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2023.06.13
Essay

町医者的な設計事務所

私の事務所 #2

三浦丈典(スターパイロッツ)

『新建築住宅特集』2014年に掲載された、建築家の方々に自身の事務所を紹介いただく連載「私の事務所」のリライト企画。オンラインでの再掲に合わせて、初出から8年以上を経た現在までの事務所の変化を改めて振り返っていただきました。(編)

2014年12月

モジモジする場所

設計事務所ってすごく恥ずかしい場所だと思う。希望に溢れる依頼人が新しく生まれる空間を夢見る最中に、まずお願いする建築家が日常身を置く場所を体験してしまうのだから。一流シェフのレストランで、料理を堪能する前にそのシェフが普段食べているものを見せられたら興ざめでしょ? かといって、喫茶店で打合せも野暮ったいし、相手の場所へ伺うのもアウェイ感があるし、じゃあ自分の事務所はどうしたいか、背伸びするのがかっこいいのか、いやそれこそがいちばん格好悪いんじゃないか……などと堂々巡りして身悶えする無限ループ。誰もが通る難関です(よね?)。世の中の多くの悩みと同じように、この「事務所カッコつけ問題」も、悩み抜いたところで結論が出るものでもなく、予算やタイミングによって意外にもあっけらかんと、というか悩む余裕もなく決まってしまい、それまでのモジモジは束の間忘れてしまうのだけど、いざお客さんが来る頃になると、それがまたゾンビのごとく突然甦ってきたりするのです。

生きるように働くこと

スターパイロッツの初代空港は要町の雑居ビルにありました。8畳ほどの広さで階段の踊り場に共同和式トイレがあり、それでもカラーコピー機とヒートカッターがあるだけで何となく誇らしい気分になれたうら若き日々よ。あのトイレの芳香剤の香り、決して忘れまい。転機が訪れたのは、東京の学芸大学の実家で長らく町医者をしていた祖父と父が立て続けに亡くなった2010年のことでした。築40年の5階建てのコンクリートビルのうち、1、2階が空いてしまい、母が3階でひとり暮らしという状況に対し、新たに入ってくれるお医者さんも見つからず、かといって空き屋にしておくのも物騒だし、何より家賃収入は母の生活や建物維持のためにも無視できません。「どうせならアンタここで事務所やったら」と、母があまり深くも考えずつぶやきました。大して仕事もない当時の僕にとって、不相応の広さと立地は重圧だったけれど、知らない会社が入るよりは息子の職場の方が母も安心するだろうと図々しく納得し、フォトグラファーの妻と悩んだ挙げ句、シェアオフィスを始めるという結論にいたりました。慣れない事業計画書というものを(妻が全部)書き、震える手で公庫から500万円借りて、半地下の90m2を改修しました。予算も限られていたので、祖父が使っていた診療台や薬品棚、瓶など使える物はなるべく転用しました。シェアオフィスをつくるとなるとこれはもうビジネスだから、あのモジモジはごまかせます。いろいろな人やものがぎゅっと詰まっているという思いを込めて「TRUNK」と名付けて募集を開始しました。今ほど競合もいなかったことと、共有部が広く、比較的ゆったりした配置だったこともあり、R不動産にお願いしたところ5席のテーブルはすぐに埋まりました。TRUNKができた当時、自宅は要町だったため、僕と妻と犬のサクラの3人で学芸大学までクルマで通勤する日々でした。渋滞に巻き込まれると片道1時間かかってしまうことと、通勤退社の時間を家族全員揃えることが何となく面倒に思えた頃、妻が妊娠し、であればということでTRUNKビルの4階に引っ越す(つまり家族を連れ立って実家に戻る)ことになり、それから職住一体の新しい生活が始まりました。シェアオフィスを始めてちょうど1年が経とうという頃でした。昔、「塔の家」の東孝光さんが、朝着替えていったん家を出て、青山通り沿いの喫茶店でコーヒーを1杯飲んで、それから再び家に「出勤」する、という話を聞きました。なるほど、その気持ちはとてもよく分かります。僕は犬のサクラと近くの公園まで散歩してから仕事をスタートする、というのが日課になりました。いずれにせよオンオフを切り替えるには、満員電車でもラジオ体操でも社歌でも、なんでもいいから儀式的な振る舞いが必要だというのが僕の持論です。事務所を訪れる人たちからは、この上にお住まいですか、便利でいいですね、とよく言われます。たしかに通勤時間ゼロだし、雨の日も濡れなくて済むし、交通費だってバカになりません。職住近接はこれからの社会のキーワードであることは、僕だって対外的に訴えています。でも必ずしもよいことばかりではありません。そもそもテナントビルとして建てられた建物ではないため、きちんとした玄関アプローチがなく、家族の出入りは事務所を経由することになります。ベビーカーや買い物袋を抱えた妻が、打合せの横を通るし、飲んで帰ってきた僕が、まだ仕事をしているスタッフの横を(心苦しく)帰宅するという、なんともシビれる動線計画になっていますfig.1fig.2。それでもなお、職住接近がよいのは、通勤が便利であるといった「効率」の話ではなく、生活の連続として仕事をすることを肯定する感覚であり、つまり、生きるように働くことの清々しさにあると思います。そして設計という所作には、とりわけそういった日常生活の滑らかな陰影を敬う精神的態度が大切だと思うのです。

