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2023.05.10
Essay

野生から観測へ

私の事務所 #1

橋本健史(403architecture [dajiba])

『新建築住宅特集』2014年に掲載された、建築家の方々に自身の事務所を紹介いただく連載「私の事務所」を再掲します。オンラインでの再掲に合わせて、初出から8年以上を経た現在までの事務所の変化を改めて振り返っていただきました。(編)

2014年11月

セルフビルドで壊しながら学ぶ

われわれの事務所は静岡県の浜松市にあって、築40年のRC造のマンションの一室です。私を含め3人の共同主宰による設計事務所で、住居とオフィスを兼ねた共同生活の場なので、合宿所のようなところです。初めて訪れた時には、なにやら外国人スタッフによるいかがわしい店を経営していたと見られる形跡が散乱しており、フローリングは剥がれ、バランス釜の風呂場は朽ちかけていて、キッチンの換気扇からは雨水が侵入しており、周りの部屋も空き室だらけで、なんとなく身の危険すら感じるようなところでした。それでも、「自由に壊してよい」という条件に惹かれました。浜松を拠点として仕事を始めることにしたのも、そのようなリノベーション案件をいくつか動かせそうだったからで、十分な実務経験のないわれわれにとって、ひとまず壊してみることはよい機会だと思えたし、何かそこから考えてみることで、創造的なプロジェクトに繋がるような予感がありました。とはいえ、経験値的にも金銭的にもほとんど何ももっていないところからスタートしたので、当然いきなり事務所のフルリニューアルというわけにもいかず、まずは同じ建物に同時期に住み始めた知人のベッドルームの床をつくり変えるプロジェクト「渥美の床」(JA86)を、セルフビルドでつくるところから始めましたfig.1fig.2。その後も美容室の休憩所「三展の格子」(JA86)fig.3、家具店の倉庫「頭陀寺の壁」(同)、賃貸マンションの改修「海老塚の段差」(『新建築』1202)など、よい具合に構法的な難易度が上がっていきながら、ほぼセルフビルドでのプロジェクトが続きましたが、なかなか自分たちの事務所の環境を整えることはできず、結局1年半くらいの間は改修に本腰を入れることなく、間に合わせでだましだまし使っていました。襖や扉、畳などその場にあった大物に加え、炬燵の天板、iMacの箱、西田幾多郎全集(積み重ねて構造体として使用)など、実に雑多でとりとめのないものを組み合わせて、寸法と機能的な問題をぎりぎりで調停しながら、デスクやベッドのようなものをつくっていました。そこにパソコンやプリンタ、電話、寝袋、書籍、服その他のあらゆるものがごちゃまぜになりながら、住むことも仕事をすることも渾然一体となった、「野生の事務所」とでもいうような環境でした。ちなみに、「浜松の展開図」fig.4というアートワークは、事務所の壁紙や吹付けの砂天井、フローリングなどを剥がして主たる原材料としており、加えて当時現場が動いていた「富塚の天井」(『新建築住宅特集』1305)での廃材や、それまでのプロジェクトの結果ストックしてあったマテリアルも使用していますfig.5

