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2022.02.24
Interview

都市と農村の壁を崩す

移住者から広がるネットワーク型コミュニティ

林良樹(いのちの彫刻家)×福岡達也(パーマカルチャリスト) ×塚本由晴(アトリエ・ワン)

新型コロナウイルスの影響もあり、近代以降の暮らしのあり方、働き方を考え直す動きはいっそう加速しています。状況から強いられるように始まった変化は、コロナ終息後も止まることはなさそうです。その中で、生活の基盤を都心ではなく、地方に求める人びとが増えています。それは単に自然だけではなく、緩やかに人と繋がるコミュニティを含めた環境を求めているからではないでしょうか。 今回、千葉県鴨川市の釜沼集落・平塚集落に拠点をもち、農業に関わりながらそれぞれが思い描く暮らしを実践しようとする人びとと、そこから広がるコミュニティによってつくられる移住者の住まいを取材しました。ここで起きていることは、縮小する労働人口や気候変動など迫りくる危機に向き合って住まいや生活について考えるうえで、手がかりになると思います。自らの手で暮らしをかたちづくる人びとを通して、これからの社会の可能性を考えたいと思います。(新建築住宅特集編集部) *本記事は『新建築住宅特集』2021年6月号に掲載されたものです。

今回の企画にあたり

塚本 『新建築住宅特集』の座談月評を担当していた昨年1年間に、都市部から地方への移住者が建築家と共につくり上げた住宅がいくつか掲載されました。野菜を育て、森から薪や炭をつくり、家もできるだけ自分たちで、というように、暮らしを自らの手でつくろうとする姿は迫力があり、月評でもよく話題になりました。苦労も多いでしょうが、転じて楽しさになるような肯定感や、時間をかけた建設のプロセス自体が暮らしをかたちづくっていく住まいのあり方に、強い共感を覚えました。そうした住まいの幸せな雰囲気は、決して声高に何かを主張するものではありませんが、現代の建築とそれを支える産業や経済の仕組みに対する、シャープな批評になっていると私には思えました。住宅の空間を変えることは建築設計だけである程度できますが、今問題になっているのは、生きるために必要な事物の連関に働きかけて暮らしを変えることであり、それは住まい手が主体的にならなければできません。これまで、建築家による住宅作品には、社会や文明に対する批評と提案が込められてきました。それがある時には建築家の創造性を駆動させ、結果的に見えなかった障壁を浮き上がらせてきました。しかし近年は、住まい手に建築家が引っ張ってもらうケースが増えているのではないか。なぜなら建築家は職業的に産業側に属してしまっているので、どうしても動きが鈍いからです。そうしたオルタナティブな暮らしの当事者が主体的に関わって建てたものを、今までの作品発表の枠組みで紹介することには限界もある。
かくいう私も2019年の秋以来、千葉県鴨川市の釜沼集落において、そこにお住まいの林良樹さんや福岡達也さんたちと共に里山再生に取り組んでいます。棚田での米づくり、耕作放棄地の再開墾から、茅場の再生、古民家改修、古材のサルベージ(救出)、そして「森のようちえん」のための山の整備、地域資源を利用したクラブ活動、資源的人会議まで、その活動は多岐にわたりますが、全部繋がっています。一緒に関わっている東京工業大学の研究室の学生たちの研究も、その経験に触発されたテーマが増えましたし、私自身、集落の方や、南房総に移住してきた方がたとの交流の中で、いろいろと気づくことが多いです。
まず、ここでのコミュニティと建築の計画の側から考えるコミュニティがだいぶ異なること。そこがずれていると話が噛み合わない。次に、もし現代にヴァナキュラー建築があるとしたら、移住者たちがコミュニティのネットワークでつくり上げるものではないかということ。今日同席してくれている平尾しえなさん(塚本研究室)に、「移住者ヴァナキュラー建築」として研究中の事例を、続けて紹介してもらいます平尾しえなによる訪問記は『新建築住宅特集』(2106)p.12-17掲載。。さらに、都市生活では想像しにくかった資本主義的なシステムを相対化できる暮らしがあり得そうだということ。今回、こうした気づきについて、林さん福岡さんと話し合う機会をいただきました。住宅特集の読者の方がたと共有できるよう、意見交換したいと思います。

