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2023.09.26
Interview

事足りた都市に場をつくる

余白の中の建築・都市 #3

増田信吾(増田信吾+大坪克亘)×山道拓人(ツバメアーキテクツ)

近年、公園を始めとする公共空間を国や自治体が貸し出したり、個人や民間企業が所有する建築や広場を開く試みがあります。本連載では山道拓人さんと共にさまざまな建築家を訪ね、制度や運営の枠組みをどう捉え、開かれた場、すなわち都市や建築における「余白」を設計しているかを探ります。第3回は増田信吾さんに伺いました。(編)

日本の都市は事足りてる

山道拓人(以下、山道) 個人や企業が持つ土地や場所を、公園的な都市の余白としてつくっていくような動きが広がっています。この連載でインタビューを続けるなかで、こういったプロジェクトはふたつの軸から語り得るということが見えてきました。それは、都市の中に余白をどうつくっていくかという具体的な設計と、建築家がどの部分を人びとに託すかという枠組みに関しての設定で、そのふたつが見事に絡み合うプロジェクトは非常にダイナミックになります。
増田さんは、『Adaptation 増田信吾+大坪克亘作品集』(2020年、​TOTO出版)の中で、現状でもすでに事足りているのだけれど、そこに何か軸を通すと場所全体が一変してしまうような一手を、磐座を例えとして説明していたり、あるいは”adaptation”という言葉で言及されています。「事足りている」という前提意識はどのような考えから生まれたもので、増田さん大坪さんの設計にどう繋がっていくのでしょうか?

増田信吾(以下、増田) 事足りているというのは、標語として掲げているというよりは、ふと出てきてしまう言葉です。設計対象となる建物や敷地を訪れた時、既存の状態ですでに十分だと思うことや、既にある建物や内装の技術やスタイルの応用で十分に感じることが多々あります。私生活でも特段大きな問題はなく、事足りている。ではなぜ僕らに依頼するのか、その時の提案や設計とは何か。十分さをさらに満たしていくことなのか、バリエーションを増やしていくことなのか、あるいは更なるスタイルをつくることなのか、と考えていくとそれらを僕らより早くうまくこなす事務所は無数にあります。だけどそれは僕らにとっての「設計」とはどこか意味が違う。想像の範疇であれば「提案」でもない。こと今の日本においては、地産地消という考え方や、地球温暖化に対する設計のあり方など色々と課題はありますが、都市はある程度できあがっていて、空間の気積をつくる手法は飽和しているように感じます。大学時代から今に至るまでそんなふうに都市を見てきたので、特定の設計事務所で働く決断がなかなか前向きにできずに悩んだ結果、自分たちで始めることになったんだと思います。2015年に「Future of the Past」をテーマに、アジアの若手建築家が自国の建築史のリサーチを基に自分たちの活動の可能性をプレゼンするというフォーラムがきっかけで、神社に社がまだなかった自然崇拝だったころの磐座信仰を知りました。建築史というと竪穴式や高床式住居、伊勢神宮など構造物の形式にフォーカスされがちですが、大坪が『伊勢神宮と日本美』(井上彰一著、講談社、2013年)を読んでいる中で、神社には元々は社がなかった、という記述を見つけたんです。そこで、三重県熊野市にある、森の中に突如15mくらいの球型の岩が出現する丹倉神社を見に行きましたfig.1。それから何度か足を運びました。岩があってそれを生んだ場があって、人がそこに惹かれ、小さな祠として建築が場を示すサインのように添えられる。大まかにいえばそれが初源の神社です。僕らが見た丹倉神社が特殊ではあるものの、まず岩が起点に立ち現れた周囲の環境とは全く違った場があって、後で建物が添えられる、そのあり方がとても自然に感じました。自分たちが置かれた今の都市を改めて見ると、すでに都市には空間は余るほどつくられていますが、場がありません。そこで、どうやって既存の空間に場をつくっていくことができるか、磐座のあり方とは逆の順序で僕らは場と建物の関係を再考することにリアリティを感じているんだと気づきました。そういう視点で都市を見始めました。

山道 なんてことのない場所に添えるだけで全体の意味を変えてしまう磐座的視点で日本の都市を眺める。輪郭を描いていくというよりは、ここが余白なのではないかというところに点を打ったり線を引くだけで、もともとあった空間を際立たせることを考えられているのですね。

