そうだ、四十歳までは、美術館に通うといい、私がそう命令する。その後は、あんな墓場に再び行ったとしても、それは自分の無力と自分の死について沈思して、休養するだけにとどめておけばいい……

セザンヌはほとんど狂気をもって、文字通り死ぬまで、「社会」と「自然」の双方に目を凝らし続けたこの「狂気」も「不謹慎」同様、「自然」なき「社会」における「狂気」、という留保を付けるべきである。これについてはアントナン・アルトー著「社会が自殺させた者」(『ヴァン・ゴッホ』、粟津則雄訳、1997年、ちくま学芸文庫)も参考になる。。が、彼の最終的な「目的」は、目的も意図も計画ももたない「自然」それ自体だったのである。

山岸剛

写真家/1976年生まれ/人間が、人間の意識が計画し、目的をもってつくったもの(人工性)と、そうでないもの(自然)との力関係を観察し、その均衡点を写真に定着する/著書に『Tohoku Lost, Left, Found 山岸剛写真集』(2019年、LIXIL出版)『東京パンデミック 写真がとらえた都市盛衰』(2021年、早稲田新書)

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