都市の人も巻き込んだネットワーク型コミュニティ

 鴨川市の釜沼集落の背景からお話しましょう。ここは鴨川市の山間部にある25世帯の小さな集落です。高齢化が進み、棚田や里山の維持管理が厳しい状況ですが、日本の原風景が残る美しい土地です。海もあり山もある鴨川の豊かな自然環境に魅せられて、1980年代から移住者が増えてきました。移住者にも歴史があって、遡ると大きく3つの世代に分けられています。第1世代は1960年代に学生運動に参加していた社会活動家やヒッピー世代の人たちです。パワフルで、強い思想と主張をもっていて、都心で「生活クラブ」1965年に東京で岩根邦雄氏を中心に若者が始めた、牛乳の共同購入運動。1968年に生活クラブ生協へと発展。全国に波及し、現在組合員は約40万人。
や「大地を守る会」cl化学肥料や農薬を用いる農業が主流となり、環境汚染や残留農薬問題が社会問題となる中、有機農産物を消費者に届けるシステムとして藤田和芳氏が1975年に発足した。
を立ち上げたのもその世代です。一方、移住を選んだ第1世代は少数派でしたが、故・藤本敏夫さん(鴨川自然王国)、故・田畑健さん(鴨川和綿農園)、鶴田静さん(作家・ベジタリアン料理研究家)など、有機農家やアーティストとして農的生活のパイオニアとなりました。その後、2000年代に団塊ジュニアの子育て世代が入ってきた。 僕もそのひとりですが、1995年に東京にいた若者たちです。1995年は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きて、また食糧管理法が廃止されました。米がとうとう自由経済に投げ出された。さらに派遣労働も始まって雇用形態も不安定になるという、大きな社会の変化がありました。そうして居心地が悪くなっていく社会にいた若者たちが、農村に目を向けた。30代になって子育て世代となり、東京で稼いで頑張るんだという人と、子供が生まれたからこそ本当に自分が大切だと思う生き方をしようと移住を選ぶ人と二極化したんです。また1995年は塩見直紀さんが「半農半X」という言葉を生み出した年でもあります。この言葉は移住を考える人たちに響きました。専業農家になるつもりはないけど、自然と一緒に生きたい。現金も稼ぎながら、自分たちのXを探そう、という提案です。じわじわとムーブメントとなり、移住者が農村にぽつぽつと着地し始めた。これが第2世代ですね。鴨川は強烈な第1世代が入っていたので、農村の人も移住者には何となく慣れていました(笑)。
福岡 僕は第3世代にあたります。第3世代はとにかく楽観的な仲間が多い。コロナや台風といったことがきっかけになっている人もいますが、そうした大きな動きよりも、身近な幸せの感度を高めようとしている人が多いように思います。僕は結婚して子供ができたタイミングで移住を決めました。このまま企業に勤めるのか、自分たちの望む暮らしを選ぶのかと迫られる時に、妻が果樹に囲まれた暮らしがしたいといい出したんです。もともとパーマカルチャーにも興味があって、仕事としての農業ではなく、生活の延長にある農に関心がありました。自分で栽培したものを自分で調理して食べる。自給自足を目指しているわけではありませんが、できることが増えること自体に喜びを覚えます。ここへ移住するきっかけは、1度イベントでお会いしていた林さんを思い出して、訪ねてみようと思ったのです。結局会えなかったのですが、目の前にものすごく美しい天水棚田fig.1を見つけた時は衝撃で、夫婦で「これはすごい」と。何だか分からない小さな小屋(棚田オフィス)も建っている(笑)。すごく綺麗で、食べ物も豊かで、住みたいと思ったのです。
 2002年に地域通貨の「あわマネー」を始めたのですが、当初はインターネットも普及していなかったので、口コミでゆっくり広まっていきました。コインも紙幣もなく、「awa」という通帳上の単位で皆で取引きする。今では300人規模にまで膨らみましたが、そこが現在のコミュニティの土壌となっています。緩やかに皆が繋がる中に、いつの間にか「コミュニティカフェ」や「手づくり醤油の会」のような新しいネットワークがふわっと生まれてきます。僕らはそれを「ネットワーク型コミュニティ」と呼んでいますが、そこにはリーダーもいないし、強い思想や決まりもありません。あえていうなら、豊かさの価値を共有しているということでしょうか。
