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2022.12.02
Essay

聖なる空間とその序曲──表千家不審奄

数寄空間への招待 茶室を読み解くキーワード10

西和夫

*本記事は『新建築』1992年1月号に掲載されたものです。

茶室とは何か、しいて定義すれば、茶をて、茶を喫するための空間、これが茶室であろう。茶だけでなく、料理や酒を楽しみ、そしてまた客をもてなす場ともなる。こうしたさまざまな行為を含む茶事のための空間、あるいは茶事のための装置、こう定義することもできよう。
ただし、茶事のための装置といっても、広い座敷の一部を使ったり(その場合、屏風などで囲えばいっそう使いやすくなる)、庭に毛氈もうせんを敷いたりしたものは(それはそれで立派な茶事の装置だが)、普通は茶室とはいわず、建築的な空間を一般に茶室と呼ぶようだ。茶室は、必ずしも単体の建築とは限らない。他の建物に附属したり、住宅内の一室だったりする。大きなビルの中につくられることもある。どの場合も、大切なのは茶に専念できることである。そのために内部空間の設計に気を使うが、外部にも工夫を凝らすことが望ましい。茶室に入る前に、 茶に専念できるように精神を整えておきたい。この目的でつくられる外部空間、それが露地で、優れた例に表千家の場合を挙げることができる。
表千家は、京都市上京区の小川こかわ通りの東に屋敷を構える。すぐ北が裏千家である。1591年(天正19年)、千利休が豊臣秀吉の怒りをかって自刃したのち、大徳寺の門前にあった屋敷は没収され、子の少庵は会津の蒲生氏郷に預けられた。やがて許されて現在の地に千家を再興し、没収されていた茶器も孫の宗旦に返された。宗旦は1畳半の茶室不審庵を建てる。その後宗旦は屋敷の北に今日庵を建てて隠居し、不審庵と屋敷は三男の江岑宗左が継ぐ。今日庵を継ぐのは四男仙叟宗室である。なぜ三男と四男か。長男は故あって家を継がず、次男はすでに武者小路に住んで官休庵を開いていたからである. 次男が武者小路千家、三男が表千家、四男が裏千家となる。表と裏は屋敷の位置による。南が表、北の隠居屋敷が裏である。
江岑宗左は1畳半の不審庵を継ぐと、父の宗旦と相談してこれを取り壊し、新たに3畳台 目の不審庵を建てた。以後これが受け継がれる。1788年(天明8年)の大火で焼失するまでは座敷(残月亭)の南に位置し、大火後、残月亭の東のいまの位置に移る。1905年(明治38年)に再度焼け、1913年(大正2年)に以前の姿に忠実に再建されたのが現在の不審庵である。
1825年(文政8年)に紀州家の門を移築したという堂々たる楼門を入り、玄関の手前で右に進むと露地口がある。扉から中に入る。すぐ左に外腰掛、その右に中潜なかくぐりが見える。大きな樹木、その下に茂る灌木、間を縫って客を導く自然石の飛石、さまざまな要素が客を迎える。導かれるままに進むと、眼前の景色が次々に変化する。あたりに満ちる空気は緊張感を保ちつつ、次第に密度を濃くする。残月亭の前に出る。すぐ脇に梅軒門がある。ここから不審庵の内露地である。右手に内腰掛、左には不審庵。すでに客は、意識するしないにかかわらず、茶にふさわしく精神が整えられている。露地を通るうちに、俗なる世間から来た身体も精神も、いつのまにか変身を遂げている。
躙口から不審庵に入る。正面に床、その左に給仕口。左奥に台目の道具畳(手前座)。外部空間の露地の構成も密度が高いが、室内の空気はさらに濃密である。室内を聖なる空間とすれば、露地はそこへ導く序曲である。点前座の中柱は、床柱と同じく赤松の皮付で、真直ぐな材である。袖壁の奥に茶道口がある。白い襖の扉で、手を放すと自然に閉まるように工夫されている。天井は、客の座となる3畳のうち、床寄りの部分が平らな蒲天井、躙口側が化粧屋根裏。点前座の上も化粧屋根裏。中柱の脇に三角形の壁があり、ここに不審庵の額をかける。複雑な天井の構成が、室内の空気をいっそう濃密にする。


聖なる空間への序曲として、アプローチや前室の意匠に気を配るのはいつの時代も当然のことだ。「国立能楽堂」(大江宏、『新建築』8401)fig.2のホールは能舞台のある空間に導くまさに序曲であり、「六甲の教会」(安藤忠雄、『新建築』8609)fig.3のコロネードやそこに至るアプローチは、教会という聖なる空間へ導く露地と見て差し支えない。
序曲は、自己主張をし過ぎてはいけない。あくまでも脇役である。しかし主人公たる聖なる空閻を予感させ、人びとの精神をもっともふさわしい状況に整えねばならない。これは難役である。
茶室の露地は、樹木、飛石、簡単な工作物、これだけでその難役を果たさねばならない。さりげなく、それでいて着実な働きを要求される。さりげなさは建築家が苦手とするところだ。露地を見て、そこから得るものは大きいに違いない。

(初出:『新建築』9201)

西和夫

1938年東京生まれ/1962年早稲田大学第一理工学部建築学科卒業/1967年東京工業大学大学院博士課程修了 工学博士、日本工業大学助教授/1977年神奈川大学助教授/1978年同大学教授/2015年逝去

    西和夫
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    新建築
    茶室

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    新建築 1992年1月号
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    「聖なる空間とその序曲──表千家不審奄」/『新建築』1992年1月号掲載誌面

    左頁:内露地より不審庵を見る。

    右頁:左下は不審庵と内露地平面図。右下は不審庵点座方向を見る。

    大江宏「国立能楽堂」(fig.1右頁上左)/撮影:新建築社写真部

    安藤忠雄「六甲の教会」(fig.1右頁上右)/撮影:新建築社写真部

    fig. 3

    fig. 1 (拡大)

    fig. 2