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2022.04.26
Essay

都市をかたちづくる表層について

思考を紡ぐ──建築家10人が選ぶ論考 #2

山田紗子(山田紗子建築設計事務所)

「思考を紡ぐ──建築家10人が選ぶ論考」の第2回は、山田紗子さんに青木淳「表層は建築になり得るか」を紹介いただきました。論考は新建築.ONLINEで同時に公開されています。(新建築.ONLINE編集部)

青木淳さんの文章にはいつも、示唆というほど意図的でもない、答えがはっきりしないような問いかけが含まれている。その問いや呟きのような言葉の先にあるものを想像したり、自分の考えに透かしてみるのはとても楽しく、創造的な読書体験となる。

論考「表層は建築になり得るか」(『新建築』2104)は、クロード・モネの水面の描写方法の解説から始まる。絵筆のストロークの集まりが鑑賞者の頭の中で混ざり合い、光を孕み波打つ水面となる。これを青木さんは「3次元へ投影されるべき2次元の現実」とし「LOUIS VUITTON GINZA NAMIKI」(『新建築』2104)の光揺らめくカーテンウォールは、この現象を建築の表層で試みたものだという。表層から得る視覚情報が、ただの平面的な像に留まらず、より動的で生々しい別次元のイメージを生み出す。建築内部の表れだけではなく、表層そのものが都市に生きる要素として、また外部環境の模倣や追随ではなく、周囲と響き合いながらも独立した存在として立ち現れるということだ。

建築の表層を問うことは、建築とは何かを考えることだ。建築設計を内部体験について思考を巡らせることから始めると、表層はどうしても内部構造や論理によってのみでき上がるものとして扱うことが正解のように思えてしまう。または、その建物が所在する都市のコードやつくられ方に倣えば、誰も文句をいわないかもしれない。しかし建物をつくる以上、新築でも改築でも意識せずとも、表層には建築の態度が露出し、周囲の建物との関係性を再編することになる。それがどんなデザインであったとしても、未来に向かった一石となる。だから表層の意匠は、内部空間をいい訳にするのでも、外部環境をいい訳にするのでも不十分だ。

そもそも私たちが都市を捉える時、知覚しているのはそれぞれの建物の表層である。街を歩く時に視界に入り込むテクスチャやガラスの色、そこから覗く内部の灯りや什器、取っ手や手摺りの金属の艶。こうした建築の表層をつくるものたちが脳内で溶け合い、そこから連想される本当は見えていないものも含めた総体として立ち現れる。街を歩けば歩くほど、そのような世界が連なっていく。私たちは実際に体験することのない奥行きを自ら補いながら、複雑な都市というかたちの中に生きている。だとしたら表層は、都市という空間をかたちづくると共に、そこに深さをも与え、人びとにそれぞれ異なる世界を描かせる「建築」といえるのではないか。

モネが異なる色の絵具を隣り合わせたように、表層をつくるひとつひとつの要素を丁寧に据える。そうすると「ラ・グルヌイエール」の光たゆたう水面の如く、無限の深度をもった都市という世界を描くことができるのかもしれない。

山田紗子

1984年東京都生まれ/2007年慶應義塾大学環境情報学部卒業/2007〜11年藤本壮介建築設計事務所勤務/2013年東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了/2013年〜山田紗子建築設計事務所代表/現在、京都大学非常勤講師ほか/「daita2019」(『新建築住宅特集』1908)で2020年第3回日本建築設計学会賞大賞、2020年第36回吉岡賞受賞/2020年Under 35 Architects exhibition 2020 Gold Medal受賞

山田紗子
思考を紡ぐ──建築家10人が選ぶ論考
新建築

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「表層は建築になり得るか」/『新建築』2021年4月号掲載誌面

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