塚本 半農半Xの移住者やこの地域に通ってきている人びとが関わる新しい里山のコミュニティは、たとえば集合住宅の設計において議論されてきたコミュニティと違いますね。建物の完成後に計画地域内に住むであろう、属性の分からない人びとの間に、人間らしい関係性や集団としての絆を育くむことを、空間で達成しようとするわけですから、概念として先行するコミュニティを、物象化し、象徴することが建築に求められることになる。空間次第で人と人が仲良くなるかのような想定には無理があります。でも、人と人の間に媒介する何かがあると話は違います。人手不足で劣化が始まっているとはいえ、里山にはアクセスしやすい自然資源や、それを活用するためのスキルの蓄積があり、それを媒介に人と人が繋がっていきます。熟練した技術をもっている人は仲間にそれを教え、知らない人はワークショップに参加して教えてもらい、技術を覚えたらワークショップを主催して人を集めて教える、という具合にいろいろな関わりしろがあリます。背景や得意分野が異なる人びとは、不揃いででこぼこしていますが、合わさると補い合って強い。誰かが号令を下すでもなく、緩やかな関係性を保っていて、機会があればさっとまとまることもある。逆にコントロールしようとすると、うまくいかない。そういうネットワークにまずは加わることで、移住の足掛かりになっていくんですよね。
福岡 コントロールをしない、する気があまりないというのはこのコミュニティの特徴だと思います。先ほど林さんがリーダーがいないといいましたが、それでも林さんの存在は大きいと僕は思います。少し変な言い方ですが、地球の声を聴く受信機のような役割が林さんなのではないでしょうか。僕らはその声に共感して、動きたいと思う時に動く。そうした集団がこのコミュニティなんだと思います。
 こういうコミュニティは災害時にも力を発揮します。東日本大震災の時も、いち早く市長に掛け合って廃校となった小学校に避難所をつくって、東北に呼びかけました。自分たちの安全保障にもなっています。
塚本 これからも災害は尽きないでしょうから、農村と都市が助け合う関係性は大切です。釜沼では早くから「棚田オーナー制度」による都市農村交流を始めましたね。
 そうですね。「棚田オーナー制度」は、高齢化で維持管理ができなくなった棚田を都市住民にオーナーとなってもらい、参加型で棚田を保全する活動です。棚田オーナーは田植えから稲刈りまで都市住民が毎月通って稲作を行いfig.2、収穫したお米をシェアします。この活動を通して地元住民、新住民、都市住民が緩やかに繋がり、「現代の結」が生まれました。
塚本 田植えや稲刈りはイベント化しやすく、都市農村交流のきっかけとしてはよく機能していると思います。でも私と学生たちは、冬場の草刈り、耕作放棄地の再開墾、獣害対策の電柵周りの伐採など、里山の環境整備にも関わらせてもらって、大変だけど里山の中で働く爽快感や、やり遂げた時の達成感を味わいました。環境が整うことで、体も心も整う感じがします。こういう里山の環境整備の仕事は、ある種のシャドウワークで、都会からはまったく見えませんが、たくさん種類があります。百姓とはよくいったもので、そういう意味なんですよね。朝夕の1時間ぐらい、あるいは雨あがりの直後に行うので「ちょこっと」であり、里山に住んでいないとできない。でもそれを毎日のように続けることで、里山の知性あふれる環境が維持されてきました。しかし担い手不足は深刻で、知性の継承も危ういです。だからまずはその見える化を行おうと、研究室ではそうした日常の作業を「ちょこっと仕事」fig.3fig.4fig.5と名付けて、図鑑とカレンダーを作成しました。次のステップとして、週末に東京からふらっと参加できる仕組みをウェブサイトでつくり、農村と都市の人が一緒に作業する機会を増やしたいです。その先に、都市と農村が繋がった新しい社会像が見えてくると思います。
 釜沼北集落には現在25世帯住んでいますが、8割以上は70歳以上の高齢者です。そうすると20、30年後には住民がかなり入れ替わっていて、従来の村人と移住者という境界もなくなるでしょう。そこには、2拠点居住者や海外から来る人もいて、それぞれの暮らしが混在しながら成立している。そうしたコミュニティのあり方こそ、デザインだと考えています。消費者と生産者の壁や、都会人と田舎の人の壁、建築家と住む人の壁を取り壊して、すべてが緩やかに繋がる新しい文化、新しい言葉をこの村でつくっていきたいと思います。

