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2022.06.30
Essay

都市はカワイクなれるか

カワイイ建築パラダイム④

真壁智治(エム・ティー・ビジョンズ)

*本記事は『新建築』2008年4月号に掲載されたものです。

東京で大規模再開発事ビッグネス業が相次いだ。規制緩和による市場原理の旗の基に民間主導で行われた開発で、強引さが随所に見え隠れする。しかし、ビッグネスについて建築家からの発言があまり聞かれないのは不思議だ。私たちは都市論をサボリすぎてきたようだ。
今から20年以上前の1985年、私は原宿・表参道の「ストリート・ノーテーション」を行った。通りを構成するものをチャンネルに分け、それらの因子をリニアにノーテーシ表記ョンしていくもので、街路樹、植え込みから看板、建物のファサード、外装材までを子細に記譜した。作業の真意は、チャンネルごとにコード化されたノーテーションをサウンドに変換して、原宿表参道の固有性を音として検証してみようというものだった(この時の前提としてあったのは表参道が生み出す気持ちよさと自由さだった。ブライアン・イーノ「ミュージック・フォー・エアポート」のようなサウンドによる都市の表出のイメージが私の中にあった)。先日、その折の「ストリート・ノーテーション」を頭にたたき入れて、あらためて歩いてみた。すっかり、様相が変わってしまった。当時のノーテーションと今とが重なり、具体的にディテールとして差異がリアルに分かる。いちばん大きな変化は、通りから生きられた時間を感じさせるものがなくなってしまったことだ。歩いていても身体に触れてくる時間の厚みが感じられない。そして、通りを往来する人びとの動きも一律で均質化していることにも驚く。さらに輪をかけて、通りから近隣の人びとの生活感も消失していた。生活の息吹がまったく感じられない。それまでは原宿・表参道は人びとの生活の場の延長であったのだ。ヒューマンスケールが実感されるモチーフも極度に少なくなった。さらに、通りに対して直角方向の風景に奥行感がなくなってしまった。
原宿・表参道の20数年の経違の間に、通りからは時間、多彩なアクティビティ、生活感、ヒューマンスケール感、奥行感が喪失されてしまったのだった。通りを構成するデザインコードが変わったと言ってしまえばそれまでだが、失われたそれらのものから「カワイイ」が醸成されることを思えば、原宿・表参道からカワイイが失せていったのもうなずけるだろう。
カワイイ効果を生み出す都市(=場所)をカワイイ都市と呼んでみる。カワイイ効果が実感される場所がどんどん消失してきているように感じる。カワイイ都市を生んでいく上では、都市のカワイイ資源リソーセスを見付け出し、それを活用する発想が有効になってくるだろう。そのためにも、都市の創意に富むカワイイ資源サーベイが欠かすことができない作業となってくる。そうした例証として、都市の隙間を徹底的に検証し、その資源としての可能性をスタディしている横浜国立大学北山恒研究室、都市の生きられた極小な建築を採集し、そのデザインコードをスタディした東京工業大学塚本由晴研究室、アートを切り口に建築的可能性をインスタレーションし、カワイイ地域のスタディをした東京藝術大学六角鬼丈研究室・片山和俊研究室。今、こうした大学研究室の都市への眼差しが、圧倒的スケールで都市の風景を不連続に、瞬時に組み替えていくビッグネスに対する、ささやかではあるが新しい実践的なカワイイ都市論として胎動してきていることを見落としてはならない。

(初出:『新建築』0804)

真壁智治

1943年生まれ、静岡県育ち/1969年武蔵野美術大学建築学科卒業/1972年東京藝術大学大学院建築専攻修了/同大学建築科助手を経てプロジェクトプランニングオフィス「エム・ティー・ビジョンズ」主宰。都市、建築、住宅分野のプロジェクトプランニングに取り組む/2006年建築家と取り組む「くうねるところにすむところ」シリーズで第2回武蔵野美術大学建築学科「芦原義信賞」受賞/2021年日本建築学会文化賞受賞/主な著書に「アーバンフロッタージュ」(住まいの図書館、1996年)、「カワイイパラダイムデザイン研究」(平凡社、2009年)、「臨場 渋谷再開発工事現場」(平凡社、2020年)など

    真壁智治
    カワイイ建築パラダイム
    新建築

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    新建築 2008年4月号
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    「都市はカワイクなれるか──カワイイ建築パラダイム④」/『新建築』2008年4月号掲載誌面

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