造形をめぐる、どうつくるか=コンピュータライゼーションと、何をつくるか=コンピュテーション
『Deconstructivist Architecture』(MoMA、1988年)の建築家たちがコンピュテーショナル・デザインを展開していったことで、むろん建築産業のコンピュータライゼーションは加速した。その立役者は、やはり誰よりもフランク・ゲーリー(Frank Gehry)であったといって間違いないだろう。
1997年、ゲーリーによるビルバオ・グッケンハイム美術館(The Guggenheim Museum Bilbao)は当時世界に衝撃を与えた。同建築の設計・生産・施工を可能にするため、航空産業から技術移入した3D CADソフト「CATIA」をベースとしたBuilding Information Model(BIM)である「Digital Project」が開発され、2002年には複雑な建築形態の設計から生産、施工までをコンサルティングする独立した会社であるGehry Technologies(2014年にSketchUpを有するTrimble社に買収されるまでザハ、コープを含む多くの建築家と協働した)の誕生にまでつながった。セシル・バルモンド(Cecil Balmond)が伊東豊雄と協働し、サーペンタイン・パビリオンを完成させたのも2002年であり、構造エンジニアリングの枠を越えて、建築家がもつ複雑な造形イメージを、定義可能な形態に置き換えて生成し、その生産に至るまでのマネジメントを行う、いわゆるGeometric Engineeringが急速に普及したのもこの時期だ。
一方、アイゼンマンは『Deconstructivist Architecture』の頃より一貫して、コンピュテーションとしてのデジタルに重心を置き続けた建築家といってもよいかもしれない。
1999年から12年をかけて2011年に竣工した「City of Culture of Galicia」は、サンティアゴ・デ・コンポステラの歴史的な街路から生成したパターンと複数のグリッド、さらに周囲の地形から生成した丘のような幾何学形状を重ね合わせることから建築を立ち上げるというもので、アイゼンマンの90年代における概念的な作業の積み重ねが、建設にまで至った成果として非常に興味深い。fig.1アイゼンマンの建築の70年代〜90年代に至るまでの概念的変遷は、平野利樹の『建築における『オブジェクト批判」の系譜』という論文に詳しいが、建築の本質をグリッドあるいはパターンと考え、そのずれ、重なり、歪み、衝突といったバーチャルな事象が、痕跡のように埋め込まれては物質化されたものとして建築を立ち上げるアイゼンマンのアプローチが、90年代におけるコンピュテーションの導入を経て先鋭化された結実を、筆者は「City of Culture of Galicia」に見ている。なお、本コラムの第1回で紹介した展示『Archaeology of the Digital』(Sternberg Press、2013年)のキュレーションを行ったグレッグ・リンは、アイゼンマンのスタジオで90年代に複数のプロジェクトを担当し、アイゼンマンのコンピュテーション的展開の主導的な役割を果たしたという事実は興味深い。
以上、「複雑さの系譜」として、『Deconstructivist Architecture』を起点に、ゲーリーからGeometric Engineeringを経由しデジタル・ファブリケーションにつながっていったコンピュータライゼーション的展開、一方でアイゼンマンからリンを経由し造形言語(ひいては建築概念)の拡張につながっていったコンピュテーション的展開の両輪をレビューした。別の言い方をすれば、そもそも90年代来、建築の造形的可能性を巡るこれらの展開があったからこそ、コンピュテーショナル・デザインという領域の中に、異なる二つの両極があるという認識が形成されたともいえるかもしれない。
次回以降、「動きの系譜」「自然の系譜」と題して、コンピュテーショナル・デザインの奥行きを見ていきたい。