引き継ぐべき街の居場所

そういえば僕たちがこの1階を使う際に、母からひとつだけ条件がありました。それは、長きにわたって近所の人たちに支えられた町のお医者さん、というこの場所を、何かしらのかたちで地元の方々が気軽に訪れるような場にしてほしい、ということでした。そこで、誰もが気軽に楽しく参加できるようなワークショップを定期的に開催することにしましたfig.3fig.4fig.5fig.6。僕や妻が講師となることもあれば、1日先生をしてみたい友人たちも代わりばんこにさまざまな企画を実行してくれています。内緒ですが、最初はこども向けのワークショップをすれば、その親ともさりげなく交流が生まれ、そうすれば設計の仕事も入るに違いない、というヨコシマな狙いもありました。けれども託児施設のごとく事務所の入口でこどもを押し付けて颯爽とカフェに繰り出すママたちの背中を見て、その思いはもろくも崩れ去ったのでした。ともあれ、設計事務所というのはヘンテコな模型がたくさんあって、毎晩夜中まで煌煌と灯りがついて若い男女が怪しく活動しているような場所なので、近所の人たちは何となく気になっていたようです。仕事をお願いする機会はないけれど、一度入ってみたかった、とおっしゃる方は結構います。近所で会釈はするけど話したことのない人たちと、こういう機会に改めて知り合えるのはよい経験でした。引っ越すというのは、自動詞なのではなくて、引っ越しをまわりから認められる、という他動詞のような感覚に近いと思うのです。そしてこの場所にいることが地域から漠然と許されているという感覚は、自分を、チームを強くたくましくしてくれます。


設計事務所の空気の組成

それから1年後、ずっと空いていた2階のフロアも、さらに500万円借金して自分たちで改修しました。出産育児に追われる妻が、家にいながらにしてできる仕事はないかと画策し、ハウススタジオ「RueScipion」がスタートしました。利用者は雑誌や広告関係の方々がほとんどですが、また新しい人の流れがやってきました。現在ではこどもが2人になり、シェアオフィスの入居者たちもめでたく卒業し、設計事務所のスタッフが4人になったこともあって、1階は設計事務所が専有しています。赤ん坊やら犬やら学生、撮影関係者やら、毎日いろんな人がどたばたしていて、当初思い描いていたカッコいい事務所像とはだいぶかけ離れてしまったけれど、そこに留まる雰囲気というか、価値のバランスのようなものはかけがえのない僕たちの質として大切にしようと思っています。一部の人たちのための専門的な場所というより、誰が来ても優しく許容していくような柔らかい空気の組成。それでもクライアントが来る直前になると、あのモジモジがやってきて、あわてて掃除したりするのですが、そうこうする間に「こんにちは」と声が聞こえて、あ、またダメだ、まあいいか、といつもの感じになってしまうのです。



