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2022.04.26
Essay

表層は建築になり得るか

青木淳(AS)

*本記事は、『新建築』2021年4月号で「LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI」と共に掲載されたものです。

クロード・モネに、「ラ・グルヌイエール」fig.1という絵がある。1869年、モネが40代半ばの時の作品である。ラ・グルヌイエールというのは、パリからセーヌ川を下ったところにある行楽地。ルノワールと一緒に行って、キャンバスを並べて描いたと言われる。実際に、ルノワールにも、同名の、同じアングルの絵がある。比べてみると、モネの関心の中心が、水面にあることが分かる。深緑、灰緑、鶯色、露草色、白の絵具が、水平のストロークで置かれている。色は混ざっていないfig.2。にもかかわらず、不思議なことに、画面から、ゆったりと波打つ水面が、迫真力を持って伝わってくる。光学的に言えば、これは正しい描き方ではない。画面にあるのは、各色の短い線の集まりばかり。しかしそれを見る私たちの頭の中で色が合わさり、光を受けてうねる水面の像が脳内にかたちづくられる。現実の光学的な写しではない。絵画が、ここにおいて、3次元の現実の2次元への投影であることをやめ、逆に、3次元へ投影されるべき2次元の現実になったのだった。
「筆触分割による視覚混合」と呼ばれる、こうした印象派の試みの後に、日本ではたとえば、福田平八郎の「漣」(1932年)がある。こちらになると、色はもっとずっと限定されている。地は、金箔の上にプラチナ箔を重ねたもの。そこに、岩絵具の青のみで小さな線の群が描かれている。画面の上に行くほど、線と線との間隔が狭まっていく。そんなつくりで、見る人の脳内に、岸辺に立って、斜めに見下ろした時の水面の像を浮かび上がらせる。
絵画は、少なくとも西欧では、レンズを通して得られる投影画像を手本にしてきた。それを画面の上に定着することを理想としてきた。しかし、19世紀の半ばに差しかかる頃、画家の手を借りずに、それを化学的に紙面に定着する技術が発明された。そうして、19世紀の後半に入り、写真と呼ばれるその新技術が広く行き渡っていく中で、それとは別の方法での「写実」を試みる先端的な画家たちの一群が現れてくる。画面という2次元上での現実の再現ではなく、それを見る人びとの頭の中に現実を再現する、そのための2次元の現実としての絵画、ということが試みられたのだった。

そんな2次元の現実を、もう一度、3次元の現実に戻してみる。「LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI」(『新建築』2104)の試みをひと言で言えば、そういうことになる。筆触分割で描かれた水を立体化してみる。だから、でき上がったそれは「現実的」には見えない。絵が突然、現実の街にコピペされたように見える。ダイクロイック・ミラーは、光の中からある波長を選んで、それを反射し、それ以外の波長を透過させる技術である。反射光と透過光が補色関係になる。今回、特注したダイクロイック・コーティングでは、反射光がオレンジ、透過光が全スペクトラムからオレンジを引いた色、つまりターコイズブルーがかった色になる。そして、その透過光が、ガラスの裏面に貼られた乳白色のフィルムに当たることで、ガラス面がターコイズブルーを反射する。つまり、外から見れば、反射光と透過光のどちらが優勢かで、オレンジとターコイズブルーが交代する。面に起伏を与えれば、その起伏に合わせて、その交代がより強まる。ガラス面自体は大きな起伏ではないから、単なるミラーでは、さほど波打っているようには見えない。ダイクロイック・ミラーにすることではじめて、筆触分割となって、視覚混合が起き、うねりが見えてくる。
2次元上で実現されることを、もう一度、3次元の現実に戻す、というのは、「SIA青山ビルディング(現・ヒューリック青山第二ビル)」(『新建築』0806)fig.3でも試したこと。ポツ窓の高層ビルを頭に浮かべて、紙に描く。窓の大きさはどうしたって不揃いになり、輪郭線は揺らぐ。そんなフリーハンドの絵をそのまま立体化し、現実の大きさにまで拡大してみる。そのためには、外壁から打ち継ぎ目地を消さなければならない。窓の開口は、単なる「四角」として見えるものとしてつくらなければならない。しかし、そんな無理を通せば普通招く、窓際からの雨水の「よだれ」は、つとに避けなければならない。持てる技術を総動員して、ドローイングが、現実の世界にそのままコピペされたような建築をつくり出そうとした。
こうした試みの実現には、かなりの技術の、かなりの時間をかけた検証が必要になる。

