2005年より、私は共立女子大学家政学部建築・デザイン学科の建築コースの学生たちと「カワイイ感性価値」の演習を進めてきた。身の回りのデザインされたものから都市空間まで、カワイイという切り口から読み取ってみようというものだった。学生が積極的に自分たちの感性として取り組めたのも、カワイイが女子学生の日々の行動や思考、創造的な発想と深く関わりを持っているからに他ならなかった。対象物からカワイイという情動が発生する種々のレベルを「カワイイプロフィール」として探っていき、繰り返し消費されていく背景にあるカワイイが人にもたらす「カワイイ効果」を明らかにしようとした。直感として捉えられるカワイイを、さらに構造的に把握してみる試みも展開している。
その一方で、パッケージや小さな車(軽自動車)をカワイイプロダクトとしてそのカワイさを検証している。その作業を通して見えてきたことは、カワイイはモダンデザインとはだいぶ様子が違うというものだった。まず第一に、カワイイと感じるデザインは完成された形態から派生するものではなく、どこか不完全で、どこか不揃いな形態から生まれてくるというものだった。第二には、形態の具体的なディテールではなく、フォルムを形態感覚として直感的に受け止めて、カワイイか否かをデザインに対して瞬時に判断する。つまり、「ホワホワしていてナゴミ感がある」などの形態感覚からカワイイと判断される。
建築にあっては、「カワイイ」と称される対象とはどのようなものであったか? 何よりも、親しみが持て、安心感を抱くことができることがカワイイ対象の第一条件であった。権威的なもの、横柄なもの、暴力的なものは、カワイくない。カワイイ建築には前衛も後衛もない。恐らく、母性感覚から派生すると考えられる、愛しみたくなる生命感覚を誘発する建築がカワイイ対象となるようなのだ。カワイイ建築の主な形態的特徴を挙げてみると次のようなものだった。
・「スモール・スケール・センス」 小さいこと。たとえ大きな規模でも小さなボリュームに分節する、小さく感じられるものがカワイイ。「金沢21世紀美術館」(設計:妹島和世+西沢立衛 SANAA/『新建築』0411)など。
・「へんてこりん」 カタチのアンバランスさはマヌケなカワイさに繋がる。「高過庵」(設計:藤森照信/『新建築』0409)など。
・「ポコポコ感覚」 建築の要素がバラバラに組み合わさったものがカワイイ。「森山邸」(設計:西沢立衛建築設計事務所/『新建築』0602)など。
・「アンチモジュール」 規準寸法からはみ出す自在さを持つ建築がカワイイ。「MIKIMOTO Ginza 2」(設計:伊東豊雄建築設計事務所/『新建築』0601)など。
これらからも「ビッグネス」がカワイクナイのがよく分かる。そして、生命の始原性が感じられる建築に対して「カワイイ」と発することが最大批評になるとしたら、それは「カワイイ」が「カワイクナイ建築」への抑止力になることではなかろうか。カワイイを通してこそ、カワイクナイものが自明になるのである。私たちはカワイイ建築とカワイクナイ建築とを峻別しなくてはならないし、カワイイが本能的(オルタナティブ)な批判を含んでいることを見落としてはならない。
(初出:『新建築』0710)