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2022.12.21
Exhibition

建築映像における構造とショット

GDZ2022建築映像ワークショップレポート

瀬尾憲司(ガラージュ)

建築映像制作のワークショップとして開催された合同ゼミ「GDZ2022」について、瀬尾憲司さんにレポートいただきました。公開可能な出品作品と合わせて掲載します。(編)

2022年10月30日、8大学9研究室による合同ゼミ「GDZ2022」GDZは合同ゼミの略。本来はゼミの頭文字はSが正しいが、間違えてZが使われ、それが定着したとのこと。慶應義塾大学松川昌平研究室・東京大学川添善行研究室・東京藝術大学藤村龍至研究室・東京理科大学西田司研究室・東洋大学伊藤暁研究室・日本大学古澤大輔研究室・明治大学門脇耕三研究室・明治大学南後由和ゼミ・早稲田大学吉村靖孝研究室が参加した。が、明治大学中野キャンパスにて開催された。「映像レトリックを用いて、建築を表現せよ」という課題をもとに、7組の建築家による建築作品を撮影対象とし、A〜J班に分かれた学生たちが映像制作を行った。当日、講評会を兼ねて作品が上映された。建築映像の制作を教育の場で取り入れている事例は日本ではまだまだ少ないが、こうしたワークショップが開催される背景には、近年建築映像による作品のプレゼンテーションの機会が増えていることがあるのだろう。

課題文にある「レトリックを用いて」という言葉に従った結果か、出品作品の半数以上を構造主義映画のような映像が占めていた(A、B、D、G、H、I班の作品が該当する)。構造主義映画とは、ショット間の関係やフレーム内での要素の置き方などにある構造をつくり出し、それによって意味を伝えようとするものだショットはカットインからカットアウトまでの連続するひとつの映像素材を指す。。こうした映像の全体を重視した作品に対し、ショット単体の印象が目立つ作品もあった(C、F、J班の作品が該当する)。
今回出品された構造主義映画のような作品においては、構造が映像を支配するルールとして機能するものが多く、ショットはあくまで全体を構成するための一要素として扱われていた構造主義映画が必ずそのようにショットを扱うわけではない。たとえば、構造主義映画の代表的な作家のひとりであるジェームズ・ベニングの長編「11×14」(1977年)では映画を構成するすべてのショットが素材としてではなく、交換不可能な詩の言葉のように登場する。それらは撮影対象であるアメリカ中西部の風景への作者の愛着と悲哀を感じさせる。。構造と共に映像を捉えるのは、関係性を規定するルールに従って全体を構築する建築設計を学ぶ学生にとって、自然なことだったのかもしれない。
ただし、撮影現場においては構造に意識を向けすぎると、撮影対象を見る目を曇らせてしまうことにもなる。ショット単体の印象が目立った作品にも映像全体を統合するためのシステムは存在しているが、それらを成立させることに終始せず、現場での直感に身を預けたことで、人物の動きや環境音が(時にノイズにもなりながら)周辺環境や建築の雰囲気といった言語化できない情報を有機的に伝える映像となっていた。

構造が制作者の意図によって構築されるものであるのに対し、ショットは編集によって事後的に介入できない領域である。特別なショットには、コンテクストから切り離されても見るものを引きつけてやまない魅力がある。瞬間瞬間の興味が持続し、次のショットへとバトンが渡される。全体の理屈ではなく部分の理屈によって編集が行われ、部分から生まれた興味が最後まで持続して走り抜けていくような全体のつくり方も存在する。実際には、編集によって全体をコントロールしようと部分に介入する意志と単一のショットの主張が拮抗し、全体と部分が同時に作用し合う複合体として映像が現れる。学生たちによる映像作品を見返すと、構造とショットのせめぎあいにさまざまな塩梅があることを改めて実感した。fig.1



出品作品一覧

A班「WAKU」I班「境界」|「母の家」(RFA、『新建築住宅特集』2204)

B班「ニメン」D班「間を歩く」|「ニシイケバレイ」(須藤剛建築設計事務所、『新建築』2108)

C班「浅草アサクサ」|「茶室ニゴウ」(G architects studio、2022年)

F班「古澤邸」|「古澤邸」(リライト_D+日本大学理工学部古澤研究室、『新建築住宅特集』1905)