増田 このフォーラムのリサーチと同時期に「始めの屋根」(『新建築住宅特集』1810)の設計が始まり、敷地に行って既存建物の実測をしていましたfig.2。そして、まさに事務所に帰って「ここしか設計するところないじゃん」と思ったところに丸をつけていました(笑)。それ以前に設計した「躯体の窓」(『新建築』1405)や「リビングプール」(『新建築住宅特集』1503)では、窓や基礎といったある機能をすでに持ち合わせた要素を再考することにはなっているけど、よく考えるとあくまでもバリエーションの検討に止まっているという議論を大坪としていましたfig.3fig.4。その後、磐座のリサーチを経て、より機能をもたず、だけど人の拠り所が生まれる構造物のあり方や存在を探したいと考え始めました。

山道 「始めの屋根」を設計する時に「ここしかない」と思った理由はなんだったのでしょうか。どのプロジェクトも、敷地あるいは周辺にある事物をなるべくひと掴みで絡めとれるようなスケールやかたち、すなわち敷地における「ジャイアントオーダー」のようなものを模索しているように見えるのですが、磐座をご自身の設計に置き換えた時、敷地の中でどのようにその存在を見つけようとしているのですか?

増田 それは年々変わってきていますが、「始めの屋根」の設計当時は、建主と僕らの役割が被ってはいけないと思っていました。生きていたら誰もが建築を体験しているし、現代人はこの複雑な都市空間で地図を持って歩けるのだから、大なり小なり空間把握能力はあるわけです。また、インターネットでもいくらでも参考事例を見ることができるので、自力でもあるところまではデザインできてしまう。建主の壁面を茶色にしたいという希望に対して、科学的根拠なく青の方がいいですよ、という議論をしても押し問答になってしまうし、好みを共有する(押し付ける)ことに時間をかけすぎるのもどうかと思います。また事務所内ですら全員の趣味が合うなんてことはまずありません。でも、外部に設計することの意味を見出して、それが室内にどう影響を与えるか、という視点だと建築としてあまり試みられていない未だない価値として設計提案できると思っています。窓の外の環境によって部屋に入り込んでくる風や光や景色は違ってくるので建築が外の環境を設計できるようになると価値があると思っています。
学生の頃に雑誌で読んだ建築は、ひとつの住宅が都市をつくっていく意識が強く、中には生活者や使う側にとってこれ無理あるんじゃないの?と思うようなものもあり、もちろん住宅はそれぞれの価値観で立っているものだから僕がとやかくいう問題ではないんですが、一歩間違えると建主に建築への理解を求め、あるときは強要することにもなってしまう。みんながみんな建築家の思想に共感して依頼するわけではありません。一方で、家と都市との間の空間は、何段階かの仕切り方/繋げ方があって、都市や近隣に対して良い影響力を与えつつ、持ち主にも無理を強いることなく確実に生活に影響を与えるものをつくることができます。
たとえばアニッシュ・カプーアの「Leviathan」(2011年)は、パリのガラス天井のグランパレに巨大なバルーンを出現させたインスタレーションで、作品集の写真などからはガラス天井によって暑くなってしまう空間にバルーンが影をつくり、人々がそのバルーンと地面の間の窪みで休んでいる様子が見て取れ、グランパレの道が場に変わっていると感じました。このように作品や得体の知れない何か自由に解釈する余地があると、都市が予測を超えた面白さを帯びていくのではないかと思います。

建築のもつ時間軸

山道 「つなぎの小屋」(『新建築住宅特集』1810)では、敷地に既存の建物がたくさんある中で、それらにはほとんど手を加えずに、これまでも敷地内で行われていたことを行うための小屋を設けていますねfig.5

増田 すべて設計するということは、与えられた場に自分たちの世界観をつくり上げることができるということですが、それを「全体」としてしまうと概念的にはあくまでも与えられた場にとどまるため、広がりがないと思っています。一方で、与えられた場の部分を設計しようとすると、どこに手を加え、どこに手を加えないのかという選択が大事です。与えられた場や、その外に広がる既存の存在を否定するような新しい設計をするよりも、ある1点を局所的をつくことで、これまであまりなかったけど意外とありかも?と思える展開を探し、そこに対して何かを放り込むことが「提案」なのではないかと考えています。

山道 ある1点以外は手を加えないというのは、現存する街並みやデザインに対する信頼が高いということなのでしょうか?