マテリアルを拡張して考える

さて、そうした環境の快適性というのはもちろんあったわけですが、段々とセルフビルドだけではなく、専門家に任せた方がよい内容も分かってきて、施工業者とのやり取りや、構法、ディテールについても徐々に理解が深まってきた頃、さすがにもう少し作業がしやすいように、事務所を全面的に改修をしようということになりました。何かを思いついてから5秒以内にA3用紙を広げて描き始められないというのは、建築を考える場所としては不適切です。そのため、なるべくデスクを広く取ることと、書籍をたくさん収納できることを目的として、リノベーションを行いました。基本的には既存の2DKのプランのうち、居室2部屋(6畳と4.5畳)を3つの小さな個室(それぞれ2畳)へと縮小して、確保したスペースでオフィスを広げています。また、極小の個室の高さを一部1,100mmと低くすることで、全体としての通風や採光など環境面での性能も高めていますfig.6。今のところ、一から十まですべてをセルフビルドで行ったプロジェクトとしては最後のものですが、廃材をバラバラに解体したり新しい方法で組み合わせるのと同じように、既存の部屋というものを限られた「マテリアル」として概念的に扱って、縮小したり組み合わせを変えるということを意識的に行ったプロジェクトでもあります。既存の間取りはRC造の躯体とは直接関係なく、あくまで仮設的な木造の間仕切りでしかないので、それらを一旦完全にリセットしてワンルームの空間から考えることは容易いわけですが、2DKの間取りという一見そのこと自体に価値がなさそうなものであっても、それを「マテリアル」として扱うことの可能性を考えましたfig.7。それ以降のプロジェクトも基本的に(振り返るとそれ以前も同様なのですが)、あらゆるものを「マテリアル」として扱うことができないかと考えています。それは、廃材や余剰材といった物質的な材料だけではなく、構法的な知恵、慣習的な空間構成、標準的な仕様、あるいは個別的な周辺の状況や、もう少し広域的な構造、もしくはいわゆる建築設計・施工に一般的には関係しない人材など、ありとあらゆるものです。セルフビルドはこのようなものがすべて地続きで関連している、ということを理解するためのリサーチとして機能したし、今後も機能し続けるでしょう。「マテリアル」が時間的にも空間的にも流動している(しうる)というフレームを知ることで、コンテクストをあらゆるところから見い出せることが分かってきました。

終わりのないプロジェクト

一方、われわれの事務所と同じ建物に最初の「床」のプロジェクトがあることは先述した通りですが、その部屋には知人が住んでいることもあって「浜松の展開図」が常設してあり、加えて未発表の「扉」もあります。また、その隣の別の住人が住む手芸教室兼住居も、われわれが手がけたプロジェクトですfig.8。そして、われわれは事務所の隣の部屋も借りて、事務所を拡張することも企んでいます。そうすると5階建て全10戸のこの大きくはない建物全体で見れば、われわれのプロジェクトはまさに現在進行中です。さらにいえば、徒歩圏に竣工したプロジェクトは5件あって、現在計画中のものが2件あります。また、これらの実際に手がけたものだけでなく、関わった程度に差はありながらも、気軽に顔を出したりすることのできる場所は増えていますし、ミーティングに利用したりするような場所もいくつかできています。これらは、パートナーである彌田が商店街を中心としたタウンマネージメントを行い、もうひとりのパートナーである辻が民間の街づくり会社と協働して活動していることで、より重層的なものとなっています。このような状態になってくると、ひとつひとつのプロジェクトというのは完全に切り分けられるものではないし、実際さまざまな「マテリアル」を共有していることも多いわけです。そうした中で最近は、建築設計事務所というのは何か観測所のようなものになってくると思っています。もちろん、「建築」のクリエイションのためにある場所というのは前提ですが、そのためのコンテクストを観測するための機器とその分析能力、またそれをバランスを取らせる視点が必要なのではないでしょうか。特に浜松のような都市を拠点とするならばそうです。そしてその観測器自体が、われわれが関わる空間や人びとによるネットワークによって、できてきているような気がしています。

建築はどこにでもある

今から50年近く前に、ハンス・ホラインは「すべては建築である」といいました。あらゆる事象に建築的なるものを見出し、建築概念を霧散させた、とても強力で、抗し難い魅力のある言葉です。解体に次ぐ解体の後での微細な差異を競い合うのではなく、かといって「建築」の自己批判のための懺悔としてでもなく、もちろん資本の海をただ乗りこなすのでもなく、前向きに「建築」と向き合うためには、これを入れ換えるのがよいのではないかと考えています。つまり、「建築はすべてである」ということです。不可能であると分かっていても、「建築」のためにすべてを知る努力をするべきだと思うのです。あらゆることを安易に、もしくは無意識に切り捨てるべきではないのです。もっと平たくいえば「すべてはコンテクストである」ということです。そのために、画策中の事務所拡張計画では、新たな観測器としてオフィス機能以外のプログラムを入れるとか、あるいは単に必要以上の規模にしてみるというようなことで、現状では感知できていないコンテクストを見つけることができるのではないだろうか、などと思っています。