2023年6月

眼差しは外へ遠くへ

約8年半前の自分の書いた若く瑞々しい文章を、気恥ずかしく読み返しました(笑)。現在スタッフは1階フロアにちょうど収まる総勢9名になり、もうこれ以上増やすことはできなくなりましたfig.7。2階のハウススタジオ「RueScipion」は創業12年を迎えましたfig.8。また現在、隣接する木造2階建ての住宅を改修しており、今夏に新たな多目的スタジオ「ChouMerLily」としてオープンさせる予定ですfig.9
スタッフの人数が徐々に増えたり、コロナ禍のリモートで僕だけでひとりぼっちになったり、かと思うとオンライン会議の音の干渉問題が起きたり、といろいろありましたが、その都度なんとかやりくりして今に至ります。改めて振り返ると、当時の「モジモジする感じ」はもはやほぼ感じていないことに気づきました。クライアントからの第一印象も大事ですが、それよりもスタッフが安心して、リラックスして日々働くことができるか、そして何より僕自身がその場所を「拠り所」と感じることができるかがより重要だと考えるようになりました。その背景には、時を経て自分(達)なりの「これはできるけど、これはできなくていいや」という分別のようなものができて、自らをより大きく見せたり、カッコよく見せたり、という動機が無くなったということがあるように思います。
8年半の間で、つくればつくるほど自分が自分になれたような気がします。それに合わせて向けられる視線も事務所から街へ、社会へ、未来へと外向きになって、僕自身も当時より自然で生きやすくなっているように感じますfig.10

三浦丈典

1974年東京都生まれ/1997年早稲田大学理工学部建築学科卒業/1999年ロンドン大学バートレット校ディプロマコース修了/2004年早稲田大学大学院博士課程満期修了/2001〜2006年NASCA一級建築士事務所/2006年スターパイロッツ設立/2015年 「道の駅ファームス木島平」(『新建築』 1507)でグッドデザイン金賞(経済産業大臣賞)、中部建築賞受賞 /2016年稲門建築会特別功労賞受賞/主な著書に『起こらなかった世界についての物語』(2010年、 彰国社)『こっそりごっそりまちをかえよう。』(2012年、 彰国社)『いまはまだない仕事にやがてつく君たちへ』(2020年、 彰国社)など

三浦丈典
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新建築住宅特集 2014年12月号
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デスクスペース。洗面カウンターの奥から自宅のある4階へと繋がる。/提供:スターパイロッツ

打ち合わせスペース。ここでは定期的に地域に向けたワークショップも行われる。奥にあるデスクスペースまで窓からの光や風を取り入れるために、花形ブロックを使った間仕切りを設けている。/提供:スターパイロッツ

ワークショップ「おうちをつくろう」制作風景。/提供:スターパイロッツ

「影絵動物園」完成作品。/提供:スターパイロッツ

「和綴じ製本」講義の様子。/提供:スターパイロッツ

「天然酵母パンづくり」制作風景。/提供:スターパイロッツ

事務所の昼食の様子。弁当持参で一緒に食べるのが習慣。/撮影:三浦丈典

2階に設けたハウススタジオ「RueScipion」。/提供:スターパイロッツ

隣接する戸建て住宅の改修風景。今夏に多目的スタジオ「ChouMerLily」としてオープンする予定だ。/提供:スターパイロッツ

「TRUNK」外観。/提供:スターパイロッツ

fig. 10

fig. 1 (拡大)

fig. 2