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2023.07.25
Interview

空間の意味を拡張する香り

五感と建築 #1

深津恵/MEGUMI FUKATSU(A Green)

五感をキーワードに、建築や都市について考察する連載。第1回はセンティングデザイン(嗅覚)に着目。香りは環境を織りなす重要な要素のひとつでありながら、建築家がデザインの文脈で言及することは、現状あまり多くありません。香りと空間の関係性やその歴史、また香りをデザインするにあたっての建築家との協働の重要性について、香りの空間デザインを行う、センティングデザイナーとして活動されている深津恵さんに伺いました。(編)

空間の「イメージ」を香りを通して立ち上げる

──センティングデザインとはどういうものなのか、取り組み始めた背景と共に教えていただけますか。(編)

深津 センティングの「scent」は「香り」という意味の単語です。目的や場所に応じて照明計画を考えるライティングデザインと同じように、センティングデザインでは香りで空間を満たすことで空間のスタイリングを行います。空間のイメージやクライアントの要望などをもとに、自然由来の精油を調合してその場にふさわしい香りを提供するというものですfig.1fig.2
私はアロマテラピーをきっかけに、香りに関わり始めました。アロマテラピーは、体調に応じて香りを処方する、人を対象とした自然療法です。ただ自然が少ないストレスフルな都会で生活する中で、空間に自然を想起させる香りをしつらえることで心地よさを感じられるのではないかと考えるようになりました。そこから、空間と香りの組み合わせにおいて人がどう感じるのかという感性的な側面にフォーカスし、空間に落とし込むセンティングデザインに取り組み始めました。
私は香りによって空気全体をデザインしているという意識でいます。空間には必ず何かしらのにおいがありますが、それはデザインされてない以上、あくまでも「たまたま発生した」においであり、時にそれはよくないにおいである場合もあります。ただ、そこに立ちこめる空気が空間の用途やコンセプトに由来してデザインされたものであれば、その空間がもつ意味をより高めることができるのだと思っています。

──空間にふさわしい香りを考える時、具体的に何を手がかりにしているのでしょうか。

深津 香りを嗅ぐと、たとえば柑橘系は「爽やか」、フローラル系は「甘い」などと印象を抱くと思います。香りはこのように本能的に知覚できるものであり、その香りに相応しいイメージは、多くの人の間である程度共通認識となっています。私はこうした香りのイメージを言葉で定義したり、色に落とし込んで考え、空間のコンセプトやインテリア、雰囲気、クライアントのブランドイメージなどと擦り合わせ、複数の香りをレイヤー状に組み合わせるイメージで調合しています。
最近では、芦沢啓治さんがインテリアを担当した「MARIHA Showroom」のセンティングデザインを行いました。まず、家具や空間全体の色のトーン、ディテールの収まり、MARIHAのブランドイメージなどから「花鳥風月」「タイムレス」などの言葉を想起し、ベルガモット、バルマローサ、京都ヒノキなどを調合して気品ある香りを目指しました。試作品をもって議論する際は、そのイメージを視覚的に伝えられるようにコラージュをつくりましたfig.3。そこから言葉や香りのイメージを関係者と議論して調整し、完成させるというプロセスを踏んでいます。

──依頼を受ける際はどのようなケースが多いのでしょうか。

深津 基本的には商業施設や個人住宅の建主から依頼を受けることが多いですが、私はできるだけ空間の設計段階から参画したいと思っています。というのも、香りを導入する際は空調などの設備の影響を大きく受けるからです。設計段階からかかわることができれば、たとえば天井部分にディフューザーを納めて空調ダクトから満遍なく香りを噴霧したり、自動運転のプログラミングを組んで時間によって香りを切り替えたりと、より実用的な提案ができるようになりますし、設計者と密にコミュニケーションをとることで空間のコンセプトもダイレクトに理解しやすくなります。事前のリサーチの際も、まず空調の図面を確認し、空間の広さや風の流れ、寒暖のコントロール方法を把握し、香りがどのように広がっていくか理解するようにしています。それから什器のレイアウト図面などと合わせて、ディフューザーをどのように納めるかを考えています。
ただ、最近は設計段階から声をかけていただくことも増えています。自動生成系AIなどの発展により、機械によって処理できるものごとが増える中で、空間における人間の五感、とりわけ嗅覚の重要性が改めて認識されているのだと思います。

