2021.10.15
Books

つくり方を知らないモノに囲まれて生きる21世紀の僕らへ

本を読む2|ルイス・ダートネル著『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』

吉村靖孝(吉村靖孝建築設計事務所)

9月から始まった「本を読む」ことの魅力を伝える書評連載。第2回は吉村靖孝さんにお願いしました。(編集部)

誰もいない世界のリアリティ

2020年3月13日に交付された特別措置法にもとづき最初の緊急事態宣言が発出されたのは、同年4月7日のことだった。あれからもう1年半が過ぎようとしているわけだ。ご存知の通り、この初回の宣言の際、もっとも顕著に街から人が消え、棚から物が消えたのだが、当時まだまだ呑気に構えていた僕は、どこか現実離れした3つの記憶を辿っていた。

ひとつめは2000年に刊行されたTOKYO NOBODY(中野正貴 著、リトルモア、2000年)である。写真家の中野正貴が1990〜2000年までの11年間、盆や正月など人出が減るタイミングを見計らってコツコツと撮り溜めた誰もいない東京の風景写真集だ。後から画像を加工して人を消したのではなく、本当に誰もいない瞬間を狙った労作である。当時オランダに住んでいた僕は、たまたま一時帰国したタイミングで入手して、オランダにもち帰ってから何度も食い入るように見たのを覚えている。住み慣れた街が見せる見慣れない顔。日に日に遠のく東京の記憶と、日の低い時間帯特有の薄明を捉えた写真(無人を狙う撮影は早朝に限られる)の相乗効果で、現実と非現実を隔てる境界がふらりよろめくような不思議な感覚を抱いた。そして直後に起こった2001年9月11日のアメリカ同時多発テロが、その感覚を煽った。

ふたつめは、避難指示区域が解除になるより前に訪れた福島県富岡町の風景である。住民はひとりもいないのだが除染は淡々と進んでおり、丁寧に磨かれた住戸がまるで発光しているかのごとく白んで美しかった。他方、長閑な田園風景に目を凝らせば、あちこち除染廃棄物を詰め込んだ黒いフレキシブルコンテナバッグが無愛想に並べられていて、アスファルトの亀裂から芽を出した植物が駐車場を覆わんばかりに生い茂っている。手入れされた部分と手入れされていない部分が描き出す無言のコントラストが、人間がいなくなった地球がどんな姿になるのか饒舌に物語っていた。2005年のことだ。

そして最後が、今回紹介したい書籍この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた(ルイス・ダートネル 著、河出書房新社、2014年)である。原題は『The Knowledge/How To Rebuild Our World After An Apocalypse』だが、もともとの副題に近い日本語タイトルがその内容を端的に表している。数々の映画や小説の題材となってきたいわゆる大破局(=Apocalypse)が起こった後、生き残った数少ない人類がどうやって命の糸を紡ぎ文明世界を再構築し得るか、その道筋を科学的見地から克明に記した本である。2017年に週刊少年ジャンプ上で連載開始され話題になった漫画で、2019年にはアニメ化もされた『Dr.STONE』(稲垣理一郎 原作、Boichi 作画、集英社)の元ネタといえば、もはや多くを説明する必要はないのかもしれないが、まずは内容を概観してみたい『Dr.STONE』は突如石化して文明を失った人類が3700年後に再生する世界を、科学と力の対立を軸に描く。

僕らは僕らのつくるものをどこまで知っているか?

著者のルイス・ダートネルは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で博士号を取得し、ウェストミンスター大学で教鞭を執るアストロバイオロジーの専門家である執筆当時はレスター大学の特別研究員。。アストロバイオロジーとは地球外生命の可能性を探るために天文学、惑星科学、生化学、地球物理学、微生物生態学、地質学、分子進化学、地球化学、比較生理学などの知見を横断的に動員する学問で、なるほど本書の記述も特定の科学分野に限定されず、多岐に渡る。その多面性とそれぞれの描写の解像度をイメージしてもらうため、ここではダートネルが書いた目次に手を加えてみたい。()内は選者による加筆であり、一部には等号を足してそれがどんな分野に該当するか補足している。