移住者ヴァナキュラー建築──半農半Xという暮らし方

塚本 半農半Xの移住者の方がたは、食事やエネルギー、住まいへの意識が高い。食に興味のある人は、料理研究、カフェ、無農薬野菜栽培を行い、エネルギーに感心がある人は、薪割、炭焼、太陽光発電などエネルギーの自給自足に近づこうとし、自分で家を建てたい人は、大工さんや左官職人に教わりながら建設に参加します。これらは皆繋がっていて、食べものを考えると、育てるものが変わり、風景が変わっていく。消費者ではなく生活者、お客さんではなく暮らしの当事者になれるネットワーク型コミュニティがあれば、あまり住宅産業に依存ぜずに家だってつくることができる。私たちはそういう暮らしの全体を含めて「移住者ヴァナキュラー建築」と呼んでいます。必要なだけ資本主義のシステムで現金を稼いだら、残りの時間は自分の身の回りを豊かにすることに使う半農半Xの暮らしは、マルチ・スピーシーズ・エスノグラファーのアナ・チンが『マツタケ 不確定な時代を生きる術』(2019年、みすず書房)の中で論じた「資本主義の縁」を歩くようだと話しています。つまり「資本主義の縁」に「移住者ヴァナキュラー建築」が現れるのです。
福岡 移住者の仕事のスタイルはさまざまです。リモートで都会の仕事を続ける人もいますし、地元で仕事を見つける人もいます。僕は以前はまちづくり系のイベントを仕事にしていました。今でも「小さな地球」(後述)でイベントをたくさん行うので、スキルは活かされていると思いますが、現金収入のある仕事ではありません。収入は、映像制作の仕事をリモートで受けて得ています。できるだけ手に職をつけて、場所に縛られずに働けるように準備してきました。また、週の半分は主夫でもあります。妻の活動──月は養蜂教室で学び、火水は地元のサッカークラブで教え(元プロ選手)、木金で農家を手伝い、土日は「小さな地球」のサポート(おいしい食事!など)──を応援しながら、ふたりでバランスを取って仕事を受けています。ほかにも、集落の仕事や一般社団法人の非営利な活動、裏の果樹園の整備、自宅の改修なんかもやりがいのある仕事です。
縁があって古民家「けいじ」を改修して住んでいますが、移住してくる前は、子育て世代が入居するシェアハウスに住んでいたんです。そこでは子供がわめいたり走り回っていて、夫婦喧嘩なんかも聞こえてきます。他人にプライバシーを知られてしまうのは恥ずかしい気持ちもありますが、だからこそ悩みを共有し、救われたことも多くありました。子供にとってもいろいろな意見をもつ大人と接する中で育ち、道を開いていくことはとても大切なことだと思います。暮らしを家族という単位に押し留めずに、開いていきたい。
そういう想いもあり、「けいじ」の近くにタイニーハウスを建てて、長期で仲間が滞在できるようにしたいと考えています。滞在者は村の雰囲気や状況が分かるし、自分たちもいろんな人が出入りする環境の中で生活することができます。
肝心の妻が求めていた果樹は、すでに植わっていました(笑)。先代が管理していた200本の夏みかんの木を僕らが引き継いで、夏みかん以外の果樹や野菜づくりも試しながら、食べ物が豊かに溢れ出るような生活の場をつくっていきたいと考えています。
 ここでの暮らしと住まいは、農、自然環境、子育て、家族、コミュニティ、人生、社会、地球……それらが繋がり、まるで味噌や醤油のように時間をかけて発酵していきます。発酵が進むとゆっくりと変化し、だんだん自分の味になり、そのうち住まいや風景に自分が投影され、暮らしの環境と自己が一体化していくのです。この感覚は、自分が生命の一部であることを実感し、本当に生きているリアリティを得ることができます。