目的のための手段から、暮らしに根付いた香りへ

──これまでの歴史上、空間と香りを共に楽しむ文化はあったのでしょうか。

深津 はい、日本では特にその傾向が強かったように思います。香りというと、香水が広く普及する欧米圏の文化というイメージがありますが、それは体や衣服に香りを纏うものです。一方で、日本には香木などを焚いて、空間に香りを広げて楽しむ空薫という慣習があります。センティングデザインの考え方の背景には、古くより空間を通して自然の香りを楽しみ、シェアしてきた日本の文化があるのだと思っています。

──このような考え方が今日まで世界的に根付かなかった理由として、どのような要因があると考えていますか。

深津 香りはこれまで、たとえば購買意欲を促進するために人工的な合成香料を強く香らせたりと、目的を叶えるための手段として用いられることが多くありました。このように、香りは空間の居心地のよさを追求するものではなかったために、一部では苦手意識をもたれてきたのではないかと思います。近年、世界中の香りにまつわるプロジェクトを見てきましたが、ヨーロッパでさえも空間に香りを広げるということがあまり成熟しておらず、アメリカや中国、中東では空間演出として強い香りを用いる事例は多く見られるものの、日常の一要素として香りをとらえた事例はまだ多くないことが分かりました。ただ、日本においてはコロナ禍を経て、状況が変わりつつあるように思います。おうち時間の気分転換にアロマを使う方が大きく増えたことと同時に、空間のイメージに合う香りの選び方がわからない方からのセンティングデザインのニーズが高まっています。これからは、香りは暮らしを彩るものだという認識がより広がっていくのだと思います。

情緒的な指標を言語化することの難しさ

──空間を通して香りを楽しむことが文化として根付くためには何が必要だと感じていますか。

深津 香りをいかにコントロールできるものにしていくかという点では、まだまだ課題が多くあります。香りには寝つきをよくする、リラックスさせる、というような機能的な効果と共に、最初に述べたような、あるイメージを想起させる情緒的な効果があります。私は今、建築をはじめとするさまざまな業界で香りが導入される環境を整えるために、この情緒的な効果を体系的にまとめることを試みています。機能的な効果は化学的な効能として理解されるため信憑性が高いです。一方で、情緒的な効果についてはすでに専門家がまとめたものがあるものの、それは経験則によって紡がれている側面もあり、客観的に定義するというのはなかなか一筋縄にはいきません。もしそれが叶えば、ほかの業界との意思疎通が図れるようになるはず。そのため、今は実証実験や調査を重ねてエビデンスを集めています。
一方でそんな風に規定しすぎる必要はないのでは、という意見をいただくこともあります。なぜなら言語化できない複雑な情緒をもたらすことが、香りの魅力のひとつでもあるからです。また、香りの調合はとても属人的な作業で、同じ空間でも人によって表現する香りは異なったりと、ある意味でアートのような側面もあり、そうした人ごとの差異があることで業界が成立している部分もあります。そのため、ロジックで一律に定義することの是非については常に思考を巡らせています。ただ、こうした香りのあり方についての研究は、日本でも欧米でもまだあまり発達していないため、価値ある文化として後世に引き継ぐためには、時間をかけてノウハウを形式知にする必要があるのも事実です。今はそのための礎が少しずつでき始めているのだと思います。
香りを含めた空気全体がデザインされれば、その空間の質を高めることができるということは、何となく理解されていることだと思います。ただ、これまではそのためのセンティングデザインという手法が広く認知されておらず、今でもまだ量販店で買ったオイルとディフューザーで済ませてしまう方や店舗も多いという実情があります。しかし香りは五感で知覚する複雑な情緒を含み、音楽と同様にとても奥深いものです。その奥深さにこそ、空間の意味や価値を拡張する可能性が潜んでいるのだと思っています。
fig.4

(2023年6月20日、A Greenアトリエにて。文責:新建築.ONLINE編集部)

深津恵(MEGUMI FUKATSU)

大分県日田市生まれ/『@aroma』の立ち上げに携わり、ANA、ルイスポールセンなど、数多くの香り制作や空間デザインのプロジェクトを約20年にわたり手掛ける/2020年「A Green」設立/著書に『Scenting Design -カオリしつらえ-』(2021年、A Green)

深津恵(MEGUMI FUKATSU)
五感と建築
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香りを調合する際に用いる精油。種類によってさまざまな効能がある。/撮影:新建築.ONLINE編集部

複数の精油を調合して香りを完成させる。/撮影:新建築.ONLINE編集部

「MARIHA Showroom」の香りをデザインする際に作成したコラージュ。/提供:A Green

深津恵氏。/撮影:新建築.ONLINE編集部

fig. 4

fig. 1 (拡大)

fig. 2