第1章 僕らの知る世界の終焉で(想定しうる問題を概観し、)
第2章 (終焉後に人間以外の物質が残された場合の)猶予期間(のサバイバルを描いて、) 第3章 (種が手に入るうちに)農業(を始めることの重要性と農業の基礎を説いたのち、)=1次産業 第4章 食糧と衣服(など生活の基盤を得るための加工方法を解説する。)=2次産業 第5章 (その後、基礎的な化学)物質(の精製方法を知り、)=化学 第6章 (主要な建築)材料(をつくる技術のほか、)=材料工学 第7章 (基礎的な)医薬品(と医術を手に入れれば、人類は科学の入り口まで駒を進めたことになる。)=医学・薬学 第8章 (また、)人びとに(人力以外の)動力を(もたらし、)=機械・電気 第9章 輸送機関(の再発明による都市拡張や都市間交流が起こって、)=輸送 第10章 (その延長として文字や印刷などの情報)コミュニケーション(が普及すると、)=情報通信・3次産業 第11章 (やがて、爆発物や写真などいくつかの化学物質を複合する産業規模の)応用化学(が起こる。) 第12章 時間(=時計や暦)と場所(=位置情報取得が上記に列挙した再構築の前提となるが、) 第13章 (それは取りも直さず)最大の発明(としての「科学的方法」の前提でもある。)

章立ての並びから選者が勝手に著者の意図を汲み取って意訳している部分もあるが、多くの科学分野を小気味よく駆け抜ける本書のスピード感はなんとなく想像していただけるのではないか。一方、それぞれの項目をどれほど詳細に記述しているかについては、読者側の専門分野によって感じ方が異なるかもしれない。この書評の読者のほとんどが建築関係者だと仮定し、もっとも近い分野を扱う第6章の記述を例に挙げると、記載のある材料のうち、おそらく鉄やガラスついては知らないことが多く、逆にコンクリートの記述はやや物足りなく感じるのではないか。工業化が進んだ現代において鉄やガラスの製造過程は工場に閉ざされているが、コンクリートに限っては未だに工事現場で原材料や作業工程に触れる機会があるからだ。

同様のばらつきが他分野の記述にも起こっているはずだし、人類滅亡に備えるサバイバル・マニュアルとしては、あまりにも情報量が少ない(著者はそれに自覚的である)。ただ、たとえ網羅性や詳細度に不満があったとしても、そもそもこの本は無知を埋め合わせるために読まれるべき教科書ではない。建築関係の読者にはぜひ、「既製品」という概念の曖昧さを確認する機会として手に取ってみていただきたいのだ。それは同時に、既製品の多用を戒める意味で使う「オリジナル」という用語の裏腹に気づかされる機会でもある。「オリジナル」と呼んだ家具や建築をつくるために使う釘や鋸その他の道具に使われる鉄が、いったい誰がどこでどうやってつくったものなのか、僕は知らない。しかしそれらはたしかに、僕以外の誰かがつくったのだ。「オリジナル」ですら結局、「既製品」を組み合わせることでしか実現できない現実を受け入れた時、果たして僕たちのデザインは変わるのだろうか? 本書の参考文献にも挙げられた『ゼロからトースターを作ってみた』(トーマス・トウェイツ 著、飛鳥新社、2012年)よろしく、鉄鉱石から鉄をつくるところまで徹底的に遡るにしても、逆に既製品の許容範囲を拡げその組み合わせに邁進するにしても、自分の立ち位置を正されるような読書経験を共有してもらえるのではないだろうか。

そして、もし仮にそういうつもりで読み進めてもらえるならば、記述の端々に散りばめられたヒントが じわじわと浮かび上がってくることだろう。たとえば、食料の加工法について書かれた第3章には、次のような文章がある。

人間の消化器官には、たとえば牛のような反芻動物の複数の胃とは異なり、分解できないタイプの食品が多くあるので、僕らの体が自然にはできないことを技術の力で補ったのである。したがって、発酵や調理の間食物を入れてさらに栄養分を引き出すために使われた土器は、外部から追加された「胃」の役目をはたしていたのだ。つまり技術による事前消化システムである。

