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2022.05.23
Essay

立体最小限住居・再々考

思考を紡ぐ──建築家10人が選ぶ論考 #7

川島範久(川島範久建築設計事務所)

「思考を紡ぐ──建築家10人が選ぶ論考」の第7回は、川島範久さんに難波和彦「立体最小限住居・再考」を紹介いただきました。論考は新建築.ONLINEで公開されています。(新建築.ONLINE編集部)

今年3月に竣工した「豊田の立体最小限住宅」(『新建築住宅特集』2205)は、私が設計してきた住宅の中でもっともローコストのプロジェクトだった。必然的に「住宅において譲れないものは何か」を考えることになった。

その際に振り返ることになったのは、難波和彦による「箱の家─Ⅰ」(『新建築住宅特集』9508)であり、彼の師である池辺陽の「立体最小限住居」(『新建築』5007)だった。今回紹介する難波による論考「立体最小限住居・再考」難波はこの論考の後、『新建築住宅特集』の1996年6月号〜1998年2月号まで隔月連載で「池辺陽試論」と題して池辺の仕事についてまとめ、それを再構成・加筆したものを『戦後モダニズム建築の極北──池辺陽試論』(彰国社、1998年)としてまとめている。また、「箱の家」は現在170プロジェクトに到達しようとしており、バージョンアップしながら実践が続けられている。難波は設計と並行して理論も発展させ続けており、最新の書籍は『新・住宅論』(左右社、2020年)である。今回、この論考を書くにあたって、主にこの2冊を再読し、参照した。これらも併せて読むことをお薦めする。は、「箱の家─Ⅰ」「箱の家─Ⅱ」を発表した際に書かれたものであり、その中で池辺の「立体最小限住居」とそれに関連する文章が紹介されている。

「立体最小限住居」がつくられたのは、大規模な住宅不足を短期間で解決することが求められた戦後復興期だった。この住宅をはじめとする1950年代の一連の小住宅は、それまでの封建的な家父長制度を温存させていた畳を中心とする生活様式を解体=どんな用途にでも転用できる「均質空間」から脱却し、民主的な核家族制度に向けた近代的な椅子を中心とする生活様式に再編成=「機能分化」することを目指していた。「立体最小限住居」は、極限的に切り詰められた寸法システムと、吹抜けを利用した一室空間が特徴であるが、それは住まいの機能分化を進めながら、整理し、立体的に組み立て直すための手法でもあったのだ。

高度経済成長期になると、住宅の規模は徐々に大きくなり、家族ひとりひとりの自立のための個室へと分化していき、nLDK型の住居タイプが主流になっていった。しかし、1990年代初頭のバブル崩壊前後に、当初の民主的な核家族の理想は崩壊し始め、生活と空間にズレが生じはじめる。多様で緩やかな共同体としての家族が見直され、1950年代の小住宅に見られた開放的な一室空間の再評価が行われるようになった。

そんな時代背景の中で提案された「箱の家─Ⅰ」は、難波がそれまで手がけた住宅の中でもっとも工事単価が安いものだった。しかし、空間性能(構造、温熱環境、メンテナンス性)を犠牲にしないためにさまざまな条件を整理した。コンパクトな箱型とし、構法を単純化し、吹抜けを設け、間仕切りを最小限にした、風通しのよいのびのびとした内部空間が、大開口により前面道路に開放されている。今回紹介する彼の論考は「快適さについて」から始まるが、現在に至るまで実践され続けている「箱の家」は、住み手が住居に働きかけ、住居と共に住み手自身が変化するといった「能動的な快適性」を目指している。

論考の中で、池辺は「まずデザインの最低限の役割は、与えられた予算で可能なかぎり住まいの質的な向上を図ること」であり、「デザインの社会的意味は、居住者の発展に対する積極的意欲を燃え上がらせることにあり、それのみを通じて住宅問題に結びつき得る」(『建築文化』第9巻 第96号、1954年1月)と述べていたことが紹介されている。

また、難波は、この論考の後に執筆した『戦後モダニズム建築の極北──池辺陽試論』(彰国社、1998年)の中で、「池辺が提唱するのは、建築による創造的な人間の形成である。それは建築を通じて問題を投げかけ、建築的対話を生み出し、ユーザーの生活に創造的な変化をもたらすことである。」と述べ、積極的な働きかけをやめてユーザーの要求に順応した機能主義を「快楽主義」と批判する次のような池辺の論考を紹介している。

住居は生きるためのものでなければならず、それに何等のものを附け加える必要はない。問題は生きることは何かということを掘り下げることであり、住居デザインの追求にとつて、このことより外に、何らの言葉を要しないのである。
そしてこの問題と直面せざるを得ないのは、やはりローコストの住居である。ここでは問題をごま化すわけにはいかない。すべての部分が生きるために役に立たねばならない。私はここ以外に住居が芸術として存在する意味はないと考えている。
(「快楽主義の傾斜とたたかう」『新建築』5511)

「立体最小限住居」がつくられた時代と「箱の家─Ⅰ」がつくられた時代、そして現在とでは、住宅問題の局面は異なる。しかし、池辺が述べているような「住居デザインの社会的意義」は、現代においても基本的には変わっていないといえるだろう。生きることは何かを掘り下げ、空間と材料の働きを徹底的に鍛えること。これは、地球環境危機の時代である現在においてこそ、改めて取り組むべきことだろう。

私は「豊田の立体最小限住宅」の設計で、構造の安全性はもちろんのこと、温熱快適性・省エネルギー性を確保したうえで、内(家族)と外(都市)に開かれ、自然(太陽や風)に開かれていることは、現代の都市住宅として譲ってはならない、と考えた。それを限られた予算の中で実現するために、徹底的に少ない部材と低価格な機器の組み合わせで高い性能を確保する工夫を重ねた。内部空間は立体的な構成としながら、外形は単純な箱型、構法はシンプルな在来軸組とし、外張り断熱により内装材を省き、木の構造や下地、配管、配線を現しにすることで、内部は木材(自然物)に包まれた温かみのある空間とした。そして、住まい手はその建物の仕組みを理解し、自身で直したり手を加えていくことも可能とした。

家族・都市・自然は他者であり、そのような他者との関係性の中でこそ、人は変化していくことができる。そのような変化を受け入れることができる住宅。そのような原型(プロトタイプ)的な住宅をデザインすることは建築家の重要な役割だと考えている。

川島範久

1982年神奈川県生まれ/2005年東京大学工学部建築学科卒業/2007年同大学大学院修士課程修了/2007~14年日建設計/2012年カリフォルニア大学バークレー校客員研究員/2014~20年東京工業大学大学院助教/2014~17年ARTENVARCH一級建築士事務所共同主宰/2016年東京大学大学院博士課程修了、博士(工学)取得/現在、川島範久建築設計事務所主宰、明治大学理工学部専任講師

川島範久
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難波和彦「立体最小限住居・再考」/『新建築住宅特集』1995年8月号掲載誌面

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