「小さな地球」プロジェクト

塚本 私が釜沼に関わるようになったきっかけは、2016年に「HOUSE VISION」展で無印良品と「棚田オフィス」(『新建築住宅特集』1609『新建築』1609fig.6を計画したことでした。林さんの棚田の脇に移築する前提で、晴耕雨読よろしく野良仕事とリモートワークを組み合わせた暮らしを表現した小屋です。それ以来通うようになり、海外大学のデザインスタジオの学生たちを農業体験に連れてきたこともありました。2019年には棚田オーナーになり、秋の収穫を祝った翌日、台風15号が房総半島を直撃し、林さんの古民家「ゆうぎつか」fig.7の屋根板金も吹き飛んで「缶詰」になっていた茅葺きが露わになりました。でも林さんは家の裏山から壊れた屋根の写真を「美しいです!」とFacebookに上げたのでした。私も思わず「茅葺きに戻しましょう!」と書き込んでしまいました。
 屋根は吹き飛び、ガラスも割れて中はぐちゃぐちゃになってしまいましたが、突然現れた茅葺き屋根の美しさに魅了されてしまいました(笑)。それで、茅葺きを元に戻すことに決めたんです。
塚本 私は研究室で全面的に協力すると約束し、11月から耕作放棄地を再開墾して、茅場をつくる作業を始めました。そうこうするうちに大正時代に村長をつとめた方が建てた古民家「下さん」が、周囲の棚田、裏山、畑ごと売りに出されました。集落の中心にあり、都市農村交流の拠点としてうってつけです。そこで、林さんのこれまでの活動に共感する方がたからの出資を募って共同購入にこぎつけましたfig.8。こうして活動は茅葺き屋根の再生にとどまらず、里山集落の再生プロジェクトになり、古民家「下さん」を運営するために「一般社団法人小さな地球」が設立されました。
 一般社団法人にすれば、われわれがいなくなった途端に、壊されて売りに出されるようなことはありません。自分の遺書のようなものとして残したいと考えました。資本主義システムの一般的な不動産のマーケットにのっていると、効率が悪ければ壊されてしまう。そのルートから外れるためにも、一般社団法人で共同で所有するのはよい方法です。
塚本 「下さん」では、土間をコミュニティキッチンに、母屋を里山道場やゲストハウスに、別棟の牛小屋を食品加工の工房に改修する予定です。先日、第1フェーズとしてコミュニティキッチンがオープンしましたfig.9。毎月新月の日に開かれるオーガニック・マーケット&カフェ「awanova」が最初のイベントになりましたfig.10fig.11。ここ数カ月は毎週末、研究室の学生を中心にいろいろな人が作業に参加しています。まずは実測により大体の図面を起こし、改修の方針を決めます。次に状態のよくない部分を壊すのですが、使える材料をサルベージするために丁寧に解体していきましたfig.12。壊していくといろいろな発見があり、改修のアイデアが湧いてきて、床を外そう、天井を落とそうと、壊す場所も増え、その都度図面を描き変えていきましたfig.13。解体が終わると、近くに住む若い土壁職人の方を講師に招いて、土と藁を混ぜて発酵させるところから始めましたfig.14。土は茅場再生のために耕作放棄された棚田に排水用の溝を掘った際に出た土で、竹小舞は裏山の竹林から調達しました。同時に大工さんを講師に招き、竹小舞受けの土台をサルベージした古材への入れ替え、床のやり直し、板金屋根の葺き替え、建具の枠の調整などを行い、道具の使い方、手入れの仕方、歪んだ建物との付き合い方を教えてもらいました。土間はコンクリートを打つことにしたので土を梳き取り「土中環境」改善(後述)のために竹杭を打ち込み、炭と藁を入れました。キッチンには木工家具職人の協力のもと、「ゆうぎつか」と「下さん」にあった古材の母屋束を束ねて、幅1m、長さ4.5mほどの分厚いマツのカウンターをつくりましたfig.15fig.16。獣害対策の電柵設置工事に伴い山の木を伐採しましたが、スギの木は皮を剥いで、増築する風呂の外壁にします。このように、集落内にあるもの、解体された古民家からサルベージしてきたものを、細かく分類して再資源化しているので、いわゆる建設ゴミが出ません。学生たちは毎週末、解体、設計、各種工事を行い、時には農作業や山林整備に参加し、皆で料理し食事しながらいろいろな人と語らうことを繰り返しました。やりたいことがどんどん出てくるのですが、「こうしたらできる」という勘もスキルも付いてきていますから、可能性原理で生きられるようになっていきます。制約が多い都会の暮らしが、不可能性が先に立ってしまいがちなのとは対照的です。
 千年かけて先人たちが森を拓き、つくり上げた棚田という環境は、やろうと思えばできるのだというメッセージでもありますね。そういう地盤がここにはあります。それと、今、というタイミングもあるんです。集落は過疎で疲弊してしまっているし、僕も20年の時間をかけて地域の信頼をゆっくりと得てきました。ですから今、こうした活動ができるのだと思います。