しかしそれは、たかが、表面の問題ではないか。内部の空間構成に、関わりがないではないか。これは「建築」なのだろうか。正直なところ、そんな戸惑いと、ずっと、付き合ってきた。ルイ・ヴィトンのための最初の仕事「LOUIS VUITTON NAGOYA」(『新建築』9910)fig.4以来である。
一応のけじめは、「ルイ・ヴィトン 銀座並木通り店」(『新建築』0410)fig.5でつけた、つもりだった。だから、ルイ・ヴィトンの店舗での試みが「一巡した」と書いた。外装とは包装紙にすぎず、装飾にすぎない、そして、その装飾が純粋であれば、それは実際には存在していないある特定の内部世界への想像を誘う実体となり得、それはまた内部空間と等価になり得るのではないか、と書いた。鷲田清一さんの『モードの迷宮』(中央公論社、1989年)から、実体というのものが衣服の裏にあるのではない、というくだりも引用した。
しかしこの時の納得の仕方には、どこか、煮え切らないところがある。やはり内部空間は無視できない。実際、その後の仕事でも、内部空間の構成と帳尻を合わせようとしてきたからである。「LOUIS VUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJI」(『新建築』2104)の内部空間は、基本的にはユニヴァーサル・スペースである。階高にいくらか差があるが、基準階が積層されている。「帆」の集合という外装は、それがひとつの論理でできているという点で、その実体を裏切っていない。帆と帆との間の隙間は、ベランダとして使われ得るし、また外の景色が直接見える場所をつくり出す。だから、帆の配置の決定には、内部空間側との協調を経ている。
とはいえ、内部空間は、商業施設の場合、やはりフレキシブルなのである。毎年とは言わないが、かなりの頻度で改装がある。時には、床を抜いて吹き抜けをつくることもある。内部空間には、そうした可変性が要求されている。
そうした可変性、あるいは可変可能性をそのまま、外観のデザインに持ってきたのが、たとえば、ポンピドゥーセンター(1977年、設計:レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャース)である。あるいは、一連の「ハイテク建築」。仮設性を前面に出すことで、建築としての首尾一貫性を担保する。しかし何も、商業空間や展示空間や工場空間の可変性を表現することの内的理由はない。百貨店の外装なら、その内部空間の可変性の表現以上に、ブランディングとしての役割の方が重要だろう(ポンピドゥーセンターの場合は、「現場性」という美術館の思想表現でもあったわけだが)。可変性を、「建築」としての都合で召喚するのは、ヴェンチューリに倣えば「ダック」であり、これは「建築」を超えたより大きな視点に立てば、本末転倒である。
しかしだからと言って、「装飾された小屋」、つまり潔く、外装を本体からまったく切り離す、までは、やはりいかないのである。では、どうすればよいか。「LOUIS VUITTON MAISON OSAKA MIDOSUJI」では、まず外装のデザインがほぼ確定した後に、インテリア・デザインの参照源として、「スーパーヨット」が浮上してきた。小屋があってそこに装飾が付加される、ではなく、装飾があってそれが内側世界の構築のきっかけとなっていった。表層が、本来的にはそれ自体では形を持たない内部の性格を規定していった。小屋が先にあるのではない。まず外殻、つまり装飾があって、ついで、その裏面に接する部分のあり方が決まり、そこから内側に向かって徐々に、外殻の世界が浸透していった。小屋と装飾の前後関係が逆転しはじめていたのだった。

「LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI」は、形としては「柱」であるし、また実際、単純な柱に見える。それが、基準階がそのまま積み重なってできた建築であることを素直に表現している。しかし、その表層を、脳内で像を結ばせる、つまり現象を生じさせる、2次元絵画の実体化という面倒な過程を経たつくりにすることで、本来的には不定形なその内側世界を凝結させていっている。これはある意味で、最初の「LOUIS VUITTON NAGOYA」への帰還のようでもある。であれば、もしかしたら、ここにきてようやく、「一巡した」のかもしれない。
「衣服の向こう側に裸体という実質を想定してはならない。衣服を剥いでも、現れてくるのはもうひとつの別の衣服なのである。衣服は身体という実体の外皮でもなければ、被覆でもない。」
これが2004年に引用した鷲田さんの文であった。

(初出:『新建築』2104)

青木淳

1956年神奈川県生まれ/ 1982年東京大学大学院修士課程修了/ 1991年青木淳建築計画事務所設立(2020年ASに改組)/ 2020年品川雅俊をパートナーに迎えASに改組/ 1997年「S」(『新建築住宅特集』1312)で第13回吉岡賞受賞/ 1999年「潟博物館」(『新建築』9710)で日本建築学会作品賞受賞/ 2004年「ルイ・ヴィトン表参道ビル」(『新建築』0210)でBCS賞(建築業協会賞)受賞/主な著書に『青木淳ノートブック』(平凡社、2013年)『Jun Aoki COMPLETE WORKS 3:2005-2014』(LIXIL出版、2016年)『フラジャイル・コンセプト』(NTT出版、2018年)

青木淳
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クロード・モネ「ラ・グルヌイエール」(1869年)/H. O. Havemeyer Collection, Bequest of Mrs. H. O. Havemeyer, 1929 メトロポリタン美術館所蔵

「ラ・グルヌイエール」、水面拡大。/H. O. Havemeyer Collection, Bequest of Mrs. H. O. Havemeyer, 1929 メトロポリタン美術館所蔵

SIA青山ビルディング(『新建築』0806)/撮影:新建築社写真部

LOUIS VUITTON NAGOYA(『新建築』9910)(正式名称:LOUIS VUITTON NAGOYA SAKAE)/撮影:新建築社写真部

ルイ・ヴィトン銀座並木通り店(『新建築』0410)(正式名称:LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI)/撮影:新建築社写真部

fig. 5

fig. 1 (拡大)

fig. 2