増田 信頼というよりも、まさに「事足りてる」という言葉で割り切っているのかもしれません。

山道 最初に手数を絞って、建主の希望をうまく引き継ぎつつ、それとは異なる位相で提案するという増田さんたちのアプローチは、プロジェクトの時間軸を複数設けているとも捉えられます。そして、インテリアの模様替えされる可能性を見越して、そのプロジェクトにおいて最もタイムスパンが長い部分をひとつ選んで注力する、というように表現のバランスが模索されています。

増田 それはすごく強くありますね。たとえば「躯体の窓」はインテリアが頻繁に変化する可能性があって、一方で庭は建主が少しずつつくり込んでいく予定だったので、どちらの空間の変化にも引っ張られない、けれども両者の環境を底上げするための計画として、ふたつの空間の間にある窓を設計しましたfig.6

山道 今、さまざまな人や企業が都市の余白を見つけてはそこを埋め尽くそうとコンテンツを企画しますよね。それが花形に見えてしまうし、もちろんそういったプロジェクトも都市には必要です。ただ、時間軸から見ると、そういったプロジェクトは、意味や必要性に埋め尽くされていて、余白や余裕といいましょうか、自由さがないと感じることが多いです。

増田 そうですね。僕には無理に楽しんでいるように映ってしまうことがあります。この数年、山形県米沢市でまちづくりに携わっているのですが、空き家に対する解決策として機能で埋め尽くそうとすることに違和感があります。使われなくなった空き家を無理やり使おうとするのは持続性に欠けます。パブリックスペースが欲しいけれども1からつくろうとすると時間がかかってしまう一方で、見渡せば空き家だらけで空間は余っているんです。であれば、住まいという機能を持っていた家が使われなくなって解放された状態を、無理にまた何かで埋めるのではなく、街の中で人びとが行ける場所になるような、街の奥行きになる構造物として捉えた方が自然ではないだろうかと提案しました。もう少しでひとつ場が完成します。

設計と体験のスケール

山道 ここから、増田さん大坪さんが実際にどう余白を設計しているかお伺いしていきたいです。図面を見てみると、まず高さ4m前後のところで線を引いているプロジェクトが多いことに気がつきました。その理由を僕なりに考えてみると、住宅地の中で高さを考えた時に、1階でも2階でもない宙ぶらりんな高さを狙った結果、4mくらいに落ち着いているのでしょうか?

増田 設計段階ではあまり強く意識していないんですが、初めて自分たちなりに高さの意味を理解したのは「躯体の窓」の時でした。日本の住宅はインテリアの理屈から開口の大きさが決められて、それがファサードになります。しかし、大きな植栽が庭に植えられている場合、植栽とのスケールが全然合っていないと以前より感じていました。「躯体の窓」は、建主がフルヤプランツ(「つなぎの小屋」の建主)に庭のデザインをお願いして、大きなメラレウカをすでに購入していました。そこで、室内から見ると開閉可能な細かくフレームが入った窓になっていて、外からは1本の木と同じくらいの大きさでひとつの大きな開口に見え、パブリックスケールに合うような外のおおらかさを兼ねた開口部としました。

山道 西沢大良さんが1998年の論考「規模の材料」(『新建築』9804)でも書いていますが、私たちは間取り図を見ると、無意識のうちに天井高2.4m程度のスケールを想像しますよね。確かに日本の街並みもその設定でできています。論考から20年経ち、リノベーションの時代になりましたが、この論考は何度も読み返します。

増田 以前、西沢さんに「街の家」の誌面を見ていただいた時に、室内の天井高を2.1〜2.4mでかなりドライにつくっていることを指摘されました(笑)。ただ、外と内のスケールが異なるゆえに境界部のスケールが変化していくことは理解できるのですが、たとえば室内は高い方が快適だ、という意味での高さは、途端に個人の問題にもなっていくので、この時は、特殊解の必要性よりも家を持ち上げることで生まれたGLを高さ4.2mほどのピロティーとし、外構の気積を2階建ての家のボリュームとほぼ同等に扱うことに着目したんです。

山道 オブジェクトとして強い印象をもちながら、全体が視界に収まらないようなスケールですよね。多くのプロジェクトに、エッジが視界の外に広がっていき1枚の写真に収まらないような印象を受けます。一方で、どのプロジェクトも特徴的な断面をもっていてそのバランスが絶妙です。

