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2022.01.31
Essay

不気味の谷の底へ

平野利樹(東京大学SEKISUI HOUSE - KUMA LAB特任講師)

表現は技術との関わりの中で変化し、新たな視覚言語が生まれてきた。たとえば、20世紀初頭に興ったイタリア未来派と、19世紀終わりにフランスの生理学者エティエンヌ=ジュール・マレー(1830〜1904年)が開発したクロノフォトグラフィfig.1。クロノフォトグラフィは駆ける馬や羽ばたく鳥などの運動を1枚に重ね合わせた写真技法であるが、現実をダイナミズムに満たされたものへとアップデートしようとした未来派の表現手法に影響を与えたfig.2。技術の限界や欠陥が新たな視覚言語に繋がることもある。カメラの露光時間中に被写体が大きく動いた際に発生するブレは、感光媒体やレンズの性能が被写体の速度に追いついていないという技術的な限界によって起こる現象であるが、このブレは、イタリア未来派と同時代の芸術運動であるフォトディナミズモによってダイナミズムを表現する手法としての立場を与えられた。

ポスト・フォトリアリズム

建築表現とデジタル技術との関係はこの数十年間で大きく建築における表現手法を変化させてきた原動力である。その中でも、建築の完成予想図として描かれるパースペクティブの領域におけるコンピュータ・グラフィックスの進化に注目したい。古くは1985年に開催された東京都新都庁舎指名設計競技の磯崎新アトリエ応募案(『新建築』8605)のパースなどで使われ始め、1990年代以降、コンピューターの計算能力の飛躍的な向上によって、より写実的な陰影や質感、解像度を描写できるようになった。そして2000年代中頃から、建築ビジュアライゼーションを専門とする事務所が台頭し、まるで実際に建設されたかのように見えるフォトリアリスティックなパースが量産されるようになった。現在、国際的な設計コンペに勝つためには、パース制作を専門事務所に発注することが必須条件であるかのようになっている。このような状況が生み出した問題を象徴する出来事として、MVRDVが設計し2021年に完成した「Marble Arch Hill」を巡る炎上が挙げられる。ロンドンのハイドパークの一角に期間限定で緑に覆われた人工の丘を計画したこのプロジェクトは、実現するや否や、プロジェクト発表時のパースと実物との差が物議を醸し、主催者が来場者へ入場料の払い戻しを行う結果となった。フォトリアリスティックなパースはあまりにも洗練され、遍在したために、高度にコード化され、実現する建築物はパースに描き出された建築がフィジカルなモノとしてそのまま現れたものであると捉えられてしまう状況が生まれている。しかし、より詳細な地図をつくることを追い求めた結果、地図自体が国土を覆う大きさになってしまったというホルヘ・ルイス・ボルヘスの寓話「学問の厳密さ」(『汚辱の世界史』所収、2012年、岩波文庫)が示すように、モノが持つ情報をそっくりそのままデータなどの別のあり方に変換することは不可能である。またアメリカの哲学者グレアム・ハーマンがオブジェクト指向存在論で主張するように、すべてのモノは膨大で無限の情報量を持つが、それは退隠していて外部からはアクセスできない。つまり、すべての表現とモノとの間には多かれ少なかれ情報の齟齬が存在し、それを無視することはできないといえる。「Marble Arch Hill」は極端なかたちでその問題が顕在化した例であると見ることができる余談になるが、拙稿「コラム:コンピューター・グラフィックスとインポッシブル・アーキテクチャー」(『インポッシブル・アーキテクチャー』所収、五十嵐太郎監修、2019年、平凡社)では、フォトリアリスティックなコンピュータ・グラフィックスが単なる虚構を生み出すものから現実そのものを生成するものへ変貌している状況を考察している。この場合「Marble Arch Hill」の炎上は、パースが生み出した現実と実現したものが持つ現実との摩擦が生み出したものとも解釈できる。