2023年5月

観測から継続へ

「野生から観測へ」と題した短いテキストを公開してから、8年以上の月日が経ちました。3人の共同主宰による、寝食を共にしたアジトのような事務所は、まさに浜松という都市に飛び込んでいるがゆえの、切迫したリアリティがありました。当初5年くらいは続けられればと考えていた協働は、12年が経った現在も継続中です。それぞれが個人で事務所を設立したり、私自身は出身地の神戸に活動拠点を移したりしましたが、継続することそのものが価値となってきた浜松でのプロジェクトは、ライフワークとして続けていこうということになっています。
3人それぞれが独自に動く時間が長くなり、コロナ禍もあって事務所にほとんど人が集まらなくなったため、新たな接点や変化を求めて、1年前に事務所を浜松市内の路面に移転しましたfig.9。が、これは結果として失敗しました。結局のところ、基本的にはスタッフしかいない事務所が路面にあっても、あまり展開を生みませんでした。そこで、近々路面からは撤退し、スタッフがそれぞれの事務所を回っていくような体制へ移行しようと考えています。
現在メンバーの辻は浜松の郊外にある、祖父の家を改修した自宅兼事務所に基本的におり、もうひとりの彌田は磐田の渡辺隆建築設計事務所に、いわば出向しているのですが、それぞれ定期的にスタッフのための場所を確保してもらうことになっています。私の神戸の事務所には去年ひと月ほど実験的に滞在してもらったのですが、こちらのパートナーやアルバイトの人たちとの交流は、よい影響を与え合っているように見えました。
都市に潜伏して、なんとか都市そのものを観測しようとしていた8年前と比較すると、われわれ3人とスタッフは空間的に広く展開しながらも、浜松という特定の都市にフォーカスしてプロジェクトを継続するという体制が、都市における建築のあり方を更新することに繋がればと考えています。

橋本健史

1984年兵庫県神戸市生まれ/2005年国立明石工業高等専門学校建築学科卒業/2008年横浜国立大学卒業/2010年横浜国立大学大学院Y-GSA修了/2011年403architecture [dajiba]共同設立(浜松)/2017年橋本健史建築設計事務所設立(東京)、2021年同移転(神戸)/現在、京都芸術大学客員教授、関西学院大学、大阪公立大学非常勤講師/2014年「富塚の天井」(『新建築住宅特集』1305)で吉岡賞受賞/2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別表彰 /主な著書に『建築で思考し、都市でつくる / Feedback』(LIXIL出版、2017年)

橋本健史
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新建築住宅特集 2014年11月号
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「渥美の床」野縁を切断して敷き詰めている様子。/提供:403architecture [dajiba]

「渥美の床」完成の状態。/撮影:長谷川健太

「三展の格子」。/提供:撮影:長谷川健太

「浜松の展開図」曼荼羅の製作の作法を都市の展開図として読み込み、浜松のマテリアルを用いて曼荼羅を製作。/撮影:長谷川健太

オフィスの改修風景。フローリングと壁紙を採取している。(左、中)

採取した建材を曼荼羅のパーツに加工している。(右) /提供:403architecture [dajiba]

改修後の事務所。奥が高さを1,100mmに抑えた個室。/撮影:長谷川健太

打合せスペースの奥に個室。/撮影:長谷川健太

手芸教室兼住居「渥美の収納」。/撮影:長谷川健太

路面に移転した新たな事務所。/撮影:長谷川健太

fig. 9

fig. 1 (拡大)

fig. 2