増田 強く意識しているわけではないですが、引いて見た時にあるひとつのものとして見えるけど、見ようと思わないと見えないというか、普段は意識されない存在であって構わないと思ってます。設計したものを写真に収めようとすると、限られた枚数で全体を見せないといけないのでどうしても広角になりますが、本来はそれは僕らの意図とは違います。人の目に触れる機会も印象も様々なので、それはそれでいいのですが、そこに収束したいわけではありません。僕らにとって何を設計したかは図面で理解できることが大事で、それがそのまま印象として実現しなくていい。むしろそれが自然に体験や経験へと変わるために設計をしていきます。

隠された隙間を露わにする

山道 最後に、もうひとつの余白的な可能性として、都市の隠された隙間を露わにすることによって、その隙間が別の価値を帯びたり、自由さを獲得することがあるのではないかと思いました。たとえば「街の家」で室外機の場所になっていた隣家との隙間が、設備を1階と屋上に配置してあえてその存在を露わにすることで奥行き方向に空白が生まれています。

増田 僕たちのいちばん最初のプロジェクト「ウチミチニワマチ」(『新建築住宅特集』0911)は僕の実家の塀の改修で、北側が接道面で、北側に水回りが配置されていたため、塀の裏に室外機や給湯器、ガスメーターといった設備がすべて集約されていましたfig.7。その既存の塀のあり方に対して、そもそも生活の必需品である設備を隠すことで解決するのは設計を放棄しているのと同じで、むしろ露わにして庭の一部として成立するべきだと思ったことがきっかけで、今もその考えをもっています。
それこそ設計する前は、「塀かよ」と馬鹿にしているところがありましたが、仮に建物を建て替えて、さらに街全体を開発して刷新していくよりも、日本独特の隙間を手がけることが都市を変える近道だ、と塀1枚だけを設計することを途中からポジティブに捉えるようになりました。これが大学卒業時に感じていたモヤモヤだったんだと。ある世界観を持った建築を設計することは、地球上の有限な面積を細分化して、敷地ひとつひとつをつくり込む作業のように感じます。そして、それはどうしても個別の世界をつくることから脱せておらず、都市はバラバラなものとしてできあがっててしまう。それはそれで面白いが、僕らはそれらをできるだけ繋いでいき、都市の隙間に広がりを獲得できる設計を提案したいです。

山道 塚本由晴さんや千葉学さんが2000年前半に都市の隙間や空地に関する議論をしていたことを思い出します。今日のお話では、隙間に対する直接的な介入といいますか、あるいは建築と隙間の主客が反転するようなダイナミックなアプローチの可能性を聴かせていただきました。ありがとうございました。fi.8

(2022年8月9日、増田信吾+大坪克亘にて。 文責:新建築.ONLINE編集部)

増田信吾

2007年武蔵野美術大学建築学科卒業/2007年増田信吾+大坪克亘を共同で設立/2015年Cornell University Baird Visiting Critic/2019〜22年明治大学特任准教授/2023年香港大学客員教授、ハーバード大学客員教授

山道拓人

1986年東京都生まれ/2012年東京工業大学理工学部研究科修士課程修了/2012年ELEMENTAL(南米/チリ)/2013年Tsukuruba Inc.チーフアーキテクトを経て、現在、ツバメアーキテクツ代表取締役、法政大学准教授、江戸東京研究センターのプロジェクトリーダーなどを務める/主な建築プロジェクトに「下北線路街 BONUS TRACK」(『新建築』2005)「天窓の町家ー奈良井宿 重要伝統的建造物の改修ー」(『新建築住宅特集』1902)「ツルガソネ保育所・特養通り抜けプロジェクト」(『新建築』1707)など/主な著作に『PUBLIC PRODUCE 「公共的空間」をつくる7つの事例』(共著、2018年、ユウブックス)など

増田信吾
山道拓人
パブリックスペース
住宅
余白の中の建築・都市
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丹倉神社の磐座/提供:増田信吾

「始めの屋根」(『新建築住宅特集』1810)/撮影:新建築社写真部

「躯体の窓」(『新建築』1405)/撮影:新建築社写真部

「リビングプール」(『新建築住宅特集』1503)/撮影:新建築社写真部

「つなぎの小屋」(『新建築住宅特集』1810)/撮影:新建築社写真部

「躯体の窓」(『新建築』1405)/撮影:新建築社写真部

「ウチミチニワマチ」(『新建築住宅特集』0911)/撮影:新建築社写真部

増田信吾さん(右)と山道拓人さん(左)。撮影/新建築社

fig. 8

fig. 1 (拡大)

fig. 2