資源的人会議

塚本 「小さな地球」の大事な活動に、「資源的人会議」があります。里山を再生するには多様な知識とスキルが必要で、自分たちだけでは分からないことだらけなので、その道の達人に実際に釜沼で講演してもらい、意見交換をするのです。「資源的人」は「人的資源」のひっくり返しで、産業にサービスを提供してもらうばかりの人ではなく、身の回りの環境から自分でエネルギーや食を取り出せる人のことです。これまでの建築、都市、社会は人的資源向けにデザインされ、人びとは産業サービスへの依存を深めて行ったのならば、これからは資源的人向けにデザインしていけばいい。それを実践するのに、釜沼の里山は絶好のフィールドです。
地球環境問題に対して、産業が解決策を提示するのは大切なことです。でもなんとなく「あなたたちはどうせ変われないでしょうから産業に任せなさい」という想定が見え隠れしてしまう。資源的人はそういう想定に抗うのです。移住者たちは、暮らしを変え、環境に働きかけ、そして自分を変えている。だから説得力がある。
 ひとりひとりがここで成長できる喜びを味わえますね。
福岡 これまで「資源的人会議」は、食や教育fig.17、茅葺きに獣害fig.18、土木と、分野を横断して開催してきました。その都度新しいアイデアが生まれ、すぐに実践に移します。たとえば、第6回の高田造園の高田宏臣さんをお呼びした「土中環境」をテーマにした会fig.19では、古民家の周りの水脈や樹木の役割、コンクリートの下で起きている空気の流れや菌糸の役割についての視点をいただきました。早速次の日には、土中環境をよくするために、家の周りや、コンクリート土間の下地に縦穴を開けて炭と藁を撒く作業がスタートしていました。また、別の会では酪農をテーマに農学博士の日暮晃一先生をお呼びしましたfig.20。この土地が江戸時代には千葉県房総半島南部の鴨川市と南房総市にまたがる山系周辺につくられた牧場(嶺岡牧)の一部だったことを知り、牧場の再生プロジェクトも動き出しました。こうした延長に、新しいヴァナキュラー建築があることは直感できます。
塚本 里山の事物連関を学び直す機会にもなっていますね。
都市と農村の壁は、意外にも「自分は都市の人間だ」みたいな自画像にあると思います。サービスを金で買う「都市の人間」つまり人的資源としての人間は、都市を満たす施設型によって培養された人間であり、身の回りの環境を構成する事物連関から解放された20世紀的な空間の住人でもある。でも産業社会的連関に深く組み込まれているだけなのです。その連関での暮らしは、都市と農村の概念的区別にフィードバックされ、概念的区別が両者の壁を再生産し補強してきました。でも実際のところ都市と農村は互恵関係にあって、切れるものではない。