不気味の谷を降りる

「不気味の谷」という概念がある。ロボットの姿かたちを人間に似せる中で、その類似度が上がるにつれ、ロボットを見る人の好感度は上がるが、類似度がある点を超えると急に不気味であると感じ始め、好感度が急激に低下するという心理現象である。フォトリアリスティックなパースは、不気味の谷が存在しないかのように振る舞うが、ポスト・フォトリアリズム的状況においてはその存在に目を向け、あえてその谷底に降りていくことが必要ではないだろうか。そのような視点から現代のデジタル技術を見ると、そこかしこに谷底に繋がる穴があることに気がつく。たとえばフォトグラメトリは対象物体を撮影した大量の写真を繋ぎ合わせ、高精細な3Dモデルを生成するが、スキャン漏れによる穴や表面の反射によるグリッチといった誤変換が発生するfig.3。GAN(敵対的生成ネットワーク)は大量の画像を学習し、それらに似せた新しい画像を生成するが、そこはかとない不定形さが残る。今後技術の進歩によって、そういった限界は人間には認識できないレベルになるかもしれないが、冒頭に挙げたカメラのブレのように、そこに新たな視覚言語を見出すことが可能なはずである。
東京大学で私が指導する大学院設計スタジオは、2018年から人新世以降の建築の美学を考えるというテーマに取り組んでいる。この数年はSCI-Arc(南カルフォルニア建築大学)のデイヴィッド・ルイとティモシー・モートンによるスタジオと共通のテーマでジョイントしている。このスタジオでは新しい建築の美学を探究するにあたって、新たな表現のあり方をさまざまな技術や建築外の手法を取り込むことにより模索している。たとえば、東京大学ではフォトグラメトリやゲームエンジン、箱庭療法といった技術・手法にフォーカスしており、一方のSCI-Arcでは、東京大学同様のフォトグラメトリやゲームエンジンのほか、StyleGANやGPT-2といったAI技術にも積極的に取り組んでいる。ここでの取り組みは、それら技術のある種の濫用・誤用を通して、そこに存在する穴を見つけ出し、その中に降りていく実験であるといえる。東京大学でスタジオを受け、その後SCI-Arcでルイとモートンのスタジオに入った間崎紀稀がSCI-Arcで制作した「DOES AI DREAM OF LANDSCAPE?」(2021年)は、StyleGANに東京の都市の衛星写真、オモチャやゴミの画像を学習させ、生成した画像を元にゲームエンジン内でランドスケープを創造するというものであり、果敢に谷底に降りていくことで見い出せる新しい表現の可能性の一端を垣間見せてくれるようなプロジェクトであるfig.4
ポスト・フォトリアリズム的状況において、急速に多様化する建築表現の先には何があるのだろうか本論考で述べたポスト・フォトリアリズム的状況においてアナログ的な表現手法を探求する潮流も存在する。寺田慎平(ムトカ建築事務所)「『虚構の空間』を探す旅──SNS・デジタルコラージュをめぐる想像力」など参照。https://www.biz-lixil.com/column/urban_development/sh2_series_1_001/?まだ見えない谷底への降下は始まったばかりである。

平野利樹

1985年兵庫県生まれ/2009年京都大学建築学科卒業/2012年プリンストン大学建築学部修士課程修了/2012〜13年Reiser Umemoto RUR DPC/2015年TOSHIKI HIRANO DESIGN設立(2020年〜THD)/2016年東京大学大学院博士課程修了/現在、東京大学総括プロジェクト機構国際建築教育拠点講座SEKISUI HOUSE – KUMA LABディレクター、特任講師

平野利樹

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ジャコモ・バッラ「鎖に繋がれた犬のダイナミズム」(1912年)

2021年に開催されたロンドンデザインビエンナーレの日本展示として筆者が制作した「Reinventing Texture」のために、筆者とロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学生がフォトグラメトリでスキャンしたオブジェクト。作品の詳細はこちら。/提供:平野利樹

間崎紀稀 「DOES AI DREAM OF LANDSCAPE?」(2021年)/提供:間崎紀稀(SCI-Arc MS Synthetic Landscapes)

fig. 4

fig. 1 (拡大)

fig. 2