調理のための土器が外部化した胃? 一読しただけでは腹落ちしない突拍子もない比喩だが、土器をつくり出した当の人間が意識していようとしていまいと、それが果たして何のために存在するのか鋭く看破されており、読み物としても楽しめる。知識(=Knowledge)を学び次に伝えるというシンプルだが尊いミッションを遂行するため、何が本質的なことなのか、僕らが立ち戻るべき場所に目印を立ててくれる、ある意味では「地図のような本」ともいえるのではないだろうか。

建築とサバイバルの親和性

さて、かつてこのような本があっただろうかと考えて、ふたつの本に思い当たったので、最後にそれも紹介しておきたい。ひとつは、ステュアートブラントの『ホール・アース・カタログ』原題『Whole Earth Catalog』は、スチュアート・ブランドによって創刊された。ヒッピー・コミューンを支えるモノやコトが多数掲載されており、1968〜72年まで年数回発行された。である。メールオーダーという今となってはいささか古めかしいシステムを使う点が異なるものの、生きるための知恵を網羅するために、グーグル的検索とアマゾン的通販とウィキペディア的辞書の原点を示したといってもよい古典的名著である。アップルをつくったスティーブ・ジョブスのスピーチで「Stay hungly, Stay foolish」という一節が引用されたことでも有名になった。コンテンツは、モバイルハウス、ソーシャルネットワーク、太陽光発電、エコロジー、オーガニック、パソコン、と今見てもその先見性に驚かされる。サバイバルさえも郵便する態度は、『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』的遡行とある意味では真逆なのだが、淡々と過ぎる日常を疑い、ミクロな技術にこだわってオルタナティブを提示する点に、通底した眼差しを感じざるを得ない。

もうひとつは、最古の建築理論書ともいわれるウイトルウィウスの『建築書』である。十書からなる『建築書』は、建築家の職能として「建築を建てること」のほかに、「日時計をつくること」と「器械をつくること」を挙げ、それぞれに第九書と第十書を費やしており、選者は長い間この広すぎる設計領域を疑問に思い、さまざまな解釈を試みて自分なりに納得しようとしてきたのだが、『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』を読んでまたひとつ解釈が浮かんだ。それは、古代ローマには手頃な日時計や器械がなかった、という身も蓋もない解釈である。産業化が進んで時計も計測機器も工作機械も意識せずとも手に入る現代とは違い、それらはいちいち誰かがつくらなければならなかった。建築をつくるためには、建築家がつくる必要があったのである。少なくとも『建築書』が読まれるであろう各地で自明の存在とは考えられておらず、それゆえ『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』と同じような、世界を再生・再現するためのサバイバル・マニュアルとしての色を帯びたのではないか。実際、1000年を優に超える時を経て、とうに忘れ去られていた『建築書』がスイスの修道院の図書館で発見されたことをきっかけに再読が進み、ルネサンス(=古典復興)に大きな影響を与えたことは周知の通りである。その時、まさしく世界が再構築されたのだ、といったら大げさに過ぎるだろうか?

いずれ本格的な大破局が起こって『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』が真のサバイバル・マニュアルとして役に立つことがないよう祈りながら、まだしばらく続くであろう自粛生活のお供に本書をオススメする次第である。

吉村靖孝

1972年愛知県生まれ/1995年早稲田大学理工学部建築学科卒業/1997年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了/1999〜2001年文化庁派遣芸術家在外研修員 としてMVRDV在籍/2002年〜東京大学大学院、早稲田大学、東京工業大学の非常勤講師を歴任/2005年吉村靖孝建築設計事務所設立/2013〜17年明治大学特任教 授/2018年〜早稲田大学教授/2014年「窓の家」で第1回AP賞受賞/2014年「中川政七商店新社屋」で日本建築学会作品選奨/2012年「TBWAHAKUHODO MEDIA ARTS LAB」で日経ニューオフィス賞ニューオフィス推進賞受賞/主な著書に「ビヘイヴィアとプロトコル」(2012 年、LIXIL 出版)「EX-CONTAINER」(2008 年、グラフィック社)「超合法建築図鑑」(2006 年、彰国社)

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ルイス・ダートネル著『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(2014年、河出書房新社)

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