農業も、建築も、深く産業に組み込まれているからこそ、その連携を通して暮らしを支える事物連関に働きかけるデザインに、希望がもてるのです。ここでの里山再生や都市農村交流の活動は、文明も都市も資本主義も否定するわけではなく、その方向性を拡大・成長を前提とする空間型から「成長なき繁栄」を前提とする連関型に変えようとしています。ゆっくりなので、革命という言葉は当てはまらないけど、後から見ればそれに匹敵するような、大きな変化の孵化過程になると確信しています。fig.21

(2021年4月12日、「ゆうぎつか」にて。文責:新建築住宅特集編集部/初出:『新建築住宅特集』2106)

林良樹

いのちの彫刻家/一般社団法人小さな地球代表理事/NPO法人うず理事長/1999年から千葉県鴨川市の里山に暮らし、「美しい村が美しい地球を創る」をテーマに、釜沼北棚田オーナー制度、無印良品鴨川里山トラスト、天水棚田でつくる自然酒の会、釜沼木炭生産組合、地域通貨あわマネー、小さな地球プロジェクトなど主宰/その活動は、農、食、教育、文化、芸術、心身の健康、自然エネルギー、エコビレッジと幅広く、そのすべてが「いのちの彫刻」となり「持続可能な社会づくり」へと繋がる

    福岡達也

    1989年神奈川県生まれ/東京都市大学(旧武蔵工業大学)環境情報学部卒業/現在、一般社団法人小さな地球副理事/コミュニティデザイナーとして新築マンション入居者の繋がりづくりのきっかけを提供する活動の後、飲食・宿泊業の店舗マネージャーを経験/2020年横浜のシェアハウスから千葉県鴨川市の築100年の古民家へ移住。パーマカルチャー、半農半Xの生活をスタートする/同年12月に林良樹、塚本由晴らと一般社団法人小さな地球を立ち上げる/動画クリエーターとしても活動

      塚本由晴

      1965年神奈川県生まれ/1987年東京工業大学工学部建築学科卒業/1987〜88年パリ・ベルビル建築大学/1992年貝島桃代とアトリエ・ワン共同設立/1994年東京工業大学大学院博士課程修了/2003、2007、2015年ハーバード大学大学院客員教授/2007〜08年UCLA客員准教授/2011年The Royal Danish Academy of Fine Arts客員教授、Barcelona Institute of Architecture客員教授/2013年コーネル大学visiting critic/2015年デルフト工科大学客員教授/2017年コロンビア大学客員教授/現在、東京工業大学大学院教授/2021年ウルフ賞受賞

      林良樹
      福岡達也
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      釜沼北集落を含む大山地区には天水棚田の風景が広がっている。/提供:一般社団法人小さな地球