G班「Rooms」|「東京大学総合図書館」{東京大学キャンパス計画室(野城智也・川添善行)・同施設部(設計監修)、香山壽夫建築研究所(実施設計)、『新建築』2103}

H班「DANCing FLOOR」|「DANCE FLOOR」(アーキディヴィジョン、2022年)

J班「Mountain Rerreat in Nasu from insect’s angle」|「那須の山荘」(miya akiko architecture atelier、『新建築』9907)

瀬尾憲司

1991年高知県生まれ/建築映像作家・建築家/2017年に建築映像作家として独立/2020年~早稲田大学非常勤講師/2021年~合同会社ガラージュ代表/主な仕事に『Transition of Kikugetsutei』(監督・撮影、2015年) 、「菊竹清訓のこころと手の記憶」(展示内映像制作、島根県立美術館 、2021年)、「謳う建築」(展示内映像制作、寺田倉庫建築倉庫WHATミュージアム 、2020年)、「構造展 ─構造家のデザインと思考─」(展示内映像制作、寺田倉庫建築倉庫ミュージアム 2019年) など

瀬尾憲司
建築
映像

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GDZ2022の会場の様子。/提供:明治大学構法計画研究室

A班「WAKU」|「母の家」(RFA)/提供:GDZ2022

枠をテーマに、建築の開口部に正対したショットで構成された作品。カメラが存在するこちら側と開口部の向こう側が対比される。

I班「境界」|「母の家」(RFA)/提供:GDZ2022

人物やカメラが境界を横断するアクションを側面から撮影したことで、静的なA班の作品に対し、動的な質をもった作品になっている。

B班「ニメン」|「ニシイケバレイ」(須藤剛建築設計事務所)/提供:GDZ2022

スプリットスクリーンを採用し、建築がもつ住宅とカフェの二面性を表現した作品。スプリットスクリーンは一般的に、同時に起こるふたつの事柄を説明するために利用されるが、この作品では本来異なる時間にあるふたつの事柄を共存させている。

D班「間をあるく」|「ニシイケバレイ」(須藤剛建築設計事務所)/提供:GDZ2022

建築に複数の機能が共存することに着目し、境界をテーマとして制作された作品。抽象的な編集手法によって、ショットひとつひとつはそれ単体では意味をなさない状態へと解体されている。

C班「浅草アサクサ」|「茶室ニゴウ」(G architects studio)/提供:GDZ2022

浅草にある喫茶店を、観光客と地域住民のふたつの目線から描いた作品。周辺の喧騒や階段を登る音など、現場の音がそのまま使われていることにより、音楽を入れるよりも現場の環境が多く伝わってくる。撮影された内容のひとつひとつがとても素直で、ある意味感想文的な飾らなさがある。

F班「古澤邸」|「古澤邸」(リライト_D+日本大学理工学部古澤研究室)/提供:GDZ2022

映像を通して建築の全体をどう伝えるかということを、部分の集積として実現した作品。建築のさまざまなディテールを捉えたショットが積み重なることで、そうしたディテールが生み出される建築の全体のシステムを想像させる。

G班「Rooms」|「東京大学総合図書館」(東京大学キャンパス計画室・同施設部、香山壽夫建築研究所)/提供:GDZ2022

一定の時間の間で、部屋の壁からもう一方の壁へと移動する様子が描かれる。映る部屋は、小さな部屋から大きな部屋へと変わっていくが、ひとつの部屋を映す時間は一定のため、移動速度によって部屋の大きさが伝わる。移動を繰り返していくうち、このルールは崩壊していく。

H班「DANCing FLOOR」|「DANCE FLOOR」(アーキディヴィジョン)/提供:GDZ2022

すでに撮影された建築写真の構図に従ってカメラを配置し、ロングシャッターの様子を映像化している。建築写真と建築映像の違いは何なのか、映像はどこからが映像なのか、という制作者の問いを感じさせる。

J班「Mountain Rerreat in Nasu from insect's angle」|「那須の山荘」(miya akiko architecture atelier)/提供:GDZ2022

カメラを虫に見立てて撮影した作品。出演している人物ではなく、カメラが演技をしているといえる。自然の中で佇む建築だからこそ説得力をもつ手法だ。虫という、人間とは異なるルールを持ち込むことで、建築を再発見する楽しさがある。

fig. 10

fig. 1 (拡大)

fig. 2