      棚田オーナー制度の田植えの様子。参加者は1列に並び、手で苗を植えていく。夏には草刈りをし、秋には稲刈と収穫祭を行う。/提供:東京工業大学塚本研究室

      「ちょこっと仕事」の様子。炭焼きはもともと集落の裏山に点在する窯で行われていた。長老たちからその方法を教わり、窯をつくり、今では周辺の移住者の有志が集まって冬の間に行われる。/提供:東京工業大学塚本研究室

      「ちょこっと仕事」の様子。休耕田を茅場として再生するため、水捌けを改善する排水溝を法尻に掘り、出た土を「下さん」の土壁に利用。/提供:東京工業大学塚本研究室

      「ちょこっと仕事」の様子。水路が詰まってないか、壊れてないかを見て回り、清掃する。/提供:東京工業大学塚本研究室

      「棚田オフィス」。農作業時の休憩所として、イベント時にはギャラリーとして利用される。/提供:東京工業大学塚本研究室

      尾根沿いの道の終点にある茅葺屋根が古民家「ゆうぎつか」。/提供:一般社団法人小さな地球

      古民家「下さん」のオープニングの様子。「あわマネー」のネットワークをベースに、毎月新月の日中に開催されるコミュニティマーケット「awanova」に合わせて、釜沼北集落の古民家「じいだ」に拠点をもつ和太鼓グループ「TAWOO」がパフォーマンス。/提供:東京工業大学塚本研究室

      「下さん」のコミュニティキッチンの土間から続くステージ。左奥で母屋の畳の広間へと繋がる。/撮影:新建築社写真部

      「awanova」開催時の様子。照明の竹籠シェードは裏山の竹林から調達されたもの。/提供:福岡達也

      「下さん」で開催された「awanova」。出店者はおのおので食事やコーヒー、本や野菜を販売。平日とは思えない賑わい。/提供:東京工業大学塚本研究室

      古民家「下さん」の作業の様子。骨組みだけになっていた厠小屋を丁寧に解体し、サルベージ材は分類・保管して改修に活かす。/提供:東京工業大学塚本研究室

      古民家「下さん」の作業の様子。天井を解体し露出した垂木の間に断熱材を入れ、サルベージ材で天井を仕上げる。足場上での作業にはヘルメットと命綱。/提供:東京工業大学塚本研究室

      古民家「下さん」の作業の様子。土壁ワークショップは土の仕込み、竹小舞と荒壁塗り、大直し、中塗りと4回開催。写真は仕上げの中塗りをする様子。/提供:東京工業大学塚本研究室

      古民家「下さん」の作業の様子。木材をボルトで束ねてキッチンカウンターに。/提供:東京工業大学塚本研究室

      サルベージ材でつくられたカウンター。/撮影:新建築社写真部

      「資源的人会議#4」。「森のようちえん」がテーマ。渡邊恵さんと北村ニールセン朋子さん(デンマークからオンライン)が講師。親子連れの参加が多く、その場で読み聞かせ会となった。/提供:東京工業大学塚本研究室

      「資源的人会議#5」。茅葺がテーマ。神戸の茅葺職人、相良育弥さんを招き、オンラインで配信。「ゆうぎつか」の茅葺屋根の屋根裏ツアーを行った。/提供:東京工業大学塚本研究室

      「資源的人会議#6」。土中環境について造園家の高田宏臣さんがレクチャーとワークショップを開催。/提供:東京工業大学塚本研究室

      「資源的人会議#2」。酪農がテーマ。チーズ工房【千】senの柴田千代さんと嶺岡牧研究者の日暮晃一さんが講師。写真はモッツァレラチーズをつくる柴田さん。/提供:東京工業大学塚本研究室

      左から林良樹氏、福岡達也氏、塚本由晴氏。

      fig. 21

      fig. 1 (拡大)

      fig. 2